『近日息子』
今日はこの噺です
『原話』
もともと上方落語で、東京で口演されるようになったのは明治40年ごろからですが、
東京の落語家はほとんど手掛けず、大阪からやってきた、二代目三木助師などが、大阪のものをそのまま演じていた程度だったそうです。
大阪での修行時代に二代目春団治師から、この噺を伝授された三代目三木助師が磨きをかけ、独特の現代的(?)ギャグをふんだんに入れて、十八番に仕上げました。
『演者』
今は多くの噺家さんが演じていますね。寄席でも聴くことが多い噺です。
上方では桂春團治でしたね。
『ストーリー』
三十歳近くになる、ぼんくらな一人息子に、父親が説教しています。
芝居の初日がいつ開くか見てきてくれと頼むと、帰ってきて明日だと言うから、
楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札。
バカヤロ、近日てえのは近いうちに開けますという意味だと叱ると、
「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」
普段から、気を利かせるということをまるで知りません
「おとっつぁんが煙管(きせる)に煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ、そのくせ、しかるとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって、」
とガミガミ言っているうち、父親が、用を足したくなったので、紙を持ってこいと言いつけると、出したのは便箋と封筒と言う始末です。
「まったくおまえにかかると、良くなった体でも悪くなっちまう、」
と、また小言を言えば、プイといなくなってしまいました。
しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、訳を聞くと
「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずリンゲルを持って」
「えっ? あたしは何分ももちませんか?」
「いやいや、一応お脈を拝見」
というので、みても、せがれが言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。
それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊主の方へも手をまわしたから、大騒ぎに。長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、
「あの馬鹿息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃなりません」
と、相談する始末です。そこで口のうまい男がまず
「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなん」
と、言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。
「へ、こんちは、さよならっ」
「いい加減にしろ。おまえさん方まで、ウチの馬鹿野郎といっしょになって、あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ」
「へえ、それでも、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて、忌中札まで出てましたもんで」
「え、そこまで手がまわって……馬鹿野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
と怒ると、
「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや。よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」
『能書』
江戸時代の芝居興行では、金主と座主のトラブルや、資金繰りの不能、
役者のクレームや、ライバル役者同士の序列争いなど、さまざまな原因で、
予定通りに幕が開かないことがしばしばだったそうです。
そこで、それを見越して、初日のだいぶ前から、「近日開演」の札を出して予防線を張っていました。
『ネタ』
三木助師によると
「大家は生きているのですから、初めの一言を慌てて飛び込ませ、下を向いたきりで悔やみの言葉をまくしたたせ、大家に不審顔で「なんですか?」と言われ、そこで顔を上げて生きているのが判り慌てて逃げ出すことにしています」
と語っています。
「蛇足」
息子を与太郎にして演じる噺家さんも多いですね。
今日はこの噺です
『原話』
もともと上方落語で、東京で口演されるようになったのは明治40年ごろからですが、
東京の落語家はほとんど手掛けず、大阪からやってきた、二代目三木助師などが、大阪のものをそのまま演じていた程度だったそうです。
大阪での修行時代に二代目春団治師から、この噺を伝授された三代目三木助師が磨きをかけ、独特の現代的(?)ギャグをふんだんに入れて、十八番に仕上げました。
『演者』
今は多くの噺家さんが演じていますね。寄席でも聴くことが多い噺です。
上方では桂春團治でしたね。
『ストーリー』
三十歳近くになる、ぼんくらな一人息子に、父親が説教しています。
芝居の初日がいつ開くか見てきてくれと頼むと、帰ってきて明日だと言うから、
楽しみにして出かけてみると「近日開演」の札。
バカヤロ、近日てえのは近いうちに開けますという意味だと叱ると、
「だっておとっつぁん、今日が一番近い日だから近日だ」
普段から、気を利かせるということをまるで知りません
「おとっつぁんが煙管(きせる)に煙草を詰めたら煙草盆を持ってくるとか、えへんと言えば痰壺を持ってくるとか、それくらいのことをしてみろ、そのくせ、しかるとふくれっ面ですぐどっかへ行っちまいやがって、」
とガミガミ言っているうち、父親が、用を足したくなったので、紙を持ってこいと言いつけると、出したのは便箋と封筒と言う始末です。
「まったくおまえにかかると、良くなった体でも悪くなっちまう、」
と、また小言を言えば、プイといなくなってしまいました。
しばらくして医者の錆田先生を連れて戻ってきたから、訳を聞くと
「お宅の息子さんが『おやじの容態が急に変わったので、あと何分ももつまいから、早く来てくれ』と言うから、取りあえずリンゲルを持って」
「えっ? あたしは何分ももちませんか?」
「いやいや、一応お脈を拝見」
というので、みても、せがれが言うほど悪くないから、医者は首をかしげる。
それを見ていた息子、急いで葬儀社へ駆けつけ、ついでに坊主の方へも手をまわしたから、大騒ぎに。長屋の連中も、大家が死んだと聞きつけて、
「あの馬鹿息子が早桶担いで帰ってきたというから間違いないだろう、そうなると悔やみに行かなくっちゃなりません」
と、相談する始末です。そこで口のうまい男がまず
「このたびは何とも申し上げようがございません。長屋一同も、生前ひとかたならないお世話になりまして、あんないい大家さんが亡くなるなん」
と、言いかけてヒョイと見上げると、ホトケが閻魔のような顔で、煙草をふかしながらにらんでいる。
「へ、こんちは、さよならっ」
「いい加減にしろ。おまえさん方まで、ウチの馬鹿野郎といっしょになって、あたしの悔やみに来るとは、どういう料簡だっ」
「へえ、それでも、表に白黒の花輪、葬儀屋がウロついていて、忌中札まで出てましたもんで」
「え、そこまで手がまわって……馬鹿野郎、表に忌中札まで出しゃがって」
と怒ると、
「へへ、長屋の奴らもあんまし利口じゃねえや。よく見ろい、忌中のそばに近日と書いてあらァ」
『能書』
江戸時代の芝居興行では、金主と座主のトラブルや、資金繰りの不能、
役者のクレームや、ライバル役者同士の序列争いなど、さまざまな原因で、
予定通りに幕が開かないことがしばしばだったそうです。
そこで、それを見越して、初日のだいぶ前から、「近日開演」の札を出して予防線を張っていました。
『ネタ』
三木助師によると
「大家は生きているのですから、初めの一言を慌てて飛び込ませ、下を向いたきりで悔やみの言葉をまくしたたせ、大家に不審顔で「なんですか?」と言われ、そこで顔を上げて生きているのが判り慌てて逃げ出すことにしています」
と語っています。
「蛇足」
息子を与太郎にして演じる噺家さんも多いですね。