はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

桂吉朝

「かぜうどん」というお噺

udonya-thumbタイトルには「かぜうどん」といれましたが、上方の言葉を上手く書けませんので、あらすじ等は「うどん屋」で行います。
 まあ両者は同じものですからね。

 夜、市中を流して歩いていた、うどん屋を呼び止めたのはしたたかに酔った男。
「仕立屋の太兵衛を知っているか?」と言い出し、うどんやが知らないと答えると、問わず語りに昼間の出来事を話し出す。

 友達の太兵衛のひとり娘、みい坊が祝言を挙げた。あんなに小さかったみい坊が花嫁衣装に身を包み、立派な挨拶をしたので胸がいっぱいになった・・・。うどんやが相づちを打つのをいいことに、酔客は同じ話を繰り返すと、水だけ飲んでどこかに行ってしまう。
 ただで水だけ飲まれたうどんや、気を取り直して再び町を流すと、今度は家の中から声が掛かるが、
「赤ん坊が寝たところだから静かにして」
 でかい声はだめだ、番頭さんが内緒で店の衆に御馳走してやるってんで、ヒソヒソ声で注文するのが大口になるんだと思った矢先、ヒソヒソ声で、鍋焼きの注文。
 こりゃ当たりだなと、ヒソヒソ声で「さぁどうぞ」客が食べ終わって、勘定のときに
「うどん屋さんも風邪ひいたのかい」

 このような内容なのですが、東京はうどんは「鍋焼きうどん」となっています。これは江戸では、うどんよりも蕎麦でした。
 うどんが東京で流行ったのは明治維新後の事で「鍋焼きうどん」が流行りました。ですから、「かぜうどん」は大阪の江戸時代でも通じるのに対して「うどん屋」は明治以降でなければならないのです。

「うどん屋」は明治期に三代目小さん師が東京に移植したものです。そこからも「うどん屋」が当時、流行っていた「鍋焼きうどん」を想定していたと言えるでしょうね。
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桂吉朝師を偲んで

477476411月8日は桂吉朝師の命日でもありました。2005年に亡くなっているので今年が七回忌だったのですね。
1974年1月、桂米朝師に弟子入りし、入門当時から、高度な落語センスを持ち合わせており注目されていたそうです。
上方落語をろくに知らない私でもその名は早くから知っていました。
「上方に次代を背負う逸材がいる」と言うウワサはこちらでもかなり有名になっていました。
当時は今よりも未だ、上方落語をこちらでは聴くことが難しかった時代でした。

1999年に胃癌を患い、手術を受け一度復帰したものの、2004年10月になって胃癌を再発。
その後治療を続けながら高座を勤めていましたが、末期状態であり、2005年11月8日心不全のため50歳の若さで逝去されました。
最初の手術の後、高座に復帰してサンケイホールでの落語会で「子ほめ」を演じた録音を聴くと、あまり深刻な感じはしませんでしたが、病は確実に体を蝕んでいたのですね。

上方落語に詳しい方に云わせると、20人以上いた米朝師の弟子の中でも中心となって活躍していたそうです。
いかにも師、米朝師の芸を受け継ぐ正当な後継者と思われていたそうです。

「七段目」「蛸芝居」「質屋芝居」などといった芝居噺を得意とし、「地獄八景亡者戯」以外にも「百年目」「愛宕山」「高津の冨」「千両蜜柑」等の噺を得意としていました。
また「ふぐ鍋」「天災」「化け物使い」などの他の一門の持ちネタも自らの持ちネタとし、おもしろさだけでなく、こなせるネタの幅広さは当代一と云われていたそうです。

落語の神様は洋の東西を問わず、いい噺家さんをあの世に連れて行ってしまうのですね。
極楽亭があるなら、私もあちらに行ったら、必ず行くようにしましょう。(^^)続きを読む

蔵に幽霊が出るなら町内で涼めるぞ!

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え〜暑いと言ってる間に何やら台風が近づいて来ておりますが、未だ7月なのにね早いなぁ〜と感じてます。

なでしこジャパンやりましたね! 正直まさかの世界一ですね。(^^)
前半のアメリカのシュートの外し方は何か普通では無かったですね。
PK戦でも固くなっていた様でしたし。
勝って当たり前と言う重圧があったのでしょうか?
そこ行くと日本の彼女達は笑顔でいたので、普段の力が出たのでしょうか、
サッカーの事は何も分かりませんが、そんな事を感じました。

で、今日は関係なく、「質屋蔵」です。(^^)
これはね、今では東京でもやりますが、上方落語です。

質屋の旦那が三番蔵で化け物が出るという噂を聞いて、番頭に一晩見張っていろと命ずる。
しかし、番頭がただでさえ怖がりなところ、旦那が大方質草に対する持ち主の念が化け物となっているのだろうと想像を膨らませて語るものだから、番頭は一人では嫌だという。
そこで腕自慢の熊さんを助太刀に呼ぼうということになったが、呼びにやった丁稚があることないこと言うので、叱られると思い込んだ熊さんは先にこちらから謝ろうと、酒やたくあんを勝手に拝借したことをぺらぺら白状してしまう。
旦那が「いや今日はお前の腕自慢を見込んで、化け物が出ないか見張って欲しい」と頼むと、急に弱腰になった熊さんだが、そのまま逃げることもできず、番頭と熊さんで一晩三番蔵の見張りをすることに。
最初は怖がっていたものの、酔っ払うとどうにかなるとたかをくくっていた熊さんだが、真夜中に何かが見えたと大騒ぎ。こんなことだろうと、旦那が自ら三番蔵を覗いてみると、小柳繻子の帯と竜門の羽織が相撲を取っている。そうかと思うと、箱から菅原道真の掛け軸が勝手に出てきて、旦那に向かって「持ち主に利上げせよと伝えよ、どうやらまた流されそうだ」

これは菅原道真公が太宰府に流された悲運の持ち主だという事を知らないと、判らないサゲですが、
昔の方は天神さんに親しんでいたので、皆判っていたのでしょう。
演目にも「初天神」等演目もありますね。

演者や東西で違うのは、定吉の扱いですね。この定吉が叱られたウサを晴らす為に熊さんにオネダリする型と、熊さんが変に誤解する様な事を言う型とがありますが、どちらも楽しいです。(^^)

しかしこの熊さんも物凄い事をしてますね(^^)
きっと実は未だ未だある様な気がしますね。

蔵の中の出来事ですが、私なら毎晩でも見て見たいですね。
ここは「頼りになる(ならない)人たちじゃな」と言って登場する旦那の貫禄がキモですね。

サムネの画像を替えました。堀切のゆるキャラで「ほりきりん」と言います(^^)
まだ、変わって無いみたいですが・・・そのうち変わると思います。w続きを読む

桂吉朝師の最後の高座を聞いて

202092a6.jpg上方落語に疎い私でもその存在はかなり前から知っていました。
90年代に入ると東京の落語ファンの間でも認知される事となり、
米朝落語の後継者と言われました。

私の様な東京落語のファンからすると、
上方落語は慣れるまで少々時間が掛かります、
それまではある種の違和感を感じながら噺を聞いて、
慣れると噺の中に入って行きます。
その動作が、米朝師や吉朝師には無く、すんなりと入って行けました。
東京でもそのまま通用する噺家さんだったと思います。

全国的な人気を誇った枝雀師は実は東京の古くからの古典落語ファン
には拒否反応が強いのも事実です。
知り合いの落好きも未だに「枝雀は漫画」と言いますw
そんなうるさ型ファンもが注目をしていたのが吉朝師でした。
生きていれば、師匠米朝師をも超える可能性があっただけに、
何とも、惜しかったです・・・・

先日、最後の高座となった「弱法師」の音源を戴きまして、
聞いて改めてそう感じましたね。
かすれぎみの声の高座ですが、気迫が物凄く伝わってきます。
凄い高座ですね。

11月の命日あたりにうpします。

ネタの無い日は・・・

今日は書くネタが思いつかないなあ〜
と言うことで簡単に。

生放送は今日は上方の日らしいので、昨日から二本うpしました。
吉朝師「質屋蔵」雀三郎「哀愁列車」です。
「哀愁列車」は出囃子が「ヨーデル食べ放題」なので面白そうなので。
あとは、吉朝師ですが、最初の手術の後の高座です。
それにしても、言ってもしょうがないですが、吉朝師はヤッパリ
早かったですねえ・・・・改めて思いました。

明日、と日曜は多分うp出来ませんので宜しく。
日曜は生放送にも参加出来ないと思います・・・残念だなあ!
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