はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

柳家小三治

今のうちに聴いておきたい小三治師

f8cfac694a75da07d4568cdde2883017夏です! 梅雨も明けました!今回から暫くは、今、寄席で最もノッている噺家さんを紹介したいと思います。
最初は、落語界で現役では唯一の「人間国宝」の十代目柳家小三治師です。

【十代目 柳家小三治】 1939年12月17日生まれ
1959年 五代目柳家小さんに入門 小たけ
1963年 二つ目昇進 さん治
1969年 真打昇進 十代目 柳家小三治を襲名

【芸風】
この師匠の噺は実際に体験して戴きたいです。と言うのも、聴いているその場にいる観客を会場ごとその落語の世界に変えてしまうのです。
その力は枯れて若干衰えたとはいえ、見事なものです。かっての名人の圓生師や志ん朝師とも違うのです。
噺家一人ひとりに個性があるなら、師匠の個性は抜群と言えると思います。
CDやDVDでは体験出来ない小三治ワールドを是非体験してください!

【得意演目】
『あくび指南』『うどん屋』『かんしゃく』『看板のピン』『金明竹』『小言念仏』『子別れ』『死神』『芝浜』『大工調べ』『千早振る』『茶の湯』『出来心』『転宅』『道灌』『時そば』『鼠穴』『初天神』『富士詣り』『百川』『やかんなめ』等他多数

【エピソード】
沢山あるのですが、ひとつだけ上げるなら、修行時代に師匠小さん師に稽古をつけて貰っていて、自分の噺を聴いて貰っていました。演じ終わって師匠がひとこと
「お前の噺は面白くねえな」
この体験が小三治師の原点になっているそうです。
師匠はどんな意味で言ったのか?
それを考える所から始まっている気がします。

【健二のネタ】
以前、浅草演芸ホールの夜席に小三治師がトリなので聴きに行きました。
トリが出るのは夜の八時半前後です。九時には終わるので、三十分が演じる時間なのです。
師匠は出てくるとマクラを長々と演じました。師のマクラも芸のひとつでCDや本まで出ているほどですので、これはこれで嬉しいのですが、時間も迫って来たので「今日は落語はないな」と思ったのです。
しかし、師匠は九時を過ぎても終わりません。更にマクラを話して客を笑わせて、それから十五分も過ぎてから何と「小言幸兵衛」を始めたのです。それも端折りもせず最後まできっちりと演じてくれました。終ったのはもう十時になっていましたが皆満足して帰りました。
そんなお茶目なこともしてくれる師匠です。

「不動坊」と言う噺

1-C-KSH264今日は「不動坊」です。
此の噺は本来は春先の噺なのですが、東京では夏に演じられる事が多い様です。
本来は上方落語ですが、最近は東京でも定着していますね。
2代目林家菊丸師の作とされています。三代目柳家小さん師が東京に移植しました。

長屋に住む講釈師、不動坊火焔が旅先で急死し、未亡人のお滝に再婚話が持ち上がる。
同じ長屋に住む吉が、不動坊の残した借金を肩代わりするという条件で、お滝をもらうことになった。
もともとお滝に思いを寄せていた吉は、降ってわいた話に夢見心地。銭湯で新婚生活の稽古をしているところを町内の連中に目撃されてしまう。
じつは町内の男どもは、みなひそかにお滝に惚れていたのだ。悔しくて成らない鉄、萬、徳の三人組はお滝の祝言を破談にさせようと計画を思案。売れない噺家を雇い、不動坊火焔の幽霊が恨み言を言いにくる筋立てを考える。

そして、真夜中に四人連れで吉公の家にやってくる。
屋根に登って、天井の引き窓から幽霊をつり下ろす算段だが、
万さんが、人魂用のアルコールを
餡コロ餠と間違えて買ってきたりの騒動の後、噺家が
「四十九日も過ぎないのに、嫁入りとはうらめしい」
と脅すと、吉公少しも動ぜず、
「オレはてめえの借金を肩代わりしてやったんだ」
と逆ねじを食わせたから、幽霊は「墓なんか要らないから、10円もくれれば良い」と交渉。
結局、計画はおジャン。

怒った三人が屋根の上から揺さぶったので、幽霊は手足をバタバタ。
「おい、十円もらったのに、まだ浮かばれねえのか?」
「いえ、宙にぶら下がってます」

本来のサゲは、「幽霊(遊芸)稼ぎ人です」と言いました。
上方ではこのサゲで演じています。
これは、明治時代、落語家が「遊芸稼ぎ人」という鑑札を受けていたことがあり、
これを持っていないと商売が出来なかったからです。

上方では米朝一門、東京では小さん一門の噺ですね。
上方では、ほとんどはマクラで「遊芸稼ぎ人」の説明を仕込んだ上でオリジナルの通りにサゲています

とにかく聴いていて楽しい噺ですが、湯屋での独り言のシーンで笑いを取らねばならず、
演じるには難しい噺なうえに、最後の幽霊のシーンっでは中腰で演じなければならないので、
あまり高齢だと出来ないとも云われています。続きを読む

『なぜ「小三治」の落語は面白いか?』を読んで……

kosannji toshiさんに勧められていた『なぜ「小三治」の落語は面白いか?』を読み終わりましたので、拙い感想などを書いてみたいと思います。

 前半はインタビューとなっています。「週刊現代」の企画でインタビューしたものの完全版となっています。これはファンには嬉しいですね。その中でもいい言葉が沢山ありました。
 例えば、内緒話をする時に、圓生師は「最初大きく声を出して段々小さくすれば、内緒話に聞こえる」と教えてくれたそうですが、師匠小さん師は「そんなものその人間の了見になれば自然と聞こえるんだ」と言ったそうです。
 前者は話術について、後者は心構えについて語っていると思うのですが、どちらも納得させられます。
 面白かったのは噺に対しての心構えが小三治師と志ん朝師で全く違っていたことでしたね。笑わせなければ駄目だという志ん朝師と正反対の小三治師、きっとそれはそれぞれの師匠の教えなんでしょうね。
 それからインタビューで10年前と語っていましたが、GWの浅草の芝居でトリで10日間「天災」を掛けた話が出ましたが、私、その時の芝居に行っています、今でも良く覚えています。特別に悪い出来ではなかったとは思いますが、師としては満足いかなかったのでしょね。
 浅草で印象使いのは、秋のトリを取った時に8時半に高座に上がって、30分はまくらでした。はちみつの話なんか中心でそれはそれで面白かったです。
「ああ、今日はまくらで終わりか、でも良かったからいいか」
 そう思っていた時でした。もう9時になろうかという時刻から「小言幸兵衛」をやりだしました。いや、その出来の素晴らしい事。
 終わったのはもう9時40分になろうとしてましたが、誰も途中で帰る人はいませんでした。皆椅子に磁石がついて動けなくなった感じで高座の師匠の噺に注目していました。
 終わった後は割れんばかりの拍手だったことは言うまでもありません。

 インタビューの後半はDVDの発売の時に広瀬さんが尋ねていたことを収録したものです。これにも色々といい話が載っています。

 本の後半は発売されている90の音源や映像の演目の解説と複数発売されている演目については広瀬さんがお勧めする媒体を紹介してくれています。
 この演目を見て私が生の高座やCDやTV、それにDVDなども含めて一度も聴いたことが無い演目がありました。それは「明烏」だけです。と言うより私は柳家小三治師の「明烏」は聴いた事ないです。それ以外の89演目は聴いています。
 広瀬さんは噺の完成度の高さから若い時に収録されたバージョンよりも後年の熟されたバージョンを勧めています。特にDVD収録演目については、ほぼこちらを勧めています。
 それに異を唱えることはしませんが、若い頃に収録されたCDなどは、まさに伸び盛りの小三治師が聴けます。今とは全く違った小三治師がCDには居るんです。
 それと出囃子が鳴る寸前の緊張感も耳だけに頼っているからこその想像力を生み出します。決して劣っている訳ではありません。そんな楽しみ方もあると理解して下さい。
 今日はこんなところで……続きを読む

柳家小三治師が「重要無形文化財保持者」に認定!!

f8cfac694a75da07d4568cdde2883017前落語協会の会長の柳家小三治師(74)が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。師匠の五代目小さん師、桂米朝師に続いて三人目ですね。
第一報なので、詳しい事は判りませんが、そのうち師匠のコメントなども載ると思います。
何にせよ、おめでたいことだと思います。

まずは、お知らせまで……

「厄祓い」と言う噺

b9c2969c今日は「厄払い」です。

この噺は黒門町の十八番で有名ですね。
原話は不詳で、文化年間(1804〜18)から口演されてきました。
東西ともに演じられますが、上方の方はどちらかというとごく軽い扱いで、厄払いのセリフを地口オチで演じる噺ですね。
古くは節分だけの営業でしたが、文化元(1804)年以後は正月六日と十四日、旧暦十一月の冬至、大晦日と、年に
計五回、夜に廻ってくるようになりました。この噺では、大晦日の設定です。
ですので、きょうあたりでも、良かろうかと言う判断です。(^^)

 与太郎が二十歳になってもぶらぶらしているので、叔父さんが厄払いの口上を教えます。
自分で稼いだ銭で、おっかさんに小遣いでもやってみろ、泣いて喜ぶからと、早速厄払いに出掛けさましたが、
「えー、厄払い」と口ごもっているところへ、「御厄払いましょう、厄落とし」と本職が出てきました。

本職に邪魔だと怒られて路地に入ったら、面白そうな厄払いだと呼び止められました。
 厄払いの前に銭を催促して、豆をもらっていよい口上を始めたのですが、
「あぁら、目出度いな目出度いな」と始めたのは良いが、後が分からなくなったので、叔父さんが書いてくれた紙を懐から出して読み始めます・・・
「……鶴は十年」「鶴は千年だろう」
「あそうか点が付いてるから千年だ」
「亀は……読めねえ、おや裏の店と同じ字だ、裏の店は何ていうんだい」「よろずやだ」
「鶴は千年、亀はよろず年」

ここまで読むと、与太郎、めんどうくさくなって逃げ出してしまいます。
「おい、表が静かになった。開けてみな」
「へい。あっ、だんな、厄払いが逃げていきます」
「逃げていく? そういや、いま逃亡(=東方)と言ってた」

厄払いはもうかなり行われなくなりましたが、その昔は、祝儀等は江戸では十二文、明治では一銭から二銭をおひねりで与え、節分には、それに主人の年の数に一つ加えた煎り豆を、他の節季には餅を添えてやるならわしでした。
今では、「ひとがた」の紙に名前と年を書いて神社に奉納して厄払いをしてもらう処もあります。
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