「猫怪談」
今日はこの噺です。冬の噺かと思ったら現在はどうも秋の噺にいれられているようです。
「原話」
原話は不詳で、元は長い人情噺か世話講談の一部だったのが、独立したものと見られます。「不忍の早桶」と題した明治42年の、四代目五明楼玉輔師(1855−1935)の速記が残ります。
【ストーリー】
深川蛤町の裏長屋に与太郎が住んでいたが、育ての親の親父が死んでしまいました。
線香も買えず、その支度準備が未だ出来ていないのですが、早桶だけは準備出来ていたと言う具合。
大家さんの所の菜漬けの樽で、人の樽を勝手に使うなと言うと、「ヒト樽だからいい」。
借りるのではなく、買って一段落。
大家さんが一通りの手配をして、お寺の場所を確認すると、谷中の「瑞林寺」だという。
お金がないから早々に通夜も済ませ、与太郎が後棒、月番のラオ屋の甚兵衛さんが前棒、大家さんが提灯持ちという出で立ちで、四つ(今の夜10時)に担ぎ出しました。
上野の「いとう松坂」に差しかかったのが、もう九つ(12時)で、そこを右に曲がって、「三枚橋」、「池之端」にかかり、「七軒町」を通って「谷中」に抜けるのが近道です。
旧暦11月なので、寒く霜柱を踏みしめながら池之端を抜けるころ、恐がり屋の甚兵衛さんは、時間が時間なので恐くてしかたありません。
与太郎に脅かされながら担いでいましたが、肩に食い込む痛さに肩を変えてくれと頼みます。
与太郎、加減を見て持ち上げれば良かったのを、思いっきり放り上げるように持ち上げたので、縄がヤワになっていたのか、底が抜けて仏様が飛び出してしまいました。
その上、桶が壊れてしまったので、直そうとしたが、タガまで切れてバラバラになってしまいました。
近くにはありませんので、「公徳寺前」まで早桶を買いに行く事になります。
一方、一人残された与太郎は、仏様を寝かせて、その隣にぼんやりと座っていた。
前は不忍池、その後ろは上野の森で、夜の水は不気味なものです。
その奥に黒くたたずむ弁天堂が見えようと言う場所。
そこに風が吹いて、枯れアシがガサガサと音を立てる、その風が上野の森に渡っていき、
ゴ〜〜っと唸り、さすがの与太郎でもいい心持ちはしません。
死んだ親父に語りかける与太郎さんだが、5,6間先に何か黒い物が横切ります。
そのとたん、仏様が動き始め正座をして与太郎に向かって「イヒヒ」と声を発したので、
ビックリして、殴ってしまったら、仏様は横になってしまった。何か言い足りない事があったら聞くから、
もう一度起きあがってくれと頼みます。
今度は立ち上がって、ピョンピョンと跳びはねたので、「お父っつぁんは上手」と手囃子して騒いでいたのですが、強い風が吹いてきて、風に乗って飛んで行ってしまいました。
大家さんと甚兵衛さんはその声に気づいて与太郎さんの元に帰ってきます。
事の顛末を聞いてあきれる大家さんだが、甚兵衛さんはふるえが止まらず「抜けてしまいました」の言葉だけ。
「何が、抜けてしまったのだ。今、買ってきたばっかりじゃないか」と大家さん。
甚兵衛さん「今度は私の腰が、抜けてしまいました」
ここで終わりなのですが、これでは消化不良なので、圓生師は地で、
「えらい騒ぎで、この死骸が翌日、七軒町の上総屋という質屋の、土蔵の釘にかかっておりまして、ここで、また早桶を買う、ひとつの死骸で三つの早桶を買ったという、谷中奇聞”猫怪談”でございます」
と締めくくっています。
「演者」
圓生師の他正蔵師や扇橋師等も演じていました。個人的な感想では何か中途半端な感じを受けました。皆さんは如何ですか?
【注目点】
怪談噺は夏のもので、この噺のように晩秋や真冬の怪談噺はあまりありません。
与太郎が主人公というのは「ろくろっ首」ぐらいで、珍しいのでは無いでしょうか。
この噺は、上長い話の一部分と思われています。
「谷中奇聞」というのですから、その前半部分なのか中段なのか、はたまた後半なのか?
この他にもあるのか?は判っていません。
『ネタ』
噺の中で黒いものが横切ったと言うのが猫なんでしょうね。
昔の人は猫に魔力があると思っていたそうですから、これだけの描写でも理解できたのでしょうね。
死骸が突如動き出したり、口をきいたりすることは、年月を経て魔力を持った猫のしわざと考えていたそうです。
普通の与太郎噺の与太郎ではなく、親父さんに対する感情など人間らしさがありますね。
今日はこの噺です。冬の噺かと思ったら現在はどうも秋の噺にいれられているようです。
「原話」
原話は不詳で、元は長い人情噺か世話講談の一部だったのが、独立したものと見られます。「不忍の早桶」と題した明治42年の、四代目五明楼玉輔師(1855−1935)の速記が残ります。
【ストーリー】
深川蛤町の裏長屋に与太郎が住んでいたが、育ての親の親父が死んでしまいました。
線香も買えず、その支度準備が未だ出来ていないのですが、早桶だけは準備出来ていたと言う具合。
大家さんの所の菜漬けの樽で、人の樽を勝手に使うなと言うと、「ヒト樽だからいい」。
借りるのではなく、買って一段落。
大家さんが一通りの手配をして、お寺の場所を確認すると、谷中の「瑞林寺」だという。
お金がないから早々に通夜も済ませ、与太郎が後棒、月番のラオ屋の甚兵衛さんが前棒、大家さんが提灯持ちという出で立ちで、四つ(今の夜10時)に担ぎ出しました。
上野の「いとう松坂」に差しかかったのが、もう九つ(12時)で、そこを右に曲がって、「三枚橋」、「池之端」にかかり、「七軒町」を通って「谷中」に抜けるのが近道です。
旧暦11月なので、寒く霜柱を踏みしめながら池之端を抜けるころ、恐がり屋の甚兵衛さんは、時間が時間なので恐くてしかたありません。
与太郎に脅かされながら担いでいましたが、肩に食い込む痛さに肩を変えてくれと頼みます。
与太郎、加減を見て持ち上げれば良かったのを、思いっきり放り上げるように持ち上げたので、縄がヤワになっていたのか、底が抜けて仏様が飛び出してしまいました。
その上、桶が壊れてしまったので、直そうとしたが、タガまで切れてバラバラになってしまいました。
近くにはありませんので、「公徳寺前」まで早桶を買いに行く事になります。
一方、一人残された与太郎は、仏様を寝かせて、その隣にぼんやりと座っていた。
前は不忍池、その後ろは上野の森で、夜の水は不気味なものです。
その奥に黒くたたずむ弁天堂が見えようと言う場所。
そこに風が吹いて、枯れアシがガサガサと音を立てる、その風が上野の森に渡っていき、
ゴ〜〜っと唸り、さすがの与太郎でもいい心持ちはしません。
死んだ親父に語りかける与太郎さんだが、5,6間先に何か黒い物が横切ります。
そのとたん、仏様が動き始め正座をして与太郎に向かって「イヒヒ」と声を発したので、
ビックリして、殴ってしまったら、仏様は横になってしまった。何か言い足りない事があったら聞くから、
もう一度起きあがってくれと頼みます。
今度は立ち上がって、ピョンピョンと跳びはねたので、「お父っつぁんは上手」と手囃子して騒いでいたのですが、強い風が吹いてきて、風に乗って飛んで行ってしまいました。
大家さんと甚兵衛さんはその声に気づいて与太郎さんの元に帰ってきます。
事の顛末を聞いてあきれる大家さんだが、甚兵衛さんはふるえが止まらず「抜けてしまいました」の言葉だけ。
「何が、抜けてしまったのだ。今、買ってきたばっかりじゃないか」と大家さん。
甚兵衛さん「今度は私の腰が、抜けてしまいました」
ここで終わりなのですが、これでは消化不良なので、圓生師は地で、
「えらい騒ぎで、この死骸が翌日、七軒町の上総屋という質屋の、土蔵の釘にかかっておりまして、ここで、また早桶を買う、ひとつの死骸で三つの早桶を買ったという、谷中奇聞”猫怪談”でございます」
と締めくくっています。
「演者」
圓生師の他正蔵師や扇橋師等も演じていました。個人的な感想では何か中途半端な感じを受けました。皆さんは如何ですか?
【注目点】
怪談噺は夏のもので、この噺のように晩秋や真冬の怪談噺はあまりありません。
与太郎が主人公というのは「ろくろっ首」ぐらいで、珍しいのでは無いでしょうか。
この噺は、上長い話の一部分と思われています。
「谷中奇聞」というのですから、その前半部分なのか中段なのか、はたまた後半なのか?
この他にもあるのか?は判っていません。
『ネタ』
噺の中で黒いものが横切ったと言うのが猫なんでしょうね。
昔の人は猫に魔力があると思っていたそうですから、これだけの描写でも理解できたのでしょうね。
死骸が突如動き出したり、口をきいたりすることは、年月を経て魔力を持った猫のしわざと考えていたそうです。
普通の与太郎噺の与太郎ではなく、親父さんに対する感情など人間らしさがありますね。
死体が「寝ずの番」と話をするというのは三遊亭百生師匠の「夢八」などでもありますね。
百生師の夢八は高座で何度かお目にかかりましたが、あの「首吊りの死体」を演じる時にいつも言っていた「わて、これやるの好かんのですが」がいまだに目に焼き付いています。
猫怪談とは関係なくてすみません。
噺としては確かに中途半端です。
圓生師と対談で話している飯島友治は「この噺はあなた(柏木)だけで他にやる人はいませんね」と言っています。
正蔵師がやったということはこの二人はご存じないようです。
「谷中奇聞」を付け加えてわけはこの対談からはわかりません。
どういういきさつの噺なのでしょうね。
hajime
がしました