はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

百年目

百年目という噺

112『百年目』
 三月になりましたがまだまだ寒い日が続きます。春の噺を取り上げて行きたいと思っています。そこで今週はこの噺です。

【原話】
元は上方落語の演目で、のちに東京に移植されました。
遡ると1804年「滑稽集」に「百ねんめ」として出ています。
一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという説もあります。
上方では米朝師が極め付きです。東京では、桂小文治師や小南師も演じましたが、圓生が素晴らしいですね。

【ストーリー】
ある大店の一番番頭・冶兵衛。
四十三になりますが、まだ独り身で店に居付きです。
この年まで遊び一つしたことがない堅物で通っています。

今日も、二番番頭が茶屋遊びで午前さまになったのをとがめて、芸者という紗は何月に着るのか、
タイコモチという餠は煮て食うか焼いて食うか教えてほしいと皮肉を言うほど、
小僧や手代にうるさく説教した後、番町のお屋敷をまわってくると言い残して出かけます。

ところが、外で待っていたのは幇間の一八で、今日は、柳橋の芸者や幇間連中を引き連れて向島へ花見に繰り出そうという趣向なのです。
船に乗って目的地迄着いたのはいいが、すっかり酔っ払ってしまい、陸に上がるつもりが無かったのに上がって、扇子をおでこに縛りつけて顔を隠し遊び始めます。
悪いことは出来ないもので、そこでこれまた花見に来ていた旦那と鉢合わせしてしまいます。
「お、お久しぶりでございます。ごぶさたを申し上げております。いつもお変わりなく……」

酔いもいっぺんで醒めた冶兵衛、逃げるように店に戻ると、風邪をひいたと寝込んでしまいます。
旦那が何と言うか、もうそればかりが気になりろくろく眠れません。
翌朝旦那に呼び出されます。
恐る恐る旦那の前に進み出た冶兵衛に旦那は、普段の苦労を労り感謝します。
そして翌年には暖簾分けすることを約束します。
さらに、冶兵衛の昔の話や旦那の語源を話し、店の者にも労わって欲しいと言います。

さらに、旦那は昨夜、店の帳面を全て調べた事を告げます。
一つの過ちも無かった事を告げ、冶兵衛の遊びの話しをします。
商売の切っ先が訛ったらイケナイので、商売の金は思う存分に使って欲しいと告げます。
ところで、「何であの時、しばらくぶりなんて言ったんだ?」
冶兵衛「はい、堅いと思われていた番頭がこんな姿を晒してしまったので、
ここはもう百年目と思いました。」

【演者】
上方では桂米朝師、東京では六代目圓生師が抜けていると個人的には思います。

【注目点】

旦那の風格をどう出すかと、番頭の描き方ですね。と言うのも番頭さんは旦那が登場するまでは旦那然として振る舞っているので、その辺を出さないとなりません。後半の描き方とどう演じ分けるかが重要ですね。

『能書』
昔の商家では、小僧から手代を経て、番頭に昇格するのですが、普通、中規模の商家で二人、
大店になると三人以上いることもありました。

居付きの番頭と通い番頭があり、後者は所帯を持った若い番頭が、裏長屋に住み、そこから店に通ったものです。
普通、番頭になって十年無事に勤めあげると、別家独立させるしきたりが、東京でも大阪でもありましたが、
この噺の治兵衛は、四十を越してもまだ独身で、しかも、主人に重宝がられて別家が延び延びになり、店に居ついている珍しいケースです。

大番頭ともなると、店の金の出納権限を握っているので、株式などの理財で個人的にもうけることも可能だったと言う事ですね。

『ネタ』
さてこの噺ですが、米朝師の旦那はいいですねえ。聴いていてこちらもホロリとさせられます。
本当に心の底からの言葉だと感じます。
一方、圓生師ですが、もちろんこちらも旦那の懐の大きさを感じて、素晴らしいのですが、心の底の底では100%の内5%くらいは未だ許していない部分がある様な感じがします。
これは私だけかも知れませんが、ホンの僅かな部分、未だわだかまりが有るように感じるのです。
そう感じさせる圓生師が凄いのか、単な私がアホなのか(^^)


追伸……共幻文庫のHPは近々改定の予定ですので、あちらの連載は暫くお休みさせて戴きます。改定後に再開の予定です。

旦那は本当に心の底から許したと思いますか?

4bd2ce1d.jpg今日は少し遅いけど「百年目」です。

元は上方落語の演目で、のちに東京に移植されました。
一説には東西とも同じ原話があり偶然に作られたという説もあります。
上方では米朝師が極め付きです。東京では、小文治師や小南師もえんじましたが、圓生が素晴らしいですね。

ある大店の一番番頭・冶兵衛。
四十三になりますが、まだ独り身で店に居付きです。
この年まで遊び一つしたことがない堅物で通っています。

今日も、二番番頭が茶屋遊びで午前さまになったのをとがめて、芸者という紗は何月に着るのか、
タイコモチという餠は煮て食うか焼いて食うか教えてほしいと皮肉を言うほど、
小僧や手代にうるさく説教した後、番町のお屋敷をまわってくると言い残して出かけます。

ところが、外で待っていたのは幇間の一八で、今日は、柳橋の芸者や幇間連中を引き連れて向島へ花見に繰り出そうという趣向なのです。
船に乗って目的地迄着いたのはいいが、すっかり酔っ払ってしまい、陸に上がるつもりが無かったのに上がって、扇子をおでこに縛りつけて顔を隠し遊び始めます。
悪いことは出来ないもので、そこでこれまた花見に来ていた旦那と鉢合わせしてしまいます。
「お、お久しぶりでございます。ごぶさたを申し上げております。いつもお変わりなく……」

酔いもいっぺんで醒めた冶兵衛、逃げるように店に戻ると、風邪をひいたと寝込んでしまいます。
旦那が何と言うか、もうそればかりが気になりろくろく眠れません。
翌朝旦那に呼び出されます。
恐る恐る旦那の前に進み出た冶兵衛に旦那は、普段の苦労を労り感謝します。
そして翌年には暖簾分けすることを約束します。
さらに、冶兵衛の昔の話や旦那の語源を話し、店の者にも労わって欲しいと言います。

さらに、旦那は昨夜、店の帳面を全て調べた事を告げます。
一つの過ちも無かった事を告げ、冶兵衛の遊びの話しをします。
商売の切っ先が訛ったらイケナイので、商売の金は思う存分に使って欲しいと告げます。
ところで、「何であの時、しばらくぶりなんて言ったんだ?」
冶兵衛「はい、堅いと思われていた番頭がこんな姿を晒してしまったので、
ここはもう百年目と思いました。」

昔の商家では、小僧から手代を経て、番頭に昇格するのですが、普通、中規模の商家で二人、
大店になると三人以上いることもありました。

居付きの番頭と通い番頭があり、後者は所帯を持った若い番頭が、裏長屋に住み、そこから店に通ったものです。
普通、番頭になって十年無事に勤めあげると、別家独立させるしきたりが、東京でも大阪でもありましたが、
この噺の治兵衛は、四十を越してもまだ独身で、しかも、主人に重宝がられて別家が延び延びになり、店に居ついている珍しいケースです。

大番頭ともなると、店の金の出納権限を握っているので、株式などの理財で個人的にもうけることも可能だったと言う事ですね。

さてこの噺ですが、米朝師の旦那はいいですねえ。聴いていてこちらもホロリとさせられます。
本当に心の底からの言葉だと感じます。
一方、圓生師ですが、もちろんこちらも旦那の懐の大きさを感じて、素晴らしいのですが、心の底の底では100%の内5%くらいは未だ許していない部分がある様な感じがします。
これは私だけかも知れませんが、ホンの僅かな部分、未だわだかまりが有るように感じるのです。
そう感じさせる圓生師が凄いのか、単な私がアホなのか(^^)続きを読む
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