『橋場の雪 』
東京でも初雪が降りましたので、今日はこんな噺でもと思いました。
能登の被災者の方々にも雪が降り積もってるそうで、お見舞いを申し上げます。
【原話】
大元は「雪の瀬川」と言う人情噺が元の噺で、この噺を直して文楽師が十八番「夢の酒」として演じました。
更に「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」を文楽師が昭和10年ごろに「夢の酒」に改作しました。
【ストーリー】
商家の奥の離れに若旦那がいます。 こっそりと幇間の一八が忍んで来て、今日は瀬川花魁と会う約束だったじゃあないか、向島の料亭で瀬川が待っている、と言ます。 瀬川は、吉原で全盛の花魁。
女房のお花に内緒で抜け出した若旦那、瀬川の片えくぼのことなど考えている内に、吾妻橋を通り過ぎて、橋場の渡しの所まで来てしまいました。
ちょうどその時、渡し舟が出たばかりで、土手の上の吹きざらし、寒いと思ったら、雪が降り出し、あたり一面真っ白。
なのに自分だけ雪がかからないので、ふと見ると傘を差しかけてくれていたのが、お湯の帰りだという女中連れの三十に手がとどきそうな、いい女で、若旦那が三年前に亡くなった亭主に、よく似ている、近くなのでお茶でも差し上げたい、と言う。 丁度そこへ、渡し舟が戻って来てしまい、ここはこれまで。
向島の料亭では、花魁はつい今しがた廓に戻ったという。なんだと帰ろうとすると、渡し舟はあるが船頭がいません。
そこへ小僧の貞吉が傘と足駄を持って迎えに来て、対岸の二階で先ほどの女が手招きしているのを目敏く見つけます。
定吉は親父が深川の船頭だったから、渡し舟ぐらい漕げるのです。石垣の間に蝙蝠傘を挟んだりすることはないという。
貞吉に駄賃を一円、漕ぎ返すのにもう一円やって、女の家へ寄る事にします。
「一献召し上がって」
「じゃあ一杯だけ」
差しつ差されつやっているうちに、頭が痛くなって、次の間にとってあった布団に横になる。
長襦袢になった女が、布団の隅の方にだけと入ってきました。すると……。
「あなた、あなた」
と女房のお花に起されると、実は離れの炬燵の中で、夢を見ていたのでした。
話を聞いて女房は泣き、若旦那は笑い、親父は怒る始末。
さっき駄賃を二円やったじゃあないかと言われて、釈然とせずに若旦那の肩を叩いていた貞吉が、居眠りを始めます。
焼餅焼きのお花は
「若旦那が橋場に出かける何よりの証拠、貞吉がまた舟を漕いでおります」
【演者】
これは最近では柳家三三師が落語研究会などで演じていますね。
昔のことですが、三代目柳家小さんの、明治29年の速記があります
【注目点】
「隅田の夕立」の方は円遊師が、夢の舞台を向島の雪から大川の雨に代え、より笑いを多くしたそうです。
「夢の後家」の方は、「夢の酒」と大筋は変りませんが、夢で女に会うのが大磯の海水浴場、それから汽車で横須賀から横浜を見物し、東京に戻って女の家で一杯、と、当時の明治らしさです。
『能書』
人情噺「雪の瀬川」(松葉屋瀬川)が「橋場の雪」として落し噺化され、それを鼻の園遊師が、現行のサゲに直し、「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作しました。
されに、「夢の後家」の方を、文楽師が昭和10年前後に手を加え、「夢の酒」として磨き上げました。
『ネタ』
文楽師も「夢の酒」を演じる以前はこの「橋場の雪」をしていたそうです。
「蛇足」
「橋場」は現在は台東区橋場で、白鬚橋と明治通りに囲まれた一帯です。現在では職安があったり、スーパーの「OKマート」とかが立ち並んでいます。
東京でも初雪が降りましたので、今日はこんな噺でもと思いました。
能登の被災者の方々にも雪が降り積もってるそうで、お見舞いを申し上げます。
【原話】
大元は「雪の瀬川」と言う人情噺が元の噺で、この噺を直して文楽師が十八番「夢の酒」として演じました。
更に「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作されました。
それの「夢の後家」を文楽師が昭和10年ごろに「夢の酒」に改作しました。
【ストーリー】
商家の奥の離れに若旦那がいます。 こっそりと幇間の一八が忍んで来て、今日は瀬川花魁と会う約束だったじゃあないか、向島の料亭で瀬川が待っている、と言ます。 瀬川は、吉原で全盛の花魁。
女房のお花に内緒で抜け出した若旦那、瀬川の片えくぼのことなど考えている内に、吾妻橋を通り過ぎて、橋場の渡しの所まで来てしまいました。
ちょうどその時、渡し舟が出たばかりで、土手の上の吹きざらし、寒いと思ったら、雪が降り出し、あたり一面真っ白。
なのに自分だけ雪がかからないので、ふと見ると傘を差しかけてくれていたのが、お湯の帰りだという女中連れの三十に手がとどきそうな、いい女で、若旦那が三年前に亡くなった亭主に、よく似ている、近くなのでお茶でも差し上げたい、と言う。 丁度そこへ、渡し舟が戻って来てしまい、ここはこれまで。
向島の料亭では、花魁はつい今しがた廓に戻ったという。なんだと帰ろうとすると、渡し舟はあるが船頭がいません。
そこへ小僧の貞吉が傘と足駄を持って迎えに来て、対岸の二階で先ほどの女が手招きしているのを目敏く見つけます。
定吉は親父が深川の船頭だったから、渡し舟ぐらい漕げるのです。石垣の間に蝙蝠傘を挟んだりすることはないという。
貞吉に駄賃を一円、漕ぎ返すのにもう一円やって、女の家へ寄る事にします。
「一献召し上がって」
「じゃあ一杯だけ」
差しつ差されつやっているうちに、頭が痛くなって、次の間にとってあった布団に横になる。
長襦袢になった女が、布団の隅の方にだけと入ってきました。すると……。
「あなた、あなた」
と女房のお花に起されると、実は離れの炬燵の中で、夢を見ていたのでした。
話を聞いて女房は泣き、若旦那は笑い、親父は怒る始末。
さっき駄賃を二円やったじゃあないかと言われて、釈然とせずに若旦那の肩を叩いていた貞吉が、居眠りを始めます。
焼餅焼きのお花は
「若旦那が橋場に出かける何よりの証拠、貞吉がまた舟を漕いでおります」
【演者】
これは最近では柳家三三師が落語研究会などで演じていますね。
昔のことですが、三代目柳家小さんの、明治29年の速記があります
【注目点】
「隅田の夕立」の方は円遊師が、夢の舞台を向島の雪から大川の雨に代え、より笑いを多くしたそうです。
「夢の後家」の方は、「夢の酒」と大筋は変りませんが、夢で女に会うのが大磯の海水浴場、それから汽車で横須賀から横浜を見物し、東京に戻って女の家で一杯、と、当時の明治らしさです。
『能書』
人情噺「雪の瀬川」(松葉屋瀬川)が「橋場の雪」として落し噺化され、それを鼻の園遊師が、現行のサゲに直し、「隅田(すみだ)の夕立」「夢の後家」の二通りに改作しました。
されに、「夢の後家」の方を、文楽師が昭和10年前後に手を加え、「夢の酒」として磨き上げました。
『ネタ』
文楽師も「夢の酒」を演じる以前はこの「橋場の雪」をしていたそうです。
「蛇足」
「橋場」は現在は台東区橋場で、白鬚橋と明治通りに囲まれた一帯です。現在では職安があったり、スーパーの「OKマート」とかが立ち並んでいます。