らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

※このブログでは個人などへの誹謗中傷のコメントは見つけ次第削除させて頂きます。 落語好きの人の為のブログですので。

「三軒長屋」という噺について

20251106163036『三軒長屋』
やっと秋らしくなったと思ったらもう立冬だそうです。まあ、もうすぐお酉さまですから仕方ないのかも知れません。そこで今日は「三軒長屋」です。別名を「楠運平」とも言います。

【原話】
1807年の喜久亭壽暁のネタ帳に「楠うん平」とあります。恐らくこれが元だと思います。
 1826年の「あごのかきがね」の「是は尤も」に当時の様子が詳しく書かれています。
 橘家圓喬師や四代目小さん師によって今に伝わっています。

【ストーリー】
ある三軒続きの長屋。住んでいるのは、向かって右端が鳶頭(とびがしら)の政五郎、
左端が「一刀流」の看板を掲げて剣術道場を開いている楠運平橘正国(くすのき うんぺいたちばなのまさくに)という浪人。
 この二人に挟まれて住んでいるのが、高利貸しの伊勢屋勘右衛門のお妾さん。
 ある日お妾、勘右衛門に
「両隣がうるさくって血のぼせがするから引っ越したい」
 とせがむ。
「鳶頭の家では日ごろから荒っぽい若い者が出入りして、酒を飲んでは大騒ぎ、時期となると朝から木遣りの稽古を始めてやかましい。剣術の先生宅は、大勢の門弟が明け暮れ稽古、これまたうるさいことこの上ない」
 それを聞いて、
「たかが喧騒に負けて引っ越すのも馬鹿らしい」
 と勘右衛門、もうすぐ抵当流れになるので、そうなったら両隣の借り主を追い出して長屋を一軒の妾宅にするつもりだから、と妾に話す。そう言って妾をなだめているところを聞いたこの家の女中で早速、井戸端で話してしまったおかげで計画は筒抜け。怒ったのが鳶頭のかみさんで、
「家主ならともかく、伊勢屋の妾ごときに店立てされるなんて! あたしは嫌だよ!」
 と亭主を焚きつける。
 鳶頭、少し考えていたが、翌朝になると羽織をしょって楠運平先生の道場へ赴き「かくかくしかじか」とご注進。
「何と!? あの薬缶頭が店立てを迫っておる、と?」
「門弟一同率いて勘右衛門と一戦に及ばん」
と息巻く楠先生をなだめた鳶頭、何やらヒソヒソと耳打ち。
 翌日、伊勢屋に現れた楠先生
「拙者、道場が手狭になった故、転居をいたすことに相成り申した。しかれど懐が厳しいため、費用捻出を目的に千本試合を催すことに致しました」
 他流・多門の剣客が集まり、金を出して試合をする。それを集めて転居費用とするという。
「本来は竹刀での勝負でござるが、意趣遺恨のある場合は真剣勝負もござるゆえ、首の二つや三つ、腕の五本や六本はお宅に転げ込むかもしれませぬ……その時はどうぞご容赦を」
 話を聞いた勘右衛門、震え上がって
「引っ越しの金をお出ししますから、試合はどうかご勘弁を」
 と平身低頭。
 五十両を受け取った楠先生が引き上げると、入れ違えに伊勢屋に現れたのは鳶頭。
「引っ越すことになったんですがね、金がねぇんで花会を開こうかと思うんですよ」
 宴会には酒が付き物。ただでさえ気性の荒い若い者どもが、酒を飲んだらどういうことになるか。気をつけはしますがね、何しろ、肴に鮪の刺身を出すんで、おあつらえ向きに包丁があるじゃありませんか。斬り合いになって首の二十や三十……」
 勘右衛門は、脅かしてもだめだよ、引っ越し料が欲しいのなら正直にそう言えと、また五十両。帰ろうとする鳶頭に、勘右衛門
「そう言えば、剣術の先生も同じような事を言っていたんだよ。お前さん方、いったいどこへ越すんだい?」と尋ねると、
「へえ、あっしが先生のところへ越して、先生があっしのところへ」

【演者】
最近では志ん生師や圓生師、それから志ん朝師などが有名ですね。
個人的には二代目桂文朝師のが好きですね。

【注目点】
この噺が出来た当時は既に身分制度が崩壊し始めていて、既に裕福な商人の身分意識があったと定説ではなっていますが、現在では、身分制度そのもが疑われています。支配階級としての武士は存在しましたが、その下の「農工商」は存在しなかったという説です。結局、大商人や大農家等が身分的にも敬われており、農工商などの階級は存在しなかったという説です。
 現在に残る記録でも地方の藩は経済状態が苦しく、地元の大商人を接待してお金を融資してもらっていたそうです。その時の記録なども残っています。
 そんな事を考えながらこの噺を聴くと面白いかも知れません。

『能書』
人物の出入りが多いため、よほどの実力者でないと演じ切る事が出来ない大作とされています。
個人的には鳶の頭の女将さんを演じるのが難しいと思っています。

『ネタ』
二階のついた上等な長屋は横丁や新道、小路などにあり、裏長屋などとは違う扱いになっていたそうです。

「心眼」という噺について

20251030071618体調不良により更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。何とか体調も戻って来たので更新致します。よろしくお願い致します。

『心眼』
という訳で、今日は圓朝師作と言われる「心眼」です。秋の噺なので取り上げました。
写真は噺出て来る茅場町のお薬師様「智泉院」の薬師像 です。

【原話】
三遊亭圓朝師が、弟子で盲人の音曲師だった円丸の、横浜での体験談をもとにまとめあげたといわれます

【ストーリー】
横浜から顔色を変えて”梅喜(ばいき)”が歩いて帰ってきます。聞くと弟に「穀潰しのドメクラ」と何回も言われたという。それが悔しくて翌日自宅の馬道から茅場町の薬師様へ「どうか、目が明きます様に」と、願掛けに通った。女房”お竹”の優しい取りなしもあって、満願の日、願い叶って目が明きます。
その時薬師様のお堂の上で声を掛けられたのですが、馬道の上総屋さんの顔も分からない。
目が明くと道も分からないので、上総屋さんに手を引いてもらって帰ります。
色々な物にビックリして眺めていると綺麗な芸者を見つけます。
お竹と比べるとどっちが綺麗ですかと尋ねると、本人を目の前にしては失礼だが、東京で何番目という化け物の方に近いが、心だては東京はおろか日本中でも指を折るほどの貞女だ。似たもの夫婦の逆で、梅喜はいい男だがお竹さんはマズイ女だ。芸者の小春も役者よりお前の方がいい男だと言ってたぐらいだと、聞かされます。
浅草仲見世を通り、観音様でお詣りしていると、上総屋さんは何時の間にかいなくなって仕舞います。
その時、知り合いの芸者”小春”が梅喜を見つけて、食事にと富士下の”待合い”に誘った。
お竹は上総屋の知らせで観音堂に目が明いた梅喜が居ると知らされ喜んで来てみると、二人連れが待合いに入る所を見ます。中の二人は酒に任せて、化け物女房は放り出すから、いしょになろうと相談していると、お竹が踏み込んで、梅喜の胸ぐらを締め上げた。「勘弁してくれ、苦し〜い。お竹、俺が悪い。うぅ〜」 。
「梅喜さん、どうしたの?」、うなされていたので梅喜を揺り起こした。夢であった。「一生懸命信心してね」、「あ〜ぁ、もう信心はやめた」、「昨日まで思い詰めた信心を、どうしてよす気になったの」
「盲目というものは妙なものだね、寝ている内だけ良〜く見える」。

【演者】
何と言っても黒門町の高座が見事です。音だけでは解りにくいのですが、映像で見ると、その所作や盲人を表現する様は見事と言う他ありません。

【注目点】
圓朝師の原作では少し展開が違うそうです。
亭主の目が開くなら自分の目がつぶれてもいいと、密かに薬師に願掛けしていた女房・お竹の願いが聞き届けられ、梅喜は開眼するものの、お竹の目はつぶれます。
梅喜と小春が富士下(浅草馬道の富士浅間神社の坂下)の
「釣堀」という料亭にしけこんだと聞いて、お竹が女按摩に化けて乗り込み、さんざん恨みごとを並べたあげく、堀に身を投げ……というところで梅喜の目が覚めます。
サゲは「盲人てえものは妙な者だなア、寐てゐる中には種々のものが見えたが、眼が醒めたら何も見えない」というサゲです。

『能書』
池波正太郎さんの記述ですが、戦後間もない頃に人形町「末広」で文楽師が「心眼」と「王子の幇間」を演じたそうです。両方共戦時中は禁演落語でしたから演じる事は出来ませんでした。それが解けて晴れて演じられた文楽師はそれは見事な高座だったそうです。

『ネタ』
「心眼」とは「物事の大事な点を見通す、鋭い心の動きの事を言うのだそうです。


「無駄な話」
 この体調不良の間に映画が話題の「国宝」を読みました。映画の方は8月の末に鑑賞していたのですが、どうしても原作を読みたくて、この機会に読んでみました。
 映画と比べてですが、前半は原作をかなり省略していますが、概ね原作とそれほど違わない展開でした。(原作では活躍する徳次がほとんど登場しないなどありますが)
 しかし後半(下巻)に関してはかなり展開が違いました。最後の終わり方も違っています。どちらも、それなりに良かったのですが、個人的な好みではストーリーに関して言えば原作の方が面白かったです。(人間関係が濃密に描かれていました)
 最後の終わり方に関して言えば映画の方が救いがあったと思います。
 兎に角、興味のある方は映画なら今のうちに鑑賞することをお勧めします。そして原作を読むと、再び映画を鑑賞したくなりました。

「包丁」という噺について

20251013144203『包丁』
相変わらず体調は良くなりませんが、多少涼しくなってきた事もあり、季節的に秋の噺ぽいので取り上げました。

【原話】
上方落語「包丁間男」を明治期に東京に移したもので、移植者は三代目円馬師と一応されています。
ただ、明治31年11月の四代目左楽師の速記が残っていて、この年円馬師はまだ16歳なので、この説はガセだと思います。
左楽師は「出刃包丁」の題で演じていますが、明治期までは東京での演題は「えびっちゃま」と言ったそうです。

【ストーリー】
 寅さんは久治と呼ばれる兄貴に呼ばれます、弟分の寅さんは兄貴には頭が上がりません。
兄貴は清元の師匠をしている”おあき”さんに面倒をみてもらっているのです。
鰻をご馳走してもらって、ノロケを聞くと、儲けさすという。
 兄貴は清元の師匠も良いが、他に若い女が出来たので、芝居を打ってほしいと言います。
「俺の家に行って、兄貴が帰ってくるまで待たして欲しいと言って、上がり込む。酒は出すような女でないから、お土産だと言って1本下げていって、湯飲みを借りて飲み始め、ツマミは出さないだろうから、鼠入らずの右側の上から2段目に佃煮が入っているからそれで飲ってくれ。香こが台所のあげ板の3枚目を開けるとヌカ漬けのキウリが入っているから、それで飲んでくれ」、
「初めて行った家で香こを出すのはおかしくないか」、
「そんなことは気にしないで、3杯ぐらい飲んだら女の袖を引いてその気にさせたところで、俺が出刃包丁を持ってガラッと入っていく。啖呵を切って畳に出刃包丁をさしている間に、お前はズラかってしまい、その後に女を地方に売り飛ばしてしまう。その金を二人で山分けにする。どうだ!」
などと大変な相談です。
 その足で、兄貴の家に乗り込み、当然いないので上がって待つことになりました。
お茶を入れるからと言うので、持参の酒の封を切り、肴がないと言うので鼠入らずから佃煮を出しました。
「旨いね。鮒佐の佃煮は、やはり兄貴は口がおごっている」
師匠に勧めたが、取り付くしまがありません。
漬物を所望したが頭から断られたので自分で出し、師匠はビックリしていたが、刻んでまた飲み始めました。
 歌を唄いながら、師匠に手を伸ばすが、身持ちの堅い師匠にピシャリと叩かれたが、それに懲りずに手を出したらドスンと芯まで響くほど叩かれました。
「ヤナ男だよ。酒を飲んでいるから我慢をしてたら、つけあがって。ダボハゼみたいな顔をして女を口説く面か」
寅さんも切れて、一部始終の経緯をぶちまけてしまった。
「佃煮や香この場所が分かるのは教わって来たからだ」
 師匠は事情が飲み込めたので、
「あいつが来たら追い出すから、アンタも加勢してください。女の口から言うのもなんですが、嫌でなかったら私と一緒になって下さい」
「そんなこと言ったってダメだよ、さっきダボハゼって言ったじゃないか」
「それは事情が分からなかったからで、あいつの為に上から下まで揃えてやって、世話もしたのに売り払うなんて、そんな男に愛想が尽きた」
「そ〜ですとも。だいたいあいつは良くない」
「新しい着物を作ってあるから着替えてください。お酒もあるし。お刺身も出しますから」
 気持ちよく飲んでいるとこに、久治が覗きに来て
「あいつはお芝居がうめ〜や。あんな堅い女に酌をさせて」
 ガラッと開けて、
「やいやい。亭主の面に泥を塗りやがって」
「だめだダメだ。ネタは割れているんだから」
 おあきさんはさんざん久治に毒付いて追い出してしまいます。
 二人で飲み始めたが、格子をガラッと開けて、また久治が戻ってきた。
「出刃包丁を出せ!」。
「誰かに知恵でも付けられて来たのか。お前が悪巧みするから話がひっくり返ってしまったんだ。いいから、包丁出してやれ。久治、四つにでも切ろうと言うのか」。
「いや、魚屋に返しに行くんだ」

【演者】
戦後では六代目円生師、五代目志ん生師の二名人が得意としました。
と書きましたが、志ん生師の音源は無いそうです。
聴いてみたいですね。
六代目圓生師の出来はさすがとしか言いようがありませんね。

【注目点】
本来は音曲噺で、噺の中で唄が入ります。常さんが良い気持ちになって歌う処ですね。
私なんかはこの噺を聴くと、「駒長」と似てるなぁと感じてしまいます。

『能書』
志ん生師の噺は十代目馬生師に受け継がれました。
馬生師の録音はあるのでしょうか? あれば聴いてみたいですね。

『ネタ』
立川談志師ですが、昭和49年の第六十七回「ひとり会」では、「包丁」のネタ出しをしておきながら、自身納得のいく仕上がりにならなかったため、「本物の『包丁』をお聞かせします」と言って、六代目圓生師に演じてもらったという伝説があります。この様子は「談志ひとり会」のCDに収録されています。
その後自分でもCDに残しています。弟子では談春さんが受け継いでいます。

「蛇足」
 全く持って蛇足なのですが、この噺はあおきさんと寅さんのやり取りだと思います。この会話を通じて二人の心が通い合うのですが、聴いている観客にも通じるように演じなければならないと思います。
(たまにシラケさせる噺家さんもいますからね(笑))

「碁どろ」という噺について

20251009112929『碁どろ』
 このところ体調不良が続いていまして、一時は39度を超える熱が続きました。やっと万全ではありませんが、微熱ぐらいに収まって来たので更新をしたいと思います。ちなみにインフルでもコロナでもありませんでした。
 そこで今日はこの噺です。久しぶりだと思います。寄席でも良くかかりますね。

【原話】
元は上方落語「碁打盗人」で、明治中期に三代目小さん師が四代目桂文吾師に教わり東京に持ち帰りまました。

【ストーリー】
主人が、友人を呼んで碁を一局することになまります。前に碁に夢中になって畳を焦がしてしまったことがあり、その結果「碁は碁、煙草は煙草」と分けて、一局打った後にゆっくり煙草を吸おうと決め、二人は碁盤に向かいます。
 でも直ぐに「おい!煙草がないぞ!」
 と吸わないという約束も忘れてしまいます。そこは奥方、気を利かして、煙草盆に紅生姜を入れて女中と湯に行ってしまいます。。
 そうとは知らぬ二人、碁に夢中です。打ちながら煙草に火を点けようとしても紅生姜だから点きません。
「あれ!?おかしいなあ。点かねえ」
 と言いながらも、碁盤ばかり見つめています。
 そこへ一人の泥棒が入って来ます。二人は気が付きません。泥棒は仕事をして引上げようとしたら、パチリ!という碁石を打つ音がします。
 静かな夜更けだからとても響きます。何とこの泥棒も碁好きときているから、堪りません。
「あっ!やっているな。…手はどうかな。…あっ? それはいけない。もしもし、だめですよォ!」
 と、自身が泥棒に入ったのを忘れて、二人の対局に首を突っ込む始末。二人も、まさか泥棒とは気付きません。
「アンタ何言ってるの。これでなくちゃあ駄目なんだ。うるさいねえ。あれ? 知らない人だ」
と初めて気がつきますが、碁盤に目を落とします。そして
「お前は誰だいっと、いくか」
 とパチリ。何と相手も
「じゃあ。わたくしもお前は誰だいっと!」パチリ。
 そこで泥棒
「へへ。泥棒です」
「泥棒さんか」パチリ。
「よくいらしゃったねえ」とパチリ。

【演者】
柳家の噺家さんの他志ん朝師なども演じていました。
昭和では6代目春風亭柳橋先生や小圓朝師も得意にしていました。

【注目点】
柳橋先生は、このオチとは少し違っていて「これからちょいちょいいらっしゃい」とサゲていました。

『ネタ』
落語に登場する煙草盆は香道具から改良工夫されたそうです。江戸時代は女性も子供も結構喫煙していたそうですね。

「茶の湯」という噺について

20250930094429今日で9月も終わりです。関東ではやっと少し涼しくなって参りました。そこでこの噺です。
『茶の湯』
地味ですが色々と面白い噺です。

【原話】
文化3年(1806年)に出版された笑話本・「江戸嬉笑」の一遍である『茶菓子』です。講談の「福島正則荒茶の湯」にも材を得ているそうです。
 この噺は三代目金馬師が得意演目でしたが、圓生師が金馬師に移したそうです。
最近では上方でも演じられています

【ストーリー】
ある大店の隠居、根岸の別宅に居を移したが毎日が退屈で仕方がありません。
そこではじめたのが茶の湯なんですが、作法も何も分かりません。
小僧に買ってこさせた青黄粉や椋の皮を釜の中へ放りこんで楽しむといった、全くの自己流ではじめてしまったので、二人はお腹を壊してげっそり。
しばらくは二人で楽しんでいたがいつまでもそれではつまらないと、お客を無理矢理呼んで自らがこしらえたお茶うけとともに振舞うことします。
 手始めに家作の長屋の三人を始めに読んで飲まします。呼ばれた客は災難ですが、中には菓子の羊羹を食べたくて来る客も大勢現れる始末。
 月末の菓子屋の勘定書きを観て驚いた隠居は、薩摩芋からとんでもない「利休饅頭」と言うのをこさえます。

 ある日、そんなこととは知らない金兵衛さんが訪ねてきたので、しばらく茶の湯をやれなかった隠居は大はりきりで飲ませます。
「ウオッ!?」あわてて口直しをしようと饅頭を口へ…。
「アヒャッ!?」
 あわてて便所に逃げ込み、このひどい饅頭を捨てる場所はないかと見渡すと、窓の外は一面の田んぼが広がっています。
エイッと垣根越しに放り投げると、畑仕事をしているお百姓さんの顔にベチャ!
「ナンダァ…う〜ん、また茶の湯かァ」

【演者】
先ほど述べた圓生、金馬師の他に歴代の名人が録音を残しています。また、現役の噺家さんも数多く話しています。

【注目点】
落語でよく取り上げられる根岸は、家督を譲った隠居やお妾さんが暮らした静かな土地であったそうです。
川柳等では、下の句に「根岸の里の侘び住まい」で知られていますね。
 それに対して蔵前といえば、幕府の経済を支えた米を管理する米蔵がズラリ並んだところです。
 そうした賑やかな土地から侘び住まいが似合うエリアに越してきたというのだから、寝る間も惜しむように働いてきた人にとっては、さぞかし手持ち無沙汰だったと思います。

『能書』
茶の湯に禅の精神が取り入れられたのは、室町末期のことだそうです。それを千利休が受け継いだのですね。

『ネタ』
今でもある「裏千家」と「表千家」ですが、元々は弟子である自分の家が千利休の家の表にあったか裏にあったかだそうです。面白いですね。

「お血脈」という噺について

20250921154736『お血脈』
お彼岸を迎えて、やっと涼しくなってきた感じです。
そこで今日は地噺の「お血脈」です。

【原話】
善光寺由来に取材した地噺で、上方では「善光寺骨寄せ」とも言います。

【ストーリー】
長野善光寺にお血脈の御印と言うのがあり、これを押すとどんな罪も消え、極楽に往生出来ると言う。
これが有る為に地獄は暇になり寂れる一方になってしまいます。
困った閻魔大王は一同集めて相談を致します。
ある幹部の鬼が、「そのお血脈の御印」を盗みだしてしまえば、本来地獄に来る者が増えて良いのでは」と
提案致します。
さて、誰が良いか色々と選定した結果。石川五右衛門に白羽の矢が立ちます。
呼び出して命じると「そんな事は訳も無い事。すぐに盗みだしてみせましょう」と言って旅立ちます。
善光寺に来てみると未だ昼、何とか時間を潰して深夜になるのを待ちます。
さて深夜になり忍び込んで、間単に見つけ出します。
そのまま大人しく帰れば良かったのに、五右衛門、芝居ががった仕草が大好き。
「アァありがてえ、かっちけねえ。まんまと善光寺の奥殿へ忍び込み、奪い取ったるお血脈の印。これせえあれば大願成就、アァありがたや、かっちけなやァァ!」
と押し頂いたもんだから、自分が極楽へスーッ……


【演者】
色々な噺家さんが演じていますが個人的には十代目桂文治師ですね。寄席で本当に良く聴きました。六代目圓生師もよく演じていましたね。
今でも寄席でよく演じられていますね。
【注目点】
「地噺」と言うのは、普通落語は会話で噺が進行しますが、そうではなく、地の文、つまり演者の説明により噺が展開していく噺を言います。代表的な噺に「源平盛衰記」「紀州」やこの「お血脈」等が有名です。

上方の「善光寺骨寄せ」では、地獄で責め苦にあって、バラバラになっていた五右衛門の骨を寄せ集め、元の身体に戻してから、善光寺に出発させる形を取ります。
こちらも面白いですね。小朝師は地獄めぐりならぬ極楽めぐりを噺の中に入れてます。

『ネタ』
まあ簡単に演じると10分掛からない噺なので、十代目文治師は「善光寺由来」を頭につけて演じていました。
これは私も良く聴きました。とにかく文治師の本多善光と仏様のやりとりが可笑しかったです。
善光寺由来と言うのは・・・
その昔、天竺から閻浮檀金(えんぶだごん)という一寸八分の仏様が日本にやってきたが、仏教に反対した守屋大臣(物部守屋)らの手によって、難波池に捨てられた。後の時代になり、ある秋の夜、その近くを通った本多善光がその仏を見つけ、現在の信州に連れて行き、お祭りしたところが、その名を取って「善光寺」となったと言う噺です。

「錦の袈裟」という噺について

20250915151951『錦の袈裟 』
今日はこの噺です。
【原話】
原話は、安永6年(1777年)に出版された笑話本・『順会話献立』の一遍である「晴れの恥」が元だそうです。1807年の喜久亭 寿暁のネタ帳「滑稽集」に「よいく女郎買ふんどし」というのがありこれが発展して噺になったと思われます。旧題は「ちん輪」です。また『袈裟茶屋』という上方落語は江戸からの移植だそうです。他のサイトでは上方落語の「袈裟茶屋」が江戸に移植されたと書かれていますが、矢野誠一氏の研究では逆だそうです。このブログでも以前はその説を採っていましたが、今回は矢野氏の説を載せておきたいと思います。
四代目橘家円蔵師の明治時代の速記を見ると、振られるのは色男の若だんな二人、主人公は熊五郎となっています。オチは「そんなら、けさは帰しませんよ」「おっと、いけねえ。和尚へすまねえから」となっています。これを今の形に変えたのが初代小せん師で昭和の名人達も皆小せん師に習っていましたので今の形となりました。

【ストーリー】
町内のある男がとなり町の連中が吉原で、緋縮緬の長襦袢で揃いの格好を見せて遊び、あげくに「となり町の連中には出来まい」と言った事を聞きつけてきます。
 当然面白く無い訳で、何とかその上を行って、となり町の連中の鼻を明かしてヤりたい処ですねえ。色々な案が浮かびましたがイマイチです。
誰かが、「伊勢屋の番頭が、何枚か質流れの錦の布があり『なにかの時は使っていい』と言われていた事を思い出します。
「吉原へ乗り込んでそれを褌にして裸で総踊りをしよう」
「それで行こう!」と相談はまとまりましたが、一枚足りません。
 頭を数えると丁度、与太郎の分が足りません。仕方なく、与太郎には自分で工面させることにします。
 この辺が落語の良い所ですね。決して最初から仲間はずれにしません。与太郎は女房に相談します。
 この辺が今だと笑いを生み、又理解し難い処ですが、当時は玄人相手は完全な遊びで、いわゆる「浮気」の範疇に入りませんでした。与太郎にとっては、大事な町内の付き合いなのです。
 女房も何とか送り出したいと考えて、檀那寺の住職にお願いしておいで。『褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐が憑いて困っております。和尚さんの錦の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借りてきなさい」
と言いつけます。
 持つべきものは良い女房ですねえ……。
 知恵を授けられた与太郎、寺へやってきてなんとか口上をして、一番いいのを借りることができましたが、和尚さんから
「明日、法事があって、掛ける袈裟じゃによって、朝早く返してもらいたい」
 と念を押される。そこで与太郎、
「しくじったら破門になっても良いですから」
 等と言って借りてきます。
 改めて見てみると輪っかが付いていたり少し可笑しいですが、そこは何とかします。
 いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女たちに与太郎だけがえらい評判です。
「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房だよ。小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」
 てんで、与太郎が一人だけ大モテです。
翌朝、与太郎がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ女と寝ている。      与太郎「みんなが呼びにきたから帰るよ」
女「いいえ、主は今朝は返しません」
与太郎「袈裟は返さない…? ああ、お寺をしくじる」

【演者】
この噺は、かっては故志ん朝師を始め、小三治や故文朝師、先代柳朝師等そうそうたる噺家さんが演じています。今では若手からベテランまで演じていますね。

【注目点】
今の型は初代小せん師が作り上げたそうです。
上方の「袈裟茶屋」は主人公が幇間でかなり展開が違います。
東京みたいに町内の集団と言う事はありません、幇間三人の噺となっています。
袈裟を芸妓(げいこ=芸者)に取られそうになって、幇間が便所に逃げ出すという噺となっています。

『ネタ』
袈裟と言うのはお坊さんが着ている法衣の事で位で色や材質が変わるそうです。
良くお正月などにお寺に参拝した時に御札などを頼むと、大勢のお坊さんが出て来て炊きあげてくれますが、その時のお坊さんの袈裟が色々変わっていますね。
 
最新コメント
記事検索
月別アーカイブ