らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

落語好きの人の為のブログです!

「抜け雀」という噺

19183937『抜け雀』
今日はこの噺です。特別春の噺という訳でもないでしょうが、なんとなくそんな感じがします。

『原話』
この「抜け雀」という噺、調べると、どうも出自がはっきりしていない様です。それでもよく調べて見ると1703年の「軽口御前男」の「山水の掛物」が原型だろうとされています。
 講釈ネタだという説もあるのですが、その中で面白いのが、京都・知恩院七不思議の一で、襖絵から朝、雀が抜け、餌をついばむという伝説です。
 圓生師も「子別れ・上」で熊さんが、「知恩院の雀ァ抜け雀」と、言っていますので、有名だった?のでしょうね。
 そのせいか、上方落語として発展してきた様です。
 東京では志ん生師以前に演じた噺家があまりいない様です。七代目の朝寝坊むらく師がやっていたそうです。また三代目金馬師もやったそうです。志ん生師がどのようにしてこの噺を仕入れたのか、分かって無いそうです。講釈ネタと言うのも志ん生師が講談に一転向したので、その線から出たのかかも知れません。今の形を作ったのは志ん生師なので、この噺は古今亭の噺とも言えるのです。

『演者』
志ん生、志ん朝師を始め古今亭一門の噺家さんがよく演じています。今は結構やる方も多いですね。

『ストーリー』
小田原宿に現れた若い男、粗末な身なりをしています。
袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人で、案内すると、男は、おれは朝昼晩一升ずつのむ
と、宣言し、その通り、七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけです。
 そうなると勘定のほうが心配なので、女将さんが主人の尻をたたき、催促にやります。
すると、金は無いが、自分は狩野派の絵師だからと、衝立に墨で雀の絵を描きます。
江戸へ行き、帰りに寄って金を払うから、それまでこの絵を売ってはならぬと言い残して旅立ってしまいます。
 翌日、主が雨戸を開けて日の光が射し込むと、絵の中の雀が飛び出して外で餌を啄み、戻って来て元の絵の中にピタッと収まります。
これが評判になって、毎日客が訪れ大繁盛。小田原の殿様の耳に入り、絵を千両で買い取るとの話を、絵師との約束があるので泣く泣く断ります。
  その後、年配の武士が訪れ、止り木がないので雀はいずれ落ちて死ぬからと、雀が抜け出た隙に、画面に鳥籠を描きます。すると戻って来た雀は鳥籠の中にピタッと収まります。
 見間違うばかりに身なりを整えて、江戸から戻って来た絵師に事情を話すと、絵を一目見て、描いたのは自分の父親だと言います。
「雀を描いた貴方も名人だが、鳥かごを描いたお父さんも名人ですねえ、親子二代で名人とは、めでたい」
 ところが絵師は、
「なんという親不幸をしてしまったか」
 と嘆きます。
「どうしてですか?」
「親をカゴカキにしてしまった」

【注目点】
大阪の「雀旅籠」は、舞台も同じ小田原宿ということも含め、筋や設定は東京の「抜け雀」とほとんど同じですね。
特に桂文枝代々の持ちネタだったそうで、近代では三代目文枝師のほか、二代目立花家花橘師、
二代目三木助師も得意にしていたといいます。

『能書』
この噺から判るのは、駕篭かきと言う職業が、あまり良く思われていなかった。と言う事実ですね。
どれだけ剣呑で、評判のよくない輩だったかですね。
まあ落語でも「蜘蛛駕籠」とか色々噺にも出て来るので皆さんも御存知だと思いますがね。

『ネタ』
桂米朝師は
「この噺は四代目文枝師に教わりました。大体が桂派の噺で元は雀が室内を飛び回り、障子を開けるとバタバタと絵に収まるという形でしたが、東京式にいっぺん外に飛び出す形にしました」
 と語っています。

「錦の袈裟」という噺

d0252069『錦の袈裟 』
今日はこの噺です。
【原話】
原話は、安永6年(1777年)に出版された笑話本・『順会話献立』の一遍である「晴れの恥」が元だそうです。1807年の喜久亭 寿暁のネタ帳「滑稽集」に「よいく女郎買ふんどし」というのがありこれが発展して噺になったと思われます。旧題は「ちん輪」です。また『袈裟茶屋』という上方落語は江戸からの移植だそうです。他のサイトでは上方落語の「袈裟茶屋」が江戸に移植されたと書かれていますが、矢野誠一氏の研究では逆だそうです。このブログでも以前はその説を採っていましたが、今回は矢野氏の説を載せておきたいと思います。
四代目橘家円蔵師の明治時代の速記を見ると、振られるのは色男の若だんな二人、主人公は熊五郎となっています。オチは「そんなら、けさは帰しませんよ」「おっと、いけねえ。和尚へすまねえから」となっています。これを今の形に変えたのが初代小せん師で昭和の名人達も皆小せん師に習っていましたので今の形となりました。

【ストーリー】
町内のある男がとなり町の連中が吉原で、緋縮緬の長襦袢で揃いの格好を見せて遊び、あげくに「となり町の連中には出来まい」と言った事を聞きつけてきます。
 当然面白く無い訳で、何とかその上を行って、となり町の連中の鼻を明かしてヤりたい処ですねえ。色々な案が浮かびましたがイマイチです。
誰かが、「伊勢屋の番頭が、何枚か質流れの錦の布があり『なにかの時は使っていい』と言われていた事を思い出します。
「吉原へ乗り込んでそれを褌にして裸で総踊りをしよう」
「それで行こう!」と相談はまとまりましたが、一枚足りません。
 頭を数えると丁度、与太郎の分が足りません。仕方なく、与太郎には自分で工面させることにします。
 この辺が落語の良い所ですね。決して最初から仲間はずれにしません。与太郎は女房に相談します。
 この辺が今だと笑いを生み、又理解し難い処ですが、当時は玄人相手は完全な遊びで、いわゆる「浮気」の範疇に入りませんでした。与太郎にとっては、大事な町内の付き合いなのです。
 女房も何とか送り出したいと考えて、檀那寺の住職にお願いしておいで。『褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐が憑いて困っております。和尚さんの錦の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借りてきなさい」
と言いつけます。
 持つべきものは良い女房ですねえ……。
 知恵を授けられた与太郎、寺へやってきてなんとか口上をして、一番いいのを借りることができましたが、和尚さんから
「明日、法事があって、掛ける袈裟じゃによって、朝早く返してもらいたい」
 と念を押される。そこで与太郎、
「しくじったら破門になっても良いですから」
 等と言って借りてきます。
 改めて見てみると輪っかが付いていたり少し可笑しいですが、そこは何とかします。
 いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女たちに与太郎だけがえらい評判です。
「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房だよ。小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」
 てんで、与太郎が一人だけ大モテです。
翌朝、与太郎がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ女と寝ている。      与太郎「みんなが呼びにきたから帰るよ」
女「いいえ、主は今朝は返しません」
与太郎「袈裟は返さない…? ああ、お寺をしくじる」

【演者】
この噺は、かっては故志ん朝師を始め、小三治や故文朝師、先代柳朝師等そうそうたる噺家さんが演じています。今では若手からベテランまで演じていますね。

【注目点】
今の型は初代小せん師が作り上げたそうです。
上方の「袈裟茶屋」は主人公が幇間でかなり展開が違います。
東京みたいに町内の集団と言う事はありません、幇間三人の噺となっています。
袈裟を芸妓(げいこ=芸者)に取られそうになって、幇間が便所に逃げ出すという噺となっています。

『ネタ』
袈裟と言うのはお坊さんが着ている法衣の事で位で色や材質が変わるそうです。
良くお正月などにお寺に参拝した時に御札などを頼むと、大勢のお坊さんが出て来て炊きあげてくれますが、その時のお坊さんの袈裟が色々変わっていますね。

「寄合酒」という噺

d24db338『寄合酒』
今日はこの噺です。仲間が集まり酒を飲む。しかも肴に田楽というので春先の噺と判断しました。
上方では「運廻し」「田楽食い」で知られています。

『原話』
1826年の初代林屋正蔵の小噺本「升おとし」の中の「茶番狂言」が原型とされています。
1861年の、桂松光の「風流昔噺」に「田楽くわし但、やけ次第くう落」とあります。
東京には明治の頃に移植されました。

『演者』
今ではほとんどの噺家さんが演じると思いますが、東京の寄席では「ん廻し」の部分は余りやらなくないました。

『ストーリー』
町内の連中ですが、 いい酒を二本貰ったからみんなで飲もうと言う事になりました。
銭を集めて肴を買おうとしたが、全員一文なし。仕方ないので何か一品持ち寄ろうということになりました。
 乾物屋の目をごまかして数の子、乾物屋の子どもを騙して鰹節、魚屋に嘘をついて鯛など、集めてきたものはどれもこれも、騙して取って来たものばかり。
訳を言って後で払うことにして、調理にかかります。
 普段やったことがない連中なので、火種を入れずに七輪を扇いで火が起きねぇと騒ぎ、数の子を煮てしまうし、鰹節の煮出しは捨ててしまうし、山芋を糠漬けにするなど、目茶苦茶。挙句の果てに、まとわりつく犬に一番の目玉だった鯛を丸ごと食わせちまう始末で、もう何も残っていません。
  仕方なく、味噌を摺りこんでヌタを作って、いよいよ飲むことになり、お燗番を呼ぶと、一人で飲み始めており、もうベロベロに酔っ払っている。
「二升じゃ足りねぇ、もっと持って来い」
 本来なら、この後、大騒ぎしているところへ豆腐屋から田楽が焼き上がってきて、「運廻し」になるのです。
「運廻し」は小南師でよく聞きましたね。

【注目点】
東京も以前は前半はあっさり演じ、後半の「運廻し」の部分が長かったのですが、いつの間にかあまり演じられなくなりました。

『能書』
嘘か真か判りませんが噺家さんの間では会議のことを今でも「寄り合い」と呼ぶそうです。

『ネタ』
上方では六代目松鶴師の十八番だったそうです。米朝師も五代目松鶴師や六代目のを聴いて覚えたそうです。

「粗忽の釘」という噺

20180324103548『粗忽の釘』
引っ越しの噺なので、多分春なのではと思いあげてみます。

【原話】
1807年の「滑稽集」の「となりのくぎぬキ」からです。
1830年の「噺栗毛」の「田舎も粋」がこの噺のサゲと同じだそうです。

【ストーリー】
引っ越しの当日、女房は早くに着いてあらかた片付けも済んだところへ、大きな風呂敷包みを背負った粗忽な亭主が大汗をかきながらやっと到着します。
 女房にホウキを横にしておくともめ事が絶えないので「釘を一本打ってホウキを掛けたい」
と頼まれた亭主は釘を打つのですが、六寸もある瓦釘をことも有ろうに壁へ打ち込んでしまいます。
 「お隣に釘の先が出てて、着物を破いたりケガをしたりするといけないから」
と女房に言われ、粗忽な亭主は謝りに行きまが、最初に行った家がお向かいさんで、
「路地を乗り越えて来る釘なんてありませんよ」と言われやっと違うと気がつく始末。
 女房に「落ち着けば一人前」と言われ、隣家へ行きますが、煙草を一服してから、
話出しましたが、釘の事はどこへやら、自分と女房の馴れ初めを惚気る始末です。
「いったい、あなた、家に何の用でいらしたんです」と聞かれて、ようやく用件を思い出します。
 そして釘の事を話しますが、調べてもらうと、仏壇の阿弥陀様の頭の上に釘。
「お宅じゃ、ここに箒をかけますか?」と、トンチンカンなことを言うので、
「あなたはそんなにそそっかしくて、よく暮らしていけますね。ご家内は何人で?」
「へえ、女房と七十八になるおやじに、いけねえ、中気で寝てるんで・・・・忘れてきた」
「親を忘れてくる人がありますか」
「いえ、酔っぱらうと、ときどき我を忘れます」

【演者】
この噺は上方では「宿替え」です。米朝師をはじめ、枝雀師の十八番でした。
東京では「粗忽の釘」です。又の名を「我忘れ」です。
先代小さん師が得意にしていましたが、ほとんどのは噺家さんが演じてると思います。
同じ粗忽物に比べると、比較的演じやすいのかも知れませんね。

【注目点】
六代目柳橋先生は本来のサゲである「我を忘れます」でサゲていますね。その他の噺家さんは殆ど「明日からここにホウキを掛けに来なくちゃいけねえ」でサゲています。本来のサゲでききたいものですね。

『能書』
江戸時代の引越しは、違う町に移る場合は、新しい大家が当人の名前、職業、年齢、家族構成など
すべてを町名主に届け、名主が人別帳に記載して、奉行所に届ける仕組みになっていたそうです。
また、店を新しく借りる場合は、身元の保障人が必要でした。
場合に寄っては、元の大家にちゃんと前借り等を精算した上で保証人になって貰う事もあった様です。
この辺は今でもシステム上は余り変わりませんね。
戸籍の届出と保証人ですね。

それとこの噺に出てくる八寸の釘は「和釘」です。断面四角で先端に行く程細くなります。また瓦釘はその名の通り瓦を屋根に固定させる為の釘で、丸瓦用のものは長さが20センチにも及ぶそうです。
『ネタ』
亡くなった夢楽師は師匠の命令で三代目小圓朝師から稽古をつけて貰ったそうです。
「好き勝手に崩して出来る噺ではありません。粗忽な亭主を与太郎みたいに演じる者がいますが、以ての外です。きちんと『我を忘れます』まで稽古をつけて貰いました」
 と語っています。

「お直し」という噺

a1f25063『お直し』
今日は志ん生師で有名なこの噺です。春の噺だそうです。

【原話】
1807年の喜久亭壽暁のネタ帳「滑稽集」に「なおし」とありまして、これが元で生粋の江戸落語です。現在のは三代目小さん師から志ん生師に伝わり、今になっています。
 昭和31年度の芸術祭賞を受賞したのは、余りにも有名です。

【ストーリー】
 吉原の女郎と牛太郎が許されない関係になります。普通なら廓の色恋はご法度ですが店の旦那は二人を一緒にした上で、女郎はやり手として引続き働かせてくれました。
 しばらくまじめに働きましたが、やがて男が博打に手を出してしまい、借金が残りました。
 どうしようか、途方に暮れているところに、けころに空店があるが商売をしないかと誘いがあったので、カミさんが女郎になり、男が若い衆として女郎屋を始める事にしまいした。
 けころでは、線香一本が燃え尽きる時間で料金が加算されて延長するのを「お直し」と呼ぶのです。
 カミさんが客に色良い返事をする度に
「直してもらいな」
「あら、お直しだよ」
 と言う調子で一人目の客をあしらった後で男でしたが、段々面白く無くなってきて
「止めた、止めた、馬鹿らしくてやってられねぇ、俺と別れてあの客と一緒になるのか」
「馬鹿だねこの人は、客あしらいに決まっているだろ。こんなに妬かれるなら止めるよ」
「止められては困ってしまうから、もう妬かねぇから、もう一度頼むよ」
 二人が仲直りをして話しをしていると、先程の客が戻って来て  
「おう、直してもらいなよ」

【演者】
やはり志ん生師なんでしょうね。息子の志ん朝師もいい味出しています。
現在は古今亭を中心に色々な噺家が演じています。

【注目点】
亭主が女房に客を取らせ、しかもお互いに惚れあってるという、普通では考えられないようなドン底の暮らしの中の夫婦愛を描いています。
 噺の中で、都合五回「直してもらいなよ」がありますが、志ん生師が言うのには、一度目は職業的に、二回目は元気よく、三度目は少し不安になって、四回目は捨て鉢に、そして五回目は爆発的に言うのだそうです。

『能書』
ケコロというのは、江戸の各所に出没していた最下級の私娼の総称の事です。
吉原では、羅生門河岸という所に居まして、京町2丁目南側、お歯黒どぶといわれた真っ黒な溝に沿った一角でした。
表向きは、ロウソクの灯が消えるまで二百文が相場ですが、「お直し、お直しお直しィッ」と、
立て続けに二百文ずつアップさせ、結局、素っ裸にむいてしまうという正に羅生門という感じだったそうです。特に東側の羅生門岸の客引きは物凄く誰彼構わず引張り上げられたそうです。

『ネタ』
蹴殺(けころ)というのは、もともとは吉原に限らず、江戸の各所に出没していた最下級の私娼の総称です。(蕎麦の川柳にも出て来ますね。二回で三杯食べる奴です)
 でも、吉原では、寛政(1789−1801)の頃には絶えていたそうです

「小言幸兵衛」という噺

f7973dcb『小言幸兵衛』
今日はこの噺です。季節的なことは引っ越し絡みということで春ですね。
古い麻布の古川あたりをご存知な方はこの噺の舞台にピッタリだと言うことです。
【原話】
1712年の「笑眉」の「こまつたあいさつ」が上方で「借家借り」になったと言われています。今では「搗屋幸兵衛」と「小言幸兵衛」とに別れました。
一説では昔は搗屋が来て「搗屋幸兵衛」となり、搗屋が帰ったあとに仕立屋が来て「小言幸兵衛」と噺の展開がなったそうですが長いのでこの二つがそれぞれ独立しました。

【ストーリー】
麻布の古川に住む田中幸兵衛さんと言う人、朝、長屋を一回りして、小言を言って来ないと気が済まない気性で、親切心からつい小言が出るのですが、
その度が過ぎるきらいがあり、中々店子が長続きしません。
しかし、造作が良いので、借りたい者は次から次へとやって来ます。
今日も豆腐屋さんが来たのですが、口の効き方が気に食わない事から始まって、色々と言います。
ついに豆腐屋さん切れて、啖呵を切って出て行って仕舞います。
次に来たのが仕立屋さんですが、始めは良く、上機嫌で話していたのですが、息子さんの事になると一変。
貸せないと言い出します。
理由を聴くと、「長屋に心中がでるから」と言う事。訳を聴いてみると……


【演者】
やはり六代目三遊亭圓生師でしょうね。黒門町の録音も残っていますが、正直黒門町としては、普通の出来だと思います。
「搗屋幸兵衛」の方は古今亭志ん生師と息子の志ん朝師でしょうね。これもかなり良いですね。

【注目点】
自分の所から心中なぞ出ようモノなら、大家さんの責任になりますので、うっかりとは貸せないのですがね。
大家さんは、普通は地主に雇われた家作(長屋を含む借家)の管理人ですが、
町役を兼ねていたので、絶大な権限を持っていました。
万一の場合、店子の連帯責任を負わされますからその選択に神経質になるのは当たり前で、
幸兵衛さんの猜疑心は、異常でも何でもなかったわけです。
こうやって考えると、幸兵衛さんは、親切で責任感の強い、イザとなったら頼りになる人物とも思えますね。
でもそれじゃ噺にならないので、少しエキセントリックにそして妄想癖がある様に描いていますね。

『能書』
圓生師は「この噺は格別難しい噺では無いのでテンポ良くやれば良い」と語っていますが、それは師ほどの方だから言える訳で……。

『ネタ』
落語に出て来る大家さんでも「髪結新三」に出て来る大家さんは少し”ワル”で、新三が無宿者と知ってても、店を貸しています。噺の中でも新三に向かって
「江戸中で無宿人に貸す大家がいると思っているのか……」
の様な台詞を言っています。知ってて貸している”ワル”なんでしょうね。
もし幸兵衛さんだったら、絶対貸さないでしょうね。

「夢の酒」と言う噺

47d52b7d『夢の酒』
今日は雪も降りましたのでこんな噺です
別題は『夢の悋気』とも云うそうです。

『原話』
元は人情噺「松葉屋瀬川」がその成り立ちです。
簡単に経緯を書きますと、これから落とし噺「橋場の雪」が作られ、更に「隅田(すだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」が「夢の酒」になりました。

『演者』
八代目文楽師が有名ですが今では多くの噺家さんがたります。寄席でも多く掛かります。

『ストーリー』
雨模様の日、ある商家の昼下がりのこと・・・・
店の奥でうたた寝をしていた若旦那を、風邪でもひくといけないと奥方が揺り起こせば、夢を見ていた様子。
「どんな夢を見ていたの?」
 と訊ねられた若旦那は夢の内容を語り出します。用足しに出掛けた向島で急な雨に降り込められ、ある家を軒先で雨宿りをしていると、その家の女が中で休息なさいと声を掛けてくれる。誘われるままに家に上がり、いつもは飲めない酒を飲み、さらにはその女といい仲に・・・ここまで聞くと奥方は嫉妬で悔し泣き。
 騒がしさにやってきた大旦那も、「夢に悋気」の女心に苦笑します。
しかし、収まらないのは奥方で
「淡島様に願掛けをすれば同じ夢を見られると申しますから、同じ夢を見てその女を叱ってください」
 と大旦那に詰め寄ります。困った大旦那が、しぶしぶ願掛けをして昼寝すると、いつの間にか向島にやってきた様子。
 夢の女の家を訪ねるとお酒を進められます。最初は拒んでいたが大旦那でしたが、この人は大の酒好き。
 お燗酒を頼んだが、あいにくお湯が切れていました。
「お湯が沸くまで冷やで」
 と進められたが、やはりお燗の方がいい…と言ったところで、お花に揺り起こされた。
「おかしな事もあるものだ…」
「で、行けましたか?」
「行けた…が、惜しい事をしたものだ」
「惜しい? もしかして、ご意見するときに起こしてしまいましたか?」
「いいや…冷でもよかった」

【注目点】
夢の中を訪問するという洒落た趣の噺で、しかも季節はこの梅雨の時期です。が元の「橋場の雪」は真冬の噺となっていますので取り上げました。小雨が降ると肌寒くなるので熱燗が恋しくなりますね。
 夢に出てくる女性が皆良いですねえ。噺の中での夢の中の美女はさほどいやらしく無く、お嫁さんも可愛らしくて良いですね。

『能書』
淡島様にお願いすると夢の中に導かれる。と言うのは色々調べても出てきません。
この噺しか無いのです。
淡島様と言うのは、淡島明神の事ですが、江戸では少なかったそうです。
網野宥俊氏の『浅草寺史談抄』(昭和三十七年)には「江戸の近在で、淡島神を祀ったところは、当浅草寺の他に、文京区音羽の護国寺(真言宗)と世田谷区北沢の森厳寺(浄土宗)の三ヵ所であった。」とあります。
江戸名所図会には浅草寺一箇所しか書かれていないそうで、それも東照宮が焼けた後に淡島様を勧請したそうです。

ですので、この事についてはあの世で文楽師に聞くしか無いかも知れませんね。

『ネタ』
文楽師が若い頃ある寄席で「かぶりつき」に上がったら「明烏」「明烏」とリクエストがあったので演じて降りたら三代目の古今亭今輔師から怒られたそうです。
「てめえは『かぶりつき』でやる噺ぐらい知らねえのか!」
 と散々怒られ、
「知らねえなら教えてやるから稽古に来い!」
 と言われて教わりに行ってこの噺を教わったそうです。

※上野鈴本演芸場が2月1日から当面の間休館することになりました。他の寄席も動きがあるかも知れません。皆様各ホームページでご確認ください。
 
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