はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

桃月庵白酒

松曳きという噺

mDSC_8635今日は「松曳き」です。
粗忽の噺の一つですが、この噺に登場してくるのは、実はお殿様なのです。
主人であるお殿様と家臣の三太夫さんがともに物忘れのたちで粗忽者。
お互いに噛み合わないことを言い立てるうちに状況がどんどん混乱してくるという構成になっています。

江戸詰のさる殿様が家臣の田中三太夫を呼び出します。
このお殿様と三太夫さんは、物忘れが激しいうえに粗忽者。
二人はいつも周囲の混乱を招きます。
お殿様は庭の築山横にある赤松を泉水べりへ移そうと提案しますが、三太夫さんは先代の植えた松が、万が一枯れるようなことがあってはいけないと直言します。
「餅は餅屋と申します」と本職の植木職人に移植が可能かどうか訊ねますが、なぜか「餅屋!これ餅屋!」と餅屋を呼びに行ってしまう。やっと呼び出された植木職人が殿様と対面し、松の移植について言上するが、三太夫に「言葉は丁寧に。あたまに”御”、おしまいには”奉る”の言葉をつけるように」とアドバイスされたので、滅茶苦茶な会話になって仕舞います。
そうこうするうち、三太夫に国表(故郷・地元)から書面が届く。書面に目を通した三太夫さんは顔色を変えます。
そこには、「国表において御殿様、姉上様、御死去」、つまり殿の姉が死んだという趣旨が書かれていたのです。
三太夫さんは急いで殿の元へ戻り、このことを報告しますが、実は書面を詳しく読まずに急いで来てしまったので、再び書面を確認しに、帰宅すると、そこには『国表において、御貴殿、姉上様、御死去』、つまり自分の姉が死んだという内容だったことに気いたのです。
このことを改めて殿に謝罪しますが、お殿様は激怒し、三太夫に切腹を申しつけます。
三太夫が腹を切ろうとすると、しばらく考えていたお殿様、
「これ、切腹には及ばん。考えたら、余に姉はなかった」

五代目小さん師を初め、談志師が得意にしていました。
今では白酒さんが得意にしています。
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東京かわら版8月号より

img002今日は「東京かわら版」8月号より話題を拾ってみたいと思います。
表紙は五街道雲助一門の真打三人衆ですね。
桃月庵白酒、隅田川馬石、蜃気楼龍玉の三人です。

・「落語と私」はこの度ドラマで立川談志師を演じる事になった中山秀征さんです。
演じるにあたってあらゆる資料を読み尽くしたそうで、ご自身の談志論を語っています。
まあ概ね外れてはいないと思います。

・対談は表紙の三人です。
修行時代の事、特に前座時代の事を楽しく語っています。

・「お二階へご案内」の兼好さんのコラムは、兼好さんはクーラーが苦手で嫌いなので家では点けていないのだそう
で、暑い時は裸族になってるのだそうです。

・若手の紹介は 柳家喬の字さんです。
入門10年目だそうです。

・地域寄席の紹介は北沢タウンホールです。
ここは色々な発表会に使われますね。実は私も知人や妻の趣味で何回か行きました。
周りの道が狭くてね。車だと往生します。

・本日のお題は 「ガーコン」です。 ご存知川柳師の名作ですね。
前座時代の右朝師が命名し、そのセンスを気に入った川柳師が採用して二人の交流が始まったそうです。

・堀井ちゃんのコーナーは雨の降る噺は何時頃聞けるのか?というデーターを駆使した話で、
演目にもよりますが、「笠碁」も「夢の酒」も6月が一番多いという事でした。
でも僅かの差ですがね。

・ニュースでは、明治の落語の速記が載っていた「百花園」が電子書籍化されるそうです。
今回は1〜60号迄で3000円だそうです。
紀伊國屋書店kinoppy等で購入可能だそうです。

今月はこんな処で……続きを読む

佐々木政談と言う噺

eigamura今日は「佐々木政談」です。
戸時代幕末に上方の三代目松鶴師が創作した噺で、三代目圓馬師が大正初期に東京に紹介・移植しました。

名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守が、非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをしていると、
新橋の竹川町で子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まりました。

面白いのでこれを見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、
さっそうと奉行役が登場します。
年は同じぐらいで、こともあろうに佐々木信濃守と名乗るではありませんか。
色は真っ黒、髪ぼうぼう、水っぱなをすすりながらのお裁きです。

なんでも、勝ちゃんというのが「一から十まで、つがそろっているか」ともう一人に聞き、答えられないので殴った、という。
子供の信濃守はすまして、「さような些細なことをもって、上に手数をわずらわすは不届きである」
セリフも堂にいったもので、二人を解き放つ。

つのことを改めて聞かれると、「一から十まで、つはみなそろっておる」
「だって、十つとは申しません」
「だまれ。奉行の申すことにいつわりはない。
中で一つ、つを盗んでいる者がある。いつつのつを取って十に付けると、みなそろう」
その頓智に、本物はいたく舌を巻き、その子を親、町役人同道の上、奉行所に出頭させるよう、供の与力に申しつけます。

この子供は桶屋の綱五郎のせがれ、当年十三歳になる四郎吉。
奉行ごっこばかりしていてこのごろ帰りが遅いので、父親が怒っていると、
突然奉行所から呼び出しが来たから、それみろ、とんでもねえ遊びをするから、とうとうお上のおとがめだ
と、父親も町役一同も真っ青。

その上、奉行ごっこの最中に、お忍びの本物のお奉行さまを、子供らが竹の棒で追い払ったらしい
と聞いて、一同生きた心地もしないまま、お白州に出る。
ところが、出てきたお奉行さま、至って上機嫌で、四郎吉に向かい、
「奉行のこれから尋ねること、答えることができるか。どうじゃ?」
四郎吉は、こんな砂利の上では位負けがして答えられないから、そこに並んで座れば、何でも答える
と言って、遠慮なくピョコピョコと上に上がってしまったので、おやじは、気でも違ったかとぶるぶる震えているばかり。

奉行、少しもかまわず、まず星の数を言ってみろと尋ねると、四郎吉少しも慌てず、
「それではお奉行さま、お白州の砂利の数は?」
これでまず一本。

父と母のいずれが好きかと聞かれると、出された饅頭を二つに割り、どっちがうまいと思うか
と、聞き返す。

饅頭が三宝に乗っているので、「四角の形をなしたるものに、三宝とはいかに」
「ここらの侍は一人でも与力といいます」
「では、与力の身分を存じておるか?」
「へへ、この通り」

懐から出したのが玩具の達磨(だるま)で、起き上がり小法師。錘が付いているので、
ぴょこっと立つところから、身分は軽いのに、お上のご威勢を傘に着て、ぴんしゃんぴんしゃんしているというわけ。
ではその心はと問うと、天保銭を借りて達磨に結び付け「銭のある方へ転ぶ」

最後に、衝立に描かれた仙人の絵が何を話しているか聞いてこいと言われて
「へい、佐々木信濃守は馬鹿だと言ってます。
絵に描いてあるものがものを言うはずがないって」
馬鹿と子供に面と向かって言われ、腹を立てかけた信濃守、これには大笑い。

これだけの能力を桶屋で果てさせるのは惜しいと、四郎吉が十五になると近習に取り立てたという、
「佐々木政談」の一席でございます。

佐々木信濃守顕発は、嘉永5年(1852)から安政4年(1857)まで大坂東町奉行を勤め、
江戸に戻って文久3年(1863)、北町奉行に就任。
数ヶ月で退いた後、再び年内に南町奉行として返り咲き、翌年退職しました。

江戸町奉行は、三千石以上の旗本から抜擢され、老中・若年寄・寺社奉行に次ぐ要職でした。
今で言うと、都知事に警視庁長官と裁判官を兼ねていました。

上方のはオチがあり
「あんたが佐々木さんでお父さんが綱五郎、あたくしが四郎吉、
これで佐々木四郎高綱」
「それは余の先祖じゃ。そちも源氏か?」
「いいえ、平気(=平家)でおます」
と地口で落とします。出世の事には触れないのが普通tです。

戦後は圓生師の十八番でしたが、三代目金馬師も圓生師から移してもらい、「池田大助」として演じていました。
これは四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定でしたが、これだと当然、時代は百五十年近く遡ることになり、少し苦しいですね。続きを読む

浅草演芸ホール7月上席9日目

main_photo_shimanrokusen昨日は休みだったのでひと月ぶりに浅草に行きました。

実はあまり具合が良くなかったのですが、午前中に用事をこなしてるうちに「行けるかもしれない」と思い、夜席ならよかろう?と予定を立てました。

駅に3時半頃に行ったら、寿町行きのバス(浅草寿町の事です)が丁度来まして飛び乗りました。
途中、なんて事は無かったのですが、5月28日にスカイツリーが開業してから、途中の路線が変更されまして、
従来は、亀有--堀切--墨田--東向島--向島--本所吾妻橋--浅草と行ってたのですが、この内、東向島---スカイツリータウン--本所吾妻橋、と変わりました。時間にして15分余計に掛かる様になりました。

暫くぶりで通った押上のあたりは車も人も一杯でした。えらい変わり様です。

浅草は「四万六千日」で大変な混み様です。雷門のあたりは溢れかえっていました。
さて、そんな事がありましたけどちゃんと演芸ホールに着きました。
え、お参りですか、しません!
一年間に何回浅草に来るか、わざわざ今日の様な日は寄りません!
何回じゃ無く何十回ですね。月に2回プラス妻の実家ですから大変な数です。前の日も実は来ましたしね!

演芸ホールに入ると、前座の辰じん君が「狸札」を演じていました。
前座とは思えない出来ですね。メリハリもきいていて良かったです。
前座だから仕方ないですが、お客と呼吸を合わせられれば、最高でしたね。

次が、ぬう生さんで「浮世床」でした。前から思っていたのですが、この方4代目三木助さんに似てる様な気がします。自分だけでしょうが・・・(顔だけですよ)

そして、この時間に行ったお目当ての白酒さんで、「町内の若い衆」でした。
マクラで「四万六千日」でお参りする人は年寄りが多いので、そんなに長生きしないだろう、とか毒を吐いて、
お客を乗せて噺に入ります。この辺はさすがですね。
可笑しかったのは、女将さんは酒と煙草で声がやられて、野太い声になっていて、皆驚くという設定が笑えましたね。これだけでも来た甲斐がありました。

遊平かおりさんの漫才の後はひな太郎さんで、「強情灸」です。ひな太郎さんも「病み上がりの舟木一夫です」というフレーズでお客を掴んでから噺に入ります。
その次は、さん吉さんでしたが、漫談と思いきや、なんとちゃんと噺をしました。
「高砂や」でした。何年ぶりだろう、落語を聴いたのは・・・・
さん吉師はよく浅草に出ますので、本当に沢山聴いてます。いや〜久しぶりでした。

小圓歌姉さんが粋な喉を聞かせてくれます。今日は「両国八景」をたっぷりとやりました。
ほぼ、フルかも? ここまでやるのは珍しいですね。

次は本来はこぶ蔵くんでしたが、代演で錦平さん。」ある意味ラッキーかも?
演目は「壷算」でした。誰かより良かったです。

文楽師が「六尺棒」でした。
このあたりから、具合がまた悪くなり、仲入りで帰る決断をします。
正楽師は時間があったのか、「相合傘」「松島」「パンダの赤ちゃん」「ほおずき市」「白鳥師匠」と5つ切りました。
特に「白鳥師匠」は高座で話してる師匠の後ろで白鳥が羽ばたいてる、という見事な出来でした。

仲入りの圓丈師は個人的には久しぶりの新作で白鳥師作「シンデレラ伝説」でした。
白鳥師でも聴いた事ありますが、久しぶりでくすぐりも新しくなっていました。
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でここで帰宅しました。帰りもバスに揺られて、スカイツリーを見ながら帰宅しました。続きを読む

佐々木政談と言う噺

eigamura今日は「佐々木政談」です。

江戸時代幕末に上方の三代目松鶴師が創作した噺で、三代目圓馬師が大正初期に東京に紹介・移植しました。

名奉行で知られた南町奉行・佐々木信濃守が、非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをしていると、
新橋の竹川町で子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まりました。

面白いのでこれを見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、
さっそうと奉行役が登場します。
年は同じぐらいで、こともあろうに佐々木信濃守と名乗るではありませんか。
色は真っ黒、髪ぼうぼう、水っぱなをすすりながらのお裁きです。

なんでも、勝ちゃんというのが「一から十まで、つがそろっているか」ともう一人に聞き、答えられないので殴った、という。
子供の信濃守はすまして、「さような些細なことをもって、上に手数をわずらわすは不届きである」
セリフも堂にいったもので、二人を解き放つ。

つのことを改めて聞かれると、「一から十まで、つはみなそろっておる」
「だって、十つとは申しません」
「だまれ。奉行の申すことにいつわりはない。
中で一つ、つを盗んでいる者がある。いつつのつを取って十に付けると、みなそろう」
その頓智に、本物はいたく舌を巻き、その子を親、町役人同道の上、奉行所に出頭させるよう、供の与力に申しつけます。

この子供は桶屋の綱五郎のせがれ、当年十三歳になる四郎吉。
奉行ごっこばかりしていてこのごろ帰りが遅いので、父親が怒っていると、
突然奉行所から呼び出しが来たから、それみろ、とんでもねえ遊びをするから、とうとうお上のおとがめだ
と、父親も町役一同も真っ青。

その上、奉行ごっこの最中に、お忍びの本物のお奉行さまを、子供らが竹の棒で追い払ったらしい
と聞いて、一同生きた心地もしないまま、お白州に出る。
ところが、出てきたお奉行さま、至って上機嫌で、四郎吉に向かい、
「奉行のこれから尋ねること、答えることができるか。どうじゃ?」
四郎吉は、こんな砂利の上では位負けがして答えられないから、そこに並んで座れば、何でも答える
と言って、遠慮なくピョコピョコと上に上がってしまったので、おやじは、気でも違ったかとぶるぶる震えているばかり。

奉行、少しもかまわず、まず星の数を言ってみろと尋ねると、四郎吉少しも慌てず、
「それではお奉行さま、お白州の砂利の数は?」
これでまず一本。

父と母のいずれが好きかと聞かれると、出された饅頭を二つに割り、どっちがうまいと思うか
と、聞き返す。

饅頭が三宝に乗っているので、「四角の形をなしたるものに、三宝とはいかに」
「ここらの侍は一人でも与力といいます」
「では、与力の身分を存じておるか?」
「へへ、この通り」

懐から出したのが玩具の達磨(だるま)で、起き上がり小法師。錘が付いているので、
ぴょこっと立つところから、身分は軽いのに、お上のご威勢を傘に着て、ぴんしゃんぴんしゃんしているというわけ。
ではその心はと問うと、天保銭を借りて達磨に結び付け「銭のある方へ転ぶ」

最後に、衝立に描かれた仙人の絵が何を話しているか聞いてこいと言われて
「へい、佐々木信濃守は馬鹿だと言ってます。
絵に描いてあるものがものを言うはずがないって」
馬鹿と子供に面と向かって言われ、腹を立てかけた信濃守、これには大笑い。

これだけの能力を桶屋で果てさせるのは惜しいと、四郎吉が十五になると近習に取り立てたという、
「佐々木政談」の一席でございます。

佐々木信濃守顕発は、嘉永5年(1852)から安政4年(1857)まで大坂東町奉行を勤め、
江戸に戻って文久3年(1863)、北町奉行に就任。
数ヶ月で退いた後、再び年内に南町奉行として返り咲き、翌年退職しました。

江戸町奉行は、三千石以上の旗本から抜擢され、老中・若年寄・寺社奉行に次ぐ要職でした。
今で言うと、都知事に警視庁長官と裁判官を兼ねていました。

上方のはオチがあり
「あんたが佐々木さんでお父さんが綱五郎、あたくしが四郎吉、
これで佐々木四郎高綱」
「それは余の先祖じゃ。そちも源氏か?」
「いいえ、平気(=平家)でおます」
と地口で落とします。出世の事には触れないのが普通tです。

戦後は圓生師の十八番でしたが、三代目金馬師も圓生師から移してもらい、「池田大助」として演じていました。
これは四郎吉が後に大岡越前守の懐刀・池田大助となるという設定でしたが、これだと当然、時代は百五十年近く遡ることになり、少し苦しいですね。続きを読む
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