large今日は色物の三遊亭小圓歌姉さんを紹介します。
もう何度か少しずつ取り上げていますが、ちゃんとは扱ってなかったんで、取り上げました。

まず略歴を・・・

和洋女子短期大学卒業のち女優を志す。
1979年 3代目三遊亭圓歌にスカウトされる。
1980年 3月 三遊亭圓歌に正式入門。同6月、国立演芸場にて三遊亭あす歌で初高座。
1992年 初代三遊亭小円歌を襲名(戦後の色物では初)
1993年 第54回国立花形演芸会金賞を受賞。
1994年 第10回浅草演芸大賞新人賞を受賞。

と紹介されています。
この中の女優を目指していた時に、専門学校の講師が圓歌師でその縁で入門しました。
本人は高座では「騙された!」と言っています。
売れない頃はピアノを弾き語りもしていたそうです。(高田文夫氏談)

自称「日本(=世界)に2人しかいない女流三味線漫談家」と言っていましたが、そのもう一人の方、
玉川スミさんが亡くなりましたので、世界に唯一になりましたね。
最も、似た様な方(粋曲)の姉さんはいらっしゃいますのでねえ・・・(小菊さん、美由紀さん、うめ吉さん等)

漫談の他に、かっぽれなどの寄席踊りや、20本以上の扇子をも操る「松づくし」なども継承しています。

ホントか嘘かは知りませんが、圓歌師が心筋梗塞で倒れて入院する騒ぎになった時に、
マスコミからの問い合わせに対応していたのですが「師匠のご病気は?」との質問に、誤って「近親相姦です」と答えたという事です。

最近では膝代わりが多くなりました。色物として一流の証ですね。
トリの噺家さんより受けてはいけない、かといって飽きさせては駄目で、お客の注目をそらさない様にしなくてならないのです。
もしトリの噺家さんが遅れたりしたら、つないで高座を務めなくてはいけませんし、来られなかったら、替りを努める事もあるのです。


それでは短いですが高座の様子を聴いて下さい