らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:桂文楽

1011404『干物箱』
今日は、黒門町の十八番中の十八番のこの噺です。

【原話】
原話は、延享4年(1747年)に出版された笑話本・「軽口花咲顔」の一遍である『物まねと入れ替わり』です。

【ストーリー】
 女道楽が過ぎて、若旦那が外出禁止となり、すでに十日。
たまには湯でも行って来いと言われて、二つ返事で家を飛び出した。
一旦外に出ると吉原に顔を出したくなる。そこで、声色が上手な善公に替玉を頼むことにした。
親父には、こう答えろと指示して、善公を二階に残して遊びに出掛けた。
 筋書通りに答えて調子にのっている善公だが「頂いた干物はどこだ」と聞かれて「干物箱」と出鱈目を言うと持って来いと言われた。
顔を見せる訳にはいかないので、腹が痛いと嘘をつくと、親父が薬を持って二階に上がって来た。
頭から布団を被ってしがみついていたが剥がされ、若旦那との計略がバレた。
 その時、窓の外から若旦那が囁くような小さな声で、紙入れを忘れたから取ってくれと頼む。
思わず親父が怒鳴り、
「馬鹿野郎、てめえなんぞ、どこへでも行って死んじめぇ」 
お気楽な若旦那は、
「はぁ善公は器用だねぇ、親父そっくり」

【演者】
やはり八代目文楽師が有名ですが、志ん生師もやりました。亡くなった後は志ん朝師や馬生師など多くの噺家が演じています。

【注目点】
志ん朝師師はこの噺を「前半できちんと説明しないと後半の笑いに繋がらない」と語っていたそうです。
それとこの噺の日時もハッキリと判っているそうです。明治の末で1月16日の藪入りの晩で店の者は誰も居ないのだそうです。それは古い速記に「やぶいりのまたいで過ぎぬ凧の糸」という句から判ります。

『ネタ』
この噺で親を騙すのに用いられたのは「声色」ですが、「声色」の本来は歌舞伎役者の声を真似することです。
噺に出てくる「亀清」は柳橋にあった料亭です。

img_785584_61079218_2『星野屋』
11月になっても、相変わらず温かいですが、如何お過ごしでしょうか?
 体調にはくれぐれもご注意ください。
 という訳で今日はこの噺です。
この噺ですが、何処か「辰巳の辻占」に似てる気がします。
その昔、玉置さんが番組で「落語騙しのテクニック」と語っていました。

【原話】
原話は元禄11年に刊行された『初音草大噺大鑑』の一遍である「恋の重荷にあまる知恵」です。

【ストーリー】
旦那は弁天山の下の茶店「すずしろ」のお花を世話していると、女中が奥様に御注進。奥様が旦那に問い詰めると、お客様のお世話をしている女だが、大阪に帰ってしまうので、「後は星野屋、お前が面倒を見てくれ」と言う事で、面倒を見ている女なのだ。と、しどろもどろで弁解をします。
 「良いきっかけなので、ここで別れよう。」と、奥様に口約束します。

 お花の家に行って、50両の金を出して別れ話を切り出しますが、 お花は「お金は受け取れないし、他に好きな女が出来たのなら、ハッキリ言えばいいでしょ。水くさいんだから・・・。
私は旦那しか居ないんだから、そんな事言われたら死んでしまいます。」
 「嬉しいね。死んでくれるか。私は養子で女房には頭が上がらないんだ。その上、星野屋は仕事が上手くいかなくて左前になっている。私も死のうと思っていた。一緒に死のう。八つを合図に 今夜来るから、母親に気ずかれるなよ。」と言い残して帰ります。
八つに迎えに来た旦那はお花の手を取って、吾妻橋にやって来るのですが、
旦那は「人が来た。先に行くぞ。」と、ドブンっと飛び込んでしまった。
「気が早いんだから〜」とお花は躊躇します。
 その時、屋根舟が一艘やって来て、一中節の上辞で「♪さりとは狭いご了見、死んで花が咲くかいな。楽しむも恋、苦しむも恋、恋という字に二つはない」。「そうだよね、死んで花が咲かないよね。旦那〜、おっかさんもいるんで、失礼しま〜す。」と、こんな失礼な事はありません。

 一時の感情の高ぶりで死ぬと切り出したものの、お花の方は恐くなって家に帰って来て、タバコを一服していると、重吉が尋ねてきます。
「星野屋の旦那が来なかったか」と切り出した。「いいえ」と知らん顔を決め込もうとするお花に、「知らないならいいんだよ。ただね、今夜はおかしいんだ。眠れないで、トロトロとしていたら、雨も降っていないのに、
あたしの枕元にポタポタと水が滴り落ちる。なんだろうと思って、ふと上を見ると、 旦那が恨めしそうな顔で、
あたしに言うには、『お前が世話してくれた女だが、一緒に死ぬと言うから、吾妻橋から身投げしたのに、
あの女は帰ってしまった。
あんな不実な女だとは知らなかった。これから、毎晩、あの女のところに化けて出て、取り殺してやる』 と言うもんだからね、ちょっと気になってねえ、何も無かったんだな。じゃ、帰るからな」
 「チョット待っておくれよ」。
 「重さん、本当は、チョットだけ行ったんだよ。どうか、出ない方法はないかね。」
「それだったら、髪の毛を切って、今後雄猫一匹膝に乗せませんって、墓前に供えたら浮かばれるだろう」
すると、お花は裏に入って髪を切って、頭には姉さん被りをして出てきます。
「これなら、旦那も浮かばれるだろう」。
 そこに死んだはずの旦那が入ってきた。
「あら、旦那!」。
「旦那はな、お前を家に入れたくて、俺のところに相談に来たんだ。一緒に飛び込んでいたら、旦那は泳ぎは名人だし、橋の下には5艘の舟と腕っこきの船頭がいて、水の一滴すら飲ませずに星野屋に入れるとこだったんだ。」、「それならもう一回行きましょう」。
「旦那、こういう女なんだ。大事にしている髪の毛を切ったので我慢してください」、
「そんな髪なら、いくらでもあげるよ。それが本物の髪の毛だと思っているのかい、それはカモジだよ」
「チクショウ!お前はふん縛(じば)られるぞ。その金を使ってみろ。お前は、捕まって、火あぶりになるぞ。それは偽金だ。」
「ちくしょう、どこまで企んでんだ。こんな金返すよ。」
「ははは、本当に返しやがった。偽金なんて話は嘘だよ。これは本物の金だ。偽金だったら旦那が先に捕まってしまう。」
「どこまで企んでんだ。おっかさん!あれは本物だってよ。」
「私もそうだと思って、3枚くすねておいたよ」。

【演者】
黒門町の十八番でしたね。他には八代目柳枝師がやっていました。
他には志ん生師や柳橋先生も演じていました。
【注目点】
水茶屋とは、表向きは、道端で湯茶などを提供する茶屋ですが、実は酒も出し、美女の茶酌女は、今でいうコンパニオンで、
心づけしだいで売春もすれば、月いくらで囲い者にもなります。
笠森お仙、湊屋おろくなど、後世に名を残す美女は、
浮世絵の一枚絵や美人番付の「役力士」になりました。
桜木のお花もその一人で、実在の人物で、芝居でも黙阿弥が「加賀鳶」に登場させています。

『ネタ』
一中節 は、初世都一中が創始した、京浄瑠璃の一派です。
上方では元禄期、江戸ではずっと遅れて文化年間以後に流行・定着しました。
「小春」は通称「黒髪」で、「小春髪結の段」のことです。
この部分、ほとんどの演者が入れますが、「星野屋」を得意とした八代目柳枝の節回しが、ほんとによかったそうです。

※ この度ブログの題名を「はじめのブログ」から「らくご はじめのブログ」に変更させて戴きました。検索で訪問される方が多いので、「はじめのブログ」だと同じ題名のブログが結構ヒットするそうです。間違いのないように冒頭に「らくご」の文字を追加した次第です。今まで同様これからも宜しくお願い致します。

6169ff46『大仏餅 』
 これが秋の噺かと問われると困るのですが、噺の雰囲気では冬でしょうが、晩秋の夜に聴きたくなります。

【原話】
この噺は三遊亭円朝の作で、三題噺をもとに作ったものです。
出題は「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」です。

【ストーリー】
ある雪がしんしんと降る夜に、子供が店の中に入ってきました。
訳を聞くと、父親が怪我をしたので血止めを分けて欲しいと言うのです。聞けば、新米の盲目乞食が仲間内から縄張りを荒らしたと突かれて怪我をしたと言う事。
山下の大店のご主人は奥から、取って置きの薬を塗ってあげます。
子供の歳を聞くと六つだといいますが、当家の息子も袴着の祝いで八百善から料理を取り寄せて、お客さんに食べて帰ってもらったところだが、息子は旨い不味いと贅沢すぎる。
その反対にこの子は雪の中、裸足で親の面倒を見ている感心な子だと、料理を分けてあげたいと申し出ます。父親が出した面桶は朝鮮さわりの水こぼし、あまりにも茶人が使う高級品です。
それを分かって、部屋に上げて八百善のお膳を二つ用意しました。
 聞くと、過日は八百善の料理を味わっていた事もあるし、お茶の心得もあったが、貧乏して茶道具の全ては売り尽くしたのですが、この水差しだけは手放せなかった。
千家の宗寿(そうじ)門弟で芝片門前に住んでいた神谷幸右衛門だという。
あの神谷さんですかと驚いて、出入りの業者が言うには庭がどうの茶室がどうのと言っていたが、一度招かれたが所用があって行けず残念であったと述懐し、その河内屋金兵衛ですと自己紹介しました。
お互い相知った仲であった。
 鉄瓶点てで、お薄を差し上げたいと言いますが、お菓子が無いので、そこにあった大仏餅を菓子代わりに差し出し、子供と食べ始めたが餅を喉に詰まらせ息が出来なくなってしまいます。
あわてて、背中を強く叩いたら息が出来るようになり、同時に眼が見えるようになりました。そこまでは良かったのですが、鼻がおかしくなって声が巧く出ないようになってしまった。
「鼻?、今食べたのが大仏餅、眼から鼻ィ抜けた」

【演者】
これが有名になったのは黒門町の最後の噺になったからです。それまでは地味な噺でした。
同時期で演じたのは八代目正蔵師ぐらいでしょうか?
1971年8月31日、国立劇場小劇場における第五次落語研究会で文楽師が、この演目を掛けたのですが、途中「神谷幸右衛門」の名前が出てこず、「勉強しなおしてまいります」と言い、高座を降り、二度と高座に上がりませんでした。

【注目点】
三遊亭圓朝師の三題噺で、よくも即興でこれだけの噺が作れたと感心してしまいます。仕込みオチと言うのでしょうかね。「目から鼻に抜ける」と言う言葉の意味が、ちゃんと分かっていないとサゲが生きて来ませんね。

『ネタ』
 大仏餅と言うのは、江戸時代に京坂地方で流行した餅で、上に大仏の像を焼印で押したものです。京都誓願寺前や方広寺前などに有名な店があった。のちに江戸でも流行したとか。
 江戸では浅草並木町(現・台東区雷門2丁目)の両国屋清左衛門が始めたといわれるています。
 大仏の像を焼き印で押した餅菓子で、浅草の観音詣でをした人に土産として売れたと言います。さすがに今は有りません。

「オチ」
 後にですが、正蔵師と圓生師がこの噺と文楽師の事を対談で語っており、間違えた事について正蔵師が圓生師に
「お前さんならどする」
 と訊いたところ圓生師は
「あたしなら神谷ウタタでも何でもやっちゃうね」
 と語ったそうです。正蔵師は
「噺の中で人物の名前を間違えることは良くあるんですよ」
 と語っています。

6ef91cc6『素人鰻』
東京の淺草では四万六千日でほおずき市ですね。そこで、この噺です。

【原話】
原話は噺本『軽口大矢数』(安永2年:1773年)の『かば焼』、または『大きにお世話』(安永9年:1780年)の『蒲焼』からです。
【ストーリー】
元旗本の武士がしる粉屋をやろうと店を探していると「神田川の金」という、ひいきにしていた鰻さきの職人に出会います。
金さんの勧めで鰻屋を開業することにしました。いわゆる士族の商法というやつですね。
腕がいいが、酒癖の悪い金さんですが、酒を断って店を手伝うというので殿様も安心です。

さて、最初は良かったのですが、開店の日に祝いの酒だと主人の友達が金さんに飲ませたところ、だんだん悪い酒癖が出てきて暴れ出し、店を飛び出してしまいます。
翌日、職人がいなくなって困っていると、金さんは吉原から付き馬を引いて帰ってきた。
昨日のことは、何も覚えていないという。
黙って遊び代を払ってやると、今度は金さんは酒を飲まず一生懸命働きだし、腕はいいので店も順調になります。

主人はすっかり喜び、ある日閉店の後、酒を出してやるが飲まないで寝てしまう。
ところが家の酒を盗み飲みして、またもや悪口雑言の末、店を飛び出してしまう。次の日も同じで、
仏の顔も三度やらでもう帰って来ません。

困った主人は仕方なく自分で鰻をさばこうとし、捕まえにかかるが捕まらない。
糠をかけたりしてやっと一匹捕まりかかるが指の間からぬるぬると逃げて行くきます。
なおも鰻を追って行く主で、それを見て女房がどこへ行くのかと声をかけます。
「どこへ行くか分かるか。前に回って鰻に聞いてくれ」

【演者】
何と言っても黒門町こと文楽師の名演が光ります。

【注目点】
後半の部分だけを演じたのが「鰻屋」だと思われていますが、「鰻屋」は元が上方落語なので、成立が違います。
この「素人鰻」は昭和29年に芸術祭賞を受けました。
平素は猫のようにおとなしい神田川の金が、酒が入りだんだんと酔っていき、ついには虎になり悪口雑言の大暴れをするくだりがこの噺の眼目ですね。
その豹変ぶりが物凄いですね。
この噺の元は、三遊亭円朝の「士族の商法(御膳汁粉)(素人汁粉)」だと云われています。

『能書』
この噺の職人金さんは、実在の人物で、「神田川」に居た職人で、中々腕の良い職人で、
「金が居るなら今日は鰻を食べて行こう!」
と言う客が曳きも切らずに訪れたと言うくらいの名人だった様です。
当時の食通の間では、”金”と追えば”神田川の金”だったと言う事です。
あの榎本滋民先生が、「素人鰻」の解説で言われていたので、本当なのでしょうね。

『ネタ』
「ニホンウナギ」は絶滅危惧種」になったそうですが、天然の鰻なんてのはかなり前から絶滅を言われていましたね。
稚魚も不良でここ数年は価格も高くなっていましたが、落ち着いたみたいですね。(高値安定というヤツですね)

EclEdo3j『愛宕山』
え〜早いものでこの前マッカーサーが上陸したと思ったらもう立春ですね。
春の噺なんですが、最初は私の好きなこの噺です。
 この噺は上方落語がルーツです。東京では文楽師の十八番でした。3代目圓馬師が東京風に脚色したのを圓馬師から文楽師に伝わったものです。
 晩年は医師から止められていたにもかかわらず、高座に掛けて、その後楽屋で暫く横になっていたそうです。それだけ、最後の処で力が入ったのですね。
最近では志ん朝師がやり、その後かなりの噺家さんがやります。
志ん朝師のも良かったですね、文楽師が省略した下りも入れて、一八と旦那の絡みも見事でした。

【原話】
 上方に古くからあった噺を三代目圓馬師が東京に持って来ました。だから、事実上の圓馬師の弟子でもあった文楽師はこの噺を受け継いだのです。
【ストーリー】
 あらすじは上方と東京では若干違いますので、東京でやります

 京都見物に来た旦那、あらかた見てしまったので、明日は愛宕山に行こうと思いつきます。
連れの幇間の一八に言うのですが、「朝飯前」と言う返事。
翌日、一同連れ立って愛宕山へとやって来ます。
 調子のいいことを言う一八を見て、旦那は繁造を一八にぴったり着かせる。「どんなことがあっても上までひっぱりあげろ。連れてこないと暇を出すよ」と脅して、いざ出発。
大きい口を叩いていた一八は、最終的には繁造に押してもらって、やっとのことで途中の休憩所まで辿りつきます。
 茶屋で休んでいるときに一八が土器投げ(かわらけなげ)の的を見つけます。
向こうに輪がぶらさがっていて、そこにお皿を投げて上手く輪をくぐらせるという遊び。
旦那がやってみせると、負けん気の強い一八、また「朝飯前」だと嘯く。が、もちろんやってみるとうまくいかない。
 そこで旦那が趣向を凝らし、取り出したのが小判三十枚。
煎餅を放る人がいるんだから、それより重量のある小判ならうまく放れて面白いだろうと。
そんなもったいないことを、と止める一八を無視して旦那は投げ続けます。
小判が惜しい一八は自分を的にしろと叫ぶが、旦那は三十枚全てを投げきってしまう。
 さて、投げてしまった小判はどうするか。旦那は「あんなものは惜しくない。取りたきゃ取れ」と言う。
そう言われては取りに行くしかないが、そこは崖っぷち、狼もうろうろしているというし、そう簡単に降りてはいけません。
そこで、傘を落下傘代わりにして飛び降りるというもの。皆が見つめる中、なかなか飛び降りられない一八を見て、旦那が繁造に「後ろから突け」と命じ、一八は無理矢理下へ落とされるます。
 さて、崖を降りた一八、目の色を変えて小判を集めはじめます。全ての小判を拾い終えた一八に
 旦那「皆貴様にやるぞ」
 一八「ありがとうございます」
 旦那「どうやって上がる」
 困った一八に、旦那は「先に行くぞ」と薄情な言葉を残します。
 さて弱った一八、突然服を脱ぎ、脱いだ服を裂き始める。どうしたどうしたと旦那達が見守る中、裂いた布で縄をよって、竹をしならせ、その反動でどうにかこうにか崖上へ無事上ることができました。
 上にたどりついた一八に、
 旦那「偉いやつだね、貴様は生涯屓にするぞ」
 一八「ありがとうございます」
 旦那「金はどうした」
 一八「あ、忘れてきました」

【演者】
 やはり八代目文楽師が抜きん出ていますね。志ん朝師も良かったですね。

【注目点】
 東京では下男の繁造が登場しますが、上方ではふたりとも大阪を食い詰めて京都にやって来た幇間と言う設定です。
そこで、この二人によって、京都の悪口が始まります。
この辺は東京人にはその対抗意識と言うのが正直分かりません。(^^)

『能書』
 上方版では小判は20両で、それも一気に投げて仕舞います。
それと、一八が登る時に口ずさむ歌が違います。
東京は、『コチャエ節』で、上方は、『梅にも春』です。

『ネタ』
 この噺の嘘は、京都の「愛宕山」ではかわらけ投げは行われていないと言う事です。
同じ山系に属する高雄山の神護寺で行われているそうです。
江戸でも王子の飛鳥山、谷中の道灌山で盛んに行われました。
志ん朝師はこの噺を演じる前に、香川県高松市の屋島で実際にかわらけ投げをおこなっています。
愛宕山にも一門で登っています。

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