はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

春風亭柳橋

柳橋先生のこと

27728359今日から数回に渡って「懐かしい噺家さん」を特集致します。
名人と呼ばれた訳ではないが、多くのお客さんに愛された噺家さんを取り上げて行きたいと思います。まずはこの師匠
・【六代目 春風亭柳橋】明治32年(1899年)10月15日 – 昭和54年(1979年)5月16日

・「出囃子」大阪せり

・「芸風」
眉毛の長い大店の隠居のような風貌が印象的でした。若いころから売れに売れたのですが、晩年は若手に出番を譲って軽いネタしかやりませんでしたが、それでも楽しませて貰いました。
吉田茂首相など多くの政治家に愛されたそうです。その為、晩年は「柳橋先生」と呼ばれていましたが、私は噺家さんがそのように呼ばれるのが良いとは思えません。
まあ、一般のお客にはそんな素振りは見せませんでしたが……。

・「芸歴」
明治43年(1910年)、9歳で子供落語家として初舞台 春風亭柳童
1917年 真打昇進  春風亭柏枝
1921年 4代目春風亭小柳枝襲名
大正15年(1926年)2月、柳橋を襲名。師の初代華柳の意見を入れて亭号は春風亭のままにする 本来、柳橋は麗麗亭が亭号。
日本芸術協会(今の落語芸術協会)を創設し、44年間、会長を務めた。この間、名実共に落語界の頂点であり続け、絶対権力者として君臨した。また、弟子をよく育て、弟子たちもまた落語界を代表する噺家へと育った。

・「エピソード」
子供の頃TVでよく見ましたね。実演は2〜3回位かな?覚えているのは・・・
もう軽い噺しかやりませんでしたね。
残された音源を聴いてみると、中々どうして楽しい師匠です。
7代目の柳橋師もそうでしたが、柳橋節とも言う口調は独特で、何時の間にか
噺の世界へ誘われて仕舞います。
若い頃売れに売れて、あまりの凄まじさに六代目圓生師が、「あのまま行ったら、私は本気で柳橋さんの弟子になろうとしました」と言ったのは有名な話で、真意は兎も角、それほど凄い売れ方だったそうです。

「湯屋番」で若旦那が番台から落ちる処で、本当に高座から落ちる演出をして、拍手喝采だったとか。
晩年の姿だけを見て、全く歯牙にも掛けない落語ファンや評論家がいるのは悲しい事です。
よく言われている得意な噺「大山詣り」や「花見酒」、「蒟蒻問答」等の他に、余り書かれていませんが、柳好師で有名な「野ざらし」等も絶品でした。

柳橋の名前は本来は”麗々亭”と言う亭号ですが、何故か六代目からは春風亭に替えました。
だから、人によっては、柳橋としては六代目だが、春風亭柳橋としては初代だと言う研究家も居ます。

先日紹介した「青菜」ですが、私は盛夏の噺だと思っていましたが、初夏の噺でした。
先日落語DEデートで柳橋先生の「青菜」では、冒頭でちゃんと「目に青葉、山不如帰、初鰹」と言っています。それに鰯も旬はこの季節なんですね。
晩年の事は色々言われていますが、私にとっては楽しい噺を聴かせてくれる師匠でした。

・「得意演目」
『時そば』『碁どろ』『長屋の花見』『天災』『猫久』『野ざらし』『青菜』『おせつ徳三郎』『星野屋』『二番煎じ』『一目上がり』『お見立て』『粗忽の釘』『試し酒』『大山詣り』『子別れ』『目黒のさんま』など。

五月 皐月と言ったらこの噺 「青菜」

 暫く更新をサボっていて申し訳ありません。
今日は「青菜」を取り上げてみたいと思います。

るお屋敷で仕事中の植木屋、一休みで主人から「酒は好きか」と聞かれます。
もとより酒なら浴びるほうの口。そこでごちそうになったのが、上方の柳陰という「銘酒」だが、これは、実は「なおし」という焼酎を味醂で割った酒。
植木屋さん、暑気払いの冷や酒ですっかりいい心持ちになった上、鯉の洗いまで相伴して大喜び。
「時におまえさん、菜をおあがりかい」「へい、大好物で」。
ところが、次の間から奥さまが「旦那さま、鞍馬山から牛若丸が出まして、名を九郎判官(くろうほうがん)」と妙な返事。
旦那は「義経にしておきな」と返します。
これが、実は洒落で、菜は食べてしまってないから「菜は食らう=九郎」、「それならよしとけ=義経」というわけで、客に失礼がないための、隠し言葉だというのです。
植木屋さん、その風流にすっかり感心して、家に帰ると女房に「やい、これこれこういうわけだが、てめえなんざ、亭主のつらさえ見りゃ、イワシイワシってやがって……さすがはお屋敷の奥さまだ。同じ女ながら、こんな行儀のいいことはてめえにゃ言えめえ」「言ってやるから、鯉の洗いを買ってみな」。
 そこに通り掛かったのが悪友の大工の熊。
「こいつぁ、いい」とばかり、女房を無理やり次の間……はないから押入れに押し込み、熊を相手に「たいそうご精がでるねえ」から始まって、ご隠居との会話をそっくりやろうとするが……。
「青い物を通してくる風が、ひときわ心持ちがいいな」「青いものって、向こうにゴミためがあるだけじゃねえか」「あのゴミためを通してくる風が……」「変なものが好きだな、てめえは」
「大阪の友人から届いた柳陰だ、まあおあがり」「ただの酒じゃねえか」
「さほど冷えてはおらんが」「燗がしてあるじゃねえか」
「鯉の洗いをおあがり」「イワシの塩焼きじゃねえか」
「時に植木屋さん、菜をおあがりかな」「植木屋は、てめえだ」
「菜はお好きかな」「大嫌えだよ」。タダ酒をのんで、イワシまで食って、今さら嫌いはひどい。
ここが肝心だから、頼むから食うと言ってくれと泣きつかれて、
「しょうがねえ。食うよ」「おーい、奥や」
待ってましたとばかり手をたたくと、押し入れから女房が転げ出し、「だんなさま、鞍馬山から牛若丸がいでまして、その名を九郎判官義経」と。
植木屋さんは困って、「うーん、弁慶にしておけ」

 「柳陰」は、元々は「味醂」を造る時に焼酎を多めにしたお酒だったようですが、
簡易的には「焼酎」と「味醂」を2:1の割合で割ったたものです。
言うなれば「お江戸カクテル」と言う感じでしょうか。よく冷やしてのむ酒だったそうです。

オチの「弁慶」は「考えオチ」で、「立ち往生」と言う意味です。
今では「義経記」の、弁慶立ち往生の故事が判りづらくなってしまったり、
「立ち往生」と言う言葉が判らないと、説明なしには通じなくなっているかも知れませんね。

この噺の思い出としては、もう三十年も前でしょうか、 上野鈴本の八月の「夏祭り」で小三治師が仲入りで登場して「青菜」を演じました。
これが凄かったです。どこかにも書いていたと思いますが、鈴本の客席が旦那の家の庭に変わってしまったのです。わたし達お客は植木の合間から覗いている感じでした。
いはやや、あの時の小三治師は凄かったです!
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落語ユニバーサル演芸論

2241957i今日はちょっと真面目? な話を……
 今月号の「かわら版」を見た方はご存知だと思いますが、今月号の「東京かわら版」の「落語と私、私と落語」のコーナーでエッセイストの酒井順子さんが面白い事を書いていらっしゃったので紹介してみたいと思います。
 酒井さんは落語を「じじくさい」演芸ではなく、全てに渡って平等なユニバーサルな演芸であると語っていらっしゃいます。
 所謂、年齢にも(それほどエロくない)、おさいふにも(歌舞伎と比べると安い!)、性を選ばない(男女どちらでも楽しめる)、そして、場所をも選ばない(ホール落語の客席から文字通りの寝床、布団の中まで楽しめる)というユニバーサルな演芸だと言うのです。
 ここを訪れるかたは「んなことは端からわかってらい!」と仰るでしょう。その通りです。
 落語は、その出発点からしてずっと庶民のものだったのです。芝居が時代を得るに従って、娯楽から芸術にまでなってしまった今、落語だけは庶民のもので無ければなりません。

 そして更大事な事は。落語はその描く世界においても平等だと言う事です。与太郎だって甚兵衛さんだって、長屋の連中は排除しません。殿様だって将軍だって笑いの対象にします。
 全てにおいて平等な考えが浸透していると言えるでしょう。

 だから今回の値上げは厳しいです(^^) 
 根岸兄弟を聴く為に2800円や3000円は払いたく無いぞお〜

 という訳で失礼しました〜

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浅草演芸ホール10月下席初日夜の部

4cca5763昨日は仕事がお休みでしたので、浅草の夜席に行きました。
本当は昼席に行きたかった! だって茶楽師が出るからですが、色々と用事が重なりまして、断念!
それで夜席になりました。

夜席に開場(招待券の人が入れる時間)よりわずかに遅くなってしまいました。
昨日は2階席も開いていましたので、当然2階に上がります。
2階の一番前の端で見るのが好きなのです。

昨日は初日だというのにプログラム通りに全く行われないのです。
これなら、前後5日間で行う意味がありませんね。
ほとんど、代演……まあ、予定通りだとかなり酷いメンツでしたから、返って良かったのですが……

中に入ったらもう前座の遊松さんが「道灌」を演じていました。
この人、遊三師のお弟子さんなんですね。経歴を見ると昨年の入門なんですね。
それにしては達者でした。
それでは順に紹介していきます。

・可龍……「コウモリの恩返し」(こうもり) 小朝師以外で始めて聴きました。可も無し不可も無しといった感じです。

・神田京子……「山内一豊、出世の馬買い」 講談は評価するほど聞いてないので、パスです。

・夢吉……「蜘蛛駕籠」の枕だけ。慢談の部分が長い! 高座はやっと明るくなったけど……噺しろよな!

ここまでプログラムに書かれている人は出て来ていません……酷いでしょう?

・鯉朝……「夏泥」 結構まともに聴けてしまったw 比較の問題でしょうか?

・南玉……曲独楽

・里光り……「始末の極意」 この人これが多いな!捨てネタか? はっきり言ってこの人才能無い!

・南なん……「幇間腹」 陽気で結構でした。

・マジックジェミー この時隣のおばさんが、本気で高座のジェミーさんと会話しようとして大声を出すのがウザかった。帰ろうと思いました。

・小南持……「写真の仇討ち」 演者が違うとこうも違うか!という見本。良かったです。

さてトリの遊雀を楽しみにしようと思っていたら、携帯が震え出しまして、用事ができてしまい。やむなく帰宅する事になってしまいました。

出場演者が殆んど変わってしまっているのに、演芸ホールが何の張り紙もしてないのがおかしいですね。
だから前の道路に出している演者の木札がガラガラで殆んどはまって無かったのですね。
それが不親切だと思いました。
相変わらず若い兄ちゃんは態度悪いしw
改善して欲しいですね。続きを読む

この時期にあると柳橋師の「青菜」を思いだす

27728359今日は、柳橋師について書いてみたいと思います。
もう過ぎてしまいましたが、16日は命日でした。

明治32年(1899年)10月15日 - 昭和54年(1979年)5月16日)
東京都文京区出身
本名、渡辺金太郎、
出囃子は『大阪せり』。
日本芸術協会を創設し、44年もの間、会長を務めました。

明治42年(1909年)ないし明治43年(1910年)、9歳で子供落語家春風亭柳童として初舞台。
師匠は4代目春風亭柳枝

大正4年(1915年)、5代目春風亭枝雀と改名し二つ目
大正6年(1917年)8月、師匠4代目柳枝が結成した睦会に加入。て7代目春風亭柏枝を襲名
大正10年(1921年)3月4代目春風亭小柳枝襲名
大正15年(1926年)2月、柳橋を襲名。師の初代華柳の意見を入れて亭号は春風亭のままにする。
昭和5年(1930年)、柳家金語楼とともに日本芸術協会(現在の落語芸術協会)を結成し、
以降44年間会長職を務める。
昭和49年(1974年)3月1日、会長職を副会長・5代目古今亭今輔に譲り、相談役就任。
昭和54年(1979年)、没。享年79。

とにかく、若い頃から売れに売れ、ものすごい人気だったそうです。
かの圓生師をして、弟子になろうと本気で考えたとか・・・

柏枝時代に大阪に行って『子別れ』(大阪では『子は鎹』)を演じたとき、余りの出来の良さに大阪の客から
「江戸っ子の腕で打ったる鎹は浪花の空に柏枝喝采」の狂歌を贈られたそうです。

また寄席の高座で、「湯屋番」を演じている時に若旦那が番台から落ちる処で本人も高座から落ちて、
ヤンヤの喝采を浴びたそうです。

吉田茂総理等と親交があり、また、秩父宮殿下もファンだったそうです。
晩年は落ち着いてしまったのか、芸の冴えが無くなり、コアな落語ファンからは注目を浴びる存在では無くなりました。
個人的にはそれでも好きでしたがねえ・・・

噺は独特の柳橋節とも言われる話し方で、3代目小さん師譲りの噺、『時そば』『碁どろ』『長屋の花見』『天災』『猫久』『野ざらし』『青菜』『おせつ徳三郎』『星野屋』『二番煎じ』『一目上がり』『お見立て』『粗忽の釘』『試し酒』『大山詣り』『子別れ』『目黒のさんま』等を得意としました。
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