46b1ee8d『菊江の仏壇』
今日は上方落語の大作と言われる「菊江の仏壇」です。
本来はお盆あたりの噺かとも思いますが、もうすぐお彼岸ですので。

『原話』
原話は文化 (元号)5(1808)年に刊行された『浪花みやげ』の中の一遍である『幽霊』という話です

『演者』
5代目松鶴師や、5代目文枝師、米朝師等で有名ですが、明治初頭に東京にも移植され、初代三圓右師や10代馬生師が『白ざつま』 の題で演じており、かっては桂歌丸が演じていました。最も歌丸師は「菊江の仏壇」でCDも出しています。今では東京でもかなりの噺家さんがやっています。確かさん喬師もやっていたと思います。

『ストーリー』
ある大店の旦那ですが、奉公人にはろくなものも食わせないほどケチなくせに、信心だけには金を使うというお方。
その反動か、せがれの若旦那は、お花という貞淑な新妻がいるというのに、外に菊江という芸者を囲い、ほとんど家に居つきません。
そのせいか、気を病んだお花は重病になり、実家に帰って仕舞いました。
 そのお花がいよいよ危ないという知らせが来たので、旦那は若だんなを見舞いに行かせようとし、今までの不始末をさんざんに攻めるが、若旦那は
「わたいの女道楽は大旦那の信心と変われへんもんでっせ」
 と反省の色すらも見せません。
 おまけに番頭に、もしお花がその場で死にでもしたら、若だんなが矢面に立たされて責められると意見され、嫌々ながらも、自分が出かけていく事になります。
 実は、これは番頭の策略で、ケチなだんながいないうちに、たまには奉公人一同にうまいものでもくわしてやり、気晴らしにぱっと騒ごうという訳なのです。
 若旦那は、親父にまんまと嫌な役を押しつけたので、早速、菊江のところに行こうとすると番頭が止めます。
 大旦那を嫁の病気の見舞いにやっておいて、若旦那をそのすきに囲い物のところへ行かせたと知れたら、あたしの立場がありません、どうせなら、相手は芸者で三味線のひとつもやれるんだから、家に呼びなさいと言います。
 それもご趣向だと若だんなも賛成して、店ではのめや歌えのドンチャン騒ぎが始まります。そこへ丁稚の定吉が菊江を引っ張ってくるが、夕方、髪を洗っている最中に呼びに来られたので、散らし髪に白薩摩の単衣という、幽霊のような様子です。
 菊江の三味線で場が盛り上がったころ、突然だんなが戻ってきたので、一同大あわて。
取りあえず、菊江を、この間、旦那が二百円という大金を出して作らせた、馬鹿でかい仏壇に隠します。旦那、
「とうとうお花はダメだったと言い、かわいそうに、せがれのような不実な奴でも生涯連れ添う夫と思えば、一目会うまでは死に切れずにいたものを、会いに来たのが親父とわかって、にわかにがっくりしてそのままだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 と、番頭が止めるのも聞かず、例の仏壇の扉をパッと開けたとたん、白薩摩でザンバラ髪の女が目に入ります。
「それを見ろ、言わないこっちゃない。お花や、せがれも私も出家してわびるから、どうか浮かんどくれ消えておくれ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
 すると仏壇の菊江が
「旦那様、私も消えとうございます」

『能書』
白薩摩というのは菊江が着ていた着物ですが、本来は「薩摩がすり」と言い、琉球(沖縄)産です。薄い木綿織物で、白地のものは夏の浴衣などに用いられます。
「佃祭」の次郎兵衛もこれを着ていたのが原因で、幽霊に見違えられました。
 死人の経帷子(きょうかたびら)は、普通、絹もしくは麻で作るので材質は違いますが、
同じ単衣で白地ということ、その上ザンバラ髪なので、幽霊と見間違えるのは無理もありません。

『ネタ』
この若旦那ですが、父親のケチと信心ぶりに反発して遊ぶのは構いませんが、
その為に自分の女房を不幸にし、病気にさせてしまい、あまつさへ亡くしてしまうのは、
男として最低だと思いますね。(個人的にそう思います)
 この店の番頭も、旦那の留守に良いものを食べて羽を伸ばすのは構いませんが、馬鹿な若旦那の側に立ち過ぎですね。
 恐らく、この店は遅かれ早かれ潰れますね。ホント・・・