『締め込み』
今日はこの噺です。火鉢に火が入っていて湯を沸かしてる場面から寒い時期の噺ではないかと思います。
【原話】
原話は、享和2年(1802年)に出版された笑話本・「新撰勧進話」の一遍である『末しら浪』と言う話で、上方では『盗人の仲裁』の演目で5代目桂文枝師が得意にしていました。
【ストーリー】
長屋の留守宅に泥棒が入って、風呂敷を広げて着物を包み始めたところへ、亭主が仕事から戻って来たので、泥棒は台所の床下にもぐり込んで隠れた。
風呂敷包みを発見した亭主は、女房が間男を作って逃げようとしていると思い込み、女房が湯屋から戻ると怒鳴りつけた。
女房も負けずに、商家で奉公していた私に惚れて一緒になってくれと頼んだのはお前さんだと反撃。
亭主が怒って、湯が沸いた鉄瓶を投げ付けたが、女房が避けたので、台所に飛んで熱湯が撒き散らされた。床下に隠れていた泥棒が堪らず「あちち」と飛び出して来た。飛び出した泥棒が、二人の言い分を聞いていたが、似合いの良い夫婦だと喧嘩の仲裁を始めた。
泥棒に言いくるめられて、良い泥棒さんのお陰で夫婦別れせずに済んだと、
酒を出して呑み始め、夜になったので寝ることにした。
戸締まりをと思ったが、泥棒が中にいるから、外側から締めておけ。
【演者】
東京では黒門町の師匠の他、志ん生師や小さん師が得意にしていました。
印象的には柳家の噺家さんで多く聴きます。今でも寄席でよく掛かります。三三師も演じていましたね。あとは文菊師が以前ラジオでやってましたね。
【注目点】
オチが復数あるそうです。列記してみます。
1.酒をもらった泥棒が喜び、「またちょくちょく寄らせてください」と口走り、男が返答する。
2.男が相手が泥棒であることを忘れ、「ええ、また近いうちにおいでなさい」と言ってしまう。
3.男が「そうちょいちょい来られてたまるか」とまぜ返して、噺を切るやりかた。
『能書』
江戸時代、空き巣は、戸締りのしていない家に忍び入ったと言う事なので、
ただのコソ泥とされ、情状酌量され、初犯は敲(たた)き五十程度でお目こぼしでした。
大抵は噺(出来心等)の中でも触れていましたが、町内の中で始末を付けていました。
『ネタ』
明治23年にやった4代目円生師の「締込」では、武士が雨宿りに入った家でヤカンを気に入り盗み出そうとして、夫婦げんかに巻き込まれて熱湯をかけられるという筋だったそうです。この武士はかなり素行が悪い者として描かれていたそうです。
この型は江戸独自だったそうです。
※つぶやき
最近は体調が悪いので、更新もサボっています。良くなり次第、精を入れますのでお許しを(笑)
最近、ネットのガセな記事で、先日亡くなった圓楽師が遺書を残していて、それに七代目圓生を継ぐ噺家の名が記されている。と言う嘘みたいな記事を読んだのですが、それによると、その名はどうも三遊亭兼好師だと……。
ま、この先、あの一門で名が売れているのは彼しかしないとは思いますけど、どう考えても、可笑しい話ではありますね。
第一、六代目の遺族から「あなただけには圓生を継がせない」と言われた五代目。その一門の噺家が七代目を継ぐというのは如何なものか? 個人的は不思議でたまりません。
いっそのこと、「小圓生」とか作って名乗らせれば面白いかなとバカな妄想をしてみました。
三遊派には圓生を継げそうな噺家は、白鳥師を除いて見当たりませんが、逆に古今亭一門には志ん生を継げそうな噺家は結構居るような気がします。名前こそ出しませんが、直ぐに二三人は浮かびます。
志ん朝師が継げずに亡くなってしまった経緯もあり継ぎにくいのは確かですが、誰かが継いで欲しいですね。その前段として志ん朝を継がなければならないのなら、志ん朝襲名をしましょう! そんなことも想います。
それと、最近過去の記事のコメントに「千字寄席」さんがやる気を出していて、記事の間違った部分を積極的に修正してるそうです。ありがたいことです。最近訪問していませんでしたが、今度行ってみようと考えています。
今日はこの噺です。火鉢に火が入っていて湯を沸かしてる場面から寒い時期の噺ではないかと思います。
【原話】
原話は、享和2年(1802年)に出版された笑話本・「新撰勧進話」の一遍である『末しら浪』と言う話で、上方では『盗人の仲裁』の演目で5代目桂文枝師が得意にしていました。
【ストーリー】
長屋の留守宅に泥棒が入って、風呂敷を広げて着物を包み始めたところへ、亭主が仕事から戻って来たので、泥棒は台所の床下にもぐり込んで隠れた。
風呂敷包みを発見した亭主は、女房が間男を作って逃げようとしていると思い込み、女房が湯屋から戻ると怒鳴りつけた。
女房も負けずに、商家で奉公していた私に惚れて一緒になってくれと頼んだのはお前さんだと反撃。
亭主が怒って、湯が沸いた鉄瓶を投げ付けたが、女房が避けたので、台所に飛んで熱湯が撒き散らされた。床下に隠れていた泥棒が堪らず「あちち」と飛び出して来た。飛び出した泥棒が、二人の言い分を聞いていたが、似合いの良い夫婦だと喧嘩の仲裁を始めた。
泥棒に言いくるめられて、良い泥棒さんのお陰で夫婦別れせずに済んだと、
酒を出して呑み始め、夜になったので寝ることにした。
戸締まりをと思ったが、泥棒が中にいるから、外側から締めておけ。
【演者】
東京では黒門町の師匠の他、志ん生師や小さん師が得意にしていました。
印象的には柳家の噺家さんで多く聴きます。今でも寄席でよく掛かります。三三師も演じていましたね。あとは文菊師が以前ラジオでやってましたね。
【注目点】
オチが復数あるそうです。列記してみます。
1.酒をもらった泥棒が喜び、「またちょくちょく寄らせてください」と口走り、男が返答する。
2.男が相手が泥棒であることを忘れ、「ええ、また近いうちにおいでなさい」と言ってしまう。
3.男が「そうちょいちょい来られてたまるか」とまぜ返して、噺を切るやりかた。
『能書』
江戸時代、空き巣は、戸締りのしていない家に忍び入ったと言う事なので、
ただのコソ泥とされ、情状酌量され、初犯は敲(たた)き五十程度でお目こぼしでした。
大抵は噺(出来心等)の中でも触れていましたが、町内の中で始末を付けていました。
『ネタ』
明治23年にやった4代目円生師の「締込」では、武士が雨宿りに入った家でヤカンを気に入り盗み出そうとして、夫婦げんかに巻き込まれて熱湯をかけられるという筋だったそうです。この武士はかなり素行が悪い者として描かれていたそうです。
この型は江戸独自だったそうです。
※つぶやき
最近は体調が悪いので、更新もサボっています。良くなり次第、精を入れますのでお許しを(笑)
最近、ネットのガセな記事で、先日亡くなった圓楽師が遺書を残していて、それに七代目圓生を継ぐ噺家の名が記されている。と言う嘘みたいな記事を読んだのですが、それによると、その名はどうも三遊亭兼好師だと……。
ま、この先、あの一門で名が売れているのは彼しかしないとは思いますけど、どう考えても、可笑しい話ではありますね。
第一、六代目の遺族から「あなただけには圓生を継がせない」と言われた五代目。その一門の噺家が七代目を継ぐというのは如何なものか? 個人的は不思議でたまりません。
いっそのこと、「小圓生」とか作って名乗らせれば面白いかなとバカな妄想をしてみました。
三遊派には圓生を継げそうな噺家は、白鳥師を除いて見当たりませんが、逆に古今亭一門には志ん生を継げそうな噺家は結構居るような気がします。名前こそ出しませんが、直ぐに二三人は浮かびます。
志ん朝師が継げずに亡くなってしまった経緯もあり継ぎにくいのは確かですが、誰かが継いで欲しいですね。その前段として志ん朝を継がなければならないのなら、志ん朝襲名をしましょう! そんなことも想います。
それと、最近過去の記事のコメントに「千字寄席」さんがやる気を出していて、記事の間違った部分を積極的に修正してるそうです。ありがたいことです。最近訪問していませんでしたが、今度行ってみようと考えています。