らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

2022年01月

「夢八」(夢見の八兵衛)という噺

20220129085326『夢八』
今日はこの噺です。上方落語ですが近年ではこちらでも高座にかかります。
本来は元は「夢見の八兵衛」という題です。
本来は夏の噺でしょうが、前の記事のコメントに登ったこともあり取り上げることにしました。

『原話』
古い上方落語ということです。

『演者』
以前は小南師や百生師がよく演じていましたが、今は春風亭一之輔師、柳家一琴師や柳家蝠丸師がやってくれています。

『ストーリー』
八兵衛が源兵衛さんに呼ばれてやって来ると、体の具合が悪いのかと聞かれ、夢ばかり見ている病だという。金儲けの話があるというと、何でもすると即答する。
一晩、留守番を頼みたい、吊りの番だという。給金二倍で食事付きと聞き引き受けることにしました。
 吊りは長屋だと連れて行かれ、角のお直さんのところに源兵衛が挨拶に行くと、近所の者は皆いなくなり、今は一人だけだという。頼んでおいた重箱を受け取り、八兵衛とくだんの長屋に行きます。
 灯りがないので蝋燭をつけ見ると、畳はすべて上げてしまったとのこと。重箱にはにぎりと煮しめが入っており、さっそく食べ始めます。
 源兵衛は一晩中寝ないように、棒で机を叩いておけと教え、一通り教えると源兵衛は表から鍵を掛けて帰ってしまう。
八兵衛は怖々机を叩いていたが、吊ってあるむしろの向こうに人がいることに気付く。
むしろの下には足がない。ひょいとむしろに触ったとたん、ぱらっとはずれて、向こう側に住人の男が首を吊っており、無念の形相もの凄い。
 驚いた八兵衛は大騒ぎで、夜が更けてくると、風が路地に入ってきて音が鳴り出します。
屋根の上を猫が餌を探してやって来る。下を覗くと八兵衛が騒いでいる。猫は、弱虫な男を脅かしてやろうとたくらむ。首吊りがしゃべり出す。八兵衛に伊勢音頭を歌えと言うので、怖々歌う始末です。
 首吊りが合いの手を打ったところで縄が切れて、死体が八兵衛のところに落ちてくるので、しがみついて気絶してしまいます。
 次の日、源兵衛がやって来ると、お直さんが留守番の騒ぎで眠れなかったが、朝方静かになったという。戸を開けて雨戸を開けると、首吊りを抱いて寝ています。
「ありゃ、度胸のええやつやな、こいつは。こら、八兵衛、八兵衛」
「唄います、お伊勢詣り、この子ができた、よ〜い、よい」
「な〜にをやっとんじゃ、こりゃ」
「伊勢詣りの夢を見ております」

『能書』
面白いところもありますが、余り縁起の良い噺ではありませんね。仕草や噺が地(自分)に戻って演じる処もあり、実力が無いと後半ではどの様な噺だか解らなくなります。

『ネタ』
江戸時代に大流行した伊勢参りですが荷物にならないお土産として「伊勢音頭」などがあります。これが各地に伝えられ当地の言葉や風俗で替え歌になり全国に広まりました。

「蛇足」
重箱は、食物を盛る箱形の容器で、二重から五重に積み重ねられるようにしたもの。お正月のおせち料理などを盛り付けますね。多くは漆塗りで、精巧なものは蒔絵・螺鈿などをほどこしたものもあります。

「ざこ八」という噺

20220121105600『ざこ八 』
もともとは上方落語の切ネタ(大ネタ)で、東京では戦後、二代目桂三木助直伝で三代目三木助師をはじめ、八代目正蔵師が、江戸のやり方で売り物にしましていました。
特に、三木助がこの噺を好み、十八番として、しばしば演じていました。
本家の上方では、六代目笑福亭松鶴が得意にし、小南師等が、上方風で演じました。
入船亭扇橋師が演じていましたね。

『原話』
前半の「先の仏」に近い咄1は806年の「江戸嬉笑」に「精進」という話があり、後編の「二度目のい御馳走」のサゲは1772年頃の「大食」という話にあります。

『演者』
三代目三木助師をはじめ、八代目正蔵師、十代目」入船亭扇橋師あたりですかね。
個人的には寄席のトリの時に扇橋師がやっていたのを聴きました。

『ストーリー』
歳の頃三十二、三のいい男が振り分け荷物と笠を持った姿で、升屋新兵衛宅を尋ねた。前の眼鏡屋の弟・鶴吉だと言う。十年ぶりに江戸に戻って来たが、兄貴の家が無いが、表通りに出て繁盛していると聞かされ一安心。
近所のざこ八は見る影もないがと聞くと、ざこ八は潰れたと言う。百万長者の大店でどんなことしても潰れるような店ではないのに、何かあったのですか。
すると、 「潰したのは、アンタ鶴さんだよ。」というと訳を話出しました。

 婚礼の当日、婿養子の鶴吉が逃げた為に、ざこ八の娘お絹は病に臥せって仕舞います。
鶴吉に似た男を見つけて結婚したが、この婿が遊び人で、心を痛めた両親が死んで、文句を言う人もいなくなり、莫大なざこ八の身代を使い果たし、最後に手を出した相場にも失敗して家や土地まで手放して仕舞います。
さらにお絹に悪い病をうつして死に、お絹は毛が全部抜けて丸坊主になり、乞食同然の暮らしをしています。
 話を聞いた鶴吉は、改めてお絹と夫婦になり、必死に稼いだ金で、ざこ八の小間を借りて米屋を開きます。
一方、上方で十年間稼いだ二百両を元手に米相場をやると、大当たりでどんどん増えて数百万両にもなり、
ざこ八の屋敷を買い戻し、以前より大きな店を持つことが出来ました。
 ある日、出入の魚屋の魚勝が立派な鯛を持ってきました。
鶴吉が三枚に下ろしてくれと言うと、お絹が先の仏の精進日だから駄目と断る。鶴吉が、ドラ養子の命日なんか関係ないと怒り出す。
魚勝が止めに入って「女将さんが先の仏先の仏というから、今の仏が怒っちゃう」

『能書』
上方の噺ではこの先もあり、
夫婦の冷戦は続き、鶴吉が板前を大勢呼んで生臭物のごちそうを店の者にふるまえば、
お絹はお絹で意地のように精進料理をあつらえ始める。
一同大喜びで、両方をたっぷり腹に詰め込んだので、腹一杯でもう食えない。
満腹で下も向けなくなり、
やっとの思い出店先に出ると、物乞いがうずくまっている。
「なに、腹が減ってるって? ああうらやましい」
と言うオチです。

『ネタ』
粉糠三合とは、わずかな財産の例えで、
ほんの少額でも金があるなら、割に合わない婿になど入るな、という戒めです。

「蛇足」
死んだ先妻や先夫のことを「先の仏」と言うそうですが「柳多留」には「後添えは先ンの仏を耳にかけ」とあるそうです。

「ちきり伊勢屋」という噺

20220120133622『ちきり伊勢屋』
今日は人情噺の大作「ちきり伊勢屋」です。まあ冬の噺としても良いのではないでしょうか。
上方では「白井左近」と言います。

『原話』
1774年の「寿々葉羅井」の「人相見」や1814年の根岸鎮衛の随筆「耳袋」の「相学奇談の事」あたりだと言われています。
 古くは二代目小さん師や談洲楼燕枝師などが得意としました。
また代々小さん一門に受け継がれています。

『演者』
最近では六代目圓生師でしょうね。
個人的には十代目入船亭扇橋師で寄席のトリの時に聴きました。

『ストーリー』
ちきり伊勢屋という質屋の若主人伝次郎が麹町で易の名人白井左近に人相を見てもらうと
「あなたは来年2月15日に死ぬ」
 と言われます。
 先代が酷いことをしたのでその祟りだと言います。伝次郎は番頭の籐兵衛と相談し
「これからは出来るだけ人に施しをして自分も名残が無いように遊び尽くす」
 と言います。
 2月15日の前日はお通夜と称して大騒ぎをします。翌日は葬式の準備をしますが死ねません。
 結局、店は人手に渡りとぼとぼと高輪までやって来ると、易の白井左近と出会います。左近は死相を知らせたので江戸所払いになっていたのです。不思議に思った左近がもう一度見ると、人助けをしたので死相が消えて80歳以上長生きする相が出ていると言われます。
 伝次郎は幼馴染の伊之助と駕籠かきをはじめます。ある日、昔贔屓にしていた幇間の一八を乗せたので以前作ってやった羽織と着物を借りて質屋に持って行きます。
 そこの内儀と娘は火事で店を焼き親子四人で心中の相談をしているところを伝次郎に三百両恵まれて助けられた者でした。
 伝次郎はそこの婿となりちきり伊勢屋を再興します。

『能書』
圓生師は「長い噺ですがお葬式のところまで来れば楽です」と語っていました。

『ネタ』
「ちきり」は質屋や両替商の屋号に使われることが多く、数字の五を図案化したマークで示されるそうです。
B9KSwD-CEAA21CK
「蛇足」
四代目柳家小さん師の演出では、白井左近は紀州藩に仕えていた学者で、主君への諫言がもとで浪人となり、生活のために占者をしていたら不思議と当たるようになったというものでした。

「初音の鼓」という噺

20220116101612『初音の鼓』
 今日はこの噺です。取り上げるのは初めてかも知れません。季節的には関係ない感じですが、1月中に取り上げたい噺でもあります

『原話』
芝居の「義経千本桜」が下敷きになってる「継信」が「初音の鼓」の題で演じられていて
1807年の喜久亭壽暁のネタ帳「滑稽集」にも「ただのぶ」と記されています。しかし「義経千本桜」の知識がないと理解出来ないので「ぽんこん」という言い方が一般化したそうです。

『演者』
八代目林家正蔵師や色々な噺家さんが演じています。今でも寄席で演じられています。

『ストーリー』
 怪しげな骨董品を集めて悦に浸っている殿様の所に、古道具屋の金兵衛が「初音の鼓」なる怪しげな鼓を持ってきます。
「これを打つとそこに居る者がコンと鳴きます」
 というので殿様が打つと金兵衛が
「コン」
 と鳴きます。殿様は気に入り百両で買うことになります。
 金兵衛は三太夫に
「殿様がポンとおやりになって、あなたがコンと鳴いたら一両」
 と持ちかけます。
 殿様がポンポンポンと打つと三太夫は三両となると思い
「コンコンコン」
 と鳴きます。殿様は金兵衛に
「今度はそちがこの鼓調べてみせい」
 と言って金兵衛に打たせます。すると殿様が
「コン」
 と鳴きます。殿様は
「確かに『初音の鼓』に相違ない金子を取らす」
 と言って買い上げることになります。しかし貰った金子を見ると中身が少ないのです。それを見た殿様
「中身が少ないと申すか。心配するな、三太夫が鳴いたのと今、身が鳴いた分を差っ引いてある」

『能書』
昔から「初音」という目出度い言葉が登場するので新春あたりに盛んに演じられていたそうです。

『ネタ』
八代目正蔵師は「継信」と呼ばれる方の「初音の鼓」もやったそうです。こちらは殿様が鼓を打つと縁の下から百姓がびっくりして飛び出し、
「そのほうは?」
「夫(ぶ)に参った者で」
「何の夫だ?」
「ただの夫で」
「忠信? なら壇ノ浦の合戦の噺をいたせ」
「存じません」
「そちが知らなければ誰に訊くのじゃ」
「次の夫(継信)にお訊きなさい」
 と下げるそうです。

「蛇足」
鼓は太鼓の変形だそうですが、肩に乗せて打つのようになったのは能が登場してからだそうです。

「厄払い」という噺

20220114134740『厄払い』
少し早いですが暮れにやる場合もありますので取り上げました。早くコロナが収まって欲しいですね。そして暖かかくなって欲しいです。


【原話】
この噺は古くは黒門町の十八番で有名ですね。
原話は不詳ですが1807年(文化4年)の喜久亭壽暁のネタ帳「滑稽集」に「ゑほう」とありますのでこの頃から口演されていると思われます。
東西ともに演じられますが、上方の方はどちらかというとごく軽い扱いで、厄払いのセリフを地口オチで演じる噺ですね。


【ストーリー】
与太郎が二十歳になってもぶらぶらしているので、叔父さんが厄払いの口上を教えます。
自分で稼いだ銭で、おっかさんに小遣いでもやってみろ、泣いて喜ぶからと、早速厄払いに出掛けさましたが、
「えー、厄払い」
 と口ごもっているところへ、
「御厄払いましょう、厄落とし」
 と本職が出てきました。
 本職に邪魔だと怒られて路地に入ったら、面白そうな厄払いだと呼び止められました。厄払いの前に銭を催促して、豆をもらっていよい口上を始めたのですが、
「あぁら、目出度いな目出度いな」
 と始めたのは良いが、後が分からなくなったので、叔父さんが書いてくれた紙を懐から出して読み始めます。
「……鶴は十年」「鶴は千年だろう」
「あそうか点が付いてるから千年だ」
「亀は……読めねえ、おや裏の店と同じ字だ、裏の店は何ていうんだい」「よろずやだ」
「鶴は千年、亀はよろず年」
 ここまで読むと、与太郎、めんどうくさくなって逃げ出してしまいます。
「おい、表が静かになった。開けてみな」
「へい。あっ、だんな、厄払いが逃げていきます」
「逃げていく? そういや、いま逃亡(=東方)と言ってた」

【演者】
これはもう黒門町にとどめを刺すでしょう。その後では小三治師ですかね。

【注目点】
節分は本来は各季節の始まりでして、立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを指します。江戸時代以降では、立春(2月4日)の前日である2月3日を節分とする場合がほとんどで、旧暦では、立春が一年の始まり(元旦)だったとされています。つまり、2月3日の節分は、今で言うところの「大晦日(おおみそか)」にあたるわけです。節分の日には、神社やお寺で「節分絵」「節分祭」や「厄除け祈願祭」などが行なわれますが、これは、旧暦の大晦日にあたる2月3日に一年の厄を祓って新しい一年を迎えましょうという古くからの風習が今に残ったものです。

『能書』
厄払いはもうかなり行われなくなりましたが、その昔は、祝儀等は江戸では十二文、明治では一銭から二銭をおひねりで与え、節分には、それに主人の年の数に一つ加えた煎り豆を、他の節季には餅を添えてやるならわしでした。
今では、「ひとがた」の紙に名前と年を書いて神社に奉納して厄払いをしてもらう処もあります。

『ネタ』
古くは節分だけの営業でしたが、文化元(1804)年以後は正月六日と十四日、旧暦十一月の冬至、大晦日と、年に
計五回、夜に廻ってくるようになりました。この噺では、前に述べた通り大晦日の設定ですが今の大晦日ではありません。

「嘘つき村」という噺

20220111142220『嘘つき村』
 今日は季節に関係のないこの噺です。コロナが猛威を奮ったのが嘘みたいとなりますようにという気持ちを込めました。
上方では「鉄砲勇助」と言います。

『原話』
嘘比べ、そのものは世界中に民話としてあるそうです。
「日本民話集成」に「法螺吹き童子」という話が収まっているそうです。また、
初代林屋正蔵(初代は林屋)の「国自慢」が一番原話にちかいそうです。

『演者』
個人的には三代目金馬師で聴きました。上方では六代目笑福亭松鶴師ですかね。
また三代目小円朝師も演じています。

『ストーリー』
神田に千三つなる異名を持つ男がいて、これが嘘つきの名人なのですが、今日も隠居の所で嘘を並べ立てています。いい加減うんざりしてきた隠居は、信州に村人全てが嘘つきという村があると言います。そこで千三つは嘘つき比べに出かけます。
 中でも鉄砲弥八という男が名人と聞いてその家を訪ねますが、訊いた村人全てが嘘つきで中々たどり着きません。弥八の子供に出会い父親の居場所を尋ねると
「富士山がたおれそうなのでつっかい棒をしに行った。おじさん、おいらの食べ残した薪が二把あるが食べないか」
 などと嘘をつかれます。そこへ父親の弥八が帰って来て
「この世がスッポリ入るような桶を見た」
 と子供にいうと子供も
「おいらも大きな竹を見た。はじめは筍だったのが見る見るうちに大きくなってやがて雲のなかに隠れてしまった」
 と言います。弥八は
「そんな竹があるものか」
 すると子供が
「だってそのくらいの竹が無ければその桶のたがに困るだろう」

『能書』
昔の村では共同生活でしたから村の外の話題は基本的には村の細々した束縛から開放するような意味合いがあったので責任の無い話がこのまれてたそうです。それが江戸、大阪で落語になったとされています。

『ネタ』
上方で嘘のことを鉄砲というのは「ポンポン」と嘘をつくからだそうです。
また演者によっては信州ではなく千住の先とか向島の先とかになっています。

「蛇足」
この噺は「弥次郎」の前半分はそのままで、猪の部分だけ削除して、嘘つき村の噺につなげて演じられたことが多かったみたいですね。
 
最新コメント
記事検索
月別アーカイブ