016fa7b9-s 定期購読してる演芸情報誌「東京かわら版」の最初のページに「落語と私、私と落語」というページがあります。色々な有名人が自分と落語との係わり合いを語っています。それを読んで自分も書いてみたいと思うようになりました。
 そこで自分なりに落語との係わり合いを書いて見る事にしました。

 物心ついた時には戦後最大の演芸ブームの真っ只中でして、毎日演芸番組が放送されていました。落語だけではなく、色物の芸人さんも多くがテレビで見ることが出来ました。
 その中で一番人気者だったのが、林家三平師と三遊亭歌奴師でした。個人的にですが当時のわたしは断然歌奴派で、毎日のように「授業中」「浪曲社長」「給料日」などを聴いて腹を抱えて笑っていました。その中で特に好きだったのが新大久保の駅員時代の噺で、その頃の歌奴師は吃音で駅名が中々言えず、やっと言えたと思ったらもう電車は新宿に着いていたというホントかウソか判らないトボけた噺が好きでした。
 というのも、当時のわたしも吃音で、噺の中の出来事に共感したからです。しかも、二代目圓歌師に入門したのは、自分も吃音で苦労したので、吃音なのに平然と落語を語っている圓歌師が素晴らしく感じた。という事を知って益々好きになりました。
 あの頃は本当に落語家がテレビに出ていました。圓歌師、三平師の他にも芸協の小圓馬師、伸治師、米丸師、笑三師などが人気者でした。落語協会では馬之助師の他に、四天王の志ん朝師、柳朝師、圓楽師、談志師が良く出ていました。
 特に日曜は最高で、正午に「大正テレビ寄席」を見て色物さんを楽しみ、NETと読んでいたテレビ朝日の「末広珍芸シリーズ」を見て、その後NHKでも落語の番組をやっていたと思います。それが終わるとテレビ東京が浅草演芸ホールから中継がありました。
 夕方まで演芸で楽しめましたね。その後夕方に「笑点」が始まります。当初は大喜利よりも演芸の方がメインでした。
 演芸番組の他にも、クイズ番組等あらゆる番組に噺家や芸人が出ていたと思います。
 毎日のように見てるうちに寄席に行きたくなりました。両親にねだって、新宿の末広亭に連れて行って貰いました。(尤も両親に言わせると改築前の鈴本にはかなり連れて行ったそうです)
 談志師ではないですがホント夢の世界でしたね。テレビでしか見られないと思っていた噺家や芸人が目の前に次から次に登場する。それだけでもう寄席が好きになりました。
 演芸ブームが下火になると親にねだって寄席に連れて行って貰いましたが、そうそうは連れて行ってくれません。中学に行く頃になると鈴本に一人で行くようになりました。上野は家からだと電車で一本で15分もあれば着きますので行きやすかったのです。それに鈴本は昼夜入れ替えなので昼の部が終われば家に帰らなくてはなりません。これが入れ替えの無い浅草や末広なら夜まで居続けたでしょうね。その点で親も許してくれたようです。
 志ん生、文楽には間に合わなかったけど、圓生には間に合ったし、小さん師、四天王は堪能したし、大人になってからは小三治師の伸び盛りも楽しめたし。まあ、悪くはないかも知れません。でも一番好きだったのは桂文朝師です。さりげなく演じる所が良かったですね。上手いのにそれが自然な感じ。そこが良かったです。つくづく早世が惜しまれます。
 これからも寄席には通うでしょう。新しい人を発見するのも楽しみです。