今日は初代圓遊師が作った新作「金魚の芸者」です。
『金魚の芸者』
実に面白く不思議な噺です。
テーマは「金魚の恩返し」ですかね。
【原話】
「鼻の円遊」の新作で、明治26(1893)年6月、初代三遊亭円遊が
「錦魚の御拝謁(おめみえ)」の題で速記が残っています。
【ストーリー】
本所で金魚屋を営む六左衛門という男。
ある日金魚の会の道すがら、小石川の武嶋町辺を通りかかると、
子供らが池で魚をつかんでいる。
見ると、池から小さな金魚が飛び出してピンピン跳ねた。
どうやら、丸っ子といって、泳ぎ方が変わっているので珍重される品種みたい。
それを子供が素手でつかんで持って行こうとするので、慌てて、
「そんなことをしたら手の熱で死んでしまう」
と注意して、五銭銀貨一枚やって買い取り、珍品なので、太刀葵と名付け、家の泉水で大切に飼育した。
その後、大きな良い金魚に育ち、品評会等でも好評なので気をよくしていると、
ある夜、金魚が夢枕に立った。そして
「私は武嶋町であなたに助けられましたから、何か恩返しをと思っています所へ、
あなたが今日、もし私が人間に育って、芸者にでもなったら売れっ子になるだろうとおっしゃるのを聞きました。どうぞ私を芸者にして恩を返させてください。明日の朝、人間の姿で伺いますから、決してお疑いのないよう」
と言ったかと思うと、スーッと消えてしまった。
不思議なこともあるものと、夫婦で話していると、
「ごめんくださいまし」
と、女の声。
誰かと思い、出てみると、
「私、金魚のお丸でございます」
と言うではないか。よく見ると顔は丸いが、なかなかの美人。
まさかと思って池の中を見ると、金魚がいない。これは本物と、六左衛門喜んだ。
お丸が、今日からでも柳橋から芸者に出たい、柏手を三つ打ってくれれば金魚の姿になるから、手桶に入れて置屋に連れて行ってくれればよい
というので、試してみると、お丸の言う通りになった。
そう言えば、柳橋の吉田屋の主人が芸者を一人欲しがっていたので、早速連れて行き、また柏手を打つと不思議や、お丸はまた女の姿に。
吉田屋の主は、一目でお丸が気に入って、
「この人は、お前さんの娘かい?」
「いえ、実は拾い子で」
「どこで拾いなすった」
「どぶの中で」
「ひどい親があるもんだ。兄弟はありますか?」
「ウジャウジャいますが、黒田さまへ一人、宮さま方にも二、三人」
「どんな物が好きだい?」
「そりゃあボーフラ、もとい、麩が好きなんで。飯粒はいけません。目が飛び出しますから」
等と変な答えだが、最後に、のどを聞かせてほしいとだんなが言うので、
お丸、三味線を手に取って、器用に清元を一段語った。
「あー、いい声(鯉)だ」
「いえ、実は金魚です」
【演者】
五代目古今亭志ん生が、マクラの小咄程度に演じていましたが今は柳家小満ん師が専門に演じています。
【注目点】
やはり金魚の可愛さと女性の色気を出す事が出来るかでしょうね。意外と難しい気がします。
『能書』
金魚が中国から最初に移植されたのは、文亀2(1502)年のことらしいです。
江戸になると盛んに品種改良が行われるようになりました。武士の副業としても盛んだったそうです。
『ネタ』
小満ん師は噺を再構成しているそうです。もとの噺では主人公が金魚屋であったのを魚屋に改訂。そのほかにも独自の工夫で、繊細な味わいです。後半はいよいよ「金魚の芸者」が登場。言葉遊びでおおいに笑いを誘うが、それよりも人間になった「丸っ子」のかわいらしさ、女っぽさに主眼がおかれている。魚屋の夫婦が金魚の変身をまるで疑わないというのも独特のタッチでいいですねえ〜
『金魚の芸者』
実に面白く不思議な噺です。
テーマは「金魚の恩返し」ですかね。
【原話】
「鼻の円遊」の新作で、明治26(1893)年6月、初代三遊亭円遊が
「錦魚の御拝謁(おめみえ)」の題で速記が残っています。
【ストーリー】
本所で金魚屋を営む六左衛門という男。
ある日金魚の会の道すがら、小石川の武嶋町辺を通りかかると、
子供らが池で魚をつかんでいる。
見ると、池から小さな金魚が飛び出してピンピン跳ねた。
どうやら、丸っ子といって、泳ぎ方が変わっているので珍重される品種みたい。
それを子供が素手でつかんで持って行こうとするので、慌てて、
「そんなことをしたら手の熱で死んでしまう」
と注意して、五銭銀貨一枚やって買い取り、珍品なので、太刀葵と名付け、家の泉水で大切に飼育した。
その後、大きな良い金魚に育ち、品評会等でも好評なので気をよくしていると、
ある夜、金魚が夢枕に立った。そして
「私は武嶋町であなたに助けられましたから、何か恩返しをと思っています所へ、
あなたが今日、もし私が人間に育って、芸者にでもなったら売れっ子になるだろうとおっしゃるのを聞きました。どうぞ私を芸者にして恩を返させてください。明日の朝、人間の姿で伺いますから、決してお疑いのないよう」
と言ったかと思うと、スーッと消えてしまった。
不思議なこともあるものと、夫婦で話していると、
「ごめんくださいまし」
と、女の声。
誰かと思い、出てみると、
「私、金魚のお丸でございます」
と言うではないか。よく見ると顔は丸いが、なかなかの美人。
まさかと思って池の中を見ると、金魚がいない。これは本物と、六左衛門喜んだ。
お丸が、今日からでも柳橋から芸者に出たい、柏手を三つ打ってくれれば金魚の姿になるから、手桶に入れて置屋に連れて行ってくれればよい
というので、試してみると、お丸の言う通りになった。
そう言えば、柳橋の吉田屋の主人が芸者を一人欲しがっていたので、早速連れて行き、また柏手を打つと不思議や、お丸はまた女の姿に。
吉田屋の主は、一目でお丸が気に入って、
「この人は、お前さんの娘かい?」
「いえ、実は拾い子で」
「どこで拾いなすった」
「どぶの中で」
「ひどい親があるもんだ。兄弟はありますか?」
「ウジャウジャいますが、黒田さまへ一人、宮さま方にも二、三人」
「どんな物が好きだい?」
「そりゃあボーフラ、もとい、麩が好きなんで。飯粒はいけません。目が飛び出しますから」
等と変な答えだが、最後に、のどを聞かせてほしいとだんなが言うので、
お丸、三味線を手に取って、器用に清元を一段語った。
「あー、いい声(鯉)だ」
「いえ、実は金魚です」
【演者】
五代目古今亭志ん生が、マクラの小咄程度に演じていましたが今は柳家小満ん師が専門に演じています。
【注目点】
やはり金魚の可愛さと女性の色気を出す事が出来るかでしょうね。意外と難しい気がします。
『能書』
金魚が中国から最初に移植されたのは、文亀2(1502)年のことらしいです。
江戸になると盛んに品種改良が行われるようになりました。武士の副業としても盛んだったそうです。
『ネタ』
小満ん師は噺を再構成しているそうです。もとの噺では主人公が金魚屋であったのを魚屋に改訂。そのほかにも独自の工夫で、繊細な味わいです。後半はいよいよ「金魚の芸者」が登場。言葉遊びでおおいに笑いを誘うが、それよりも人間になった「丸っ子」のかわいらしさ、女っぽさに主眼がおかれている。魚屋の夫婦が金魚の変身をまるで疑わないというのも独特のタッチでいいですねえ〜