b0017215_1994737今日は「味噌蔵」です。
少し時期が早いかもしれませんが、冬の噺なので・・・

驚異的なしみったれで名高い、味噌屋の主人の吝嗇(しわい)屋ケチ兵衛さん。
嫁などもらって、まして子供ができれば経費がかかってしかたがないと、いまだに独り身。

心配した親類一同が、どうしてもお内儀さんを持たないなら、今後一切付き合いを断る、商売の取引もしない
と脅したので、泣く泣く嫁を取りました。
赤ん坊ができるのが嫌さに、婚礼の晩から新妻を二階に上げっぱなしで、自分は冬の最中だというのに、
薄っぺらい掛け蒲団一枚で震えながら寝ります。
が、どうにもがまんできなくなり、二階の嫁さんのところに温まりに通ったのが運の尽き。
たちまち腹の中に、その温まりの塊ができてしまいました。

 妊娠した嫁を里に返し、出産費用を節約する等をして節約します。
やがて男の子が生まれ、嫁の里に行くことになりました。
火の始末にはくれぐれも注意し、貰い火を受けたら味噌で目張りをしてでも、財産の味噌蔵だけは
守るようにと言い残して出掛けます。

旦那が泊まりの隙に、帳簿をごまかして宴会をやろうと皆で番頭に言って、刺身や寿司などを取り寄せます。
近所の豆腐屋には、冷めると不味いから、焼けた順に少しずつ持って来るように味噌焼き田楽を注文します。

 宴たけなわの所へ、旦那が戻って来たからたまりません。カンカンに怒り、全員生涯無給で奉公させると言い、酔っ払いを寝かせます。
 そこへドンドンと戸を叩く音。外から「焼けて来ました」の声。「え、火事だよ、どこだい」「横町の豆腐屋です四、五丁焼けましたが、あとどんどん参ります」驚いて旦那が戸を開けると、プーンと味噌の焼ける匂い。
「こりゃいかん、味噌蔵に火が入った」

田楽 は、中世の田楽法師が、サオの上で踊る形に似ているところから。
武士が大小を差した姿を「田楽串」、槍でくし刺しになるのを「田楽刺し」といいました。
どちらもその形状からです。
室町時代からあったといわれ、朝廷では、大晦日のすす払いの日に田楽を酒の肴にする習慣がありました。
「寄合酒」(ん回し)にも登場しますね。でもあちらは冷めてると思いますが・・・

この噺は三代目三木助師が有名ですね。噺の中に現代的なクスグリを入れて、受けました
噺の中で、火事の時、味噌で蔵に目塗りをすると言う下りですが、非常時には実際あったそうです。
最も後でそれを剥がしてオカズにする事は無かったそうですが・・・当たり前ですね。(^^)

口うるさい上司にその言うことを聞かなければならない部下という風に設定を置き換えて聞けば、身にしみて感じる人も多いかも知れませんね。
日頃の鬱憤を晴らす部下の抵抗は、どの時代にでもあったと言う事ですね。
今日は四代目圓遊師で聞いてください。

四代目三遊亭圓遊 明治35年2月12日〜昭和59年1月9日 享年82 前名=初代 桂伸治
出囃子=さつま 本名=加藤勇