今日は春風亭一朝師について書いてみたいと思います。
1950年東京足立区生梅田まれ。
私の所のすぐ側です。
1968年3月に 入門しました。五代目柳朝師の一番弟子です。
1970年4月 前座になる。名は朝太郎。
1973年9月 二つ目昇進し、一朝に改名しました。
出囃子は「菖蒲浴衣」ですが、あのこぶ蔵とは違う処を使っています。(こぶ蔵はやく出囃子を変えなさい!)
この時、師弟で大師匠、正蔵師宅に挨拶に行った時に、正蔵師が若い頃に稽古をつけて貰っていた三遊一朝師の「一朝」の名を貰っています。
この時師匠柳朝が「ホントなら俺が欲しかった」と言ったとか・・・
これは、最初正蔵師に処に弟子入りをお願いしたのですが、すでに前座が二人いるので、一番弟子の柳朝師を紹介された事を踏まえて、送られたと思います。
1982年12月 真打昇進
趣味とする笛は、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手で、実際歌舞伎でお囃子を担当していました。
私も師匠の笛の演奏を生で聴いた事がありますが、音楽オンチの私でさえ感動しましたね。
前座時代のエピソードですが、その時に楽屋では三遊亭円生師匠等大師匠がいました。
すっかり舞い上がってしまった朝太郎さん(一朝師匠の前座名)は、ついお茶が通るという声を掛けるのを忘れて仕舞います。
間が悪いことに師匠のひとりがヒョイと立ち上がり、お盆にドーン。
乗せた茶碗をひっくり返してしまったのです。お茶が柳朝師匠の着物にバシャッと掛かりました。
脂性の人は手を洗ってからでなければ触るなというくらい着物は噺家にとって大切な商売道具です。
それを、ダメにしてしまいまって、その場で師匠に『声を掛けて通れと何回も教えたはずだ』とはり倒されましたそうです。
半べそをかいていると、言い過ぎたと思ったのか、『まぁ、仕方がねえや』といった具合に一生懸命フォローしてくれたそうです。
その師匠の優しさが身に染みて、うれし涙を流したそうです。
弟弟子の小朝師に真打昇進を抜かれて仕舞いますが、腐らず地道に芸を磨いて、いまでは
落語界一の粋で鯔背な噺家さんになりましたね。
もちろん噺も江戸前で、この点は師匠の芸風を色濃く受継でいます。
NHKのドラマでは江戸弁の指導もしていましたね。
弟子には六代目柳朝さんや今、真打披露している一之輔さんをはじめ、朝也、一左、朝呂久さんと居ます。
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1950年東京足立区生梅田まれ。
私の所のすぐ側です。
1968年3月に 入門しました。五代目柳朝師の一番弟子です。
1970年4月 前座になる。名は朝太郎。
1973年9月 二つ目昇進し、一朝に改名しました。
出囃子は「菖蒲浴衣」ですが、あのこぶ蔵とは違う処を使っています。(こぶ蔵はやく出囃子を変えなさい!)
この時、師弟で大師匠、正蔵師宅に挨拶に行った時に、正蔵師が若い頃に稽古をつけて貰っていた三遊一朝師の「一朝」の名を貰っています。
この時師匠柳朝が「ホントなら俺が欲しかった」と言ったとか・・・
これは、最初正蔵師に処に弟子入りをお願いしたのですが、すでに前座が二人いるので、一番弟子の柳朝師を紹介された事を踏まえて、送られたと思います。
1982年12月 真打昇進
趣味とする笛は、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手で、実際歌舞伎でお囃子を担当していました。
私も師匠の笛の演奏を生で聴いた事がありますが、音楽オンチの私でさえ感動しましたね。
前座時代のエピソードですが、その時に楽屋では三遊亭円生師匠等大師匠がいました。
すっかり舞い上がってしまった朝太郎さん(一朝師匠の前座名)は、ついお茶が通るという声を掛けるのを忘れて仕舞います。
間が悪いことに師匠のひとりがヒョイと立ち上がり、お盆にドーン。
乗せた茶碗をひっくり返してしまったのです。お茶が柳朝師匠の着物にバシャッと掛かりました。
脂性の人は手を洗ってからでなければ触るなというくらい着物は噺家にとって大切な商売道具です。
それを、ダメにしてしまいまって、その場で師匠に『声を掛けて通れと何回も教えたはずだ』とはり倒されましたそうです。
半べそをかいていると、言い過ぎたと思ったのか、『まぁ、仕方がねえや』といった具合に一生懸命フォローしてくれたそうです。
その師匠の優しさが身に染みて、うれし涙を流したそうです。
弟弟子の小朝師に真打昇進を抜かれて仕舞いますが、腐らず地道に芸を磨いて、いまでは
落語界一の粋で鯔背な噺家さんになりましたね。
もちろん噺も江戸前で、この点は師匠の芸風を色濃く受継でいます。
NHKのドラマでは江戸弁の指導もしていましたね。
弟子には六代目柳朝さんや今、真打披露している一之輔さんをはじめ、朝也、一左、朝呂久さんと居ます。
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