らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

※このブログでは個人などへの誹謗中傷のコメントは見つけ次第削除させて頂きます。 落語好きの人の為のブログですので。

上方落語協会が「真打」制度を導入検討!

 え〜本格的な復帰ですが恐らく来月(4月)の半ばあたりには復帰出来そうです。
 母の特養への入所の目安がついた為です。そのあたりを目標にして行きたいと思います。よろしくお願い致します。

 ところで、上方落語協会関連のニュースが飛び込んで来ました。桂仁智会長が、新年度から、技量の高い若手噺家を認定する取り組みを新たに始める、というものです。東京の落語界の身分制度である「真打」制度に近い制度の導入を考えていると言うことです。名称に関しては公募で決め、必ずしも「真打」には拘らないようです。
 かって桂文枝師の時に導入を考えていましたが、色々な問題があり実現出来ませんでした。果たして今回はどうなるでしょうか?

 協会は、所属する噺家246人の内、入門から15年程を対象として実績等を幹部が評価して、認定されれば、定席の天満天神繁昌亭などで1週間程トリを勤める披露興行を実施し、ひいき筋獲得の契機としてもらう。新年度は4〜5人を認定する見通しで、8月からの披露興行を目指すそうです。今現在は「前座」「二ツ目」等の階級を設ける予定はないそうです。まあ前座修業がありませんからね。これは無理でしょう。
 youtubeなどでも上方の若手等は「東京のシステムが羨ましい」と言うような意見もありましたしね。東京でも披露の時しかトリを取ったことが無い真打もいますけどね。協会あげて披露してくれることはやはり大きいということでしょうね。
 売れていて有名な噺家さん等は、真打制度なんて余り関係無くても売れますけど、それほどでも無い人は、一種の箔付みたいなものが必要なのでしょうね。
 上方落語でも大正の終わりごろまでは「真打」制度はあったみたいですが、吉本興行の漫才押しで落語家が場所を追われ、衰退して行き、戦後は絶滅寸前まで行きましたから、そんな状態では身分制度なんで考えられなかったのでしょうね。その意味でも復活させた桂米朝師の存在は大きいですね。
 よく、「関西は実力主義だから」と言う人もいますが、その関西発で漫才の{R-1」とかが起こりましたから、箔付けが必要になって来たのでしょうね。私は、それは結局人数が増えて来たという事だと思います。少ない人数なら実力があれば良いですが、大勢居れば実力があっても埋もれてしまいますからね。
 果たしてどうなるか、落語ファンとしては、推移を見守りたいと思います。

記事等 https://www.yomiuri.co.jp/culture/dentou/20240317-OYT1T50021/https://www.yomiuri.co.jp/culture/dentou/20240317-OYT1T50021/

お知らせ……記事の更新を少し休ませて戴きます

 寒い日々が続いていますが、もうすぐ立春ですね。
 実は、昨年の後半から自身の体調が不良になり、今まで記事を更新して参りましたが、このところ、著しく体調が悪化して日常生活もままならない状態になりましたので、このブログの記事の更新を少し(2ヶ月ほど?)休ませて戴きます。
 記事に関して、不正確なことを書いても、ご指摘されるまで気が付かない。という醜態を見せてしまいました。これは「落語ブログ」を標榜している以上、あってはならない事だと思っています。
 また、このところ以前の記事の焼き直しが多くなり、不甲斐なさを感じていました。
 現在、仕事の傍ら、母親の介護(介護度5)をしており、暫く、殆ど寝られない日々が続いていました。(母はトイレで用を用を足したがるのでその都度(夜中でも)起こして車椅子に乗せて移動しています)
そのため自分の睡眠が充分に取れず、疲労が溜まり、ドクターストップもかかる状態になってまいました。
そのような状態になっても、日常で母の介護をするものが居ない為、休むことも出来す、しかも仕事は平常にしなくてはならず辛い日々が続いていました。(デイサービスやショートステイは利用しています)
 現在、母を特養老人ホームに入居する手続きを進めており、その見通しがニカ月から半年以内だそうです。(以前からショートステイは利用していたので、スムーズに進んでいます)
 母が特養に入居して、私の体調が復調次第、再開致しますので、何卒ご理解を賜りたく存じます。

              令和6年1月末日          hajime

女性の落語家について

20240126130049toshiさんのリクエストにより、女性落語家について思ってる事や、感じる事を書いてみたいと思いいます。例によって個人的な偏見に基づいていますので、違うと思うことがあると思いますが、そこはお許しください(笑)

ざっと調べたところ、女性の噺家さんは東西合わせて55人ほどいるそうです。思ったより多いですね。
上方では先駆者となった露の都師、桂あやめ師や桂二葉さんが有名ですね。残念ながら上方の方はここで書くほど知識も見識もないのでお許しください。でもこの二人は充分に凄いとは思います。そこは間違いないですね。

 東京では第一人者としては三遊亭歌る多師ですね。この方の高座は数え切れないほど見ていますが達者なものです。女性噺家は噺の主人公を女性に変えて演じることが多いのですが、この方と蝶花楼桃花師はその必要も無いと思っています。充分に男性の噺家と渡り合える実力があると思っています。
 その次が古今亭菊千代師ですね。この方あたりから女性を主人公にした噺をやり始めた気がします。その意味ではパイオニアですね。その次というと林家きく姫師ですがタレントとしては良く見ましたが寄席では余り見なくなりましたね。
 新作といえば、川柳つくし師ですね。この方は前座の頃から見ています。だから個人的には「よくぞここまで」と感じています(笑)
 次は古今亭駒子師ですね。明るい高座であることは覚えています。すみません……。・
 その次は、三遊亭粋歌から弁財亭和泉になつた和泉師ですね。この方は二つ目の頃に師匠の歌る多師と少し葛藤があったみたいですね。その頃の女性落語家を取り上げたテレビのドキュメンタリーで見ました。どうなるかと思っていたのですが立派な真打になりましたね。

 その次が三遊亭律歌師ですね。この方の高座も明るいです。必見ですね! 
そして香盤順では蝶花楼桃花師ですね。彼女が現在、大人気なのも頷けます。明るいし、陽気だし、高座に華があるし、何より噺を女性に変えなくても充分に面白いし違和感を感じさせません。
 師匠の小朝師はかって自分の弟子に対して「トップを取れるような子でないと駄目」との意味の事を語っています。それにそぐわない弟子は辞めさせたか一門を変えさせたそうです。
 その意味でも彼女はトップを取れる器だと私も思っています。

 そして今は何と言っても、林家つる子さんでしょう。令和6年3月21日より真打ち昇進披露が始まります。11人抜きの抜擢ですからね。凄い! でも正直に言わせて頂くと、私の見た高座はいずれもごく普通でした。(すいません)
 抜擢昇進は、上がってからが勝負です。圧力に、負けないように頑張って欲しいものです。

 その他では、柳家花ごめさんが真打昇進を控えていますね。あと二ツ目では、林家なな子さんですね。そして二ツ目になったばかりですが金原亭杏寿さんが今は話題ですね。今は話題先行ですが、前座の頃から、ここまでよく頑張ったと思っています。今は外見が話題でsすが、引き続き頑張って欲しいですね。
 次は芸協ですが、ここは何と言っても桂右団治師ですね。二ツ目の頃は無理に声を低く出して、聴いてるこちらも辛く感じましたが、右団治になってからは吹っ切れた感があります。本当に良くなりました。
 そして次は、芸協では令和初の真打となった三遊亭藍馬さんですね。春雨や風子さんは今年、雲龍亭雨花と改名して真打昇進します。お二人共頑張ってくださいね。
 二ツ目では三遊亭遊かりさんと三遊亭遊七さん三遊亭あら馬さん、落語協会から移籍師してきた、桂 しん華さんですね。

あとはキリがないので立川流からは、立川小春志師が将来を嘱望されていますね。二ツ目では立川志ら鈴さんんもいます。頑張って欲しいと思います。

 女性噺家の特徴として古典落語の主人公を女性に変えて演じることが当たり前になって来ていますが、それも良いですが、やはり本来の古典でどれぐらい通じるのか見せて欲しいとお思います。
 それが出来てる噺家さんも数名いますので頑張って欲しいとおもいます。


追伸……林家正楽師の御冥福を謹んで申し上げます。紙切りという芸は「重要無形文化財」に指定して欲しいです!

「鼠穴」という噺について

20240122134633『鼠穴』
今日は火事の多い冬の夜に聴くには持って来いの噺です。
能登の震災の被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。

【原話】
元は上方落語です。それが大正の始めに三代目三遊亭圓馬師が東京に持ち込みました。
兄弟の噺です。

【ストーリー】
江戸の兄を頼って、越後から弟が職探しに来ました。兄は、商いの元にと銭をくれたが、開けてみると三文しか入っていないません。
 馬鹿にするなと、一旦は腹を立てますが、思い留まり、これでさんだらぼっちを買ってサシを作って売り、
その利益で草鞋を作り、昼も夜も働き詰めで、十年後には店を構えるまでになりました。
三文の礼を言うために兄の元を訪れ、十年目の事を言うと、実は……と訳を知り、二人で苦労話で盛り上がり、泊まることになりました。
 深夜、店が火事だとの知らせで慌てて帰ると、店が焼けています。
せめて蔵が残ってくれればと念じていたが、鼠穴から火が入ってすっかり焼けてしまいました。
兄にお金を借りに行きますが、相手にしてくれません。
「やはり兄は人の皮を被った鬼だ……」
 一文なしになった親に、娘のお花が「あたいを吉原に売って金を作れ」という。涙を流しながら金を借りたが、家に帰る途中掏摸にあって、持ち金をすっかり取られてしまった。
 途方に暮れて木の枝に帯をかけて自殺しようと……。
「武、武、うなされてどうした」
「あ、夢か、おら鼠穴が気になって」
「無理もねえ、夢は土蔵(五臓)の疲れだ」

【演者】
やはり六代目圓生師が特筆されます。個人的には立川談志師や小三治師も良かったですね。
今は現役では誰でしょうか?

【注目点】
いていつも思うのは、兄の性格でしょうねえ。
三文しか弟に貸しませんでしたが、本当はどうだったのか?
それから、夢の中で借金を断ると言う事。
このあたりをどう表現するかで変わってきますね。
私は、三文のことはそのまま弟が納得してしまうこと等から思うに、かっては本当にそう云う事を平気でしていた人だったのだと思います。
借金を申し込まれても絶対に応じなかったのだとではないか?
志の輔師等は、「自分はお前にいくら渡すべきか迷いに迷った。気がついたら3文渡していた」と言わせていて、かなり迷った様な演出をしています。
大方は、「文句を言って来たら……」となっていますが、それは言い逃れのような気も少しします。

『能書』
三戸前(みとまえ)とは……
「戸前」は、土蔵の入口の戸を立てる場所の事で、蔵の数を数える数詞になりました。
「三戸前」は蔵を三つ持つこと。蔵の数は金持ちの証でした。

『ネタ』
個人的にですが、圓生師の演じている兄の描写を聴いてると、兄は完全には弟を許していない感じがします。(他の演者さんでは感じません)
むしろ、談志師の高座では、焦点が弟に合わされていることもあり、かなり情が有るように感じます。小三治師も同じ感じですね。本来は仲の良い兄弟という感じがします。
まあ、そんな違いも聴きどころだと思います。

「蛇足」
 この噺の欠点というか分かり難さはやはりサゲでしょうね。
「夢は土蔵(五臓)の疲れだ」とのは今では通じなくなっていますね。落語通なら「宮戸川」のサゲと同じという事で理解出来ますが、普通は知りませんよね。

「橋場の雪」という噺

20240115134538『橋場の雪 』
東京でも初雪が降りましたので、今日はこんな噺でもと思いました。
 能登の被災者の方々にも雪が降り積もってるそうで、お見舞いを申し上げます。

【原話】
大元は「雪の瀬川」と言う人情噺が元の噺で、この噺を直して文楽師が十八番「夢の酒」として演じました。
更に「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」を文楽師が昭和10年ごろに「夢の酒」に改作しました。

【ストーリー】
商家の奥の離れに若旦那がいます。 こっそりと幇間の一八が忍んで来て、今日は瀬川花魁と会う約束だったじゃあないか、向島の料亭で瀬川が待っている、と言ます。 瀬川は、吉原で全盛の花魁。 
 女房のお花に内緒で抜け出した若旦那、瀬川の片えくぼのことなど考えている内に、吾妻橋を通り過ぎて、橋場の渡しの所まで来てしまいました。 
ちょうどその時、渡し舟が出たばかりで、土手の上の吹きざらし、寒いと思ったら、雪が降り出し、あたり一面真っ白。 
なのに自分だけ雪がかからないので、ふと見ると傘を差しかけてくれていたのが、お湯の帰りだという女中連れの三十に手がとどきそうな、いい女で、若旦那が三年前に亡くなった亭主に、よく似ている、近くなのでお茶でも差し上げたい、と言う。 丁度そこへ、渡し舟が戻って来てしまい、ここはこれまで。
 向島の料亭では、花魁はつい今しがた廓に戻ったという。なんだと帰ろうとすると、渡し舟はあるが船頭がいません。 
 そこへ小僧の貞吉が傘と足駄を持って迎えに来て、対岸の二階で先ほどの女が手招きしているのを目敏く見つけます。
 定吉は親父が深川の船頭だったから、渡し舟ぐらい漕げるのです。石垣の間に蝙蝠傘を挟んだりすることはないという。 
 貞吉に駄賃を一円、漕ぎ返すのにもう一円やって、女の家へ寄る事にします。 
「一献召し上がって」
「じゃあ一杯だけ」 
 差しつ差されつやっているうちに、頭が痛くなって、次の間にとってあった布団に横になる。 
長襦袢になった女が、布団の隅の方にだけと入ってきました。すると……。
「あなた、あなた」
 と女房のお花に起されると、実は離れの炬燵の中で、夢を見ていたのでした。 
 話を聞いて女房は泣き、若旦那は笑い、親父は怒る始末。 
 さっき駄賃を二円やったじゃあないかと言われて、釈然とせずに若旦那の肩を叩いていた貞吉が、居眠りを始めます。
 焼餅焼きのお花は
「若旦那が橋場に出かける何よりの証拠、貞吉がまた舟を漕いでおります」

【演者】
これは最近では柳家三三師が落語研究会などで演じていますね。
昔のことですが、三代目柳家小さんの、明治29年の速記があります

【注目点】
「隅田の夕立」の方は円遊師が、夢の舞台を向島の雪から大川の雨に代え、より笑いを多くしたそうです。
「夢の後家」の方は、「夢の酒」と大筋は変りませんが、夢で女に会うのが大磯の海水浴場、それから汽車で横須賀から横浜を見物し、東京に戻って女の家で一杯、と、当時の明治らしさです。

『能書』
人情噺「雪の瀬川」(松葉屋瀬川)が「橋場の雪」として落し噺化され、それを鼻の園遊師が、現行のサゲに直し、「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作しました。
されに、「夢の後家」の方を、文楽師が昭和10年前後に手を加え、「夢の酒」として磨き上げました。

『ネタ』
文楽師も「夢の酒」を演じる以前はこの「橋場の雪」をしていたそうです。

「蛇足」
 「橋場」は現在は台東区橋場で、白鬚橋と明治通りに囲まれた一帯です。現在では職安があったり、スーパーの「OKマート」とかが立ち並んでいます。

何故、芸協に春風亭や柳家、林家、三遊亭の亭号があるのか?

toshiさんのご質問について書いて行きたいと思いますが、多岐に渡る為、少しずつ書いて行きたいと思います。
まず、春風亭についてですが、本筋は落語協会の、柳枝一門ですが、これは八代目で途切れてしまっています。
芸協の春風亭ですが、これは六代目春風亭柳橋先生が最初です。柳橋は本来は亭号が「麗々亭柳橋」なのですが、六代目が襲名の時に春風亭に変えてしまいました。だから芸協の春風亭は全てこの一門です。
 落語協会の春風亭ですが、これは八代目正蔵師が弟子の照蔵(柳朝)が真打昇進の時に「林家は借り物なので弟子に継がせる訳にはいかない」と言って芸協の柳橋先生
に相談して春風亭の亭号を使う許可を貰ったのです。だから、今名乗ってるのはこの一門です。
 
 次に三遊亭ですが、本筋は六代目圓生一門です。これは現在、圓丈一門と故圓窓師、圓彌師の一門だけが落語協会に残っています。だからこの一門の噺家さんも圓生を継ぐ権利があるのです(笑)
 落語協会の他の三遊亭ですがこれは圓歌一門と金馬一門です。他にはおりません。
 芸協の三遊亭ですがこれは四代目三遊亭圓馬一門です。圓馬師や遊三師も小遊三師もこの一門です。だから芸協の三遊亭には馬の字がつく噺家さんが多いのです。

林家についてですが、本来は上方が本筋です。
芸協の林家ですが、紙切りの林家正楽師の弟子の今丸師がいますね。その関係かも? 
落語協会の林家は七代目正蔵師の一門(海老名家の一門)と八代目正蔵師の木久扇師の一門ですね。木久扇師については昇進時にすでに売れて名前が定着していたので、そのまま林家を使わせたそうです。 笑点の好楽師も元は「林家九蔵」を名乗っていました。
 
おまけに 桂についてですが、これは芸協は桂小文治師の一門です。師は上方から東京に招かれて定着して多くの弟子を育てました。
 系図はここを参照してください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%96%87%E6%B2%BB%E4%B8%80%E9%96%80

ご覧になると分かると思いますが、亭号もかなり色々な亭号を名乗っています。その経緯については詳しくは、申し訳ありませんが知りません。すみません。(五代目古今亭今輔など)

 落語協会でも五街道雲助一門は真打ち昇進は師匠から独立することなので、違う亭号を名乗らせるそうです。
 春風亭小朝一門は少し考えが違うようで、落語界に残ってる(使われていない)由緒ある名前を使う方針もあるそうです。
 蝶花楼桃花師の蝶花楼は元は八代目正蔵師が名乗っていた名(蝶花楼馬楽)で柳家の名前では由緒ある亭号です。
 もとは小さんを襲名する噺家が前名として名乗る名前だったそうです。(蝶花楼馬楽)

詳しく書くとキリがないのでこのへんでご容赦ください(笑)


追記
 根岸の林家について書くのを忘れていました(笑)
 これは今の正蔵師の祖父が、七代目柳家小三治を名乗っていましたが、彼が師匠の柳家三語楼についいて協会を脱退した為、協会から名前を返すように言われたのです。この時に揉めて解決策として、六代目正蔵の遺族から、許可を得て名前を借りたのです。それが七代目林家正蔵です。ですからこの正蔵も本来は借り物なので、根岸の海老名家には正蔵の名を管理する権利は無い、とも言われています。そこがwikiではきちんと書いてありません。

「一目上がり」という噺

20240103152541一目上がり』
皆様、明けましておめでとうございます! 
今年は元旦早々能登で大地震が起きてしまいました。被災された方々にお見舞いを申し上げます。
まさか震度7以上の揺れが起きるとは思ってもみませんでした。テレビも元旦の特番は飛んでしまいましたね。被災地の現状を報道するのも大事ですが、それ以外の選択も必要だと思います。
という訳で、少しでもお目出度い噺で、この噺です。この噺は別名「七福神」とも言われています。


【原話】
天明7年(1787)刊の「新作落噺・徳治伝」(しんさくおとしばなし、とくじてん)の中の「不筆」からです。

【ストーリー】
隠居の家に年始の挨拶に訪れた八五郎。
建て増しをした部屋を見せてもらうと、書や色紙が掛けてありまる。
誉め方を知らない八五郎に隠居は「これはいい賛(さん)ですな」といって誉めれば周りが尊敬してくれると教えてくれました。

早速大家のところに行って試してみるが、賛ではなく詩(し)だという。
続いて医者の先生のところに行っていい詩だと誉めると「これは一休禅師の悟(ご)」だと言われます。
さん・し・ごと来たから次は六だと先回りをしてみたのたが、芳公のところで一本しかない掛け軸が出ました。
「賑やかな絵だな。男の中に女が一人混じっているが、間違いはないだろうな。」「バカ言うなよ」。
「なんて書いてあるんだ」、「上から読んでも、下から読んでも同じめでたい文なのだ。”ながき夜の とをの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな”」。「結構な六だな」と言うと「いいや、これは七福神の宝船だ」。

【演者】
昔は五代目古今亭志ん生、五代目柳家小さんや小圓朝師他色々な噺家さんがこの時期に演じていました。今でもそれは同じです。

【注目点】
ここでは七までで終わっていますが、そのあと芭蕉の掛け軸を「結構な八で」と誉めると「いや、これは芭蕉の句(九)だ」と続くやり方もあります。

『能書』
文字で表してしまうと賛・詩・悟・句と明白ですが、そこを話芸で聴かせるのが落語の面白いところですね。
いかにも「落語らしい落語」で、しかもおめでたい噺なので、初席等によく掛かります。

『ネタ』
「七福神」とは 福徳の神として信仰された七神で、布袋の他、恵比寿、大黒、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人。の神様の事を言います。
 
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