『青菜』
桜の季節も終わったので新緑の時期になりました。そこでこの噺です。
【原話】
原話は1778年の「当世話」にあります。元は上方落語。それを三代目 小さん師が東京に輸入しました。
【ストーリー】
さるお屋敷で仕事中の植木屋、一休みで主人から
「酒は好きか」
と聞かれます。
もとより酒なら浴びるほうの口。そこでごちそうになったのが、上方の柳陰という「銘酒」で。これは、実は「なおし」という焼酎を味醂で割った酒。
植木屋さん、暑気払いの冷や酒ですっかりいい心持ちになった上、鯉の洗いまで相伴して大喜び。
「時におまえさん、菜をおあがりかい」
「へい、大好物で」。
ところが、次の間から奥さまが
「旦那さま、鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官(くろうほうがん)」
と妙な返事。旦那は
「義経にしておきな」
と返します。これが、実は洒落で、菜は食べてしまってないから「菜は食らう=九郎」、「それならよしとけ=義経」というわけで、客に失礼がないための、隠し言葉だというのです。
植木屋さん、その風流にすっかり感心して、家に帰ると女房に
「やい、これこれこういうわけだが、てめえなんざ、亭主のつらさえ見りゃ、イワシイワシってやがって……さすがはお屋敷の奥さまだ。同じ女ながら、こんな行儀のいいことはてめえにゃ言えめえ」
「言ってやるから、鯉の洗いを買ってみな」
そこに通り掛かったのが悪友の大工の熊。
「こいつぁ、いい」
とばかり、女房を無理やり次の間……はないから押入れに押し込み、熊を相手に
「たいそうご精がでるねえ」
から始まって、ご隠居との会話をそっくりやろうとするが……。
「青い物を通してくる風が、ひときわ心持ちがいいな」
「青いものって、向こうにゴミためがあるだけじゃねえか」
「あのゴミためを通してくる風が……」
「変なものが好きだな、てめえは」
「大阪の友人から届いた柳陰だ、まあおあがり」
「ただの酒じゃねえか」
「さほど冷えてはおらんが」
「燗がしてあるじゃねえか」
「鯉の洗いをおあがり」
「イワシの塩焼きじゃねえか」
「時に植木屋さん、菜をおあがりかな」
「植木屋は、てめえだ」
「菜はお好きかな」
「大嫌えだよ」
タダ酒をのんで、イワシまで食って、今さら嫌いはひどい。ここが肝心だから、頼むから食うと言ってくれと泣きつかれて、
「しょうがねえ。食うよ」
「おーい、奥や」
待ってましたとばかり手をたたくと、押し入れから女房が転げ出し、
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官義経」
と言ってしまったので植木屋さんは困って、」
「うーん、弁慶にしておけ」
【演者】
色々な噺家さんが演じています。特に柳家の噺家さんが多いですね。歴代では八代目春風亭柳橋師が抜群でした。師はこの噺の冒頭に必ず「目に青葉山ほととぎす初鰹」と山口素堂の句を詠んでから噺に入りました。それからもこの噺が初夏の噺だと判りますね。
最近では何と言っても小三治師ですね。
個人的にはこの二人が特にお勧めですね。柳橋先生はきちんと演じてくれていること。これが素晴らしいですね。小三治師は若造だった私に生の高座の凄さ、再現力の高さを思い知らされた噺でもあります。また個人的にですが三代目柳好師のも好きです。
【注目点】
オチの「弁慶」は「考えオチ」で、「立ち往生」と言う意味です。
今では「義経記」の、弁慶立ち往生の故事が判りづらくなってしまったり、「立ち往生」と言う言葉が判らないと、説明なしには通じなくなっているかも知れませんね。
『能書』
「柳陰」は、元々は「味醂」を造る時に焼酎を多めにしたお酒だったようですが、
簡易的には「焼酎」と「味醂」を2:1の割合で割ったたものです。
言うなれば「お江戸カクテル」と言う感じでしょうか。よく冷やしてのむ酒だったそうです。
「柳陰」として白扇酒造さんと言うところから販売もされています。
家庭でも簡単に造れますが、酒税法の「みなし製造」の条文に引っかかるので、違法になるのだそうです。無粋な法律ですね。
でも、自分でこっそり作って飲む分には誰にも判らないのではないでしょうか?
これって、確か自家製の梅酒を商売でお客に飲ますと違反になるんですよね。それも変ですよね。
『ネタ』
この噺の思い出としては、先程も書きましたが、上野鈴本の八月の「夏祭り」で小三治師が仲入りで登場して「青菜」を演じました。
これが凄かったです。どこかにも書いていたと思いますが、鈴本の客席が旦那の家の庭に変わってしまったのです。わたし達お客は植木の合間から覗いている感じでした。
いはやや、あの時の小三治師は凄かったです!
「蛇足」
江國滋さんはこの噺について
「昔はその家の主人が職人を愛し、労る習わしがあったが、今はそれもなくなり御愛願賜るのはお客ほうばかりで職人に出入りをして頂くことになった」
と述べています。
桜の季節も終わったので新緑の時期になりました。そこでこの噺です。
【原話】
原話は1778年の「当世話」にあります。元は上方落語。それを三代目 小さん師が東京に輸入しました。
【ストーリー】
さるお屋敷で仕事中の植木屋、一休みで主人から
「酒は好きか」
と聞かれます。
もとより酒なら浴びるほうの口。そこでごちそうになったのが、上方の柳陰という「銘酒」で。これは、実は「なおし」という焼酎を味醂で割った酒。
植木屋さん、暑気払いの冷や酒ですっかりいい心持ちになった上、鯉の洗いまで相伴して大喜び。
「時におまえさん、菜をおあがりかい」
「へい、大好物で」。
ところが、次の間から奥さまが
「旦那さま、鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官(くろうほうがん)」
と妙な返事。旦那は
「義経にしておきな」
と返します。これが、実は洒落で、菜は食べてしまってないから「菜は食らう=九郎」、「それならよしとけ=義経」というわけで、客に失礼がないための、隠し言葉だというのです。
植木屋さん、その風流にすっかり感心して、家に帰ると女房に
「やい、これこれこういうわけだが、てめえなんざ、亭主のつらさえ見りゃ、イワシイワシってやがって……さすがはお屋敷の奥さまだ。同じ女ながら、こんな行儀のいいことはてめえにゃ言えめえ」
「言ってやるから、鯉の洗いを買ってみな」
そこに通り掛かったのが悪友の大工の熊。
「こいつぁ、いい」
とばかり、女房を無理やり次の間……はないから押入れに押し込み、熊を相手に
「たいそうご精がでるねえ」
から始まって、ご隠居との会話をそっくりやろうとするが……。
「青い物を通してくる風が、ひときわ心持ちがいいな」
「青いものって、向こうにゴミためがあるだけじゃねえか」
「あのゴミためを通してくる風が……」
「変なものが好きだな、てめえは」
「大阪の友人から届いた柳陰だ、まあおあがり」
「ただの酒じゃねえか」
「さほど冷えてはおらんが」
「燗がしてあるじゃねえか」
「鯉の洗いをおあがり」
「イワシの塩焼きじゃねえか」
「時に植木屋さん、菜をおあがりかな」
「植木屋は、てめえだ」
「菜はお好きかな」
「大嫌えだよ」
タダ酒をのんで、イワシまで食って、今さら嫌いはひどい。ここが肝心だから、頼むから食うと言ってくれと泣きつかれて、
「しょうがねえ。食うよ」
「おーい、奥や」
待ってましたとばかり手をたたくと、押し入れから女房が転げ出し、
「だんなさま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官義経」
と言ってしまったので植木屋さんは困って、」
「うーん、弁慶にしておけ」
【演者】
色々な噺家さんが演じています。特に柳家の噺家さんが多いですね。歴代では八代目春風亭柳橋師が抜群でした。師はこの噺の冒頭に必ず「目に青葉山ほととぎす初鰹」と山口素堂の句を詠んでから噺に入りました。それからもこの噺が初夏の噺だと判りますね。
最近では何と言っても小三治師ですね。
個人的にはこの二人が特にお勧めですね。柳橋先生はきちんと演じてくれていること。これが素晴らしいですね。小三治師は若造だった私に生の高座の凄さ、再現力の高さを思い知らされた噺でもあります。また個人的にですが三代目柳好師のも好きです。
【注目点】
オチの「弁慶」は「考えオチ」で、「立ち往生」と言う意味です。
今では「義経記」の、弁慶立ち往生の故事が判りづらくなってしまったり、「立ち往生」と言う言葉が判らないと、説明なしには通じなくなっているかも知れませんね。
『能書』
「柳陰」は、元々は「味醂」を造る時に焼酎を多めにしたお酒だったようですが、
簡易的には「焼酎」と「味醂」を2:1の割合で割ったたものです。
言うなれば「お江戸カクテル」と言う感じでしょうか。よく冷やしてのむ酒だったそうです。
「柳陰」として白扇酒造さんと言うところから販売もされています。
家庭でも簡単に造れますが、酒税法の「みなし製造」の条文に引っかかるので、違法になるのだそうです。無粋な法律ですね。
でも、自分でこっそり作って飲む分には誰にも判らないのではないでしょうか?
これって、確か自家製の梅酒を商売でお客に飲ますと違反になるんですよね。それも変ですよね。
『ネタ』
この噺の思い出としては、先程も書きましたが、上野鈴本の八月の「夏祭り」で小三治師が仲入りで登場して「青菜」を演じました。
これが凄かったです。どこかにも書いていたと思いますが、鈴本の客席が旦那の家の庭に変わってしまったのです。わたし達お客は植木の合間から覗いている感じでした。
いはやや、あの時の小三治師は凄かったです!
「蛇足」
江國滋さんはこの噺について
「昔はその家の主人が職人を愛し、労る習わしがあったが、今はそれもなくなり御愛願賜るのはお客ほうばかりで職人に出入りをして頂くことになった」
と述べています。