らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:林家正蔵

e5174115【双蝶々】
(双蝶々雪の子別れ)
今日はこの噺です。夏の噺でも秋の噺でもありませんね。すみません。

「原話」
三遊亭圓朝作と言われていますが、それ以前からあったとも言われます。道具仕立てで演じられました。歌舞伎の同名の話とは違います。

「演者」
一朝老人から教わった圓生師や正蔵師が高座に掛けました。特に正蔵師は道具自仕立てで演じました。他には歌丸氏師も演じています。

「ストーリー」
長い噺なので、大雑把に粗筋を書いてみます。
長吉は幼い頃から悪さばかりしていたため、早くに奉公に出されます。
長吉は生来の小狡さから、奉公先では気が利く者として溶け込みます。
しかし長吉は裏では盗みを働いており、盗みの現場を店の番頭に見られてしまいます。
長吉の盗みを目撃した番頭は店へ戻って長吉の部屋を調べたところ、高価な品が多数出てきたので驚きます。
番頭は帰ってきた長吉を呼びつけ、盗みを働いていることを白状させます。
長吉が盗みを白状するや、番頭は花魁の身請けをするために大金が必要だからと、長吉に店の百両を盗むよう強要すします。

長吉はしかたなく言われた通りに、仮病を使い奥に入り込み、タンスの薬箱ならぬお金を引き抜き、薬をもらって引き下がってきます。
盗んだ金を番頭にむざむざ持っていかれるのが惜しくなり、待ち合せの場所で番頭を殺し、奥州路に逃げようかと独り言を言っているのを小僧の定吉に聞かれてしまいました。
口封じのために、定吉を首を絞めて殺してしまいます。その後番頭との約束の九つの鐘を聞いて逐電してしまいます。

正直・長兵衛夫婦は倅の悪事を知り、世間に顔向けが出来ないと、長屋を引き払って流転の日々を送る日々です。
遂に長兵衛は腰が立たない病になってしまい、内職だけでは病人を養っていけず、お光は内緒で袖乞いをして一文二文の銭を稼ぎ、なんとか食い繋いで生きます。
そこへ、たまたま奥州石巻から父の様子を探しに出てきた長吉の袖を引き、二人はひさびさの対面を果しますす。
長吉は子供の時分、お前に辛く当たったのも親父を取られたように思ったからで、今では申し訳無いと思っているんだ、と話します。
腰の立たない父を見舞い、50両の金を渡し元気で暮らすように言いますが、長兵衛は悪事から手を洗えと言葉を重ねたが、最後は長吉をゆるし、涙ながらに今生の別れを告げます。
長兵衛はもらい物の羽織を渡し、江戸から無事出られるようにと願うのでした。
雪の降る中、後ろ髪を引かれる思いで長屋を去った長吉は、吾妻橋を渡るところでついに追手に取り囲まれ、御用となるのでした。

「注目点」
談志師は生前「長吉」にも感情移入できる余地はある」と語っていました。

「ネタ」
 当時の資料によると、湯島大根畠(文京区2丁目)には陰間茶屋が多かったそうです。(参考までに)

「能書」
 現役では雲助師と弟子の馬石さん、それに正蔵師の芝居噺を受けつだ、正雀師が演じています。
喬太郎師や若手なども演じています

b08d313b『千両みかん』
今日は「千両みかん」と言う噺です。まさに夏の噺ですね

【原話】
松富久亭松竹の作と言われています。ですので純粋な上方噺です。
東京に入って来たのは戦後だそうです。

【ストーリー】
 大店の若旦那が病に倒れます。聞いてみると「みかんを食べたい」と言う。
大旦那からみかんを探せと命じられた番頭が、江戸中を探しますが、夏にみかんを売っている店はありません。
 ようやく、神田の「万惣」で一個みつけたが、千両だという値。毎年毎年、店の名に掛けて蔵一杯のみかんを保管している中の一個だからそれだけの価値があると。
店に帰って報告すると、「千両で息子の命が買えるなら安い」と言いすぐ千両の金を番頭にもたせます。
大旦那様から千両を預かり、みかん一個を買って若旦那に持って帰ります。
 若旦那は喜んでみかんを食べて元気になり、十袋のうち三袋を残した。番頭を呼んで、おとっつあんとおっかさんに一袋渡して欲しい、苦労を掛けたから番頭さんも一袋食ってくれと、みかん三袋を番頭に渡した。
 番頭は預かったみかんを持って考えた。来年暖簾分けでご祝儀をもらっても、四十両か五十両だが、ここに三百両ある。
考えた挙句、番頭はみかんを持って何処かに・・・・・・

【演者】
八代目正蔵師を始め、志ん生師などが有名です
【注目点】
上方からの輸入ですが、商人が絡んでる噺なので、あちらの方が理論的にしっかりした処があります。
上方では、最初は商人のプライドに掛けて只でも良いと言うのです。
それがこじれて千両になるのですが、そのくだりが自然で納得出来るのですね。
こちらの千両の話も分かりますが、ちょっと苦しいかなぁ〜と。
商人の心意気が強調された上方版と黄表紙などに出てきそうな粋な面を強調した江戸版と言う感じでしょうか。
米朝師匠のを聞いた事がありますが、
天満の青物市場の番頭さんと店の番頭さんの上方商人の意地が
ぶつかり合って、それは良いモノでした。
そう聞いてみると、この噺はやはり上方噺なのだなと思いましたね。

『能書』
志ん生師は神田多町の青物問屋としか言いませんが、
他の師匠ですと、神田の「万惣」に番頭さんが行きます。
わりとあっさりと千両の値が付きます。

今では真夏でも簡単に蜜柑は手に入りますが、昔は季節のものしか手に入りませんでした。
現代人はその辺の感覚が鈍っていると思います。
 私の祖母から聴いた話ですが、祖母の姉が結核にかかり、痩せ細った時に真冬なのに「西瓜が食べたい」と言ったそうです。方々探したのですが見つからなかったのですが、知人が「あそこなら」と買いに行ったのがこの「万惣」だったそうです。結局、高価でしたが買うことが出来、祖母の姉は西瓜を美味しそうに食べて其の後亡くなりました。ですので個人的には納得できる噺でもあります。

『ネタ』
今でも、秋葉原から万世橋を渡り、須田町に入ると
神田方面に向かって左側に「万惣」はあります。
フルーツパーラーになっています。
子供の頃一度入って、パフェを食べた記憶があります。
昔はこの辺は布地屋さんが多かったんですよ。
母親が布地を買いに来た時だったのかな?
時代が違いますが、立花亭もこの辺にありました。

fd9381e9谷文晁作 「綬帯鳥図」

『普段の袴 』
コロナウイルスの影響でどこも軒並み営業休止ですが寄席はやってますね。
そういう訳で今日はこの噺です。
【原話】
江戸古来の噺ですが、速記は見当たらないそうです。
八代目正蔵師が、二代目蜃気楼龍玉師(1867−1945?)門下の龍志師から教わり、その型が五代目柳家小さん師に継承されました。

【ストーリー】
江戸時代。上野広小路の御成街道には、お侍相手の骨董屋が多くあったといいます。
そのうちの一軒に、羽織袴、白足袋に雪駄履き、白扇をにぎった立派な侍が立寄り、
店の主人がもてなそうとすると「いや、今日は墓参の帰りじゃ。供の者にはぐれたのでここで待たせて貰おう」と一休み。
 上等な金無垢の煙管で煙草を吸い始めます。
煙管をくわえたまま鶴の掛軸をほめ、谷文晁の作ではないかと感心しているうちに、袴の上に煙草の火玉が落ちた。骨董屋の主が慌てて、焦げていると告げると「これは些か普段の袴だ」と平然と振舞う潔さです。
 これを見ていた粗忽者が、カッコ良さに惚れて、真似をしようとします。袴を持ってないので、大家の所に行って袴を借りて来るが、着物を借りるのを忘れて、上が印半纏、下が袴という変な格好で、骨董屋に向かいます。
 煙草盆を出させて、真鍮の煙管で煙草を吸い始め、予定通り鶴の掛軸をほめますが、
なかなか火玉が落ちないので、プッと吹いたら火玉が頭に飛びます。
 骨董屋の主が、おつむに火玉が落ちたと注意すると、「気にするねぃ、普段の頭だ」

【演者】
八代目正蔵師の他に八代目春風亭柳枝師も持ちネタにし、柳枝師の弟子だった、円窓師が演じています。
今でも五代目柳朝一門の噺家さんが寄席で演じます

【注目点】
御成街道とは、当時の神田の筋違御門(現・万世橋のあたり)から上野広小路にかけての道筋で、現在の中央通りです。
寛永寺に将軍が参拝する時に通ったのでこの名がつきました。

『ネタ』
谷文晁とは江戸時代後期の日本の画家で、江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられています。

o0490036710198642375『蔵前駕籠 』
今日は「蔵前駕籠」です。これ正月の噺なんですね。
幕末の物騒な背景で、命に代えても吉原通いをするという、江戸っ子の向こう気の強さ。それに付き合う駕籠屋もまたしゃれの分かる江戸っ子気質で楽しい噺です

【原話】
出典は色々あるようですが、天明時代の小咄を明治維新前夜の噺に焼き直したのがこの「蔵前駕籠」だと云われています。
詳しく書くと、1774年「軽口五色婚」1775年「浮世はなし鳥」などに取材して維新の頃の噺に仕立てたものだそうです。

【ストーリー】
正月の三日、鳥羽伏見の戦いが始まり物騒ななことこのうえありません。更に、吉原に行く駕籠を狙って身ぐるみ剥いでいく追いはぎが蔵前あたりに出没するようになりまして、吉原行きの駕籠が途絶えてしまいました。
こんなときに吉原に駕籠で乗り付ければさぞかしもてるだろうと、脳天気な江戸っ子が一計を案じ、断わる駕籠屋を説き伏せて、着物を脱いで座布団の下にたたみ込み、初めから裸で駕籠に乗って行きます。
案の定、榧寺の前で追いはぎが現れるが、駕籠の中を覗いて「おお、もう済んだか」。


【演者】
個人的には八代目正蔵師が頭にありますが小さん師を始め、志ん朝師や多くの噺家さんが演じています。四代目鈴々舎馬風は「蔵前トラック」という題で演じていました。


【注目点】
。 宿駕籠は今のハイヤーのようで、担ぎ手は店に雇われ生きのいい若者が、仕立てのいい駕籠で送り迎えをしていた。
料金も高く、祝儀も弾まなければならなかったのですが、「江戸勘」の提灯を棒端に下げた駕籠で乗り付けると、幅が利いたので、見栄の世界では高くても宿駕籠を利用したがったそうです。
辻駕籠はタクシーのように、流していて、客の居そうな所で客待ちをしていた。落語「蜘蛛駕籠」にもあるように、街道筋の茶店などで客を引いていたのでこちらの方が安かったそうですね。

『ネタ』
 厩橋あたりから下流に江戸時代、隅田川の右岸(西側)に幕府の米蔵が置かれていたので、その米蔵の西側を南北に走る街道をこの様に御蔵前通りと呼んだ。現代の蔵前(蔵前橋)通りは蔵前橋を渡る東西に伸びる道路を呼ぶが、当時とは名前は同じでも、全くの別の道で、当時の蔵前通りは、今は「江戸通り」と呼ばれています。
「船徳」で船に乗るお客が歩いていたのもこの道と思われます。正面に雷門が見えるしね。
昼間はたいそうな賑わいを見せているが、日が暮れると真っ暗闇の寂しい道だったそうです。

sinobazuike1『唖の釣り』
 今日はこの噺です。これが秋の噺がどうかは疑わしいですがね。

【原話】
 原話は京都辻ばなしの祖とされる初代露の五郎兵衛が元禄11年(1698)に刊行した「露新軽口ばなし」中の笑話「又言ひさうなもの」です。
上方では「昆陽の御池」となりました。
 東京には八代目正蔵師が、大阪の二代目三木助師に教わったものを移しました。

【ストーリー】
 馬鹿の与太郎に、釣をする奴は馬鹿と言われた七兵衛さん、思わず怒って、殺生禁断の不忍池で鯉を密猟して売って儲けている事を話して仕舞います。
 弥太郎に弱みを握られ、連れて行く羽目になってしまいます。そこで七兵衛さん、
「見張りの役人に見つかったら、どうせ4発は殴られるので、出る涙を利用し
『長の患いの両親に、精のつく鯉を食べさせたいが金がなく、悪いこととは知りながら孝行のため釣りました。親の喜ぶ顔さえ見れば名乗って出るつもりでした』と云えば、孝行奨励はお上の方針、見逃してくれる」
 と悪知恵をつけます。ところが与太郎、あまりに簡単に釣れるので大はしゃぎ。騒ぎすぎで、案の定捕まって10発も余計に殴られたのですが、教えられた泣き落としが何とか効き、お目こぼしで許され、やっとの思いで逃げていきます。
 一方、七兵衛さん、池の反対側でせっかくこっそり釣っていたのに、与太郎のとばっちりで役人に見つかり、これまたポカポカ。
 恐怖と痛さで腰が抜け、ついでにあごも外れてしまう。そこはベテラン、これを利用して、アーウーアーウーと身振り手振りで説明します。
 役人、口がきけない奴ではしかたがないと、これまた釈放されます。許してつかわすと言われて思わず
「ありがとう御座います」
 役人「おお、器用な唖だ口を利いた」

【演者】
 八代目正蔵師が良く高座にかけていましたが、亡くなった後でも一門が良く高座にかけています。先日は浅草で六代目柳朝師で聴きました。また芸協の芝居でも聴くことが出来ます。小南師などが板にかけていますね。

【注目点】
 江戸時代、寺社の池はどこも仏教の殺生戒により、殺生禁断が寺社奉行より申し渡されていましたが、上野の近辺は寛永寺の将軍家御霊屋があるため、不忍池では禁忌が特に厳しく徹底されていました。
 浅草寺の近辺の河川も禁止になっていたそうです。墨田川等も一部禁止されていました。

『ネタ』
 仏教で言う「五戒」とは殺生、偸盗、邪淫、妄語、飲酒で、これを厳しく禁じています。だから寺社の敷地ではこれらは一切禁止となっています。

このページのトップヘ