『茗荷宿』
今日はこの噺です。
別名「茗荷」とも言います。
本来は初夏から夏の噺です。
『原話』
「日本昔ばなし」では、旅人が何も忘れずに出ていって夫婦はがっかりし、さらに宿賃ももらい忘れて大損となります。しかし、この旅人がこの宿の茗荷料理の美味しさをあちらこちらで吹聴し、「茗荷の宿」は大層繁盛することになりました。めでたしめでたしという展開になります。
上方落語にもありますので昔話が元かも知れません。
『演者』
四代目の小せん師がやってました。今では市馬師がやっています。また十代目馬生師も筋は違いますがオチは同じの噺をしていました。
若手では柳家わさび師がやってるみたいですね。
『ストーリー』
東海道の神奈川宿に茗荷屋という代々繁盛した料理屋がありました。
しかし当代の亭主は道楽者で、家をを潰してしまい仕方なく宿場のはずれに小さな宿屋を出しましたが、客あしらいも悪く家も汚く、泊まる者もいなくなる有様です。
亭主夫婦は宿をたたんで、江戸に出て一から出直そうと決めたある夜更けに、年配の商人風の旅の男が一晩泊めてくれと入って来ます。
男は、商用の百両が入っているという荷物を預け、すぐにぐっすりと寝入ってしまいます。百両に目がくらんだ亭主は、台所から出刃包丁を取り出し客間に向かいますが、女房に気づかれ浅はかなことと思い留まります。
しかし女房も、喉から手が出るほど百両が欲しいので、何か無いかと考えた末に妙案が思い浮かびます。
それは、宿の裏にごっそり生えている茗荷を刈って客の男に食べさせるというのです。それは、茗荷は物忘れをさせるというからです。ようは、客に茗荷を沢山食べさせ、預けた荷物のことなど忘れさせてしまおうという算段です。
翌朝、ぐっすり寝て気分よく起きてきた男に、宿の女房は
「今日は先祖の命日で、茗荷を食べる慣わしになっています」
と言って、茗荷茶、茗荷の炊き込みご飯、茗荷の味噌汁、茗荷の酢の物など茗荷づくしの献立を膳に並べます。男は
「美味い、美味い」
とたらふく食べ、満足して預けた荷物も忘れて宿を立って行来ました。
宿屋夫婦は、計画が上手く行き、百両が手に入ったと思ったのも束の間、男はすぐに戻って来て忘れた荷物を持って行ってしまいます。糠喜びでがっかりした夫婦です。亭主が「何か忘れていった物はないか」
そう言うと、しばらくして女房が気が付きます。
「あ、あるある」
「何を」
「宿賃の払いを忘れていった」
『能書』
茗荷はショウガ科の多年草で、暖地の林中に生え、野菜として栽培もされます。
葉は広披針形。夏、地下茎の先から花序が出、淡赤褐色の苞片が多数重なって卵形となり、苞の間から淡黄色の花が次々と出ます。独特の香りがあり、開花前の苞と若い茎を食用とします。
『ネタ』
個人的にですが茗荷は素揚げして軽く塩を振って熱々のうちに食べるのが好きですね。
6月の梅雨の時期ですが、昔は菖蒲園の庭を一回りすると抱えないぐらい採れたものですが今は無くなりました
「蛇足」
地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅近くには「茗荷坂」という坂があります。その昔、このあたりは茗荷畑が多かったそうです。
馬生師のはお客が京と江戸の間を月に三度往復するという脚の速い飛脚となっています。
※最近、リクエストを頂き、それに沿って演目を挙げて来ましたが。「狂歌家主」に関しては「掛取り萬歳」ともダブりますし、暮れの噺ですのでその時期にさせて頂きます。
また、残りの 「素人茶番」「三人絵師」「辻八卦」「花見心中」「和歌三神」に関しては勉強し直して参ります。
「辻八卦」は忠臣蔵に関した噺であること。
「和歌三神」は権助と隠居の会話で噺が進みオチが和歌三神ですな」「いいえ、馬鹿三人でございます」と落とす噺であること。
「三人絵師」は三人旅」シリーズの終わりの部分、「京見物」の一部であること。
「素人茶番」に関しては正直良くわからないという有様でした。
また、「花見心中」に関しては橘家圓喬師がやって、速記が残っているそうですが、近年では柳家小満ん師が自身の会でやったとのことです。調べたところ
__あらすじ
年号が慶応から明治に変わる幕末維新の混乱期であり、上方者の善次郎は、重兵衛という知り合いをたどって、江戸に出てきました。
しかし重兵衛は、所帯をたたんで、国に戻ってしまった後で重兵衛の世話人という男が面倒を見てくれて、江戸に残ってみたものの何をやってもうまくいかず、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえとついに見放されたものだから、桜の木で首をつろうと向島の土手へ来ます。
木に上っていると…下では、若い男女が心中の相談をはじめて、
この世で添い遂げられないのなら、来世で添い遂げようと…毛氈を広げ、傘を開き、心中の始末をします。
人に迷惑がかかるからと傍らには十両の金を用意して、いざ!刀を抜いて振りかぶると刃先が木の上の善次郎の顔の目の前に来たものだから驚いて、木から落ちてしまいます。心中者のふたりも驚き逃げ出して、残った十両の金を拝借してしまいます。
一応、大家に相談はしたものの混乱の江戸であり、届け出ても無駄だと家賃を払って、借金を返し、それを元手に…心を入れ替え、呉服の商売をはじめます。
すると今度は何もかもがうまくいきはじめ、表店を構えた数年が過ぎたある日のこと、その心中者の夫婦が子供の袴を探しに店に現れます。善次郎は…
「残してくれた十両の金のおかげで店をここまでにすることができました」
とお礼を言います。一方の心中夫婦も
「あのとき逃げたおかげで…家族に見つかってしまい、そこまでするのならと親の許しを得て、夫婦になることができました。そして子供までなすことができました。あなたさまは命の親でございます」
とお礼を言います。
三人が口をそろえて、「命の親」「命の親」と繰り返しているところへ
奥から出てきた善次郎の母が、
「善次郎の親は私ですよ!」
調べたところこのような筋でした。いかんせん全く聴いたことのない噺はさすがに書けませんのでお許しください。残りの演目も宿題ということでいつの日かやりたいと思います。
今日はこの噺です。
別名「茗荷」とも言います。
本来は初夏から夏の噺です。
『原話』
「日本昔ばなし」では、旅人が何も忘れずに出ていって夫婦はがっかりし、さらに宿賃ももらい忘れて大損となります。しかし、この旅人がこの宿の茗荷料理の美味しさをあちらこちらで吹聴し、「茗荷の宿」は大層繁盛することになりました。めでたしめでたしという展開になります。
上方落語にもありますので昔話が元かも知れません。
『演者』
四代目の小せん師がやってました。今では市馬師がやっています。また十代目馬生師も筋は違いますがオチは同じの噺をしていました。
若手では柳家わさび師がやってるみたいですね。
『ストーリー』
東海道の神奈川宿に茗荷屋という代々繁盛した料理屋がありました。
しかし当代の亭主は道楽者で、家をを潰してしまい仕方なく宿場のはずれに小さな宿屋を出しましたが、客あしらいも悪く家も汚く、泊まる者もいなくなる有様です。
亭主夫婦は宿をたたんで、江戸に出て一から出直そうと決めたある夜更けに、年配の商人風の旅の男が一晩泊めてくれと入って来ます。
男は、商用の百両が入っているという荷物を預け、すぐにぐっすりと寝入ってしまいます。百両に目がくらんだ亭主は、台所から出刃包丁を取り出し客間に向かいますが、女房に気づかれ浅はかなことと思い留まります。
しかし女房も、喉から手が出るほど百両が欲しいので、何か無いかと考えた末に妙案が思い浮かびます。
それは、宿の裏にごっそり生えている茗荷を刈って客の男に食べさせるというのです。それは、茗荷は物忘れをさせるというからです。ようは、客に茗荷を沢山食べさせ、預けた荷物のことなど忘れさせてしまおうという算段です。
翌朝、ぐっすり寝て気分よく起きてきた男に、宿の女房は
「今日は先祖の命日で、茗荷を食べる慣わしになっています」
と言って、茗荷茶、茗荷の炊き込みご飯、茗荷の味噌汁、茗荷の酢の物など茗荷づくしの献立を膳に並べます。男は
「美味い、美味い」
とたらふく食べ、満足して預けた荷物も忘れて宿を立って行来ました。
宿屋夫婦は、計画が上手く行き、百両が手に入ったと思ったのも束の間、男はすぐに戻って来て忘れた荷物を持って行ってしまいます。糠喜びでがっかりした夫婦です。亭主が「何か忘れていった物はないか」
そう言うと、しばらくして女房が気が付きます。
「あ、あるある」
「何を」
「宿賃の払いを忘れていった」
『能書』
茗荷はショウガ科の多年草で、暖地の林中に生え、野菜として栽培もされます。
葉は広披針形。夏、地下茎の先から花序が出、淡赤褐色の苞片が多数重なって卵形となり、苞の間から淡黄色の花が次々と出ます。独特の香りがあり、開花前の苞と若い茎を食用とします。
『ネタ』
個人的にですが茗荷は素揚げして軽く塩を振って熱々のうちに食べるのが好きですね。
6月の梅雨の時期ですが、昔は菖蒲園の庭を一回りすると抱えないぐらい採れたものですが今は無くなりました
「蛇足」
地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅近くには「茗荷坂」という坂があります。その昔、このあたりは茗荷畑が多かったそうです。
馬生師のはお客が京と江戸の間を月に三度往復するという脚の速い飛脚となっています。
※最近、リクエストを頂き、それに沿って演目を挙げて来ましたが。「狂歌家主」に関しては「掛取り萬歳」ともダブりますし、暮れの噺ですのでその時期にさせて頂きます。
また、残りの 「素人茶番」「三人絵師」「辻八卦」「花見心中」「和歌三神」に関しては勉強し直して参ります。
「辻八卦」は忠臣蔵に関した噺であること。
「和歌三神」は権助と隠居の会話で噺が進みオチが和歌三神ですな」「いいえ、馬鹿三人でございます」と落とす噺であること。
「三人絵師」は三人旅」シリーズの終わりの部分、「京見物」の一部であること。
「素人茶番」に関しては正直良くわからないという有様でした。
また、「花見心中」に関しては橘家圓喬師がやって、速記が残っているそうですが、近年では柳家小満ん師が自身の会でやったとのことです。調べたところ
__あらすじ
年号が慶応から明治に変わる幕末維新の混乱期であり、上方者の善次郎は、重兵衛という知り合いをたどって、江戸に出てきました。
しかし重兵衛は、所帯をたたんで、国に戻ってしまった後で重兵衛の世話人という男が面倒を見てくれて、江戸に残ってみたものの何をやってもうまくいかず、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえとついに見放されたものだから、桜の木で首をつろうと向島の土手へ来ます。
木に上っていると…下では、若い男女が心中の相談をはじめて、
この世で添い遂げられないのなら、来世で添い遂げようと…毛氈を広げ、傘を開き、心中の始末をします。
人に迷惑がかかるからと傍らには十両の金を用意して、いざ!刀を抜いて振りかぶると刃先が木の上の善次郎の顔の目の前に来たものだから驚いて、木から落ちてしまいます。心中者のふたりも驚き逃げ出して、残った十両の金を拝借してしまいます。
一応、大家に相談はしたものの混乱の江戸であり、届け出ても無駄だと家賃を払って、借金を返し、それを元手に…心を入れ替え、呉服の商売をはじめます。
すると今度は何もかもがうまくいきはじめ、表店を構えた数年が過ぎたある日のこと、その心中者の夫婦が子供の袴を探しに店に現れます。善次郎は…
「残してくれた十両の金のおかげで店をここまでにすることができました」
とお礼を言います。一方の心中夫婦も
「あのとき逃げたおかげで…家族に見つかってしまい、そこまでするのならと親の許しを得て、夫婦になることができました。そして子供までなすことができました。あなたさまは命の親でございます」
とお礼を言います。
三人が口をそろえて、「命の親」「命の親」と繰り返しているところへ
奥から出てきた善次郎の母が、
「善次郎の親は私ですよ!」
調べたところこのような筋でした。いかんせん全く聴いたことのない噺はさすがに書けませんのでお許しください。残りの演目も宿題ということでいつの日かやりたいと思います。