はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:林家正蔵

sinobazuike1『唖の釣り』
 今日はこの噺です。これが秋の噺がどうかは疑わしいですがね。

【原話】
 原話は京都辻ばなしの祖とされる初代露の五郎兵衛が元禄11年(1698)に刊行した「露新軽口ばなし」中の笑話「又言ひさうなもの」です。
上方では「昆陽の御池」となりました。
 東京には八代目正蔵師が、大阪の二代目三木助師に教わったものを移しました。

【ストーリー】
 馬鹿の与太郎に、釣をする奴は馬鹿と言われた七兵衛さん、思わず怒って、殺生禁断の不忍池で鯉を密猟して売って儲けている事を話して仕舞います。
 弥太郎に弱みを握られ、連れて行く羽目になってしまいます。そこで七兵衛さん、
「見張りの役人に見つかったら、どうせ4発は殴られるので、出る涙を利用し
『長の患いの両親に、精のつく鯉を食べさせたいが金がなく、悪いこととは知りながら孝行のため釣りました。親の喜ぶ顔さえ見れば名乗って出るつもりでした』と云えば、孝行奨励はお上の方針、見逃してくれる」
 と悪知恵をつけます。ところが与太郎、あまりに簡単に釣れるので大はしゃぎ。騒ぎすぎで、案の定捕まって10発も余計に殴られたのですが、教えられた泣き落としが何とか効き、お目こぼしで許され、やっとの思いで逃げていきます。
 一方、七兵衛さん、池の反対側でせっかくこっそり釣っていたのに、与太郎のとばっちりで役人に見つかり、これまたポカポカ。
 恐怖と痛さで腰が抜け、ついでにあごも外れてしまう。そこはベテラン、これを利用して、アーウーアーウーと身振り手振りで説明します。
 役人、口がきけない奴ではしかたがないと、これまた釈放されます。許してつかわすと言われて思わず
「ありがとう御座います」
 役人「おお、器用な唖だ口を利いた」

【演者】
 八代目正蔵師が良く高座にかけていましたが、亡くなった後でも一門が良く高座にかけています。先日は浅草で六代目柳朝師で聴きました。また芸協の芝居でも聴くことが出来ます。小南師などが板にかけていますね。

【注目点】
 江戸時代、寺社の池はどこも仏教の殺生戒により、殺生禁断が寺社奉行より申し渡されていましたが、上野の近辺は寛永寺の将軍家御霊屋があるため、不忍池では禁忌が特に厳しく徹底されていました。
 浅草寺の近辺の河川も禁止になっていたそうです。墨田川等も一部禁止されていました。

『ネタ』
 仏教で言う「五戒」とは殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒で、これを厳しく禁じています。だから寺社の敷地ではこれらは一切禁止となっています。

 え〜私はこのライブドアのブログと全く同じものをヤフーブログで「菖蒲園」の名前で挙げています。この度、ヤフーブログが閉鎖になる事になりました。
そこで、ヤフーの方にコメントを頂いている方々がこちらに来てくださるようになりました。皆様改めてよろしくお願いいたします。
という訳で今日はこの噺です。

4f0ffd67『あたま山 』
今日は少し早い気もしますがこの噺です。
「あたま山」というのは江戸落語での名称で、上方落語では、「さくらんぼ」の題名で演じられています。枝雀師が演じていましたね。

【原話】
原話は安永2年(1773)刊『坐笑産』の「梅の木」や、同年刊『口拍子』の「天窓(あたま)の池」。類話として安永10年(1782)刊『いかのぼり』の「身投」、享和3年刊の黄表紙『いろ見草 浮世の頭木』などがあるそうです。

【ストーリー】
 けちんぼの吝兵衛さんは、花見に行くとみんなが旨いものを食っているので、自分も食いたくなり金がかるからと、時期をずらして葉桜になってから花見に出掛けた。
桜の枝になっているさくらんぼをひとつ食べたら美味いし、只なので続けて沢山食べた。
 翌年になると、頭から桜の樹が生えて来てやがて満開になった。
今年は吝兵衛さんの頭山で花見をしようと人が集まって来て、歌ったり踊ったり、花火を上げる奴までいて、
うるさくてしょうがない。
堪り兼ねた吝兵衛さんは桜の樹を引っこ抜いてしまった。
 その跡には池ができて、鮒や鯉などの魚が泳ぎはじめた。
鯰の大物が釣れたとか噂が広まり、大勢の人が頭山の池に釣りに来た。
頭の上はいつもうるさいし、時々釣り針が鼻に引っ掛かって痛い。
 自分ほど不幸な奴はいないと世を儚んで、吝兵衛さんは、自分の頭の池に身を投げて死んでしまったとさ。

【演者】
東京では八代目正蔵師の得意な噺でしたし、志ん生師も「庚申待」のマクラで演じています。
鈴々舎馬桜師が器用なところを見せて色々な落語の一部を引っ張って来て噺に入れています。これはこれで楽しいですね。

【注目点】
2002年、山村浩二によって短編アニメ化され色々な映画祭で受賞・入賞を果たしたのは有名ですね。動画はyoutubeで見られます。語りは国本武春さんです。

『能書』
これは志ん生師や正蔵師のあらすじですが、大体同じで、細部を膨らませているかどうかですね。
荒唐無稽と言えばそうですが、SFぽい噺ですね。
アニメにもなり、映画祭等で賞を受賞していますね。
白鳥師匠が以前、「この噺は、腕がないと喋れない。だから、今はやる人がいない。」と言っていましたね

『ネタ』
この時代の「さくらんぼ」は今のとは違い、中国原産の「桃桜」とかヨーロッパ原産の「チェリー」だったそうです。今、日本で栽培されているのは明治期にフランス原産のヨーロッパ系のものがアメリカよフランスあたりから輸入されたもので品質改良されたものだそうです。

a89661b6『首提灯』
え〜毎日寒いですねえ。そこで今日はこの噺です。これ冬の噺なんですね。

【原話】
原話は、安永3年(1774年)に出版された笑話本・「軽口五色帋」の一遍である『盗人の頓智』だそうです。
もともと小ばなしだったのを、明治期に四代目橘家円蔵が一席にまとめたものです。

【ストーリー】
博打で懐の暖かい江戸っ子の酔っぱらいが芝山内を通りかかりました。
最近辻斬りや追いはぎが出るのでぶっそなので、景気付けに大声で通り抜けようとしたら武士に呼び止められました。
 辻斬りか追い剥ぎかと一瞬ビックリしましたが、その様でもなさそう。
安心して酔っぱらった勢いで武士に反抗し毒づきます。
武士は、「麻布にめえるにはどうしたらいいか 」と聞いてきたが、道の聞き方を改めて説教し、さんざん武士に楯をつきます。
「切りたかったら、切りやがれ」と悪口狼藉。
その上、痰を紋服に吐きかけて悪口を並べる始末。
 武士の顔色が変わると改めて、もう一つ吐きかける。さすがの武士も我慢が出来ず、雪駄をならして後ろから腰をひねって「えぃ!」。
チャリーンと鞘に収める早業は目にも止まらぬさまで、その後、謡曲を謡いながら去って行きました。
それでも後ろ姿に毒ずきます。、品川の女郎との一人のろけをしていると、「俺の首はこんな建付が悪くは無いんだがな?声がかすれてどこからか声がもれているぞ」。ガックと首が落ちそうになる所をかろうじて両手で直し、もしかしたらと、首筋を触って血が付いているのを見つけ、「野郎、やりやがったな」
そこに近くで火事が出て、人が大勢出てきて混み合ってきました。
弓張り提灯を持った人が駆けて来るし、「じゃまだ、じゃまだ!」とぶつかる者も出始めます。
「こちとら壊れ物を持っているのだ、落っこどしては大変」
と自分の首を 提灯のようにヒョイと差し上げ「はいゴメン、はいゴメン、はいゴメン!」

【演者】
圓生師匠はこの噺で芸術祭賞を受賞しています。
他には正蔵師、小さん師、志ん朝師等が演じています。特に圓生師、正蔵師は、四代目円蔵師直伝だそうです。
志ん朝師は剣道の達人であった小さん師に刀の使い方を見てもらったそうです。

【注目点】
八代目正蔵師だと火事見舞いに行く途中という設定であるのに対し圓生師だと単なる火事見物なんですね。そこら辺が面白いですね

『能書』

江戸時代、芝山内と呼ばれた増上寺の境内は、暗がりで常夜灯が置かれていたそうです。
それだけ暗くて寂しい所だったのですね。

『ネタ』
圓生師によると「酔っているのだが本当に酔っていては噺が成り立たない」ので、その加減が大事だそうです。

bb92b71c『千両みかん』
今日は「千両みかん」と言う噺です。夏なので少し早いですがね。このブログでは余り取り上げないので今年は取り上げました。

【原話】
松富久亭松竹の作と言われています。ですので純粋な上方噺です。
東京に入って来たのは戦後だそうです。

【ストーリー】
 大店の若旦那が病に倒れます。聞いてみると「みかんを食べたい」と言う。
大旦那からみかんを探せと命じられた番頭が、江戸中を探しますが、夏にみかんを売っている店はありません。
 ようやく、神田の「万惣」で一個みつけたが、千両だという値。毎年毎年、店の名に掛けて蔵一杯のみかんを保管している中の一個だからそれだけの価値があると。
店に帰って報告すると、「千両で息子の命が買えるなら安い」と言いすぐ千両の金を番頭にもたせます。
大旦那様から千両を預かり、みかん一個を買って若旦那に持って帰ります。
 若旦那は喜んでみかんを食べて元気になり、十袋のうち三袋を残した。番頭を呼んで、おとっつあんとおっかさんに一袋渡して欲しい、苦労を掛けたから番頭さんも一袋食ってくれと、みかん三袋を番頭に渡した。
 番頭は預かったみかんを持って考えた。来年暖簾分けでご祝儀をもらっても、四十両か五十両だが、ここに三百両ある。
考えた挙句、番頭はみかんを持って何処かに・・・・・・

【演者】
八代目正蔵師を始め、志ん生師などが有名です
【注目点】
上方からの輸入ですが、商人が絡んでる噺なので、あちらの方が理論的にしっかりした処があります。
上方では、最初は商人のプライドに掛けて只でも良いと言うのです。
それがこじれて千両になるのですが、そのくだりが自然で納得出来るのですね。
こちらの千両の話も分かりますが、ちょっと苦しいかなぁ〜と。
商人の心意気が強調された上方版と黄表紙などに出てきそうな粋な面を強調した江戸版と言う感じでしょうか。
米朝師匠のを聞いた事がありますが、
天満の青物市場の番頭さんと店の番頭さんの上方商人の意地が
ぶつかり合って、それは良いモノでした。
そう聞いてみると、この噺はやはり上方噺なのだなと思いましたね。

『能書』
志ん生師は神田多町の青物問屋としか言いませんが、
他の師匠ですと、神田の「万惣」に番頭さんが行きます。
わりとあっさりと千両の値が付きます。

『ネタ』
今でも、秋葉原から万世橋を渡り、須田町に入ると
神田方面に向かって左側に「万惣」はあります。
フルーツパーラーになっています。
子供の頃一度入って、パフェを食べた記憶があります。
昔はこの辺は布地屋さんが多かったんですよ。
母親が布地を買いに来た時だったのかな?
時代が違いますが、立花亭もこの辺にありました。

66e87013『一眼国 』
少し間が空いてしまいました。申し訳ありません。
そこで今日はこの噺です。

【原話】
1842年の「綺談新編」のほか1847年の「噺の種」の「取りに来て取られた」あたりからです。

【ストーリー】
新しいネタを探している見世物小屋の主が、全国を歩いている六部に何か珍しいものを見たことがないかと尋ねる、すると六部が言うのには、
「江戸から北へ百四五十里ほど、広い野原の真ん中の大きな榎木の近くで一つ目小僧を見たことがある」と。
その話を詳しく訊き、低調に礼を言って旅支度、早速行って見ることにします。
北へ北へ行き、主がその場所を訪ねて何とか同じ所かと思う所に行き着きます。
夕刻近くになり、一つ目の女の子を見つけて喜んで、小わきに抱えて捕まえます。
早速、江戸に連れて帰ろうと思ったら、「キャー」と叫ばれた途端に早鐘が鳴り、どこから出て来たのか、周囲を人にとり囲まれて逆に捕まってしまった。
小僧の親や役人と思しき連中を見ると、何とみんな一つ目だった。一つ目の国に迷い込んでしまったのです。
「やや、ご同役、こやつ目が二つあるよ」
「調べはあとじゃ、早速見世物小屋へ出せ」

【演者】
「一眼国」は柳家小さん系の噺で、生粋の江戸落語です。四代目小さん師が得意にしていましたが、この噺を磨き上げた八代目正蔵師は、円朝門下の最後の生き残り、一朝爺さんこと三遊一朝師からの直伝で、小さん師の型も取り入れたと語っています。
他には志ん生師も語っています。

【注目点】
不思議なな噺なので、正蔵師も志ん生師も、笑いをとるため、マクラに江戸時代の両国広小路や浅草奥山のインチキ見世物を面白おかしく説明しています。
六部 と言うのは、巡礼者で、法華経六十六部を写経し、日本全国六十六か所の霊場に各一部ずつを納めたことにその名が由来します。簡単に言うと、全国の国分寺や一宮を巡礼する行者ですね

『能書』
両国界隈には、多くの商人や見世物小屋が林立しており、インチキも多かったそうですね。人の子を食らう鬼娘とか、大ウワバミとか、いい加減なモノも多かったとか。

『ネタ』
一つ目 の伝説は日本ばかりでなく、ギリシア神話のキュクロプスをはじめ、世界各国に伝説があります。
山の神信仰が元といわれ、山神の原型である天目一箇命(あまのまのひとつのみこと)が隻眼隻足とされていたことから、こうした山にすむ妖怪が考えられたとみられます。
「化け物使い」の狸も一つ目に化けていましたね。

このページのトップヘ