はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:柳家小さん

c0460『芋俵』
 今日はこの噺です。秋ですよね。まあ冬の可能性もありますが……。
上方落語では「芋屁」となります。
【原話】
1767年の『友達ばなし』の「あか子」だとされています。また狂言の「柑子俵」という説や1776年刊の噺本「聞上手」の「いもや」とも言われています。
 万延2年の噺家、桂松光のネタ帳の「風流昔噺」の中には既に「人俵」とあります。

【ストーリー】
 ある泥棒三人組が相談しています。さる警戒厳重な大店へ押し入るため、一計を案じているのですが……。
 まず、一人が芋俵の中に入り、仲間二人が「少しの間、店の前に置かせてください」と頼み込む。
 店の方ではいつまでたっても取りにこないから、迷惑して俵を店の中に入れる。夜が更けてから、中の一人が俵を破って外に出て、心張り棒を外し、待機していたあとの二人を導き入れる、と言う計画を練ります。
 ところが実際は、小僧が俵を中に入れる時、逆さに立ててしまったから、俵の中の泥棒、身動きが取れず四苦八苦。
 しかし、声は立てられない。そのうち小僧と女中が、俵の芋をちょいと失敬して、蒸かして食べよう、どうせ二つや三つならわからないと示し合わせ、小僧が俵に手を突っ込む。
 逆さだから、上の方が股ぐらあたり。そこをまさぐられたから、泥棒、くすぐったくて我慢できなくなり、思わず「ブッ」と一発。
 小僧「おやおや、気の早いお芋だ」

【演者】
六代目圓生師をはじめ、五代目小さん師等が演じています。

【注目点】
江戸時代、薩摩芋の本場は江戸近郊では川越でした。
江戸の八百屋さんは川越産と言うと少々高くても、仕入れたそうです。
薩摩芋は1604年に琉球に伝わり、1698年に種子島、1705年頃、薩摩山川の前田利右衛門が持ち帰り、栽培したのが始めです。
享保の大飢饉の時に西日本が薩摩芋のお陰で被害が酷くならずに済んだのを見た八代吉宗が関東でも栽培するように青木昆陽に命じて栽培させました。
最初は1734年に小石川の小石川植物園等で栽培しました。

『ネタ』
焼芋は、寛政5年(1793)の暮れに、本郷四丁目の番屋で、番太郎がアルバイトに焙烙で焼いたものを売り出したのが起源とかいいますから案外早く普及したのですね。

82d5987f『夏泥』
 東京では明日13日からお盆(盂蘭盆会)です。その間は記事を更新しませんので今日更新しておきます。申し訳ありませんが、コメントの返事も少し遅れるかも知れません。
別名「置泥」とも言います。

【原話】
1776年の「気の薬」に「貧乏者」という噺がありこれが大元だと思われます。
1807年の喜久亭壽曉のネタ帳「滑稽集」に「夏どろぼう」とあります。また、上方では『打飼盗人』と言う噺になります。

【ストーリー】
夜中に、まぬけなこそ泥が長屋のきたない家に忍び込む。中で寝ていた男に金を出せと脅すが男は一向に動じない。
あいくちで脅すと、「さあ殺せ」という。男は大工で道具箱を質に入れてしまって仕事に出られず、生きていてもしょうがないから殺してくれという。
こそ泥は質料2円を男に渡し、道具箱を受け出し仕事に行けという。大した泥棒じゃないと見破った男は利息が3円ついているといいまた金をせびる。そして、着物の質料3円、食い物代も1円せしめる。
あげくの果てに家賃が5つ分溜まっていて払えないから殺してくれという始末だ。
仕方なく泥棒は残りの持ち金の11円まで男に巻き上げられてしまう。
すっからかんになった泥棒が帰ろうとすると男が呼び止める。
泥棒 「ふざけんな、この野郎。まだなんか用か」
男 「すまねえ、季節の変り目にまた来てくんねえ」
ここを「晦日に来てくんねえ」と下げる場合もあります。

【演者】
やはり五代目小さん師が一番ですねえ。柳家の噺家さん達を始め広く演じられています。
若手では橘家文左蔵さんの評価が高いですね。

【注目点】
柳家小さん(五代目)は、煙草入れを忘れていった泥棒を男が追いかけて行って返そうとするところでサゲています。こちらの男のほうが少しは良心的?かもしれません。

『能書』
そここそこ金を持ってると言うのはちゃんと仕事もできる泥棒なんですね。
この場合は男のほうが一枚上手なのか、泥棒がお人好しなのかですね。

『ネタ』
三代目小圓朝師は「この噺は特に目の使い方が難しい」と語っていたそうです。

9dd31674-s『短命』
今日はこの噺です。またの名を「長命」とも言います。

【原話】
享保12年の『軽口はなしどり』の中の一編です。
この噺は簡単そうですが、実は鸚鵡返し等が難しい事や変に下品になってもイケナイので真打の噺とされているそうです。

【ストーリー】
ご隠居のところに八五郎が訪れて、三度死んだ伊勢屋の旦那の葬式の手伝いだという。不思議に隠居さんが思って尋ねると、伊勢屋のお嬢さんと最初に一緒になった色白の婿殿が亡くなり、二人目はごつい男だったがこれも亡くなり、三人目の亭主が一年足らずでこの間亡くなったので、
これで三度死んだと言うでしょ。どうしてこうも続けて死んじゃうのかねぇ、と八五郎。
 話を聞いたご隠居が、解説を始めます。
 店の方はすべて番頭が見ているので亭主は月に一、二回帳簿を見るだけで、普段やることがなく暇だ。
目の前には震付きたくなる様ないい女。
飯時には手と手が触れる。冬は炬燵で脚が触れる。周りを見ても誰もいない。となればやることは一つ。
短命だろう。
説明を受けた八五郎は、指から毒が移るのかとか、いい女を見つめて飯を食い忘れるとかトンチンカンなことを言うが、どうにか意味を理解して家に帰ります。
 女房に給仕をさせて、ご飯茶碗を渡す時に手と手が触れる。目の前には震付きたくなる様な、、、。
「あぁ、おれは長生きだ」 

【演者】
小さん一門を始め、色々な噺家さんが演じています。
小さん師のは七代目か可楽師から六代目蝶花楼馬楽師に伝えられたそうです。
歌丸師は「長命」で演じていましたね。

【注目点】
いわゆる『艶笑落語(バレ噺)』の範疇に入る噺でしょうが、戦時中なら禁演でしたが、今はこれくらいは、どうって事ありませんね。
この噺の聴き所は「遠まわしに説明する隠居と、なかなか理解できない八五郎都のやり取りですが、コレに限らず、実際の事でも鈍い人なんて居るものですね。

『能書』
伊勢屋の旦那の病気は昔は、「腎虚(じんきょ)」と言われました。
つまりはアッチの方が過ぎ、精気を吸い取られてあえなくあの世行きという訳ですね。

『ネタ』
志ん生師版では、最後のかみさんとの会話にくすぐりを多く用いるなど面白く工夫し、
サゲは「おめえとこうしてると、オレは長生きができる」というオチでした。

aefe929c『竹の水仙 』
季節的には少し疑問ですが水仙が春の花なので取り上げました。

【原話】
元は講釈ネタですので、基本的にはオチはありません。左甚五郎物として有名なのは三木助師の「ねずみ」が有名ですね。
「ねずみ」は浪曲師の広沢菊春師に「加賀の千代」と交換にネタを譲ってもらい、脚色して落語化したものです。

【ストーリー】
左甚五郎が江戸へ下る途中、名前を隠して、藤沢宿の大松屋佐平という旅籠(はたご)に、宿をとった。
ところが、朝から酒を飲んで管をまいているだけで、宿代も払おうとしないので、
たまりかねた主人に追い立てを食うが、甚五郎、平然としたもので、ある日、中庭から手頃な大きさの竹を一本切ってくると、それから数日、自分の部屋にたてこもる。

心配した佐平がようすを見にいくと、なんと、見事な竹造りの水仙が仕上がっていた。
この水仙は昼三度夜三度、昼夜六たび水を替えると翌朝不思議があらわれるが、その噂を聞いて買い求めたい
と言う者が現れたら、町人なら五十両、侍なら百両、びた一文負けてはならない、と言い渡す。

佐平が感嘆していると、なんとその翌朝、水仙の蕾が開いたと思うと、たちまち見事な花を咲かせたから、
一同仰天。
そこへ、たまたま長州公がご到着になり、このことをお聞きになると、ぜひ見たいとのご所望。
見るなり、長州公
「このような見事なものを作れるのは、天下に左甚五郎しかおるまい」
ただちに、百両でお買い上げになった。
五郎、また平然と「毛利公か。あと百両ふっかけてもよかったな」

甚五郎は半金の五十両を宿に渡し江戸に向かいました。
上野寛永寺の昇り龍という後世に残る名作を残すなど、いよいよ名人の名をほしいままにしたという、
「甚五郎伝説」の一説。

【演者】
五代目柳家小さん師の十八番で、小さん師のオチのない人情噺は珍しいですね。
寄席等では桂歌丸師、柳家喬太郎師などが演じるほか、若手でも手掛ける者が増えているようです。
圓生師は「三井の大黒」とセットで演じてもいます。
演者によって、甚五郎の雰囲気が違ってくるのも面白いですね。

【注目点】
この噺や「抜け雀」は宿屋の主が脇役でありながらも主役級の活躍をしていますね。この宿屋の主をどう演じるかが重要なんだそうです。

『能書』
オチが無いのですが、調べるとこんなのがありました。夫妻は宿を去ろうとする甚五郎を止め、「どうかこのあとも、300両の竹の水仙をこの宿で作り続けてもらえないか」と聞くが、甚五郎はそれを拒む。理由を聞くと、「竹に花を咲かせると、寿命が縮まるから」というサゲもありますが、これは数十年から百数十年に一度花を咲かせ、竹ごと枯れてしまう事に掛けたものですね。

『ネタ』
実際の左甚五郎は東照宮の「眠り猫」や維新で燃えてしまいましたが、上野寛永寺の「登り龍」は有名ですが落語の世界の彫刻の名人伝説は創作なんだそうです。

d22e4931『試し酒』
この噺が冬の噺なのかは判りませんが、お酒の噺なので取り上げる事にしました。

【原話】
今村信雄氏(1894〜1959)の新作落語で、昭和初期に創作されました。
原型は、中国の笑い話だそうです。

【ストーリー】
ある大家の主人が、客の近江屋と酒のみ談義となります。
お供で来た下男久造が大酒のみで、一度に五升はのむと聞いて、とても信じられないと言い争いが始まります。
その挙げ句に賭けをすることになって仕舞います。
もし久造が五升のめなかったら近江屋のだんなが二、三日どこかに招待してごちそうすると取り決めた。
久造は渋っていたが、のめなければだんなの面目が丸つぶれの上、散財しなければならないと聞き
「ちょっくら待ってもらいてえ。おら、少しべえ考えるだよ」
と、表へ出ていったまま帰らない。
さては逃げたかと、賭けが近江屋の負けになりそうになった時、やっと戻ってきた久蔵
「ちょうだいすますべえ」
一升入りの盃で五杯を呑み始めます。
なんだかんだと言いながら、息もつかさずあおってしまいました。
相手のだんな、すっかり感服して小遣いを与えましたが、どうしても納得出来ません。
「おまえにちょっと聞きたいことがあるが、さっき考えてくると言って表へ出たのは、あれは酔わないまじないをしに行ったんだろう。それを教えとくれよ」
「いやあ、なんでもねえだよ。おらァ五升なんて酒ェのんだことがねえだから、
心配でなんねえで、表の酒屋へ行って、試しに五升のんできただ」

【演者】
これはもう五代目の小さん師ですね。久造が呑んで行くに連れ表情も変わって来ますし顔も赤くなって行きます。この辺りは本当に見事です。

【注目点】
私はこの久蔵はどうして五升も酒屋で飲むお金を持っていたのか?と言う事です。
五升というと現代でも一万円を越すと思います。当時の奉公人としては大金だと思うのです。
日常からそんな大金を持ち歩いていたのでしょうか?

『能書』
この噺には筋がそっくりな先行作があり、明治の英国人落語家・初代快楽亭ブラック師が
明治24年3月、「百花園」に速記を残した「英国の落話(おとしばなし)」がそれで、
主人公が英国ウーリッチ(?)の連隊の兵卒ジョンが呑む酒がビールになっている以外、まったく同じです。
このときの速記者が今村の父・次郎氏ということもあり、このブラックの速記を日本風に改作したと思われます。
さらに遡ると中国に行きつくという訳です。

『ネタ』
作者の今村氏は著書「落語の世界」で、「今(s31年現在)『試し酒』をやる人は、柳橋、三木助、小勝、小さんの四人であるが、中で小さん君の物が一番可楽に近いので、
今、先代可楽を偲ぶには、小さんの『試し酒』を聞いてくれるのが一番よいと思う」
と、書いています。

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