らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:柳橋

20200214115609『お見立て』
前の演題が不評なので記事を更新します。
そこでお彼岸も近いのでこの噺です。

【原話】
文化5年(1808年)に出版された笑話本・「噺の百千鳥」の一遍である『手くだの裏』です。


【ストーリー】
田舎者の杢兵衛(もくべえ)大尽が登楼し、花魁の喜瀬川を呼ぼうとする。
じつは大尽、喜瀬川から「逢いたい」という手紙を貰い、やってきたのですが、喜瀬川は店の若い者に「あんな田舎者はいやだよ」などと言って逢おうとしない。
じつは、必要な金の工面をしようと、杢兵衛大尽に手紙を出したのだが、もう金の算段がついたので逢う必要は無いという。
間に入った若い者の喜助は、喜瀬川に入れ知恵されるがままに「花魁はいま体の具合が悪くてお目にかかれません」と断りを言うが、大尽は「それじゃあ見舞いにいくべえ。
部屋はどこだ」と言い出す始末。
仕方が無く「入院をしているのです」と言えば「どこの病院だ。そこへ行こう」と食い下がる。嘘はだんだんエスカレートし、ついに喜瀬川は大尽に逢えない悲しさのため、死んでしまったということに!
どこまで行っても素直な大尽は涙を流し「墓参りに行くべえ」と発案。喜助も引き下がれなくなり、大尽を山谷の適当な寺へ案内するのですが、中に入ると、墓がずらりと並んでいる。
いいかげんに一つ選んで「へえ、この墓です」。
杢兵衛お大尽、涙ながらに線香をあげ、ノロケを言いながら『南無阿弥陀仏、ナムアミダブツ』…。
「ゲホ…ゲホ…!! 線香のたきすぎだぁ!」
火事場みたいな煙を扇子で払い、ひょいと戒名を見ると…。
全く違うので慌てて別の墓に案内するが、これも違う何と子供の墓。
次々と案内するものの、違う墓ばかり、当たり前なのですが。
「いったいどれが喜瀬川の墓だ」
「へい、宜しいのをお見立て願います」

【演者】
昭和の噺家だと柳橋先生や圓遊師などが印象に残っています。もちろん志ん生師、志ん朝師親子も演じました。
今でも多くの噺家が演じています。

【注目点】
明治の初めまでは、、店の格子の前で花魁が顔見せをする『張り見世』というシステムがあったそうで、遊びに来た客は、格子越しにその様子を眺めながら、「よろしいのをお見立てを願います」という若い衆の言葉を聴いて、その晩の女性を選んだという。
そこから来たオチです。

『ネタ』
その昔(明治の初め)は「田舎漢」とかいて「いなかもの」とルビを振っていたそうで、その頃の噺だそうです。
圓遊師は舞台をキャバレーに変えて演じた事もあるそうです。

今日は、昨夜の生放送で話題になった、柳橋師の「支那そば屋」と
以前リクがあって保留していた志ん生師の「蜆売り」の二本を上げました。
寒くなって来たので良かろうと思い上げました。
「支那そば屋」は「うどん屋」のパロディですね、改作とも言いますが。
なにか古典でもうどんに七味を沢山入れてしまう噺がありましたよね。
あれは上方落語の「かぜうどん」かなあ・・・なんだったけかなあ、思いだ出ないな。その噺のワンシーンだけ覚えているんですよね。

昨夜の生放送後にnamさんが掲示板に「竜宮界龍の都」(小倉船)について
詳しく書かれていました。
本当に頭がさがりますね。私が起こした事ですが、namさんが詳しく調べてくれてフォローして下さいました。有難うございます。
気が付くと、いつもこんなパターンで、私はいつまで皆さんに迷惑を掛けるのだろと思いましたね。反省せねば・・・

円歌師の「竜宮界龍の都」は祭りがはじまったら上げましょうね。


このページのトップヘ