らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

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6169ff46『大仏餅 』
 これが秋の噺かと問われると困るのですが、噺の雰囲気では冬でしょうが、晩秋の夜に聴きたくなります。

【原話】
この噺は三遊亭円朝の作で、三題噺をもとに作ったものです。
出題は「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」です。

【ストーリー】
ある雪がしんしんと降る夜に、子供が店の中に入ってきました。
訳を聞くと、父親が怪我をしたので血止めを分けて欲しいと言うのです。聞けば、新米の盲目乞食が仲間内から縄張りを荒らしたと突かれて怪我をしたと言う事。
山下の大店のご主人は奥から、取って置きの薬を塗ってあげます。
子供の歳を聞くと六つだといいますが、当家の息子も袴着の祝いで八百善から料理を取り寄せて、お客さんに食べて帰ってもらったところだが、息子は旨い不味いと贅沢すぎる。
その反対にこの子は雪の中、裸足で親の面倒を見ている感心な子だと、料理を分けてあげたいと申し出ます。父親が出した面桶は朝鮮さわりの水こぼし、あまりにも茶人が使う高級品です。
それを分かって、部屋に上げて八百善のお膳を二つ用意しました。
 聞くと、過日は八百善の料理を味わっていた事もあるし、お茶の心得もあったが、貧乏して茶道具の全ては売り尽くしたのですが、この水差しだけは手放せなかった。
千家の宗寿(そうじ)門弟で芝片門前に住んでいた神谷幸右衛門だという。
あの神谷さんですかと驚いて、出入りの業者が言うには庭がどうの茶室がどうのと言っていたが、一度招かれたが所用があって行けず残念であったと述懐し、その河内屋金兵衛ですと自己紹介しました。
お互い相知った仲であった。
 鉄瓶点てで、お薄を差し上げたいと言いますが、お菓子が無いので、そこにあった大仏餅を菓子代わりに差し出し、子供と食べ始めたが餅を喉に詰まらせ息が出来なくなってしまいます。
あわてて、背中を強く叩いたら息が出来るようになり、同時に眼が見えるようになりました。そこまでは良かったのですが、鼻がおかしくなって声が巧く出ないようになってしまった。
「鼻?、今食べたのが大仏餅、眼から鼻ィ抜けた」

【演者】
これが有名になったのは黒門町の最後の噺になったからです。それまでは地味な噺でした。
同時期で演じたのは八代目正蔵師ぐらいでしょうか?
1971年8月31日、国立劇場小劇場における第五次落語研究会で文楽師が、この演目を掛けたのですが、途中「神谷幸右衛門」の名前が出てこず、「勉強しなおしてまいります」と言い、高座を降り、二度と高座に上がりませんでした。

【注目点】
三遊亭圓朝師の三題噺で、よくも即興でこれだけの噺が作れたと感心してしまいます。仕込みオチと言うのでしょうかね。「目から鼻に抜ける」と言う言葉の意味が、ちゃんと分かっていないとサゲが生きて来ませんね。

『ネタ』
 大仏餅と言うのは、江戸時代に京坂地方で流行した餅で、上に大仏の像を焼印で押したものです。京都誓願寺前や方広寺前などに有名な店があった。のちに江戸でも流行したとか。
 江戸では浅草並木町(現・台東区雷門2丁目)の両国屋清左衛門が始めたといわれるています。
 大仏の像を焼き印で押した餅菓子で、浅草の観音詣でをした人に土産として売れたと言います。さすがに今は有りません。

「オチ」
 後にですが、正蔵師と圓生師がこの噺と文楽師の事を対談で語っており、間違えた事について正蔵師が圓生師に
「お前さんならどする」
 と訊いたところ圓生師は
「あたしなら神谷ウタタでも何でもやっちゃうね」
 と語ったそうです。正蔵師は
「噺の中で人物の名前を間違えることは良くあるんですよ」
 と語っています。

6ef91cc6『素人鰻』
東京の淺草では四万六千日でほおずき市ですね。そこで、この噺です。

【原話】
原話は噺本『軽口大矢数』(安永2年:1773年)の『かば焼』、または『大きにお世話』(安永9年:1780年)の『蒲焼』からです。
【ストーリー】
元旗本の武士がしる粉屋をやろうと店を探していると「神田川の金」という、ひいきにしていた鰻さきの職人に出会います。
金さんの勧めで鰻屋を開業することにしました。いわゆる士族の商法というやつですね。
腕がいいが、酒癖の悪い金さんですが、酒を断って店を手伝うというので殿様も安心です。

さて、最初は良かったのですが、開店の日に祝いの酒だと主人の友達が金さんに飲ませたところ、だんだん悪い酒癖が出てきて暴れ出し、店を飛び出してしまいます。
翌日、職人がいなくなって困っていると、金さんは吉原から付き馬を引いて帰ってきた。
昨日のことは、何も覚えていないという。
黙って遊び代を払ってやると、今度は金さんは酒を飲まず一生懸命働きだし、腕はいいので店も順調になります。

主人はすっかり喜び、ある日閉店の後、酒を出してやるが飲まないで寝てしまう。
ところが家の酒を盗み飲みして、またもや悪口雑言の末、店を飛び出してしまう。次の日も同じで、
仏の顔も三度やらでもう帰って来ません。

困った主人は仕方なく自分で鰻をさばこうとし、捕まえにかかるが捕まらない。
糠をかけたりしてやっと一匹捕まりかかるが指の間からぬるぬると逃げて行くきます。
なおも鰻を追って行く主で、それを見て女房がどこへ行くのかと声をかけます。
「どこへ行くか分かるか。前に回って鰻に聞いてくれ」

【演者】
何と言っても黒門町こと文楽師の名演が光ります。

【注目点】
後半の部分だけを演じたのが「鰻屋」だと思われていますが、「鰻屋」は元が上方落語なので、成立が違います。
この「素人鰻」は昭和29年に芸術祭賞を受けました。
平素は猫のようにおとなしい神田川の金が、酒が入りだんだんと酔っていき、ついには虎になり悪口雑言の大暴れをするくだりがこの噺の眼目ですね。
その豹変ぶりが物凄いですね。
この噺の元は、三遊亭円朝の「士族の商法(御膳汁粉)(素人汁粉)」だと云われています。

『能書』
この噺の職人金さんは、実在の人物で、「神田川」に居た職人で、中々腕の良い職人で、
「金が居るなら今日は鰻を食べて行こう!」
と言う客が曳きも切らずに訪れたと言うくらいの名人だった様です。
当時の食通の間では、”金”と追えば”神田川の金”だったと言う事です。
あの榎本滋民先生が、「素人鰻」の解説で言われていたので、本当なのでしょうね。

『ネタ』
「ニホンウナギ」は絶滅危惧種」になったそうですが、天然の鰻なんてのはかなり前から絶滅を言われていましたね。
稚魚も不良でここ数年は価格も高くなっていましたが、落ち着いたみたいですね。(高値安定というヤツですね)

EclEdo3j『愛宕山』
え〜早いものでこの前マッカーサーが上陸したと思ったらもう立春ですね。
春の噺なんですが、最初は私の好きなこの噺です。
 この噺は上方落語がルーツです。東京では文楽師の十八番でした。3代目圓馬師が東京風に脚色したのを圓馬師から文楽師に伝わったものです。
 晩年は医師から止められていたにもかかわらず、高座に掛けて、その後楽屋で暫く横になっていたそうです。それだけ、最後の処で力が入ったのですね。
最近では志ん朝師がやり、その後かなりの噺家さんがやります。
志ん朝師のも良かったですね、文楽師が省略した下りも入れて、一八と旦那の絡みも見事でした。

【原話】
 上方に古くからあった噺を三代目圓馬師が東京に持って来ました。だから、事実上の圓馬師の弟子でもあった文楽師はこの噺を受け継いだのです。
【ストーリー】
 あらすじは上方と東京では若干違いますので、東京でやります

 京都見物に来た旦那、あらかた見てしまったので、明日は愛宕山に行こうと思いつきます。
連れの幇間の一八に言うのですが、「朝飯前」と言う返事。
翌日、一同連れ立って愛宕山へとやって来ます。
 調子のいいことを言う一八を見て、旦那は繁造を一八にぴったり着かせる。「どんなことがあっても上までひっぱりあげろ。連れてこないと暇を出すよ」と脅して、いざ出発。
大きい口を叩いていた一八は、最終的には繁造に押してもらって、やっとのことで途中の休憩所まで辿りつきます。
 茶屋で休んでいるときに一八が土器投げ(かわらけなげ)の的を見つけます。
向こうに輪がぶらさがっていて、そこにお皿を投げて上手く輪をくぐらせるという遊び。
旦那がやってみせると、負けん気の強い一八、また「朝飯前」だと嘯く。が、もちろんやってみるとうまくいかない。
 そこで旦那が趣向を凝らし、取り出したのが小判三十枚。
煎餅を放る人がいるんだから、それより重量のある小判ならうまく放れて面白いだろうと。
そんなもったいないことを、と止める一八を無視して旦那は投げ続けます。
小判が惜しい一八は自分を的にしろと叫ぶが、旦那は三十枚全てを投げきってしまう。
 さて、投げてしまった小判はどうするか。旦那は「あんなものは惜しくない。取りたきゃ取れ」と言う。
そう言われては取りに行くしかないが、そこは崖っぷち、狼もうろうろしているというし、そう簡単に降りてはいけません。
そこで、傘を落下傘代わりにして飛び降りるというもの。皆が見つめる中、なかなか飛び降りられない一八を見て、旦那が繁造に「後ろから突け」と命じ、一八は無理矢理下へ落とされるます。
 さて、崖を降りた一八、目の色を変えて小判を集めはじめます。全ての小判を拾い終えた一八に
 旦那「皆貴様にやるぞ」
 一八「ありがとうございます」
 旦那「どうやって上がる」
 困った一八に、旦那は「先に行くぞ」と薄情な言葉を残します。
 さて弱った一八、突然服を脱ぎ、脱いだ服を裂き始める。どうしたどうしたと旦那達が見守る中、裂いた布で縄をよって、竹をしならせ、その反動でどうにかこうにか崖上へ無事上ることができました。
 上にたどりついた一八に、
 旦那「偉いやつだね、貴様は生涯屓にするぞ」
 一八「ありがとうございます」
 旦那「金はどうした」
 一八「あ、忘れてきました」

【演者】
 やはり八代目文楽師が抜きん出ていますね。志ん朝師も良かったですね。

【注目点】
 東京では下男の繁造が登場しますが、上方ではふたりとも大阪を食い詰めて京都にやって来た幇間と言う設定です。
そこで、この二人によって、京都の悪口が始まります。
この辺は東京人にはその対抗意識と言うのが正直分かりません。(^^)

『能書』
 上方版では小判は20両で、それも一気に投げて仕舞います。
それと、一八が登る時に口ずさむ歌が違います。
東京は、『コチャエ節』で、上方は、『梅にも春』です。

『ネタ』
 この噺の嘘は、京都の「愛宕山」ではかわらけ投げは行われていないと言う事です。
同じ山系に属する高雄山の神護寺で行われているそうです。
江戸でも王子の飛鳥山、谷中の道灌山で盛んに行われました。
志ん朝師はこの噺を演じる前に、香川県高松市の屋島で実際にかわらけ投げをおこなっています。
愛宕山にも一門で登っています。

4e1c12c8『馬のす』
今日はこの噺です。枝豆が出て来るので夏の噺でしょう。

【原話】
1775年の「花笑顔」の「馬の尾」が元と思われますが、今の形は1795年の「詞葉の花」の「馬のす」が一番近いと言われています。
ちなみに上方落語では「馬の尾」です

【ストーリー】
釣好きの男、今日も女房に文句を言われながら、今日も釣りに行こうとして、道具の点検です。
オモリよし、浮きよし、ところが肝心のテグスがダメになっています。
どうしようか困っていると、馬方が馬を連れてきて軒先に繋いでいって仕舞います。
「ああ、ダメだよ。おい、そんなところに……あああ、行っちまいやがった」
舌打ちしたが、何の気なしに馬の尻尾を見て、名案が浮かびます。
 こいつは使えそうだと引っ張ると、なかなか丈夫そう。
三本、釣糸代わりに頂戴したところへ、友達の勝ちゃんが、馬の尻尾を抜いたと聞くと、
いやに深刻な顔をして「おまえ、えれえことをした。馬の尻尾を抜いたらどういうことになるか知らないな」
と思わせぶりに言います。
 不安になって、教えてくれと頼んでも「オレだってタダ習ったんじゃねえんだから、
親しき中にも何とやらで、酒でも一杯ご馳走してくれれば教えてやる」と条件をつけられます。
酒はないと言っても、今朝かみさんがよそからもらった極上の一升瓶をぶらさげているのを見られているのです。
知りたさと不安はつのるばかりなので、しかたなく承知して、
勝ちゃんに枝豆付きでごちそうします。
なんだかんだとイ言いながら酒を飲み始めます。
酒はのみ放題枝豆は食い放題。
じれた相棒がせっついても、話をそらして一向に教えようとしません。
 そればかりか、オレも同じように馬の尻尾の毛を抜いてると、年配の人に、これこれこういう祟りがあると聞いて、恐ろしさに震え上がっただの、気を持たせるだけ持たせ、ついに酒も枝豆もきれいに空けて仕舞いました。
「ごちそうさん。さあ、馬の尻尾のわけ、教えてやろう」
「どうなるんだい」
「馬の尻尾……抜くとね」
「うん」
「馬が」
「馬がどうするんだい」
「痛がるんだよ」

【演者】
この噺は三代目円馬師の直伝で、八代目文楽師が得意にしていました。
でも、大ネタの十八番と違って、夏場の、客が「セコ」なときなどに、短く一席やってお茶をにごす、いわゆる「逃げの噺」と言えるかもしれませんが、枝豆を食べる仕草は一級品です。円生師の「四宿の屁」などもこれに当てはまりますね。
大看板は必ずこうした「逃げ噺」を持ってたそうで、志ん生師は「義眼」だったそうです。
文楽師も、ある夏はトリ以外は毎日「馬のす」で通したこともあったといいます。

【注目点】
どこがどうということもない、他愛ないといえば他愛ない噺なのですが、なんだかあっけなくもあり、この後実は何かあるのでは? と思って仕舞います。
この噺、もともとは上方の噺ですが、小品といえども、後半の枝豆を食べる仕種に、伝説的な「明烏」の甘納豆を食べる場面同様、文楽師の巧緻な芸が発揮されていました。

『能書』
短い噺で、本来は小ばなしとしてマクラに振られるに過ぎなかったのを、
三代目円馬師が独立した一席に仕立て、文楽師が磨きをかけたものです。
本当は馬のすは「馬尾毛」と書き、白馬の尻尾だそうです。
この場合は荷馬なので白馬では無いでしょうね。

『ネタ』
実は以外な事に釣りと言うのは江戸時代までは、武芸と同じ様に武士のたしなみで、娯楽では無かったのです。
ですから、「野ざらし」は明治の噺となっています。

8044bfee『鰻の幇間』
明日が土用丑の日なので鰻の噺を出そうと思ったのですが「素人鰻」は昨年も出しているので久しぶりにこの噺を取り上げます

【原話】
明治の中期に実際にあった話を落語化したそうです

【ストーリー】
炎天下の街を幇間の一八があちらこちらと得意先を回って、なんとかいい客を取り込もうとするのですが、何しろ夏は辛い季節。金のありそうな上客は、避暑だ湯治だと、東京を後にしてしまっていて捕まりません。
今日も一日歩いて、一人も客が捕まりません。このままだと幇間の日干しが出来上がるから、こうなったら手当たり次第と覚悟を決め、向こうをヒョイと見ると、見覚えのある旦那。でもその浴衣姿の旦那が誰だか思い出せなません。せめて昼飯でも御馳走になろうと企んで、よいしょを始めます。
 旦那が言うには、湯屋に行く途中だから長居はできないので近くの鰻屋に行こう。自慢の下駄を脱いで二階に上がり、香香で一杯始め、鰻が出てきた。旦那がはばかりに立ったので、お供しようとすると、いちいち付いて回るのが鬱陶しい、はばかりくらい一人で行けると言うので、部屋で待つことにした。
 いつまで経っても旦那が戻らないので迎えに立つと、便所をのぞくとモヌケのから。
偉い! 粋なもんだ、勘定済ましてスーッと帰っちまうとは。と思いますが、仲居が「勘定お願いします」と来ます。仲居が言うには
「お連れさんが、先に帰るが、二階で羽織着た人が旦那だから、あの人にもらってくれと」
「じょ、冗談じゃねえ。どうもセンから目つきがおかしいと思った。家の事訊くと。とセンのとこ、センのとこってやがって……なんて野郎だ」
その上、勘定書が九円八十銭。「だんな」が六人前土産を持ってったそう。
一八、泣きの涙で、女中に八つ当たりしながら、
なけなしの十円札とオサラバし、帰ろうとするとゲタがない。
「あ、あれもお連れさんが履いてらっしゃいました」

【演者】
これは黒門町の十八番でした。それ以前には初代小せん師が得意にしていたそうです。
六代目圓生師はこの噺を「圓生百席」に入れました。それほど得意ではなかったこの噺を入れた理由は、「文楽師のは一八が何処に行ってもアテが外れてしまって目論見が狂って次第に焦って行く過程が省かれていた。一八だってベテランの幇間だからそう簡単にはあんなに簡単に騙されはしない」と語っていました。「その心理面が描かれていないと最後の一八の悔しさが薄れてしまう」という事でした。この意見に私も賛成です。

【注目点】
やはり羊羹を二棹抱えて炎天下を歩く一八と、騙されてから仲居に色々な能書きを言うシーンでしょうね。特に文楽師の「この紅生姜……」のくだりが好きです。

『能書』
因みにこの男は落語国三大悪人の一人だそうです。
後の二人は、「付き馬」の男、「突き落とし」の連中だそうです。(異説もあり、付き馬、突き落とし、居残り)

『ネタ』
時間の関係か、向こうからくる風呂へ行く、浴衣姿の男を取り巻くところから入る落語家さんが多いようです。個人的にですが、それではこの噺を初めて聴く人はこの噺の面白さを半分も理解出来ないでしょうね。

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