【三代目桂三木助】、1902年3月28日 – 1961年1月16日
今回は三代目三木助師です。
.「出囃子」
「つくま」
.「芸風」
日本芸術協会所属(今の芸協)でしたが、当時の芸協は新作派が多く古典をやる噺家は肩身の狭さを感じていたそうです。その為、最晩年に落語協会に移籍しました。
圓朝作と云われる「芝浜」を独自に作り上げました。以降、芝浜は夫婦の情愛や明け方の描写を入れて名作落語として認識され、一気に名前が売れました。今でもこの型で、多くの噺家が口演しています。
粋で鯔背な噺家の代表とまで言われました。また落語評論家の安藤鶴夫氏に随分可愛がられたそうです。
.「芸歴」
1918年頃 – 柳枝の元に弟子入りするが断られ仕方なく春風亭柏枝に入門し、柏葉を名乗る。
1921年9月 – 二つ目昇進し、春風亭小柳と改名。
1926年 – 大阪の二代目桂三木助門下に移り、桂三木男と改名。
1927年10月 – 東京に戻り春風亭橋之助、真打昇進で四代目春風亭柳昇と改名。
1932年5月 – 五代目春風亭小柳枝と改名。
1937年 – 落語家から舞踊家に転向。花柳太兵衛を名乗る。
1943年10月 – 弟子を抱えるほど舞踊で名取りになったが戦争の激化により落語家に復帰、
二代目橘ノ圓と改名。
1950年4月 – 三代目桂三木助を襲名。
.「エピソード」
大変な食通で、毎日食べるものを買う店が決まっていたそうです。人形町まで弟子に買いに行かせた話は有名です。
五代目小さん師とは同姓で、義兄弟の杯を交わしたほどの大親友でした。この縁で、最晩年に生まれた長男の名前に小さん師の本名と同じ盛夫と名付けました。
後年、長男は小さん師に入門し、四代目桂三木助を襲名しました。
また若い頃は博打打ちもやっていたそうで「隼の七」の異名もあったそうです。
.「得意演目」
芝浜、火事息子、へっつい幽霊、ざこ八、味噌蔵、崇徳院、三井の大黒、ねずみ、宿屋の仇討、御神酒徳利、さんま火事、蛇含草、近日息子、加賀の千代、化物使い、巻き返し、他
今回は三代目三木助師です。
.「出囃子」
「つくま」
.「芸風」
日本芸術協会所属(今の芸協)でしたが、当時の芸協は新作派が多く古典をやる噺家は肩身の狭さを感じていたそうです。その為、最晩年に落語協会に移籍しました。
圓朝作と云われる「芝浜」を独自に作り上げました。以降、芝浜は夫婦の情愛や明け方の描写を入れて名作落語として認識され、一気に名前が売れました。今でもこの型で、多くの噺家が口演しています。
粋で鯔背な噺家の代表とまで言われました。また落語評論家の安藤鶴夫氏に随分可愛がられたそうです。
.「芸歴」
1918年頃 – 柳枝の元に弟子入りするが断られ仕方なく春風亭柏枝に入門し、柏葉を名乗る。
1921年9月 – 二つ目昇進し、春風亭小柳と改名。
1926年 – 大阪の二代目桂三木助門下に移り、桂三木男と改名。
1927年10月 – 東京に戻り春風亭橋之助、真打昇進で四代目春風亭柳昇と改名。
1932年5月 – 五代目春風亭小柳枝と改名。
1937年 – 落語家から舞踊家に転向。花柳太兵衛を名乗る。
1943年10月 – 弟子を抱えるほど舞踊で名取りになったが戦争の激化により落語家に復帰、
二代目橘ノ圓と改名。
1950年4月 – 三代目桂三木助を襲名。
.「エピソード」
大変な食通で、毎日食べるものを買う店が決まっていたそうです。人形町まで弟子に買いに行かせた話は有名です。
五代目小さん師とは同姓で、義兄弟の杯を交わしたほどの大親友でした。この縁で、最晩年に生まれた長男の名前に小さん師の本名と同じ盛夫と名付けました。
後年、長男は小さん師に入門し、四代目桂三木助を襲名しました。
また若い頃は博打打ちもやっていたそうで「隼の七」の異名もあったそうです。
.「得意演目」
芝浜、火事息子、へっつい幽霊、ざこ八、味噌蔵、崇徳院、三井の大黒、ねずみ、宿屋の仇討、御神酒徳利、さんま火事、蛇含草、近日息子、加賀の千代、化物使い、巻き返し、他