「松竹梅」
今日はおめでたい様で不思議な噺「松竹梅」です。
「原話」
原話は、初代三笑亭可楽が出版した「江戸自慢」の一遍である「春の花むこ」とも、初代松富久亭松竹師の作とも言われています。
元々は上方落語の演目で、明治30年ごろに4代目柳亭左楽師が東京に移植したと言われてます。
「あらすじ」
松五郎、梅吉、竹蔵という出入りの三人が、「名前がめでたい」と言う理由で店のお嬢さまの婚礼に招かれました。
ところが、三人とも、どうして良いか解らず、隠居の処に教わりに行きます。
隠居は、「ただ飲み食いするだけじゃ失礼だ」といい、何か余興をやってあげたらどうかと勧めます。
「例えば、こんなのはどうだ。挨拶をしたら、三人並んでぱっと扇子を広げ、まず松さんが『なったあ、なったあ、蛇になった、当家の婿殿蛇になった』。次に竹さんが『なに蛇になあられた』。最後に梅さんが『長者になぁられた』」
と演ればめでたくて良いし、喜ばれると云うので、早速練習をしますが、上手く行きません。
何とか言える様になりましたが、梅さんは「そんなの出来る」と言って練習しませんでした。
そしてイザ婚礼の段になりまして、松さんと竹さんは何とか切り抜けたが、肝心の梅吉が案の定、言葉を忘れて固まってしまいまい、しどろもどろです。
「風邪……いや番茶……大蛇……」と、とんでもないことを言いだし、その都度やり直しです。
とうとう最後に「何の蛇になあられた」
「亡者になあられた」とやって仕舞いました。
三人が隠居に報告に来て「これこれで、開き損なっちまいまして」
「ふーん、えらいことを言ったな。それで梅さんはどうしてる」
「決まり悪そうにグルグル回って、床の間に飛び込んで、
隅の方で小さくなってしおれてました」
「ああ、それは心配ない!梅さんはそのうち、お開きとなって帰るだろう」
「演者」
殆どの噺家さんが演じますね。寄席でも多くかかります。
【注目点】
いわゆる、「付け焼き刃ははげやすい」という類の噺で、ばかばかしいとも言われて来た噺です。
今はよくかかりますが昔は馬鹿にする噺家も多かったそうです
『能書』
松竹梅が中国で扱われるのは、松竹が冬でも緑を保ち、梅は花を開かせるところから来ているそうです。画題にもなってるのは有名ですね。
『ネタ』
大抵は亡者の下りで切って仕舞います。下げまでは余りやりませんね。
この演目はかっては、芸協の柳橋先生の十八番で、謡を稽古する場面はクスグリが炸裂して、飄々とした感じでありながら爆笑ものだったそうです。
今でも寄席で多く掛かりますが、ちゃんと下げまで演じて欲しいです。
今日はおめでたい様で不思議な噺「松竹梅」です。
「原話」
原話は、初代三笑亭可楽が出版した「江戸自慢」の一遍である「春の花むこ」とも、初代松富久亭松竹師の作とも言われています。
元々は上方落語の演目で、明治30年ごろに4代目柳亭左楽師が東京に移植したと言われてます。
「あらすじ」
松五郎、梅吉、竹蔵という出入りの三人が、「名前がめでたい」と言う理由で店のお嬢さまの婚礼に招かれました。
ところが、三人とも、どうして良いか解らず、隠居の処に教わりに行きます。
隠居は、「ただ飲み食いするだけじゃ失礼だ」といい、何か余興をやってあげたらどうかと勧めます。
「例えば、こんなのはどうだ。挨拶をしたら、三人並んでぱっと扇子を広げ、まず松さんが『なったあ、なったあ、蛇になった、当家の婿殿蛇になった』。次に竹さんが『なに蛇になあられた』。最後に梅さんが『長者になぁられた』」
と演ればめでたくて良いし、喜ばれると云うので、早速練習をしますが、上手く行きません。
何とか言える様になりましたが、梅さんは「そんなの出来る」と言って練習しませんでした。
そしてイザ婚礼の段になりまして、松さんと竹さんは何とか切り抜けたが、肝心の梅吉が案の定、言葉を忘れて固まってしまいまい、しどろもどろです。
「風邪……いや番茶……大蛇……」と、とんでもないことを言いだし、その都度やり直しです。
とうとう最後に「何の蛇になあられた」
「亡者になあられた」とやって仕舞いました。
三人が隠居に報告に来て「これこれで、開き損なっちまいまして」
「ふーん、えらいことを言ったな。それで梅さんはどうしてる」
「決まり悪そうにグルグル回って、床の間に飛び込んで、
隅の方で小さくなってしおれてました」
「ああ、それは心配ない!梅さんはそのうち、お開きとなって帰るだろう」
「演者」
殆どの噺家さんが演じますね。寄席でも多くかかります。
【注目点】
いわゆる、「付け焼き刃ははげやすい」という類の噺で、ばかばかしいとも言われて来た噺です。
今はよくかかりますが昔は馬鹿にする噺家も多かったそうです
『能書』
松竹梅が中国で扱われるのは、松竹が冬でも緑を保ち、梅は花を開かせるところから来ているそうです。画題にもなってるのは有名ですね。
『ネタ』
大抵は亡者の下りで切って仕舞います。下げまでは余りやりませんね。
この演目はかっては、芸協の柳橋先生の十八番で、謡を稽古する場面はクスグリが炸裂して、飄々とした感じでありながら爆笑ものだったそうです。
今でも寄席で多く掛かりますが、ちゃんと下げまで演じて欲しいです。