はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

柳家権太楼

寄席で聴きたい  柳家権太楼師

 gontarou1今日は権太楼師匠です。当代は三代目ですが、初代は戦前から戦後の時代に一世を風靡しました。「猫と金魚」などで有名でした。
 二代目は、襲名して湯河原の旅館の主になってしまいました。その為、当代は、名前を300万で買ったと言う噂です。
 元々、名前を貰うと言う事は先代の生活の面倒を一切見る。と言う事だったそうです。今では、そんな風習は薄れましたが、先代の法事を行うのは当然だそうです。

1,970年 5代目柳家つばめに入門  ほたる(1970年 - 1974年)
1974年 師匠が亡くなったので、5代目柳家小さん一門に移る さん光
1982年 3代目柳家権太楼を襲名して真打昇進

【芸風】
 本格的な古典落語を演じますが、その内容も他の人とは、ちょっと変わっています。
 自分で噺を構築し直して口演します。その為、噺によっては登場人物が違っている時もあります。それでも、多くのファンが居て、寄席では抜群の人気を誇ります。
 
【得意演目】
代書屋、長短、不動坊、火焔太鼓、三枚起請他多数


【エピソード】
 腎臓がんを経験しましたが、見事にカムバックしました。

【健二のネタ】
その時の事ですが……
幕が上がると権太楼師がマスクをしたまま高座に上がったそうです。
そして次の事を話ました。
 
昨年(2010年)11月に腎臓にガンが見つかった事。
今年(2011年)1月に片方の腎臓を手術で除去し、3月に医者に勧められて抗ガン剤治療を1週間入院して行い、放射線治療も受けた事。
 今は通院になったそうですが、放射線と抗がん剤治療した事で
「白血球が減っているので人前に出る時はマスクを必ずする事」
 と医者に言われているそうです。そして
「マスクして、百年目は出来ないでしょう!」
と言って、会場は緊張が緩んで大爆笑だったそうです。
高座を降りる時は凄い拍手だったそうです。

「富士詣り」と言う噺

20110723_01今日は「富士詣り」です。

長屋の連中が日ごろの煩悩を清めようというわけで、大家を先達にして、
富士登山に出かけたのは良いのですが、五合目まで来ると全員くたくた。
おまけに、天気までおかしくなってきました。
「これは、一行の中に五戒を犯した者がいるから、山の神さまのお怒りに触れたんだ。一人一人懺悔(ざんげ)をしなくちゃいけねえ」ということになって、
一同、天狗に股裂きにされるのがこわくて、次々と今までの悪事を白状するのですが、
懺悔を始めると、トンデモ無い事が次から次へと・・・・・

この噺はよく高座に掛かる噺ではありませんが、今でもたまに掛かります。
私はこの噺、初めて聴いたのが、芸協の橘ノ圓師匠です。
その後何人かで聴きました。確か小三治師もやっていますね。

山の噺と言うと「大山詣り」が有名でよく掛かるのでこちらは余り掛からないのでしょうね。
でも聴いてるとこちらも結構面白いですね。

江戸時代は意外に今と同じシステムが発達していまして、此の様な富士詣りや大山詣りも専門の、今なら、旅行会社みたいな組織があり(いわゆる講といわれる組織)、先達の派遣、宿の手配やもろもろの手続きをしてくれたそうです。多い時は講員は70万人を超えたとか。(大山講の場合)
そこに頼むと、両国の垢離場から世話をしてくれたそうで、初めて山にお参りする方でも心配無かったそうです。
この噺でも、「大山詣り」でも先達さんを大家さんが兼ねているので、それが普通だったのでしょう。
とはいえ、今と違い昔は下から登って行ったのですから大変だったでしょうね。(^^)

富士登山のシーズンは一般的には7月1日から8月26日と言われていますが、この時期意外にも登っても別に良いそうですが、時期によっては山小屋が閉じらていたり、気候が厳しかったりして大変です。
特に冬の富士山は大変難関な山だそうです。続きを読む

「試し酒」の謎

d6ad29a915184cffdaa25757c733e6d5小三治師が落語協会の会長の座を降りる事を表明しました。次期会長は市馬師だそうです。一気に若返りますね。副会長の人事に注目が集まります。
 という事に関係無く今日は「試し酒」です。

今村信雄氏(1894〜1959)の新作落語で、昭和初期に創作されました。
原型は、中国の笑い話だそうです。

ある大家の主人が、客の近江屋と酒のみ談義となります。
お供で来た下男久造が大酒のみで、一度に五升はのむと聞いて、とても信じられないと言い争いが始まります。
その挙げ句に賭けをすることになって仕舞います。
もし久造が五升のめなかったら近江屋のだんなが二、三日どこかに招待してごちそうすると取り決めた。
久造は渋っていたが、のめなければだんなの面目が丸つぶれの上、散財しなければならないと聞き
「ちょっくら待ってもらいてえ。おら、少しべえ考えるだよ」
と、表へ出ていったまま帰らない。

さては逃げたかと、賭けが近江屋の負けになりそうになった時、やっと戻ってきた久蔵
「ちょうだいすますべえ」
一升入りの盃で五杯を呑み始めます。
なんだかんだと言いながら、息もつかさずあおってしまいました。

相手のだんな、すっかり感服して小遣いを与えましたが、どうしても納得出来ません。
「おまえにちょっと聞きたいことがあるが、さっき考えてくると言って表へ出たのは、あれは酔わないまじないをしに行ったんだろう。それを教えとくれよ」
「いやあ、なんでもねえだよ。おらァ五升なんて酒ェのんだことがねえだから、
心配でなんねえで、表の酒屋へ行って、試しに五升のんできただ」

この噺には筋がそっくりな先行作があり、明治の英国人落語家・初代快楽亭ブラック師が
明治24年3月、「百花園」に速記を残した「英国の落話(おとしばなし)」がそれで、
主人公が英国ウーリッチ(?)の連隊の兵卒ジョンが呑む酒がビールになっている以外、まったく同じです。
このときの速記者が今村の父・次郎氏ということもあり、このブラックの速記を日本風に改作したと思われます。
さらに遡ると中国に行きつくという訳です。

作者の今村氏は著書「落語の世界」で、「今(s31年現在)『試し酒』をやる人は、柳橋、三木助、小勝、小さんの四人であるが、中で小さん君の物が一番可楽に近いので、
今、先代可楽を偲ぶには、小さんの『試し酒』を聞いてくれるのが一番よいと思う」
と、書いています。

私はこの久蔵はどうして五升も酒屋で飲むお金を持っていたのか?と言う事です。
五升というと現代でも一万円を越すと思います。当時の奉公人としては大金だと思うのです。
日常からそんな大金を持ち歩いていたのでしょうか?続きを読む

「富士詣り」と言う噺

20110723_01今日は「富士詣り」です。

長屋の連中が日ごろの煩悩を清めようというわけで、大家を先達にして、
富士登山に出かけたのは良いのですが、五合目まで来ると全員くたくた。
おまけに、天気までおかしくなってきました。
「これは、一行の中に五戒を犯した者がいるから、山の神さまのお怒りに触れたんだ。一人一人懺悔(ざんげ)をしなくちゃいけねえ」ということになって、
一同、天狗に股裂きにされるのがこわくて、次々と今までの悪事を白状するのですが、
懺悔を始めると、トンデモ無い事が次から次へと・・・・・

この噺はよく高座に掛かる噺ではありませんが、今でもたまに掛かります。
私はこの噺、初めて聴いたのが、芸協の橘ノ圓師匠です。
その後何人かで聴きました。確か小三治師もやっていますね。

山の噺と言うと「大山詣り」が有名でよく掛かるのでこちらは余り掛からないのでしょうね。
でも聴いてるとこちらも結構面白いですね。

江戸時代は意外に今と同じシステムが発達していまして、此の様な富士詣りや大山詣りも専門の、今なら、旅行会社みたいな組織があり(いわゆる講といわれる組織)、先達の派遣、宿の手配やもろもろの手続きをしてくれたそうです。多い時は講員は70万人を超えたとか。(大山講の場合)
そこに頼むと、両国の垢離場から世話をしてくれたそうで、初めて山にお参りする方でも心配無かったそうです。
この噺でも、「大山詣り」でも先達さんを大家さんが兼ねているので、それが普通だったのでしょう。
とはいえ、今と違い昔は下から登って行ったのですから大変だったでしょうね。(^^)

富士登山のシーズンは一般的には7月1日から8月26日と言われていますが、この時期意外にも登っても別に良いそうですが、時期によっては山小屋が閉じらていたり、気候が厳しかったりして大変です。
特に冬の富士山は大変難関な山だそうです。

続きを読む

今でも親方の名に残る佐野山という名前

d3d3a271今日は大相撲も一応開催されているので相撲の噺です。

横綱・谷風は実在した力士ですが、佐野山に関しては?居なかったという説もあるそうですが、
佐野山は確かに実在の力士で、この噺のモデルは江戸時代の文化頃に活躍した人物だと思います。

江戸時代の大横綱で谷風梶之助は名人を通り越して人格者でした。その
谷風が生涯一回だけ八百長相撲をヤッタという噺ですが・・・創作ですw

江戸の相撲取り、佐野山は幕内にまで入った力士でしたが、、母親が病気になり、看病に時間を費やすうち、相撲の成績がジリ貧に。
とうとう幕下の一番下まで下がってしまいました。
「ああ、これでおれの相撲もおしまいか」そんな佐野山の嘆きを耳にした横綱・谷風は佐野山との取り組みを希望します。
当時全盛の横綱・谷風と連敗続きの佐野山の取り組みに相撲贔屓は驚きます。
「あんなに実力差があったんでは勝負になるまい」という声や、
「明日の取り組みは遺恨相撲で、女をとられた谷風が佐野山を投げ殺すらしい」などという噂が飛び交います。
魚河岸や大旦那連中は100両、200両、花柳界のお姉さんまで佐野山に祝儀約束をします。
それもそのはず、勝てる見込みは無いから、みんな言いたい放題、無責任に言っている始末。 
さて、いよいよ千秋楽結びの一番。
谷風には思惑があったのでした・・・・・

当時の相撲興行は晴天十日でしたから、十日で終わる事は少なかった様です。
雨が続くと10日が2倍にも3倍にも興行日が延びてしまうのですね。
もちろん会場は両国の回向院で開催されました。




続きを読む
記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ