『三軒長屋』やっと秋らしくなったと思ったらもう立冬だそうです。まあ、もうすぐお酉さまですから仕方ないのかも知れません。そこで今日は「三軒長屋」です。別名を「楠運平」とも言います。
【原話】
1807年の喜久亭壽暁のネタ帳に「楠うん平」とあります。恐らくこれが元だと思います。
1826年の「あごのかきがね」の「是は尤も」に当時の様子が詳しく書かれています。
橘家圓喬師や四代目小さん師によって今に伝わっています。
【ストーリー】
ある三軒続きの長屋。住んでいるのは、向かって右端が鳶頭(とびがしら)の政五郎、
左端が「一刀流」の看板を掲げて剣術道場を開いている楠運平橘正国(くすのき うんぺいたちばなのまさくに)という浪人。
この二人に挟まれて住んでいるのが、高利貸しの伊勢屋勘右衛門のお妾さん。
ある日お妾、勘右衛門に
「両隣がうるさくって血のぼせがするから引っ越したい」
とせがむ。
「鳶頭の家では日ごろから荒っぽい若い者が出入りして、酒を飲んでは大騒ぎ、時期となると朝から木遣りの稽古を始めてやかましい。剣術の先生宅は、大勢の門弟が明け暮れ稽古、これまたうるさいことこの上ない」
それを聞いて、
「たかが喧騒に負けて引っ越すのも馬鹿らしい」
と勘右衛門、もうすぐ抵当流れになるので、そうなったら両隣の借り主を追い出して長屋を一軒の妾宅にするつもりだから、と妾に話す。そう言って妾をなだめているところを聞いたこの家の女中で早速、井戸端で話してしまったおかげで計画は筒抜け。怒ったのが鳶頭のかみさんで、
「家主ならともかく、伊勢屋の妾ごときに店立てされるなんて! あたしは嫌だよ!」
と亭主を焚きつける。
鳶頭、少し考えていたが、翌朝になると羽織をしょって楠運平先生の道場へ赴き「かくかくしかじか」とご注進。
「何と!? あの薬缶頭が店立てを迫っておる、と?」
「門弟一同率いて勘右衛門と一戦に及ばん」
と息巻く楠先生をなだめた鳶頭、何やらヒソヒソと耳打ち。
翌日、伊勢屋に現れた楠先生
「拙者、道場が手狭になった故、転居をいたすことに相成り申した。しかれど懐が厳しいため、費用捻出を目的に千本試合を催すことに致しました」
他流・多門の剣客が集まり、金を出して試合をする。それを集めて転居費用とするという。
「本来は竹刀での勝負でござるが、意趣遺恨のある場合は真剣勝負もござるゆえ、首の二つや三つ、腕の五本や六本はお宅に転げ込むかもしれませぬ……その時はどうぞご容赦を」
話を聞いた勘右衛門、震え上がって
「引っ越しの金をお出ししますから、試合はどうかご勘弁を」
と平身低頭。
五十両を受け取った楠先生が引き上げると、入れ違えに伊勢屋に現れたのは鳶頭。
「引っ越すことになったんですがね、金がねぇんで花会を開こうかと思うんですよ」
宴会には酒が付き物。ただでさえ気性の荒い若い者どもが、酒を飲んだらどういうことになるか。気をつけはしますがね、何しろ、肴に鮪の刺身を出すんで、おあつらえ向きに包丁があるじゃありませんか。斬り合いになって首の二十や三十……」
勘右衛門は、脅かしてもだめだよ、引っ越し料が欲しいのなら正直にそう言えと、また五十両。帰ろうとする鳶頭に、勘右衛門
「そう言えば、剣術の先生も同じような事を言っていたんだよ。お前さん方、いったいどこへ越すんだい?」と尋ねると、
「へえ、あっしが先生のところへ越して、先生があっしのところへ」
【演者】
最近では志ん生師や圓生師、それから志ん朝師などが有名ですね。
個人的には二代目桂文朝師のが好きですね。
【注目点】
この噺が出来た当時は既に身分制度が崩壊し始めていて、既に裕福な商人の身分意識があったと定説ではなっていますが、現在では、身分制度そのもが疑われています。支配階級としての武士は存在しましたが、その下の「農工商」は存在しなかったという説です。結局、大商人や大農家等が身分的にも敬われており、農工商などの階級は存在しなかったという説です。
現在に残る記録でも地方の藩は経済状態が苦しく、地元の大商人を接待してお金を融資してもらっていたそうです。その時の記録なども残っています。
そんな事を考えながらこの噺を聴くと面白いかも知れません。
『能書』
人物の出入りが多いため、よほどの実力者でないと演じ切る事が出来ない大作とされています。
個人的には鳶の頭の女将さんを演じるのが難しいと思っています。
『ネタ』
二階のついた上等な長屋は横丁や新道、小路などにあり、裏長屋などとは違う扱いになっていたそうです。
体調不良により更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。何とか体調も戻って来たので更新致します。よろしくお願い致します。
『包丁』
『碁どろ』
今日で9月も終わりです。関東ではやっと少し涼しくなって参りました。そこでこの噺です。
『お血脈』
『錦の袈裟 』