らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

笑福亭松鶴

三十石夢の通い路

09031705-thumb今日は「三十石」です。

この噺は上方落語の「東の旅」の最後の噺で、、伊勢参りの最終部、京から大坂の帰路の部分を描いています。
正式には「三十石夢乃通路」と言います。
明治初期の初代文枝師が前座噺を大ネタにまで仕上げ、その後、2代目小文枝師や5代目松鶴師が得意とたそうです。
その後、6代目松鶴師や、5代目文枝師、米朝師、枝雀師なども得意としました。
東京では六代目圓生師が得意にして演じていました。圓生師は5代目松鶴師に教えを請うたとそうです。

あらすじは他愛無い船の道中の出来事です。
主人公二人が京からの帰途、伏見街道を下り、寺田屋の浜から夜舟に乗り、大坂へ帰るまでを描きます。
前半は宿の描写、船が出る時のにぎわい、美人が乗ると思い込んだ好色な男の妄想等が描かれます。

旅の道中に出会ういろいろなものに触れての軽妙な会話、船頭の物まね、などが続きます。
後半では船中で五十両の金が盗まれる騒動が起きるが、船頭の機転で盗んだ男がつかまり、噺はめでたく結ばれる。
本来のサゲは、その船頭が、礼金を貰い、泥棒は骨折り損だったので、「権兵衛ごんにゃく船頭(辛労)が利」と言う地口オチでしたが、現在では使われていません。
現在のサゲは、ろくろ首のくだりで、薬を飲むと長〜く苦しむ、となっていますが、ここまでもやらず。
単に船頭の舟歌のあとで、「三十石は夢の通い路でござます」と切る事が多いです。

圓生師によると、この船頭の唄は3つとも調子が違うので演じる時に唄の調子から噺の口調に戻る時が難しいそうです。

続きを読む

親子は仲が良いのが本当

26001187_2517_1今日は「初天神」です。
元々は上方落語の演目の一つで、毎年1月25日に天満宮で行なわれる年の初めの祭りに出かけた、父親と息子の絆を描いています。
松富久亭松竹師の作と伝わっており、3代目圓馬師が大正期に上方落語の作品を東京落語に移植しました。
また、上方落語でもこの演目は演じられ続けています。

良く晴れた1月25日、男が天満宮に参拝に出掛けようとした。
すると女房は息子も連れていってくれと頼む。男は息子が物を買ってくれとうるさくせがむのが分かっており、乗り気ではなかったのだが折悪しく外から息子が帰ってくる。
どうしても付いていきたいと懇願する息子をつっぱねると、ヘソを曲げた息子は隣の親父のうちへ出かけて行く。『面白い話聞きたくな〜い?あのね、昨日の夜の、うちのおとっつぁんとおっかさんの、おはなし』そんな事を外で話されては堪らないと、大慌てで息子を連れ戻した男は、渋々息子を初天神に連れていくのだった。

天満宮への道を歩きながら、父は息子に買い物をねだるなと念を押す。しかし息子は「ね、おとっつぁん、今日はおいらあれ買ってくれーこれ買ってくれーっておねだりしないでいい子でしょ」「ああ、いい子だよ」「ねっ。いい子でしょ。ごほうびに何か買っておくれよ!」これではいつもと同じである。様々な果物を買えと催促するが、父は「体に毒だから」と無理な理屈で拒否する。
しかし、息子が余りに煩いので口塞ぎの為に、止むを得ず飴玉を買い与える。
店先で売り物の飴を散々ねぶり回して吟味する父に飴屋の親父もあきれ顔。
飴を与えられて御機嫌の息子は、飴を舐めながら歌を歌う。

二人は天満宮の参拝を終えた。息子は、凧を買ってくれるよう催促する。
「あの1番大きいのがいい」「馬鹿だな、ありゃあ店の看板だい」「売り物ですよ。
坊ちゃん、買ってくんなきゃあすこの水溜りに飛び込んで着物汚しちまうってお言いなさい」「変な入れ知恵すんねえ!」しぶしぶ凧を出店で買い与え、天満宮の隣に有る空き地に息子を連れて行く。

凧揚げに関しては子供時代腕に覚えがあったと息子に自慢しつつ、父はまず自分がと凧を揚げる。そのうちすっかり夢中になってしまい、凧を揚げさせてくれと脇から催促する息子を「うるせえっ!こんなもなァ、子供がするもんじゃねえんだい!」と一喝して凧を渡そうとしない。無邪気に遊ぶ父の姿を見て呆れた息子は
「こんな事なら親父なんか連れてくるんじゃなかった」

粗筋は松鶴版を参考に書きました。東京では息子は金坊か亀ちゃんと相場が決まっています。
それに、東京では飴のあとに、みたらし団子を買うシーンが入っています。
ここがかなりエグイので笑いを取りますが、何回も聴いてるとこのシーンが無い方が良いと思う様になりました。
上方では、大阪天満宮、通称「天満の天神さん」で東京では普通は「亀戸天神」です。
たまに、湯島天神で演じる噺家さんもいます。
親子が天神さんに行く道の描写がわずかに違います。
道すがらに亀の描写があると「亀戸」です。
お聴きになるときは、そんな処も注意して聴いてください。

全体的に上方の息子の方が少し、こすっからいと言うか理屈っぽいですね。
東京は、とにかく大声で騒ぐと言う子供っぽさが出ています。
これはそれぞれの落語の成り立ちと観客の好みで、そうなったと思います。

どちらも、本当はこの親子は中が良く、息子は父親が好きで、父親も息子を何だかんだ言っても可愛いのです。そんな感じが出れば、良いと思います。
偶に、金坊がやたら理屈っぽくて父親を凹ます事が嬉しい様な描写をしている噺家がいますが、
何も分かってないと思いますね。特に某六代目(現役)
続きを読む

果たして胴と足が別れたら便利なのか?

05092102-thumb昨夜から台風が日本列島を直撃していますが、皆さんの処は如何でしょうか?

今日は「胴切り」という噺です。
これは東京では「首提灯」等のマクラで簡単に語られていますが、上方ではきっちり一席の噺となっています。
代々米朝一門の噺だそうですが、東京では歌武蔵さんが演じています。

江戸時代ここらあたりは、諸大名の蔵屋敷が軒をつらねていて、諸国の侍がうろうろしていました。
町方の手のはいりにくい蔵屋敷の中間部屋が、ばくち場になっていたそうです。

すってんてんになった男が酒の勢いも手伝って、道を聞いた田舎侍にからみ、悪態をついたあげく、かーっと、痰をはきつけました。
怒った侍、「許さんぞ、そこ動くな。エイッ」と腰をひねると、ずばーっとみごとな胴斬り。

切られたほうは、胴体がポーンと用水桶の上に載って、足だけが、ひょこひょこ、むこうに行ってしまう。
斬られた男のよめはんが、家に連れ帰られた二つになった亭主をみながら、
「この人五体満足でも食いかねてるのに、これからどうしたらええのやろ、」
と心配するのを、世話好きの友達が就職口を世話してくれます。

上半分を風呂屋の番台に、足だけを麩屋の麩踏みの職人として奉公させます。
麩を作るとき、ひたすら脚で麩を踏むのだ。それぞれに適所適材で、
双方の雇い主からも大いに重宝されたました。

兄貴分の勧めに従い就職し、しばらくの時が過ぎた頃、兄貴分が様子を伺いに行くと、
銭湯、蒟蒻屋ともに「いい人を連れてきてくれた」と重宝している様子です。
ただ、働いている当人たち曰く、
上半身「近頃目がかすむから、三里に灸をすえてくれ」
すると、下半身は
「あまり茶ばかり飲むな、小便が近くていけねえ」

この噺で不思議なのは、下半身がどういう風にしてはなしをしたのか?
という事ですが、噺家によっては危ない描写を入れる人もいます。
どういうのかって・・・それは想像してください。
下半身で口がきけそうな処ですww

落語でなければ出来ない噺ですね。この噺や「首提灯」等剣術の達人が出てきますね。
刺されたり切られた方に伺うと、その時は「ひやっと」するらしいですね。
私も包丁で結構派手にあちこち切っていますが、その時は痛く無いですね。
次の瞬間それなりに痛くなってきますが・・・

続きを読む

5日は松鶴師の命日でした

img_785584_61456213_0さる5日は六代目笑福亭松鶴師の命日でした。
今日は遅れ馳せながら、松鶴師を取り上げます。

本名は、竹内日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」
生まれは1918年8月17日 で命日が1986年9月5日です。68才の生涯でした。
5代目笑福亭松鶴師の子供として生まれました。母は落語家6代目林家正楽の養女でした。

1918年 大阪市西区京町堀に生まれる。
1933年 高等小学校を卒業し、漫談家・花月亭九里丸の紹介で心斎橋のお茶屋に丁稚奉公に出るも、
仕事はそこそこに落語や歌舞伎の鑑賞に入れ込む。
1938年 兵役検査を受けるが不合格。これを機にお茶屋を辞め遊ぶ傍ら、父松鶴のサークル「楽語荘」や雑誌「上方はなし」編集の手伝い、落語に関わるようになる。
1944年 中之島の大阪市中央公会堂にて、遅れた出演者の代演として芸名無しで初舞台。演目は「寄合酒」
1947年 父松鶴に正式に入門。5月19日、今里双葉館にて正式に初舞台。父の片腕であった4代目桂米團治より初代笑福亭松之助と命名される。
1948年 4代目笑福亭光鶴(こかく)と改名。
1962年 3月1日、6代目笑福亭松鶴を襲名。道頓堀角座にて襲名披露興行。出囃子を「船行き」とする。
1966年 大阪府民奨励賞受賞
1971年 1月30日、芸術祭大衆芸能部門優秀賞受賞
1981年 11月3日、上方落語家としては初の紫綬褒章受章。
1986年9月5日没

豪放磊落な芸として知られていましたが、実に繊細な一面もあった様です。
談志師を始め、志ん朝師や色々な噺家と交流があり、その面倒見の良さは定評がありました。
談志師が語っていますが、普段は軽い噺しかやらず、物足りなく思っていたら、ある日「らくだ」を演じ。
震える程感動したそうです。

晩年は高血圧の為口が回りきらず、本人もじれったい高座でしたが、それでも味がありました。

今日はお彼岸も近いという事もあり笑福亭のお家芸「天王寺詣り」を聴いて下さい。



続きを読む

1月25日は何の日?

img_995627_28611321_2今日は少し時期が早いですが「初天神」です。

元々は上方落語の演目の一つで、毎年1月25日に天満宮で行なわれる年の初めの祭りに出かけた、父親と息子の絆を描いています。
松富久亭松竹師の作と伝わっており、3代目圓馬師が大正期に上方落語の作品を東京落語に移植しました。
また、上方落語でもこの演目は演じられ続けています。

良く晴れた1月25日、男が天満宮に参拝に出掛けようとした。
すると女房は息子も連れていってくれと頼む。男は息子が物を買ってくれとうるさくせがむのが分かっており、乗り気ではなかったのだが折悪しく外から息子が帰ってくる。
どうしても付いていきたいと懇願する息子をつっぱねると、ヘソを曲げた息子は隣の親父のうちへ出かけて行く。『面白い話聞きたくな〜い?あのね、昨日の夜の、うちのおとっつぁんとおっかさんの、おはなし』そんな事を外で話されては堪らないと、大慌てで息子を連れ戻した男は、渋々息子を初天神に連れていくのだった。

天満宮への道を歩きながら、父は息子に買い物をねだるなと念を押す。しかし息子は「ね、おとっつぁん、今日はおいらあれ買ってくれーこれ買ってくれーっておねだりしないでいい子でしょ」「ああ、いい子だよ」「ねっ。いい子でしょ。ごほうびに何か買っておくれよ!」これではいつもと同じである。様々な果物を買えと催促するが、父は「体に毒だから」と無理な理屈で拒否する。
しかし、息子が余りに煩いので口塞ぎの為に、止むを得ず飴玉を買い与える。
店先で売り物の飴を散々ねぶり回して吟味する父に飴屋の親父もあきれ顔。
飴を与えられて御機嫌の息子は、飴を舐めながら歌を歌う。

二人は天満宮の参拝を終えた。息子は、凧を買ってくれるよう催促する。
「あの1番大きいのがいい」「馬鹿だな、ありゃあ店の看板だい」「売り物ですよ。
坊ちゃん、買ってくんなきゃあすこの水溜りに飛び込んで着物汚しちまうってお言いなさい」「変な入れ知恵すんねえ!」しぶしぶ凧を出店で買い与え、天満宮の隣に有る空き地に息子を連れて行く。

凧揚げに関しては子供時代腕に覚えがあったと息子に自慢しつつ、父はまず自分がと凧を揚げる。そのうちすっかり夢中になってしまい、凧を揚げさせてくれと脇から催促する息子を「うるせえっ!こんなもなァ、子供がするもんじゃねえんだい!」と一喝して凧を渡そうとしない。無邪気に遊ぶ父の姿を見て呆れた息子は
「こんな事なら親父なんか連れてくるんじゃなかった」

粗筋は松鶴版を参考に書きました。東京では息子は金坊か亀ちゃんと相場が決まっています。
それに、東京では飴のあとに、みたらし団子を買うシーンが入っています。
ここがかなりエグイので笑いを取りますが、何回も聴いてるとこのシーンが無い方が良いと思う様になりました。
上方では、大阪天満宮、通称「天満の天神さん」で東京では普通は「亀戸天神」です。
たまに、湯島天神で演じる噺家さんもいます。
親子が天神さんに行く道の描写がわずかに違います。
道すがらに亀の描写があると「亀戸」です。
お聴きになるときは、そんな処も注意して聴いてください。

全体的に上方の息子の方が少し、こすっからいと言うか理屈っぽいですね。
東京は、とにかく大声で騒ぐと言う子供っぽさが出ています。
これはそれぞれの落語の成り立ちと観客の好みで、そうなったと思います。

どちらも、本当はこの親子は中が良く、息子は父親が好きで、父親も息子を何だかんだ言っても可愛いのです。そんな感じが出れば、良いと思います。
偶に、金坊がやたら理屈っぽくて父親を凹ます事が嬉しい様な描写をしている噺家がいますが、
何も分かってないと思いますね。特に某六代目(現役)

続きを読む

喉が持たない「次の御用日」

osirasu


今日は、真夏の噺「次の御用日」です。
東京では「「しゃっくり政談」や「しゃっくり裁判」という名で演じられるそうですが、演じてる人いるのかなぁ。
実に不思議な内容の落語でしてね、落語らしいといえば、そうなのですが。
噺を聴いていて真夏の情景が浮かべば噺家さんとしては成功でしょうね。

ある暑い夏の昼間。お店が並ぶ表通りを商家の娘子と連れの奉公人が歩いている。昼過ぎにもなりますと
不思議に人通りが途絶えるという時間帯があるものです。
表通りには二人のほか誰もいません。
都会の中でも、こんな経験をされた方がおりますでしょう。何か怖いような気がしてきます。
二人が歩いていきますと、向こうのほうから男が、ふんどし一丁で赤い顔をして歩いてくる。
どうやら昼間から酒を飲んでいるらしく、ふらふらしている。
すれ違いざま、この男、何を考えたのか。お嬢さんの頭の上で「あっ」という奇声を発しました。
この光景を思い浮かべてみてください。人通りのない路上。酔っ払った男が、頭の上で奇声を上げた。
お嬢さんは失神してしまいます。精神的なショックを受けて、記憶が可笑しくなってしまいます。
さあ、商家の方は大変です。大切な娘が変なことをされたのですから、黙っていられません
奉行所に届出をします。こんな奇怪な事件を取り上げるはずは無いのでしょうが、
落語では関係者一同お白洲へ呼ばれます。
お奉行様と男の取調べとなるのですが・・・・・
ここからが大爆笑なんですよ(^^)
ナンセンスの極みとも言う展開で、前半の炎天下のイリュージョンとも言う展開といい、
最高ですね。(^^)大好きな噺です。
でも噺家さんは「アッ」と言う回数が多いので、大変でしょうねえ・・・・続きを読む
 
最新コメント
記事検索
月別アーカイブ