『写真の仇討』
今日は比較的珍しい噺「写真の仇討」です。でもこの噺、芸協の芝居では結構かかります。若手(真打が近い二つ目さん)がよく演じます。
先日も末廣亭で文治師のお弟子さんの鷹治さんがやってました。
『原話』
大本は「一枚起請」という噺を初代三遊亭圓左師が起請を写真に改めたそうです。ですので、二代目五明楼玉輔師が得意にしていた「写真の仇討」とは全くの別物です。
『演者』
以前は八代目正蔵師が演じていましたが、現在では芸協の若手がよく演じています。芸協の芝居では十日間のうち何処かで聴くことが出来ます。
『ストーリー』
信次郎が、恋仲で、多額の金を貢いでいた小照という芸者に裏切られました。
「あたしも士族の子。面目にかけても生かしちゃ置けないから、これから女を一突きにし、自分も死ぬから」
と、暇乞いにやってきたので、伯父さんが意見をする。
「昔、晋(しん)国の智伯(ちはく)という人が趙襄子(ちょうじょうし)に殺され、その家来の予譲(よじょう)は主人の仇を討とうとして捕らえられた。
趙襄子は大度量の人だから、そのまま許してくれたが、あきらめずに今度は顔に漆を塗って炭を飲み、
人相を変え物乞いに化けて橋の下で趙襄子を狙った。
ところが敵の乗った馬がピタリと動かなくなり、気づかれた。『この前、命を助けてやったのに、なぜ何度もわしを狙う。
もともとおまえの主人は范(はん)氏で、それが智伯に滅ぼされた時に捕虜になって随身したもの。
とすれば、わしはおまえの元主人の仇を討ってやったも同じではないか』と責めると
『ごもっともだが、智伯は私を引き立ててくれた恩があります。
士はおのれを知る者のために死す、と申します』と悪びれずに言ったので、趙襄子は感心して
『おまえの志にめでて討たれてやりたいが、今わしが死んでは世の中が乱れる。
これをわしと思って、ぞんぶんにうらみを晴らせ』と自分の着物の片袖を与えたので、予譲が剣でそれを貫く。
突いたところから血がタラタラ。
結局、予譲は自害したが、ああ、人の執念は恐ろしいものと趙襄子は衝撃を受け、3年もたたないうちにそれが元で死んだ、という。
おまえも相手は商売人で、だまされたのはおまえに軍配が上がるんだから、
大切な命をそんな女のために無駄にせず、その女からもらったものを突くなり、切るなりしてうっぷんを晴らすがいい」
そう言われて、信次郎もなるほどと思い、貸してもらった鎧通で、持っていた女の写真を思い知れとばかり、ズブリ。
とたんに写真から血がダラダラ。
「ああ、執念は恐ろしい。写真から血が」
「いえ、あたくしが指ィ切ったんで」
『能書』
昭和初期の八代目桂文楽師の速記が残っていますが、戦後は八代目林家正蔵師が「指切り」の演題でレパートリーとしました。正蔵師は、二代目三遊亭小圓朝門下で、やはりこの噺を得意としていた三遊亭円流師の口演を聴いて覚えたと語っていました。
『ネタ』
この元になった「一枚起請」は、現行の「写真の仇討ち」と筋はほとんど同じですが、男が突くものが女郎の起請文であるところが異なります。
「蛇足」
その昔、明治の噺家を読み込んだ大津絵があり、その中に「五明楼玉輔は写真の仇討」というくだりがあるそうです。まあ違う噺なんですが(笑)
今日は比較的珍しい噺「写真の仇討」です。でもこの噺、芸協の芝居では結構かかります。若手(真打が近い二つ目さん)がよく演じます。
先日も末廣亭で文治師のお弟子さんの鷹治さんがやってました。
『原話』
大本は「一枚起請」という噺を初代三遊亭圓左師が起請を写真に改めたそうです。ですので、二代目五明楼玉輔師が得意にしていた「写真の仇討」とは全くの別物です。
『演者』
以前は八代目正蔵師が演じていましたが、現在では芸協の若手がよく演じています。芸協の芝居では十日間のうち何処かで聴くことが出来ます。
『ストーリー』
信次郎が、恋仲で、多額の金を貢いでいた小照という芸者に裏切られました。
「あたしも士族の子。面目にかけても生かしちゃ置けないから、これから女を一突きにし、自分も死ぬから」
と、暇乞いにやってきたので、伯父さんが意見をする。
「昔、晋(しん)国の智伯(ちはく)という人が趙襄子(ちょうじょうし)に殺され、その家来の予譲(よじょう)は主人の仇を討とうとして捕らえられた。
趙襄子は大度量の人だから、そのまま許してくれたが、あきらめずに今度は顔に漆を塗って炭を飲み、
人相を変え物乞いに化けて橋の下で趙襄子を狙った。
ところが敵の乗った馬がピタリと動かなくなり、気づかれた。『この前、命を助けてやったのに、なぜ何度もわしを狙う。
もともとおまえの主人は范(はん)氏で、それが智伯に滅ぼされた時に捕虜になって随身したもの。
とすれば、わしはおまえの元主人の仇を討ってやったも同じではないか』と責めると
『ごもっともだが、智伯は私を引き立ててくれた恩があります。
士はおのれを知る者のために死す、と申します』と悪びれずに言ったので、趙襄子は感心して
『おまえの志にめでて討たれてやりたいが、今わしが死んでは世の中が乱れる。
これをわしと思って、ぞんぶんにうらみを晴らせ』と自分の着物の片袖を与えたので、予譲が剣でそれを貫く。
突いたところから血がタラタラ。
結局、予譲は自害したが、ああ、人の執念は恐ろしいものと趙襄子は衝撃を受け、3年もたたないうちにそれが元で死んだ、という。
おまえも相手は商売人で、だまされたのはおまえに軍配が上がるんだから、
大切な命をそんな女のために無駄にせず、その女からもらったものを突くなり、切るなりしてうっぷんを晴らすがいい」
そう言われて、信次郎もなるほどと思い、貸してもらった鎧通で、持っていた女の写真を思い知れとばかり、ズブリ。
とたんに写真から血がダラダラ。
「ああ、執念は恐ろしい。写真から血が」
「いえ、あたくしが指ィ切ったんで」
『能書』
昭和初期の八代目桂文楽師の速記が残っていますが、戦後は八代目林家正蔵師が「指切り」の演題でレパートリーとしました。正蔵師は、二代目三遊亭小圓朝門下で、やはりこの噺を得意としていた三遊亭円流師の口演を聴いて覚えたと語っていました。
『ネタ』
この元になった「一枚起請」は、現行の「写真の仇討ち」と筋はほとんど同じですが、男が突くものが女郎の起請文であるところが異なります。
「蛇足」
その昔、明治の噺家を読み込んだ大津絵があり、その中に「五明楼玉輔は写真の仇討」というくだりがあるそうです。まあ違う噺なんですが(笑)