今日は爽快な胸をすくような噺です・・・ん違う?そうかな???
「突き落とし」と言う噺で廓話の一つですが、主人公がワルと言うかちゃっかりしてるやつでてね・・・
文化年間(1804−18)から伝わる生粋の江戸廓噺でして、大正期には、初代柳家小せん師(盲の小せん)の速記が残るように得意演目だった様です。
戦後では三代目桂三木助(1903−61)の十八番で他にはこの小せん師から教えを受けたと思われる圓生師が演じていました。また、先代の柳朝師も得意にしていて音源が残っています。変わった処では小さん師もCDを出しています。
上方では六代目松鶴師が東京から移植した「棟梁の遊び」と言うのがあります。
舞台を、松島遊郭に移し、サゲが東京の「大工調べ」のを戴いて「大工は棟梁、仕上げをご覧じ」という、地口オチになっています。
町内の若い者が集まって「ひとつ、今夜は吉原へでも繰り込もう」という相談がまとまりますが、そろいもそろって金のない連中ばかり。
そこで、兄貴分が悪知恵をめぐらし、一銭もかけずに飲み放題の食い放題、という計画を考えだします。
それは・・・
兄貴分が大工の棟梁に化け「いつも大見世でお大尽遊びばかりしているので飽きちまったから、たまには小見世でこぢんまりと遊んでみたい」などと大声で吹きまくり、客引きの若い衆の気を引いた上、一同そろって上がり込む。それから後は、ドンチャン騒ぎ。
翌朝になって勘定書が回ってくると、ビールを九ダースも親類へ土産にするわ、
かみさんが近く出産予定の赤ん坊用にたらいまで宿の立て替えで届けさせるわで、そのずうずうしさにさすがの「棟梁」も仰天。
ニセ棟梁が留公に「勘定を済ますから昨日てめえに預けた紙入れを出せ」という。
この男、実はこれから殴られる一番損な役回り。
「てめえは役者の羽左衛門に似ているから、いい役をやるんだ」
とおだてられ、しぶしぶ引き受けたが、頭におできができているので、内心びくびく。
留公が筋書き通り
「実は姐さんに『棟梁は酔うと気が大きくなる人だから、吉原へでも行って明日の上棟式に間に合わないと大変だから、
お金は私に預けておくれ』と頼まれたので、金は持っていません」と答えると、待ってましたとばかりに
「なんだと、てめえ、俺に恥ィかかせやがって」と、ポカポカ。
留公、たまらず「だめだよ兄貴。こっち側をぶってくれって言ったのに」
と口走るのを聞かばこそ、ポカポカポカポカ。
そこでなだめ役が
「この留はドジ野郎ですからお腹も立ちましょうが、ここはわっちらの顔を立てて」とおさめ、若い衆には
「こういうわけで、これから棟梁の家まで付いてきてくれれば、勘定を払うばかりか、
おかみさんは苦労人だから祝儀の五円や十円は必ずくれる」と、うまく持ちかけ、付き馬に連れだします。
途中、”はぐろどぶ”で「昨夜もてたかどうかは小便の出でわかるから、ひとつみんなで立ち小便をしよう。
若い衆、お前さんもつき合いねえ」と持ちかけます。
渋るのをむりやりどぶの前に引っ張っていき、背中をポーンと突いたから、
あわれ若い衆はどぶの中へポッチャーン。
その間に全員、風を食らって一目散随徳寺。
「うまくいったなあ」
「今度は品川にしようか」
この噺は後味が悪いとの事で、各噺家さんは最後に「品川に行ってやりそこなうと言う噺でございます」と替えていました。
この様な噺が出来たのには、如何に遊郭で男どもが酷い目にあっていたかと言う事だそうです。
寄席でこの噺を聞いてみんな溜飲を下げたのだそうです。
速記等を読むと、昔の噺家はそのまま下げていますね。(^^)
最近は、間違って仲間を突き落とし、若い衆につかまると言う設定で演じる若手もいます。
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「突き落とし」と言う噺で廓話の一つですが、主人公がワルと言うかちゃっかりしてるやつでてね・・・
文化年間(1804−18)から伝わる生粋の江戸廓噺でして、大正期には、初代柳家小せん師(盲の小せん)の速記が残るように得意演目だった様です。
戦後では三代目桂三木助(1903−61)の十八番で他にはこの小せん師から教えを受けたと思われる圓生師が演じていました。また、先代の柳朝師も得意にしていて音源が残っています。変わった処では小さん師もCDを出しています。
上方では六代目松鶴師が東京から移植した「棟梁の遊び」と言うのがあります。
舞台を、松島遊郭に移し、サゲが東京の「大工調べ」のを戴いて「大工は棟梁、仕上げをご覧じ」という、地口オチになっています。
町内の若い者が集まって「ひとつ、今夜は吉原へでも繰り込もう」という相談がまとまりますが、そろいもそろって金のない連中ばかり。
そこで、兄貴分が悪知恵をめぐらし、一銭もかけずに飲み放題の食い放題、という計画を考えだします。
それは・・・
兄貴分が大工の棟梁に化け「いつも大見世でお大尽遊びばかりしているので飽きちまったから、たまには小見世でこぢんまりと遊んでみたい」などと大声で吹きまくり、客引きの若い衆の気を引いた上、一同そろって上がり込む。それから後は、ドンチャン騒ぎ。
翌朝になって勘定書が回ってくると、ビールを九ダースも親類へ土産にするわ、
かみさんが近く出産予定の赤ん坊用にたらいまで宿の立て替えで届けさせるわで、そのずうずうしさにさすがの「棟梁」も仰天。
ニセ棟梁が留公に「勘定を済ますから昨日てめえに預けた紙入れを出せ」という。
この男、実はこれから殴られる一番損な役回り。
「てめえは役者の羽左衛門に似ているから、いい役をやるんだ」
とおだてられ、しぶしぶ引き受けたが、頭におできができているので、内心びくびく。
留公が筋書き通り
「実は姐さんに『棟梁は酔うと気が大きくなる人だから、吉原へでも行って明日の上棟式に間に合わないと大変だから、
お金は私に預けておくれ』と頼まれたので、金は持っていません」と答えると、待ってましたとばかりに
「なんだと、てめえ、俺に恥ィかかせやがって」と、ポカポカ。
留公、たまらず「だめだよ兄貴。こっち側をぶってくれって言ったのに」
と口走るのを聞かばこそ、ポカポカポカポカ。
そこでなだめ役が
「この留はドジ野郎ですからお腹も立ちましょうが、ここはわっちらの顔を立てて」とおさめ、若い衆には
「こういうわけで、これから棟梁の家まで付いてきてくれれば、勘定を払うばかりか、
おかみさんは苦労人だから祝儀の五円や十円は必ずくれる」と、うまく持ちかけ、付き馬に連れだします。
途中、”はぐろどぶ”で「昨夜もてたかどうかは小便の出でわかるから、ひとつみんなで立ち小便をしよう。
若い衆、お前さんもつき合いねえ」と持ちかけます。
渋るのをむりやりどぶの前に引っ張っていき、背中をポーンと突いたから、
あわれ若い衆はどぶの中へポッチャーン。
その間に全員、風を食らって一目散随徳寺。
「うまくいったなあ」
「今度は品川にしようか」
この噺は後味が悪いとの事で、各噺家さんは最後に「品川に行ってやりそこなうと言う噺でございます」と替えていました。
この様な噺が出来たのには、如何に遊郭で男どもが酷い目にあっていたかと言う事だそうです。
寄席でこの噺を聞いてみんな溜飲を下げたのだそうです。
速記等を読むと、昔の噺家はそのまま下げていますね。(^^)
最近は、間違って仲間を突き落とし、若い衆につかまると言う設定で演じる若手もいます。
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