らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

芸協

独断と偏見による寄席と噺家さんについて

img_4 今日は「噺の解説」は一休みして普段、思ってる事を書いて見たいと思います。
 それでお前の考えは間違ってるとか、勘違いしてるなどご意見がありましたらコメントを戴けると嬉しいです。
 
 ブログには書かなくなりましたが、普段から寄席や落語会に行っています。芸協の芝居だったり、落語協会の芝居だったり様々ですが、書き忘れましたが、寄席の興行の事を「芝居」と呼びます。落語協会の芝居だったら、その寄席の10日間の興行を指します。

 面白いのは協会が違うとその寄席のプログラム的なものも違って来るという事ですね。一番違うのは、これは私が感じた事ですから皆さんに当てはまるという事ではありませんが、笑いに対する考えがこの2つの協会では違っている気がします。
 落語協会の方では、あくまでも落語で笑って貰う。という考えが浸透してる気がします。そして江戸前を重視してること。言い換えれば粋を目指してる噺家さんが多く居ると感じます。
 
 対する芸協ですが、こちらは兎に角、お客さんに楽しんで帰って貰おうという考えが見える事ですね。少々泥臭くても良い。笑わなければ、お客さんの脇の下をくすぐってでも笑って貰う……。そんな考えが見て取れます。確かに江戸前を意識してる噺家さんもいますが、自分なりの個性を打ち出してお客さんを自分の世界に引き込む噺家さんも居ます。後者の代表が桃太郎師と寿輔師ですね。この二人は芸協の看板という事もありファンも多いです。その下ですと遊雀師ですね。この方は芸協に移ってから弾けましたね。良かったと思います。あと若手では個人的に期待してるのが遊馬師ですね。かっての市馬師を彷彿させるものを感じます。それと芸協には今、寄席で一番好きな茶楽師もいますね。この人は粋な語り口をするので好きですね。

 落語協会には才能のある噺家さんが大勢いますね。三三師、一之輔師、白酒師を始め若手でも有望な噺家さんが育っています。
 落語協会の芝居でたまにですが、噺家さんが噺を投げてしまってる時がありますね。一時はこれ芸協が多かったのですが、末広亭の席亭の意見により改革が行われ今では殆どなくなりました。でも落語協会の方では未だに偶にありますね。見ていてはっきりと判ります。私が判るぐらいですから殆どの方は気が付くでしょうね。すぐには修正できなくても。これは良くないですね。

 立川流はたまにですが見に行きます。見ていて気がつくのは柳家の噺家さんだなと感じる事ですね。これは理屈では無いと思います。総帥の談志師が柳家小さん一門でしたから。当たり前なんですね。それでも個性的な方が育っていますね。
 圓楽一門会ですが、正直、少し小粒ですかね。若手の噺家さんで、噺を聴いていて底が見える方がいますね。これはプロとしてどうなのかと言う感じですね。それでも兼好師を始め素敵な噺家さんも居ますね。

 ま、こんな感じです。独断と偏見ですので、余り気にしないでください。次回からは噺の解説に戻ります。

玉川スミ師匠安らかにお休みください

img_1033691_27647461_5昨日、三味線漫談で最高齢の芸人でもある、玉川スミ師匠がお亡くなりになられました。
心不全でした。

随分TVなどでも活躍されていましたね。ラジオでも大沢悠里さんの番組等にも出ていらしゃいました。
寄席では芸協に所属していまして、2008年に芸能生活85年記念公演を浅草演芸ホールと国立演芸場で
なさいました。
ここ2年は高座には上がってなかった様です。

私も以前は何回か聴きました。歯切れの良い口調が小気味良かったです。
後、TVで見ただけですが「松ずくし」という150本にも及ぶ扇子を使って松を自分の体で再現する芸は見事の一言でした。芸術祭優秀賞受賞を取っています。

生年月日は1920年7月17日で、福島県郡山の生まれです。
父が浪曲師の桃中軒雲工。父の影響で天才少女浪曲師として3歳で初舞台を踏んだそうです。
それから89年ですか、凄いですね。

色々と売られていったのか、親が亡くなったのか、随分と親が変わったそうです。
14歳までに13回親が変わっているとの事です。

色々と芸の遍歴もありますが、戦後昭和33年に 三味線漫談を一人で始め、昭和35年 芸名を現在の「玉川スミ」と改名してからは活躍の場も増えました。

師匠の親に対する感謝の言葉です。
---------玉川スミ師匠のHPより転載--------
地紙の父母は人間のできた人で、血の繋がっていない子どもたちを我が子のように大きく深い愛情で育ててくれました。
芸事はもちろん、礼儀作法、家事全般にいたるまで、将来一人になっても困らぬようにと躾けたのです。
 
地紙の父母に限らず、13人もの「親」がいました。
様々な親との出会いと別れが、私の芸域を広げてくれました。
身寄りのない私が、自力で看板を築くことが出来たのも13人の親のおかげと思い、
地紙の父にゆかりがある身延山近くの妙久寺に供養塔を建て、自然石の観音様の
姿石を百体祀り感謝の手を合わせています。
----------------転載終わり---------------------------------------

師匠安らかにお眠りください。後継者も育ちました。

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浅草演芸ホール十月下席夜の部後半一日目

今日、日付が変ったから昨日かな?
は先週に続いて浅草演芸ホールに行きました。台風が近づいているのに、全く考えもしないで行ってしまいました。

お客の少ない事、当たり前かな?
そんな訳で、出演者はなんだかいつもと違うノリなんですね。
鯉之助さんが「目薬」をたっぷりと演じ、お尻の描写がやけに詳しかった。
続いて昼席の寿輔さんが夜席に、演目は「小言念仏」でこれが前の客をいじるいじる。噺の中でもいじりまくって、いじられた本人も大爆笑でした。
そして真理さんが出てきて爆弾発言?「歌丸会長に人間国宝の話しが進んでいて、多分ホントニなるでしょう。あと小遊三副会長にも勲章が貰えるらしい」と言ってました。生放送でZAKUZAKUの記事を紹介して貰い、改めて驚きました。

次の歌春さんも、人間国宝の事は言ってました。演目は「紙入れ」でした。
がその演出が何時もと違うのです。たしか2〜3ヶ月前にもききましたが、そのときは普通の演出でした。今回は生生しい描写が一杯で、新吉が女将さんのうしろから手をまわし胸を・・・・何と言う描写が一杯で、おまけに二人の馴れ初めまで熱演・・・・いや凄かったです。

とどめは桃太郎師匠で、マクラでとんでもない事を言ってました。
生でも書きましたが、平○賢と森山○太郎と氷○きよしの三角関係のことですが、平○賢と森山○太郎がいわゆるタチで、氷○きよしがネコだと。
「気持ち悪いねえ〜」と言いながら新宿二丁目では常識だってさあとか。
とにかく、二人が氷○きよしのことを追いかけているそうです。
平治さんがよく二丁目に行くんでそっちの情報には詳しいそうです。
今迄彼から聞いた事は殆ど本当のことだったそうです。
 
演目は何だったけな・・・「勘定板」でした、しかし噺が伸びていて、
実際に板に客がナニをしてしまい、しかも足で蹴った為ゴロゴロころがり階下の番頭さんが、かりんとうを食べている処に落ちてしまい、
それを番頭さんが食べて「今日のかりんとうはシケってる」と
落していました。・・・此処までやるか普通ねえ・・・
 
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