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今日は八代目文楽師で余りにも有名な夏の噺「船徳」です。
元は、「お初徳兵衛浮名の桟橋」という、近松の「曽根崎心中」の登場人物の名を借りた長編の人情噺だったのですが、明治期に初代(鼻の)圓遊師が発端を改作して、滑稽噺としました。
元の徳さんはかなり容子がいいです(^^)持てるしねw
こちらは始めなのでドジばっかしですが・・・
あらすじは、 女遊びに夢中になり親族会議で勘当され、追い出されてフラフラ歩いている所を船宿の親方が引き取った。しばらく居候を決め込んでいたが、船頭にしてくれと親方に頼み、修行を始める。
四万六千日の縁日の日、他の船頭が出払ってしまい他に船頭が居なくなる。
贔屓の客に頼まれ仕方なく船を出したが・・・・

「四万六千日」とは、この日に参拝すると四万六千日分参拝したことと同じ功徳があるというご縁日のこと。
本当にあるかは、判らないw
普段は5時に浅草寺の本堂は締まります。もたもたしてると若坊主に突き飛ばされます。(これホント)
あれからどうも身心が・・・・・www

何と言っても文楽師匠ですが、志ん生師も「お初徳兵衛」で演じています。(船徳とは違いますが)
今ではほとんどの噺家さんが一度は演じているでしょうね。
志ん朝師も若い頃から自信のある噺だったそうで、結構高座に掛けたそうです。

船宿大升は柳橋で、神田川と隅田川が合流する当たりです。
目的地の大桟橋は、、榎本滋民氏によると待乳山聖天の側にある今戸橋の手前にあったそうです。
ただ、ここだと竹屋の渡しの直ぐ側なので、噺の構成上、チョイトおかしいですね。
だから、駒形橋の西詰めにある駒形堂、ここに隅田川に突き出た桟橋があったそうです。
ここから上がると観音様はすぐです。
どうもここではと言う説もあります。
浅草寺の駒形堂説明板によると、「堂のほとりは往古船着き場で、渡し有り、船宿有り、賑わい極めたり」と記述されています。ここがクサイですね。
古い地図にも駒形堂の処に桟橋が書かれています。
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