『牛ほめ』
今日はこの噺です。なんとなく春の噺と言う感じ」がしませんか?
『原話』
貞享4年(1687年)に出版された笑話本・『はなし大全』の一遍である「火除けの札」が、
天保4年(1833)刊で初代林屋正蔵編著の噺本「笑富林」中の「牛の講釈」が、現行の噺のもとになったそうです。すると林家の噺なのかな?
まあ上方では「池田の牛ほめ」ですが幕末には江戸でも演じられていたそうです。
『演者』
昔から大勢の噺家が演じています。三代目小圓朝師はサゲに
「へえ? 御札を貼りゃどうするか?」
「牛穴が隠れて、屁の用心がいい」
と演じていたそうです。
『ストーリー』
二十歳になった与太郎が、佐兵衛おじさんを訪ね、普請した家をほめることになった。
父親が、挨拶とほめ口上を教え、更に、おじさんは、台所の柱に穴があるのを気にしているからこう言うんだ。
「この穴は気にすることはありません、柱の穴には秋葉さまのお札をお貼りなさい、第一火の用心がよろしい」と。
おじさんの家に行って、父親に教えられた通りに、うまく挨拶をこなし「総体桧造り」を「へのき造り」などと何度か引っ掛かりながらも、柱の穴の処理法まで説明できた。
おじさんはたいそう感心して、与太郎をほめ十銭の小遣いをやる。
次に牛をほめるのだが、牛が馬糞したぞと、トンチンカンな話に流れ、おじさんは牛のお尻の穴を気にしてんだろうと思い込み。
「この穴は気にすることはありません、穴の上には秋葉さまのお札をお貼りなさい、
穴が隠れて屁の用心になります」
【注目点】
ここでの注目は、オヤジさんが教える、家の褒め方の口上ですね。
「家は総体檜づくりでございますな。」
「畳は備後の五分べり」
「左右の壁は砂摺りでございます」
「天井は薩摩の鶉杢(うずらもく)」
「お庭は総体御影づくりでございますな」
と言う処でしょうね。
砂摺りの壁は今でもありますし、壁紙なんかでもそれを印刷したのがありますね。
畳は言うまでもなく、檜の家は今でも高価です。
御影ずくりの庭とは、御影石を多用した庭造りの事です。
『能書』
後は秋葉神社の事ですね。
秋葉神社は、遠州森の石松で有名な、浜松市天竜区春野町の秋葉山本宮秋葉神社の事です。
昔は秋葉大権現と言いました。
ちなみに、現在の秋葉原の地名の由来なのですが、ここに明治2年(1869)暮れの大火を受け、明治天皇の勅命により翌明治3年(1870)に現在のJR秋葉原駅構内(東京都千代田区神田花岡町)の地に、火の神・火産霊大神(ほむすびのみこと)、水の神・水波能売神(みずはのめのみこと)、土の神・埴山毘売神(はにやまひめのみこと)の三柱を皇居内紅葉山より祀神として勧請したのが始まりです。
つまり、秋葉権現とは直接関係無いのですが、秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々は、この社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除地(空地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだのが始まりです。
私もそう思ってましたが違うのですね。
秋葉神社そのものは東京でも向島(墨田区)と松が谷(台東区)にありますし。日本各地に召喚されて祀られています。
蛇足ですが、この噺の舞台は小石川です。昔は小石川あたりでも農家で牛を買っていたのですね。
『ネタ』
サゲは『火』と『屁』を引っ掛けた地口落ちですが、一応、前座噺となっていますが、難解な挨拶の文句を叔父さんに言い返す返すシーンや、書いて貰ったメモを読みながら喋るせいで抑揚のない話し方になるなど結構難しいと言われています。
今日はこの噺です。なんとなく春の噺と言う感じ」がしませんか?
『原話』
貞享4年(1687年)に出版された笑話本・『はなし大全』の一遍である「火除けの札」が、
天保4年(1833)刊で初代林屋正蔵編著の噺本「笑富林」中の「牛の講釈」が、現行の噺のもとになったそうです。すると林家の噺なのかな?
まあ上方では「池田の牛ほめ」ですが幕末には江戸でも演じられていたそうです。
『演者』
昔から大勢の噺家が演じています。三代目小圓朝師はサゲに
「へえ? 御札を貼りゃどうするか?」
「牛穴が隠れて、屁の用心がいい」
と演じていたそうです。
『ストーリー』
二十歳になった与太郎が、佐兵衛おじさんを訪ね、普請した家をほめることになった。
父親が、挨拶とほめ口上を教え、更に、おじさんは、台所の柱に穴があるのを気にしているからこう言うんだ。
「この穴は気にすることはありません、柱の穴には秋葉さまのお札をお貼りなさい、第一火の用心がよろしい」と。
おじさんの家に行って、父親に教えられた通りに、うまく挨拶をこなし「総体桧造り」を「へのき造り」などと何度か引っ掛かりながらも、柱の穴の処理法まで説明できた。
おじさんはたいそう感心して、与太郎をほめ十銭の小遣いをやる。
次に牛をほめるのだが、牛が馬糞したぞと、トンチンカンな話に流れ、おじさんは牛のお尻の穴を気にしてんだろうと思い込み。
「この穴は気にすることはありません、穴の上には秋葉さまのお札をお貼りなさい、
穴が隠れて屁の用心になります」
【注目点】
ここでの注目は、オヤジさんが教える、家の褒め方の口上ですね。
「家は総体檜づくりでございますな。」
「畳は備後の五分べり」
「左右の壁は砂摺りでございます」
「天井は薩摩の鶉杢(うずらもく)」
「お庭は総体御影づくりでございますな」
と言う処でしょうね。
砂摺りの壁は今でもありますし、壁紙なんかでもそれを印刷したのがありますね。
畳は言うまでもなく、檜の家は今でも高価です。
御影ずくりの庭とは、御影石を多用した庭造りの事です。
『能書』
後は秋葉神社の事ですね。
秋葉神社は、遠州森の石松で有名な、浜松市天竜区春野町の秋葉山本宮秋葉神社の事です。
昔は秋葉大権現と言いました。
ちなみに、現在の秋葉原の地名の由来なのですが、ここに明治2年(1869)暮れの大火を受け、明治天皇の勅命により翌明治3年(1870)に現在のJR秋葉原駅構内(東京都千代田区神田花岡町)の地に、火の神・火産霊大神(ほむすびのみこと)、水の神・水波能売神(みずはのめのみこと)、土の神・埴山毘売神(はにやまひめのみこと)の三柱を皇居内紅葉山より祀神として勧請したのが始まりです。
つまり、秋葉権現とは直接関係無いのですが、秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々は、この社を「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、社域である周辺の火除地(空地)を「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼んだのが始まりです。
私もそう思ってましたが違うのですね。
秋葉神社そのものは東京でも向島(墨田区)と松が谷(台東区)にありますし。日本各地に召喚されて祀られています。
蛇足ですが、この噺の舞台は小石川です。昔は小石川あたりでも農家で牛を買っていたのですね。
『ネタ』
サゲは『火』と『屁』を引っ掛けた地口落ちですが、一応、前座噺となっていますが、難解な挨拶の文句を叔父さんに言い返す返すシーンや、書いて貰ったメモを読みながら喋るせいで抑揚のない話し方になるなど結構難しいと言われています。