『鰻の幇間』
土用丑の日も近い昨今、この噺を取り上げてみます。
【原話】
明治の中期に実際にあった話を落語化したそうです
【ストーリー】
炎天下の街を幇間の一八があちらこちらと得意先を回って、なんとかいい客を取り込もうとするのですが、何しろ夏は辛い季節。金のありそうな上客は、避暑だ湯治だと、東京を後にしてしまっていて捕まりません。
今日も一日歩いて、一人も客が捕まりません。このままだと幇間の日干しが出来上がるから、こうなったら手当たり次第と覚悟を決め、向こうをヒョイと見ると、見覚えのある旦那。でもその浴衣姿の旦那が誰だか思い出せません。せめて昼飯でも御馳走になろうと、よいしょを始めます。
旦那が言うには、
「湯屋に行く途中だから長居はできないので近くの鰻屋に行こう」
自慢の下駄を脱いで二階に上がり、香香で一杯始め、鰻が出てきました。旦那が、はばかりに立ったので、お供しようとすると、
「いちいち付いて回るのが鬱陶しい、はばかりくらい一人で行ける」
と言うので、部屋で待つことにしました。
ところが、いつまで経っても旦那が戻らないので迎えに立ち、はばかりをのぞくとモヌケのから。
「偉い! 粋なもんだ、勘定済ましてスーッと帰っちまうとは」
と思いますが、仲居が
「勘定お願いします」
と来ます。仲居が言うには
「お連れさんが、先に帰るが、二階で羽織着た人が旦那だから、あの人にもらってくれと」
「じょ、冗談じゃねえ。どうもセンから目つきがおかしいと思った。家の事訊くと。とセンのとこ、センのとこってやがって……なんて野郎だ」
その上、勘定書が九円八十銭。「だんな」が六人前土産を持ってったそう。一八、泣きの涙で、女中に八つ当たりしながら、なけなしの十円札とオサラバし、帰ろうとすると今度はゲタがありません。すると女中
「あ、あれもお連れさんが履いてらっしゃいました」
【演者】
これは黒門町の十八番でした。それ以前には初代小せん師が得意にしていたそうです。
六代目圓生師はこの噺を「圓生百席」に入れました。それほど得意ではなかったこの噺を入れた理由は、「文楽師のは一八が何処に行ってもアテが外れてしまって目論見が狂って次第に焦って行く過程が省かれていた。一八だってベテランの幇間だからそう簡単にはあんなに簡単に騙されはしない」と語っていました。「その心理面が描かれていないと最後の一八の悔しさが薄れてしまう」という事でした。この意見に私も賛成です。
また三代目柳好師の演技は本職並と言われたそうです。噺家で売れない頃に幇間をしていた方は結構居るそうで、柳好師の他四代目圓遊師もやっていたそうです。
【注目点】
やはり羊羹を二棹抱えて炎天下を歩く一八と、騙されてから仲居に色々な能書きを言うシーンでしょうね。特に文楽師の「この紅生姜……」のくだりが好きです。
『能書』
因みにこの男は落語国三大悪人の一人だそうです。
後の二人は、「付き馬」の男、「突き落とし」の連中だそうです。(異説もあり、付き馬、突き落とし、居残り)
『ネタ』
時間の関係か、向こうからくる風呂へ行く、浴衣姿の男を取り巻くところから入る落語家さんが多いようです。個人的にですが、それではこの噺を初めて聴く人はこの噺の面白さを半分も理解出来ないでしょうね。
「蛇足」
このブログを訪れてくださる方には不要とは思いますが、とりあえず「幇間」について書いてみたいと思います。
幇間(たいこもち)とはWiKiによると、『酒席や遊興の場で顧客に同席し、口先や即席芸でお座敷を盛り上げ、客を楽しませ、ご祝儀や飲食費をもらって生活する職業である。幇間は置き屋に所属する者と、自分の人脈で顧客を掴まなくてはならない全くの私営業者があり、後者を「野だいこ」と称した。』とあります。芸者の男版と言えば判り易いでしょうか。
でも本当は旦那から財布を預かり、上手く遊ばせ、しかも当初の予算を浮かせて旦那に返すのが本来の役目だったそうです。そこらあたりを理解してると幇間の噺が理解しやすくなります。
土用丑の日も近い昨今、この噺を取り上げてみます。
【原話】
明治の中期に実際にあった話を落語化したそうです
【ストーリー】
炎天下の街を幇間の一八があちらこちらと得意先を回って、なんとかいい客を取り込もうとするのですが、何しろ夏は辛い季節。金のありそうな上客は、避暑だ湯治だと、東京を後にしてしまっていて捕まりません。
今日も一日歩いて、一人も客が捕まりません。このままだと幇間の日干しが出来上がるから、こうなったら手当たり次第と覚悟を決め、向こうをヒョイと見ると、見覚えのある旦那。でもその浴衣姿の旦那が誰だか思い出せません。せめて昼飯でも御馳走になろうと、よいしょを始めます。
旦那が言うには、
「湯屋に行く途中だから長居はできないので近くの鰻屋に行こう」
自慢の下駄を脱いで二階に上がり、香香で一杯始め、鰻が出てきました。旦那が、はばかりに立ったので、お供しようとすると、
「いちいち付いて回るのが鬱陶しい、はばかりくらい一人で行ける」
と言うので、部屋で待つことにしました。
ところが、いつまで経っても旦那が戻らないので迎えに立ち、はばかりをのぞくとモヌケのから。
「偉い! 粋なもんだ、勘定済ましてスーッと帰っちまうとは」
と思いますが、仲居が
「勘定お願いします」
と来ます。仲居が言うには
「お連れさんが、先に帰るが、二階で羽織着た人が旦那だから、あの人にもらってくれと」
「じょ、冗談じゃねえ。どうもセンから目つきがおかしいと思った。家の事訊くと。とセンのとこ、センのとこってやがって……なんて野郎だ」
その上、勘定書が九円八十銭。「だんな」が六人前土産を持ってったそう。一八、泣きの涙で、女中に八つ当たりしながら、なけなしの十円札とオサラバし、帰ろうとすると今度はゲタがありません。すると女中
「あ、あれもお連れさんが履いてらっしゃいました」
【演者】
これは黒門町の十八番でした。それ以前には初代小せん師が得意にしていたそうです。
六代目圓生師はこの噺を「圓生百席」に入れました。それほど得意ではなかったこの噺を入れた理由は、「文楽師のは一八が何処に行ってもアテが外れてしまって目論見が狂って次第に焦って行く過程が省かれていた。一八だってベテランの幇間だからそう簡単にはあんなに簡単に騙されはしない」と語っていました。「その心理面が描かれていないと最後の一八の悔しさが薄れてしまう」という事でした。この意見に私も賛成です。
また三代目柳好師の演技は本職並と言われたそうです。噺家で売れない頃に幇間をしていた方は結構居るそうで、柳好師の他四代目圓遊師もやっていたそうです。
【注目点】
やはり羊羹を二棹抱えて炎天下を歩く一八と、騙されてから仲居に色々な能書きを言うシーンでしょうね。特に文楽師の「この紅生姜……」のくだりが好きです。
『能書』
因みにこの男は落語国三大悪人の一人だそうです。
後の二人は、「付き馬」の男、「突き落とし」の連中だそうです。(異説もあり、付き馬、突き落とし、居残り)
『ネタ』
時間の関係か、向こうからくる風呂へ行く、浴衣姿の男を取り巻くところから入る落語家さんが多いようです。個人的にですが、それではこの噺を初めて聴く人はこの噺の面白さを半分も理解出来ないでしょうね。
「蛇足」
このブログを訪れてくださる方には不要とは思いますが、とりあえず「幇間」について書いてみたいと思います。
幇間(たいこもち)とはWiKiによると、『酒席や遊興の場で顧客に同席し、口先や即席芸でお座敷を盛り上げ、客を楽しませ、ご祝儀や飲食費をもらって生活する職業である。幇間は置き屋に所属する者と、自分の人脈で顧客を掴まなくてはならない全くの私営業者があり、後者を「野だいこ」と称した。』とあります。芸者の男版と言えば判り易いでしょうか。
でも本当は旦那から財布を預かり、上手く遊ばせ、しかも当初の予算を浮かせて旦那に返すのが本来の役目だったそうです。そこらあたりを理解してると幇間の噺が理解しやすくなります。