今日は「高田馬場」です。
実は、先週からピロリ菌の除去の薬(ランサップ400)を飲んでいました。
今朝の投薬で1週間飲み終わりました。
私はお酒は呑まないので、その点は普通の生活をしていました。
飲んでいて途中から胃の調子が良くなったのが判りました。
何となくですが空腹時の胃の痛みが無くなりました。
これが効果?でしょうか?
いずれにしろ、ひと月後と言われた検査が楽しみです(^^)
で、「高田馬場」の噺です。
1758年「江都百化物」の「敵討の化物」が源話です。
前半は「ガマの油」と同じですね。後半は一見敵討ちモノと思える様な展開ですが・・別名;仇討ち屋とも言います。
浅草の境内でガマの油売りの口上を聞いていた老侍が、二十年前の古傷にも効くかと聞いて来ます。
昔、配下の奥方に懸想して、手込めにせんとしたところへ夫が戻り、これを切った。まずいと思って逃げたが、乳飲み子を抱いた奥方が投げた刀が背中に当たり、寒くなるとその古傷が痛む。名は岩淵伝内という。
これを聴いた蝦蟇の油売り、
「やあ、めずらしや岩淵伝内、その折の乳飲み子とは拙者のことなり、親の仇、尋常に勝」
「いや、今は所要の帰り道、役目を果たして明日改めて討たれよう、場所は高田馬場、時は巳の刻に」ということで双方が納得で別れます。
本物の敵討ちが見られるとの噂が噂を呼び、翌日には高田馬場に大勢の見物人が集まります。
待つ間に酒を飲む、甘味を食べる、茶を飲むと茶店は何処も大賑わい。大変な賑わい様。
しかし、いつまで待っても仇討ちが始まらないので、近くの店に入ると、昨日の仇の侍が酒を飲んでいる。
訳を聞いたら、仇討ちは人を集める芝居で茶店から売上の一部を貰う商売をしている。ガマの油売りは息子だ。
「そうやって楽う〜に暮らしておる」
高田馬場は、寛永13年に旗本達の馬術の練習をする為に作られました。
享保年間(1716〜1753)には馬場の北側に松並木が造られ、8軒の茶屋が有ったと言われています。
土地の農民が人出の多いところを見て、茶屋を開いたものと。
また、ここは堀部安兵衛が叔父の菅野六郎左衛門の決闘の助太刀をしたとされるところで、水稲荷神社(西早稲田3−5−43)の境内には「堀部武庸加功遺跡之碑」が建っています。
三代目金馬師は圓馬師とドサ回りに出た時、金沢の浅野川の橋の袂で、ガマの油売りの口上に出会いますが
あまりにも下手なので、代わりに口上をやり小遣いを貰ったそうです。
後で圓馬師に「そんな事をやってはいけない」と叱られたそうです。
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実は、先週からピロリ菌の除去の薬(ランサップ400)を飲んでいました。
今朝の投薬で1週間飲み終わりました。
私はお酒は呑まないので、その点は普通の生活をしていました。
飲んでいて途中から胃の調子が良くなったのが判りました。
何となくですが空腹時の胃の痛みが無くなりました。
これが効果?でしょうか?
いずれにしろ、ひと月後と言われた検査が楽しみです(^^)
で、「高田馬場」の噺です。
1758年「江都百化物」の「敵討の化物」が源話です。
前半は「ガマの油」と同じですね。後半は一見敵討ちモノと思える様な展開ですが・・別名;仇討ち屋とも言います。
浅草の境内でガマの油売りの口上を聞いていた老侍が、二十年前の古傷にも効くかと聞いて来ます。
昔、配下の奥方に懸想して、手込めにせんとしたところへ夫が戻り、これを切った。まずいと思って逃げたが、乳飲み子を抱いた奥方が投げた刀が背中に当たり、寒くなるとその古傷が痛む。名は岩淵伝内という。
これを聴いた蝦蟇の油売り、
「やあ、めずらしや岩淵伝内、その折の乳飲み子とは拙者のことなり、親の仇、尋常に勝」
「いや、今は所要の帰り道、役目を果たして明日改めて討たれよう、場所は高田馬場、時は巳の刻に」ということで双方が納得で別れます。
本物の敵討ちが見られるとの噂が噂を呼び、翌日には高田馬場に大勢の見物人が集まります。
待つ間に酒を飲む、甘味を食べる、茶を飲むと茶店は何処も大賑わい。大変な賑わい様。
しかし、いつまで待っても仇討ちが始まらないので、近くの店に入ると、昨日の仇の侍が酒を飲んでいる。
訳を聞いたら、仇討ちは人を集める芝居で茶店から売上の一部を貰う商売をしている。ガマの油売りは息子だ。
「そうやって楽う〜に暮らしておる」
高田馬場は、寛永13年に旗本達の馬術の練習をする為に作られました。
享保年間(1716〜1753)には馬場の北側に松並木が造られ、8軒の茶屋が有ったと言われています。
土地の農民が人出の多いところを見て、茶屋を開いたものと。
また、ここは堀部安兵衛が叔父の菅野六郎左衛門の決闘の助太刀をしたとされるところで、水稲荷神社(西早稲田3−5−43)の境内には「堀部武庸加功遺跡之碑」が建っています。
三代目金馬師は圓馬師とドサ回りに出た時、金沢の浅野川の橋の袂で、ガマの油売りの口上に出会いますが
あまりにも下手なので、代わりに口上をやり小遣いを貰ったそうです。
後で圓馬師に「そんな事をやってはいけない」と叱られたそうです。
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