『手水廻し』
今日は上方落語でこの噺です。最近は東京でも演者がいるようです(歌武蔵師とか)
本来は「貝之村」」という噺の後半なのですが、上方でも前半はほとんど演じられていないみたいです。
『原話』
1814年(文化11)の十返舎一九の『木曽街道膝栗毛にも似たような逸話があります。
また、この噺を東京の噺家が演じると「海野村」と表記するという説もあります。
『演者』
東京では百生師や小南師など上方落語を演じる噺家さんが高座にかけていました。
今は三遊亭歌武蔵師が高座にかけています。
上方では多くの噺家さんが演じています。ポピュラーな噺ですね。
『ストーリー』
とりあえず前半の「貝之村」から
大阪船場の若旦那、丹波貝野村から来た女中のおもよさんがお気に入りです。
商用で出掛けた間におもよさんが母の病気で家へ帰ったと聞き、若旦那は彼女恋しさに病になり床について仕舞います。いわゆる恋煩いですねえ。
早速に、おもよどんを世話いたしました、甚兵衛さんを呼びまして、貝野村へ使いを出すとおもよの方でも恋煩い、
実は、おもよどん、女中奉公といえども、お家は、丹波で、二・三ヶ村の庄屋をしていようというような、立派なお家の、娘さんなのです。そこに甚兵衛さんが駆け込みまして、かくかくしかじかと話ます。
おもよさんは、若旦那の病を聞くやいなや 、ムックと起き上がり、二挺(ちょう)の駕籠を誂えまして、大勢の人足で、大阪へ。
そしてとうとう二人は結ばれるという噺です。
ここまでが前半ですね。ちょっと「崇徳院」の様な感じもしますね。
後半
貝野村で婿入りの儀式をした翌朝、縁側で若旦那はちょうずを廻すよう頼みます。
料理場の喜助は分からず、寺の和尚に相談、「ちょうず」は「長い頭」だと思い、5尺の手拭いで頬かむりができない市助が呼び出され、庭先で頭をぐるぐる回して倒れる始末。
おもよさんは恥ずかしさに若旦那を急かして大阪へ帰ってしまうのでした。
おもよさんの父は、「ちょうず」を知らぬは村の恥と、喜助と共に大阪へ出て宿に泊まると、翌朝、縁側で「ちょうず」を求めます。
湯の入った桶と塩や楊枝が用意されると、桶の湯に出てきたものを混ぜて、二人で残らず飲んでしまう。そこへもう一人前届いた。
「またちょうずを持ってきた? いやもう結構。あとの一人前は昼から頂戴しましょう」
『能書』
後半の大阪に行き「ちょうず」を確かめるくだりは「勘定板」にも少し似ていますね。
全く違う噺を無理やりくっつけた感がありますね。そこの処はどうなんでしょうね。
でも私は正直嫌いな噺ではなくむしろ好きな噺ですね。
『ネタ』
音源では六代目松鶴師の音源も残っています。
「蛇足」
水洗トイレや水道がが普及する前は、トイレの出入口に手洗器というものをを置いてある家が結構ありました。
これは少し大きめのタンクのような入れ物に水をいれておきぶら下げておきます。
タンクの下には細い管が出ており。そこを上に押すとタンクの中の水が出て来るという訳です。
それより昔はトイレの出入り口に瀬戸物や金属などで出来た大きめの容器が置いてありそれには水が張ってありました。用を足した人はこの水でてを洗い、傍に架かっていた手拭いで手を拭きました。この用を足した後に手を洗うことを手水と呼びました。
今日は上方落語でこの噺です。最近は東京でも演者がいるようです(歌武蔵師とか)
本来は「貝之村」」という噺の後半なのですが、上方でも前半はほとんど演じられていないみたいです。
『原話』
1814年(文化11)の十返舎一九の『木曽街道膝栗毛にも似たような逸話があります。
また、この噺を東京の噺家が演じると「海野村」と表記するという説もあります。
『演者』
東京では百生師や小南師など上方落語を演じる噺家さんが高座にかけていました。
今は三遊亭歌武蔵師が高座にかけています。
上方では多くの噺家さんが演じています。ポピュラーな噺ですね。
『ストーリー』
とりあえず前半の「貝之村」から
大阪船場の若旦那、丹波貝野村から来た女中のおもよさんがお気に入りです。
商用で出掛けた間におもよさんが母の病気で家へ帰ったと聞き、若旦那は彼女恋しさに病になり床について仕舞います。いわゆる恋煩いですねえ。
早速に、おもよどんを世話いたしました、甚兵衛さんを呼びまして、貝野村へ使いを出すとおもよの方でも恋煩い、
実は、おもよどん、女中奉公といえども、お家は、丹波で、二・三ヶ村の庄屋をしていようというような、立派なお家の、娘さんなのです。そこに甚兵衛さんが駆け込みまして、かくかくしかじかと話ます。
おもよさんは、若旦那の病を聞くやいなや 、ムックと起き上がり、二挺(ちょう)の駕籠を誂えまして、大勢の人足で、大阪へ。
そしてとうとう二人は結ばれるという噺です。
ここまでが前半ですね。ちょっと「崇徳院」の様な感じもしますね。
後半
貝野村で婿入りの儀式をした翌朝、縁側で若旦那はちょうずを廻すよう頼みます。
料理場の喜助は分からず、寺の和尚に相談、「ちょうず」は「長い頭」だと思い、5尺の手拭いで頬かむりができない市助が呼び出され、庭先で頭をぐるぐる回して倒れる始末。
おもよさんは恥ずかしさに若旦那を急かして大阪へ帰ってしまうのでした。
おもよさんの父は、「ちょうず」を知らぬは村の恥と、喜助と共に大阪へ出て宿に泊まると、翌朝、縁側で「ちょうず」を求めます。
湯の入った桶と塩や楊枝が用意されると、桶の湯に出てきたものを混ぜて、二人で残らず飲んでしまう。そこへもう一人前届いた。
「またちょうずを持ってきた? いやもう結構。あとの一人前は昼から頂戴しましょう」
『能書』
後半の大阪に行き「ちょうず」を確かめるくだりは「勘定板」にも少し似ていますね。
全く違う噺を無理やりくっつけた感がありますね。そこの処はどうなんでしょうね。
でも私は正直嫌いな噺ではなくむしろ好きな噺ですね。
『ネタ』
音源では六代目松鶴師の音源も残っています。
「蛇足」
水洗トイレや水道がが普及する前は、トイレの出入口に手洗器というものをを置いてある家が結構ありました。
これは少し大きめのタンクのような入れ物に水をいれておきぶら下げておきます。
タンクの下には細い管が出ており。そこを上に押すとタンクの中の水が出て来るという訳です。
それより昔はトイレの出入り口に瀬戸物や金属などで出来た大きめの容器が置いてありそれには水が張ってありました。用を足した人はこの水でてを洗い、傍に架かっていた手拭いで手を拭きました。この用を足した後に手を洗うことを手水と呼びました。