今日11月8日は三代目金馬師の命日です。
師匠は1894年10月25日に東京は本所に生まれました。
ラジオとレコードで売れに売れた師匠でした。その口跡が良いので、圓生師や文楽師も高く評価していました。
勉強熱心で故事に通じていて博識でした。
でも当時の評論家からは不当に低く評価されていたそうです。そのため今でも低く見る評論家もいます。
私の好きな矢野誠一氏も当初はその一人でした。亡くなってから思い改めたそうですが・・・
今聴いてもこれだけの噺家はいないと思います。
ところで話は変わって昨日は休みなので、例によって浅草に行きました。
11月上席七日目夜の部です。
最初は時松さんで「狸札」、次が出番が早まり、さん喬師で「初天神」でした。早かったですね10分掛かりませんでした。急いでたのですねきっと。
太神楽の仙三郎社中の後は新二つ目、はな平さんで「半分垢」でした。この人はトボけた味がありますね。
これから、面白いかもしれません。
次が何と歌笑師、久々と言うか事実上初めてみたいなモノですね。前は子供の頃でしたから、忘れましたw
兄の先代の話から「歌笑純情詩集」をやり「親子酒」へと繋ぎました。
明るい高座で、病の陰は見えませんでした。
漫才の遊平かおりさんの後は銭川柳師で「昭和歌謡史」でした。昨日は千葉TVの録画があったので、少しおとなしかったですね。
そして、小せん師で「鷺取り」、舞台を不忍池と浅草寺の五重塔でやってました。昨日はバカバカしい位の良い出来でしたね。
小菊さんの粋曲の後は木久扇師で笑点の裏話のマクラから「彦六伝」でした。何回も聴いたこの噺ですが、昨日は師匠もハジケてましたね。場内は爆弾が落ちたようでした。
その中でも「わたくしの師匠は”八代目正蔵”ですが、最後の一年だけ洒落で”彦六”と言ってました」
と語っていました。今でも”彦六”と呼ばれるのは抵抗が有る様です。
ここで仲入り
食いつきは、金也さんで「うなぎ屋」時間があったのか、たっぷり演じてましたね。
正直、この人知りませんでした。ww真打だったなんて不勉強でしたね。
ここで、見たい噺家さんが出てしまったので、終バスで帰宅しました。
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師匠は1894年10月25日に東京は本所に生まれました。
ラジオとレコードで売れに売れた師匠でした。その口跡が良いので、圓生師や文楽師も高く評価していました。
勉強熱心で故事に通じていて博識でした。
でも当時の評論家からは不当に低く評価されていたそうです。そのため今でも低く見る評論家もいます。
私の好きな矢野誠一氏も当初はその一人でした。亡くなってから思い改めたそうですが・・・
今聴いてもこれだけの噺家はいないと思います。
ところで話は変わって昨日は休みなので、例によって浅草に行きました。
11月上席七日目夜の部です。
最初は時松さんで「狸札」、次が出番が早まり、さん喬師で「初天神」でした。早かったですね10分掛かりませんでした。急いでたのですねきっと。
太神楽の仙三郎社中の後は新二つ目、はな平さんで「半分垢」でした。この人はトボけた味がありますね。
これから、面白いかもしれません。
次が何と歌笑師、久々と言うか事実上初めてみたいなモノですね。前は子供の頃でしたから、忘れましたw
兄の先代の話から「歌笑純情詩集」をやり「親子酒」へと繋ぎました。
明るい高座で、病の陰は見えませんでした。
漫才の遊平かおりさんの後は銭川柳師で「昭和歌謡史」でした。昨日は千葉TVの録画があったので、少しおとなしかったですね。
そして、小せん師で「鷺取り」、舞台を不忍池と浅草寺の五重塔でやってました。昨日はバカバカしい位の良い出来でしたね。
小菊さんの粋曲の後は木久扇師で笑点の裏話のマクラから「彦六伝」でした。何回も聴いたこの噺ですが、昨日は師匠もハジケてましたね。場内は爆弾が落ちたようでした。
その中でも「わたくしの師匠は”八代目正蔵”ですが、最後の一年だけ洒落で”彦六”と言ってました」
と語っていました。今でも”彦六”と呼ばれるのは抵抗が有る様です。
ここで仲入り
食いつきは、金也さんで「うなぎ屋」時間があったのか、たっぷり演じてましたね。
正直、この人知りませんでした。ww真打だったなんて不勉強でしたね。
ここで、見たい噺家さんが出てしまったので、終バスで帰宅しました。
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