らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:落語コラム

02301_1401286_03今日は個人的なお知らせを……。

この度、株式会社 アクトアミューズ ジャパンというエンターテイメントを扱う会社のHPに私の落語のコラムが連載されることになりました。
すでに二本の記事がUPされています。
 よかったら覗いてみてください。
アクトアミューズ ジャパン 公式
https://www.act-amuse-japan.co.jp/

わたし(まんぼう)のコラム

東京都内で気軽に落語が観られる場所8選。
https://www.act-amuse-japan.co.jp/252/

落語鑑賞歴50年のプロが教える「明日にでも使える落語言葉」‼
https://www.act-amuse-japan.co.jp/876/

以下 連載予定です。
紹介とかではかなり盛ってますけどね(^^)

012今回は圓楽師です。

2.【五代目三遊亭圓楽】1933年1月3日 – 2009年10月29日

・「出囃子」
『元禄花見踊』

・「芸風」
スケールの大きな噺をする師匠でした。晩年は入れ歯が合わなかったり、病の為に思うような噺が出来なかったと言われていますが、真打昇進の頃の音源を聴くと、まるでカミソリのような切れ味で、これが圓楽師かと驚かれると思います。
また若い頃は「星の王子様」と自分でキャッチフレーズを作りテレビなどにも多く出演いていました。

・「芸歴」
1955年(昭和30年)2月 – 6代目三遊亭圓生に入門、
1958年(昭和33年)3月 – 二つ目昇進。
1962年(昭和37年)10月 – 真打昇進し「5代目 三遊亭圓楽」
1978年(昭和53年)6月1日 – 師匠圓生一門と共に落語協会を脱退
1980年(昭和55年)2月1日 -師匠圓生死後、圓楽一門で新たに「大日本落語すみれ会」(後に圓楽一門会)を設立

・「エピソード」
何と言っても師匠圓生師と一緒に落語協会を脱退した事でしょう。真打昇進の意見の食い違いで小さん師と圓生師の対立が決定的になり、圓生一門が揃って脱退したのです。当初は圓生師だけが協会を辞めるつもりだったそうですが、弟子はそうも行きません。色々とあったそうですが、欠局一門の殆どが脱退しました。さん生さんと好生さんは協会に残ったので破門になりました。圓生師死後圓楽一門以外の弟子は協会に復帰しますが、圓楽一門は復帰することがありませんでした。その為、基本的には今も一門は定席に出演することが出来ません。
その事を憂いた圓楽師は江東区東陽町に数億の借金をして「若竹」と言う自前の寄席を作りました。その事を知った柳朝師は「圓楽は凄い奴だ」と感心したそうです。
しかし、自分が思った通りに弟子が育って行かない事と経営難もあり四年後に閉鎖しました。
最晩年のある時、春風亭小朝師と競演した時に、楽屋で小朝師に「自分はこれ以上上手くなれない」と言って涙を流したそうです。これには腎臓病や諸々の病の事もあったと思われます。
また「笑点」の司会を長く勤め、落語の認識拡大に多大な功績があったのは事実です。

・「得意演目」
「浜野矩随」「芝浜」等の人情を加味した噺が得意でした。これは三遊亭の芸風に通じるものです。
また、相撲の噺の「花筏」も良く高座に掛かっていて気持ちよさそうに演じていたのを思い出します。

と言う事で、また〜 次回は古今亭志ん朝師の予定です!

rakugo え〜 台風が去って猛暑がやって来ましたね。皆様もどうぞ熱中症にはくれぐれもお気をつけください。

お知らせがあります。
実は、私は「まんぼう」「風速健二」と言う名で創作活動を行って参りました。小さな賞も二つばかり戴き、
昨年「共同幻想ノベルズデザイン」と言う創作サークルに誘われまして、入らせて戴きました。
その共同幻想ノベルズデザイン」(以下共ノベ)がこの度「共幻文庫」と言う電子書籍レーベルを立ち上げました。
         共幻文庫
このHPで、毎週水曜日に私が落語のコラムを書く事になりました。既に第1回は載っています。
                                          風速健二の落語コラム

こちらも、このブログ同様宜しくお願い致します。

内容は、落語初心者の方が読み進めて行くうちに落語の知識が身につくようにしたいと思っております。
こちらは、寄席の事や噺の事などを今まで通りに更新していく所存です。
こちらも、どうか宜しくお願い致します。

このページのトップヘ