『鴻池の犬』
蒸し蒸ししていて暑いですが今日は上方落語この噺です。
『原話』
原話は、安永2年(1773)刊の笑話本「聞上手」中の「犬のとくゐ」です。
この原話を含む笑話本は、江戸のものですが、落語としては上方で、「鴻池の犬」として磨かれました。
東京には、明治30年ごろ、初代三遊亭円左師が持ち込みました。
のちに三代目三遊亭円馬が「大どこの犬」と改題して東京風に演じ直し、
鴻池を岩崎、犬が最初に拾われる場所を、大坂南本町から江戸日本橋石町と変えました。
その後、八代目正蔵師が「おおどこの犬」として高座に掛けていました。
現在でも高座で聴くことができます。
『演者』
八代目正蔵師のあと、柳家さん喬師が高座にかけています。その他にも演じてる噺家さんは居るようです。
『ストーリー』
商家の軒先に捨て犬があり、それを 丁稚が世話をするなか、黒、白、ぶちの3匹のうち、黒犬を欲しいという男からの申し出があります。
日を改めて吉日に来たその男が持参したのは、鰹節、酒、反物の数々。 これを犬には不相応として断る主人。
しかし男曰く、自分は鴻池善右衛門の使いであり、そこで飼っていた黒犬が死んで以来、かわいがっていた子供が気落ちしており、そのため見つけたこの黒犬がぜひとも欲しいと言うのです。いわば養子にもらうための贈り物、という経緯に主人も納得し、輿に乗せられもらわれて行く黒犬です。
鴻池宅では医者が付き、広い敷地に豪勢な餌で大きく育った黒犬は、やがてクロと名付けられ、「鴻池の大将」として近所のボス犬となります。
ボスとして犬同士のケンカの仲裁などをする日々のなか、近辺で見慣れない痩せ細った犬が、地回りの犬にいじめられ、追われて鴻池宅前まで逃げて来ます。
追っ手の犬達を諭しながら、事情を聞くクロ。
痩せ犬の生い立ちを聞けば、3匹の兄弟で捨てられていたが、船場、南本町の池田屋で拾われて育ち、兄弟のうち黒犬はもらわれ、白犬は死に別れたとのこと。
そこでクロと痩せ犬は生き別れた兄弟であることが判明、クロが面倒を見ることになります。ある日、
「来い来い来い……」
の声がする方へ、クロが行って戻ると、鯛の焼き物、う巻きなどをもらって来ます。再び「来い来い来い……」
と声がかかるので行って見ると、今度はしょんぼりして戻って来る。 弟が尋ねると、クロが
「ぼんに『しー来い来い来い』言うて、おしっこさしてたんや」。
『能書』
現在の上方の型は米朝師が5代目松鶴師の速記から起こしたもので、実際の高座は見ていないそうです。
『ネタ』
鴻池家の発祥は、山中鹿之助の次男が伊丹の鴻池村で、諸白を使った三段仕込み製法に成功し、
清酒の技法を確立し、この酒を江戸に下らせて大成功を収めました。
それにあやかり、姓を”鴻池”と改めたと言う事です
その後、海運業に進出する傍ら、明暦2年(1656)、大坂内久宝寺町に両替屋を開き、延宝2年(1674)、
現在の大阪市東区今橋2丁目に本拠を移しました。
以来、大名貸しや新田開発などで巨富を築き、「今橋の鴻池」といえば、全国どこでも富豪の代名詞で通るほどになりました。
蒸し蒸ししていて暑いですが今日は上方落語この噺です。
『原話』
原話は、安永2年(1773)刊の笑話本「聞上手」中の「犬のとくゐ」です。
この原話を含む笑話本は、江戸のものですが、落語としては上方で、「鴻池の犬」として磨かれました。
東京には、明治30年ごろ、初代三遊亭円左師が持ち込みました。
のちに三代目三遊亭円馬が「大どこの犬」と改題して東京風に演じ直し、
鴻池を岩崎、犬が最初に拾われる場所を、大坂南本町から江戸日本橋石町と変えました。
その後、八代目正蔵師が「おおどこの犬」として高座に掛けていました。
現在でも高座で聴くことができます。
『演者』
八代目正蔵師のあと、柳家さん喬師が高座にかけています。その他にも演じてる噺家さんは居るようです。
『ストーリー』
商家の軒先に捨て犬があり、それを 丁稚が世話をするなか、黒、白、ぶちの3匹のうち、黒犬を欲しいという男からの申し出があります。
日を改めて吉日に来たその男が持参したのは、鰹節、酒、反物の数々。 これを犬には不相応として断る主人。
しかし男曰く、自分は鴻池善右衛門の使いであり、そこで飼っていた黒犬が死んで以来、かわいがっていた子供が気落ちしており、そのため見つけたこの黒犬がぜひとも欲しいと言うのです。いわば養子にもらうための贈り物、という経緯に主人も納得し、輿に乗せられもらわれて行く黒犬です。
鴻池宅では医者が付き、広い敷地に豪勢な餌で大きく育った黒犬は、やがてクロと名付けられ、「鴻池の大将」として近所のボス犬となります。
ボスとして犬同士のケンカの仲裁などをする日々のなか、近辺で見慣れない痩せ細った犬が、地回りの犬にいじめられ、追われて鴻池宅前まで逃げて来ます。
追っ手の犬達を諭しながら、事情を聞くクロ。
痩せ犬の生い立ちを聞けば、3匹の兄弟で捨てられていたが、船場、南本町の池田屋で拾われて育ち、兄弟のうち黒犬はもらわれ、白犬は死に別れたとのこと。
そこでクロと痩せ犬は生き別れた兄弟であることが判明、クロが面倒を見ることになります。ある日、
「来い来い来い……」
の声がする方へ、クロが行って戻ると、鯛の焼き物、う巻きなどをもらって来ます。再び「来い来い来い……」
と声がかかるので行って見ると、今度はしょんぼりして戻って来る。 弟が尋ねると、クロが
「ぼんに『しー来い来い来い』言うて、おしっこさしてたんや」。
『能書』
現在の上方の型は米朝師が5代目松鶴師の速記から起こしたもので、実際の高座は見ていないそうです。
『ネタ』
鴻池家の発祥は、山中鹿之助の次男が伊丹の鴻池村で、諸白を使った三段仕込み製法に成功し、
清酒の技法を確立し、この酒を江戸に下らせて大成功を収めました。
それにあやかり、姓を”鴻池”と改めたと言う事です
その後、海運業に進出する傍ら、明暦2年(1656)、大坂内久宝寺町に両替屋を開き、延宝2年(1674)、
現在の大阪市東区今橋2丁目に本拠を移しました。
以来、大名貸しや新田開発などで巨富を築き、「今橋の鴻池」といえば、全国どこでも富豪の代名詞で通るほどになりました。