はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:春風亭柳好

vol_disc07『野晒し(のざらし)』
昨日今日は少し涼しくなりました。明後日あたりからは更に涼しくなるとか?
 ま、秋の噺はちょっと感じが出ないのですが、今日はこの噺です。

【原話】
 中国明の時代の「笑府」の中の「学様」と言う話を元に二代目林家正蔵師(沢善の正蔵)が作ったと言われています。この二代目の正蔵師は本職のお坊さんでもありまして、他に「蒟蒻問答」と言う噺も作っています。
 さらに、この噺を明治期に初代三遊亭圓遊師が爆笑落語に改作しました。

【ストーリー】
ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の自称女嫌いで知られた隠居・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
翌朝、八五郎は、尾形宅に飛び込み、事の真相をただす。尾形はとぼけてみせるが、八五郎に「壁に穴開けて、のぞいた」
と言われ、呆れたと同時に観念して、
「あれは、この世のものではない。向島で魚釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思ってそれに酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど、ねんごろに供養した。そうしたら、昨夜その骨の幽霊がお礼に来てくれた」
と語る。それを聞いた八五郎は興奮した様子で
「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だってかまわねえ」
と言って、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かう。
向島に到着した八五郎は土手の上から、岸に居並ぶ釣り客を見て、勝手に勘違いし、
「骨は釣れるかい? 新造(しんぞ=未婚の女性)か? 年増(としま=年頃の女性)か?」
と釣り客に叫び、変な人物だと首をかしげられる。
 釣り場所を確保した八五郎は、釣り糸を垂らしつつ、「サイサイ節」をうなりながら、女の幽霊が来るを妄想して、ひとり語りに没頭しはじめる。
  鐘が ボンとなりゃあサ
上げ潮 南サ
カラスがパッと出りゃ コラサノサ
骨(こつ)がある サーイサイ
そのまた骨にサ
酒をば かけてサ
骨がべべ(=着物)着て コラサノサ
礼に来る サイサイサイ
ソラ スチャラカチャンたらスチャラカチャン
 そのうちに、自分の鼻に釣り針を引っかけ、
「こんな物が付いてるからいけねぇんだ。取っちまえ」
と、釣り針を川に放り込んでしまう。

現在、殆どの噺家はここで切っています。でも本当はその先があるのですが、今では理解出来ない事が多く、それに面白くないとの理由です。
 でもここでは一応書いてみます。小説家志望なら知りたいですよね?

 八五郎は釣りをあきらめ、アシの間を手でかきわけて骨を探すことにし、なんとか骨を見つけ出すことに成功する。八五郎はふくべの酒を全部それにかけ、自宅の住所を言い聞かせ、「今晩きっとそこに来てくれ」
と願う。この様子を、近くの川面に浮かぶ屋形船の中で聞いていた幇間の新朝(しんちょう)。彼は、八五郎が普通の女とデートの約束をしていると勘違いし、祝儀欲しさで八五郎の長屋に乗り込む。
一方、女の幽霊が来ると期待していた八五郎は、新朝を見て驚き、
「お前は誰だ?」
「あたしァ、シンチョウって幇間(タイコ)」
「新町? しまった! あれは馬の骨だったか!」

【演者】
何と言っても三代目春風亭柳好師匠です! 「唄い調子」と言われる口調は、
四代目志ん生(鶴本の志ん生)師を真似たものだそうですが、見事な芸で、お客はおろか黒門町(八代目文楽)をはじめ、談志師等を魅了しました。あの圓生師でさえ納得させたと言われています。
 現役では小三治師が有名ですね、しかも最後まで演じた録音も残っています。
志ん朝師もやっていましたが、釣りの下りで下げていました。

【注目点】
やはり、八五郎が一人で勝手にのぼせ上がって行くのですが、ここをお客に白けさせないように演じなければなりません。
その点で現役の噺家さんには敬遠されているとか?

『能書』
先程も書きましたが、最後まで演じているのは人間国宝の柳家小三治師が有名です。CDも出ていますが、ネットにも音源が上がっています。
 三代目柳好師の調子の良い音源は残念ながらネットには上がっていません。上がっているのは亡くなる少し前の音源で調子の悪い時の音源です。流れるような謡い調子では無いのが残念です。ビクターからCDが出ています。殆どの図書館でもあると思いますので借りて聴いてみてください。今の噺家とは全く違う世界が楽しめます。
私が調べて耳で確認した限りでは師の違う録音は三つありました。(もっとあるかも知れませんが)

『解説のような話』
 その昔、浅草新町(あさくさしんちょう)と言う場所には太鼓職人が多く住んでいたり太鼓の店が多かったそうです。少し前のアキバの感じですね。だからシンチョウ=太鼓と繋がったのですが、当時は太鼓は馬の皮で作られていました。これが理解出来ないと本来のサゲが全く判りません。

『ネタ』
よく言われるのが季節ですね。春なのか秋なのか良く判りません。尾形清十郎のセリフに
「野を肥やす骨をかたみにすすきかな」
 と言わせておいて、すぐ
「四方の山々雪解けて水かさ増さる大川の……」と言ってしまっていて、これではどちらの季節か判りません。
 それに、この釣りはハゼ釣りなんだそうです。そんな意味から考えても面白いです。

38db0ccf『ガマの油』
今日はこの噺です。暫く更新できないかも知れません。

【原話】
「両国八景」の一部が独立して噺として成立しました。
上方では「東の旅」の一部です。

【ストーリー】
 大道商売の口上と言えば有名なのが「がまの油売り」
黒羽二重の紋付き袴姿で、さあさ、御用とお急ぎでない方はゆっくりと見ておいで、と口上が始まります。
……遥か筑波山の四六のがまだ、四六五六はどこで分かる、前足の指が四本後ろが六本……(刀を取り出して紙を切って見せる)一枚が二枚、二枚が四枚……(がまの油を塗って刃を顔に押し付ける)叩いて切れない、押して切れない、引いて切れない。と、名調子です。
 結構いい商売になったので、縄のれんでちょっと一杯飲んで、今日はノリが良いからもう少し稼ごうと、酔った勢いで元の場所に店を出した。
 さぁさ、ヒック、御用とお急ぎでない方は……これが遥か箱根の山の、いや箱根じゃねぇな、何処かの山だ……(刀の場面で)叩いて切れない、押して切れない、引いて、あれ、引いたら切れちゃった。慌てず、がまの油をつけると、あれれ、血が止まらない。
 さて、お立ち会い、血止めはないか。


【演者】
何と言っても三代目春風亭柳好師でしょうね。
また圓生師の鮮やかな口調も忘れられません。過日浅草で、圓丈師の「新・ガマの油」を聴いたのですが、最初の口上が圓生師を思い出せてくれる口調でした。

【注目点】
三代目金馬師が若いころ三代目圓馬師について巡業していた時、ある所で、がまの油売りがいたのですが、
余りにも下手なので金馬師が変わりにやってあげたという逸話も残っています。
尤も後で圓馬師に怒られたそうです。


『能書』
志ん生師の「びんぼう自慢」によると、前座で朝太時分のこと。
東京の二ツ目という触れ込みでドサ廻りをしているとき、正月に浜松の寄席で「がまの油」を出し、これが大ウケでした。
ところが、朝の起き抜けにいきなり、宿に四,五人の男に踏み込まれ、仰天。
「やいやい、俺たちゃあな、本物のガマの油売りで、元日はばかに売れたのに、二日目からはさっぱりいけねえ。
どうも変だてえんで調べてみたら、てめえがこんなところでゴジャゴジャ言いやがったおかげで、
ガマの油はさっぱりきかねえってことになっちまったんだ。
おれたちの迷惑を、一体全体どうしてくれるんだッ」
ねじこまれて平あやまり、やっと許してもらったそうです。

『ネタ』
口上の中の「テレメンテエカ」はポルトガル語で「テレメンテエナ」と言い、テレビン油の事です。
マンテエカ について調べると、これもポルトガル語源で豚脂、つまりラードのことで、薬剤として用いられたそうです。
知らないで聴いてましたね。(^^)

vol_disc07『野晒し(のざらし)』

【原話】
 中国明の時代の「笑府」の中の「学様」と言う話を元に二代目林家正蔵師(沢善の正蔵)が作ったと言われています。この二代目の正蔵師は本職のお坊さんでもありまして、他に「蒟蒻問答」と言う噺も作っています。
 さらに、この噺を明治期に初代三遊亭圓遊師が爆笑落語に改作しました。

【ストーリー】
ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の自称女嫌いで知られた隠居・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
翌朝、八五郎は、尾形宅に飛び込み、事の真相をただす。尾形はとぼけてみせるが、八五郎に「壁に穴開けて、のぞいた」
と言われ、呆れたと同時に観念して、
「あれは、この世のものではない。向島で魚釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思ってそれに酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど、ねんごろに供養した。そうしたら、昨夜その骨の幽霊がお礼に来てくれた」
と語る。それを聞いた八五郎は興奮した様子で
「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だってかまわねえ」
と言って、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かう。
向島に到着した八五郎は土手の上から、岸に居並ぶ釣り客を見て、勝手に勘違いし、
「骨は釣れるかい? 新造(しんぞ=未婚の女性)か? 年増(としま=年頃の女性)か?」
と釣り客に叫び、変な人物だと首をかしげられる。
 釣り場所を確保した八五郎は、釣り糸を垂らしつつ、「サイサイ節」をうなりながら、女の幽霊が来るを妄想して、ひとり語りに没頭しはじめる。
  鐘が ボンとなりゃあサ
上げ潮 南サ
カラスがパッと出りゃ コラサノサ
骨(こつ)がある サーイサイ
そのまた骨にサ
酒をば かけてサ
骨がべべ(=着物)着て コラサノサ
礼に来る サイサイサイ
ソラ スチャラカチャンたらスチャラカチャン
 そのうちに、自分の鼻に釣り針を引っかけ、
「こんな物が付いてるからいけねぇんだ。取っちまえ」
と、釣り針を川に放り込んでしまう。

現在、殆どの噺家はここで切っています。でも本当はその先があるのですが、今では理解出来ない事が多く、それに面白くないとの理由です。
 でもここでは一応書いてみます。小説家志望なら知りたいですよね?

 八五郎は釣りをあきらめ、アシの間を手でかきわけて骨を探すことにし、なんとか骨を見つけ出すことに成功する。八五郎はふくべの酒を全部それにかけ、自宅の住所を言い聞かせ、「今晩きっとそこに来てくれ」
と願う。この様子を、近くの川面に浮かぶ屋形船の中で聞いていた幇間の新朝(しんちょう)。彼は、八五郎が普通の女とデートの約束をしていると勘違いし、祝儀欲しさで八五郎の長屋に乗り込む。
一方、女の幽霊が来ると期待していた八五郎は、新朝を見て驚き、
「お前は誰だ?」
「あたしァ、シンチョウって幇間(タイコ)」
「新町? しまった! あれは馬の骨だったか!」

【演者】
何と言っても三代目春風亭柳好師匠です! 「唄い調子」と言われる口調は、
四代目志ん生(鶴本の志ん生)師を真似たものだそうですが、見事な芸で、お客はおろか
黒門町(八代目文楽)をはじめ、談志師等を魅了しました。
あの圓生師でさえ納得させたと言われています。

【注目点】
やはり、八五郎が一人で勝手にのぼせ上がって行くのですが、ここをお客に白けさせないように演じなければなりません。

『能書』
現在、最後まで演じているのは人間国宝の柳家小三治師が有名です。CDも出ていますが、ネットにも音源が上がっています。
 三代目柳好師の調子の良い音源は残念ながらネットには上がっていません。上がっているのは亡くなる少し前の音源で調子の悪い時の音源です。流れるような謡い調子では無いのが残念です。ビクターからCDが出ています。殆どの図書館でもあると思いますので借りて聴いてみてください。今の噺家とは全く違う世界が楽しめます。

『特別な解説』
 その昔、浅草新町(あさくさしんちょう)と言う場所には太鼓職人が多く住んでいたり太鼓の店が多かったそうです。少し前のアキバの感じですね。だからシンチョウ=太鼓と繋がったのですが、当時は太鼓は馬の皮で作られていました。これが理解出来ないと本来のサゲが全く判りません。

『ネタ』
よく言われるのが季節ですね。春なのか秋なのか良く判りません。
尾形清十郎のセリフに
「野を肥やす骨をかたみにすすきかな」
と言わせておいて、すぐ
「四方の山々雪解けて水かさ増さる大川の……」と言ってしまっていて、これではどちらの季節か判りません。
 それに、この釣りはハゼ釣りなんだそうです。そんな意味から考えても面白いです。

hqdefault今日は柳好師のことです。好きな噺家さんの一人ですね。

【三代目春風亭柳好】1887年4月24日 – 1956年3月14日
今日は少し古いですが(私も生の高座は見たことがありません。なんせ生まれる前なので)当時大人気を博したと言われている噺家さんです。

・「出囃子」  『梅は咲いたか』

・「芸風」
「唄い調子」と言われる口調が特徴で、唄を歌うように噺をするのです。
四代目志ん生(鶴本の志ん生)師を真似たものだそうですが、見事な芸で、お客はおろか
黒門町をはじめ、談志師等を魅了しました。あの圓生師でさえ納得させたと言われています。
立川談志師は、柳好師について、あの『現代落語論』で触れています。
『ガマの油』で人気のあった春風亭柳好が、「梅は咲いたか」、の出ばやしで、高座へ上がると、パッと高座に花が咲いたように明るくなったもので、専売特許といってよい『野ざらし』、そして『棒だら』、ああいった噺はもう聞けないと思うし、聞いた者だけが自慢できる楽しみがあった。
柳好の芸の特徴は、噺の全篇を謳いあげるような雰囲気になり、先代の鶴本の志ん生もそうだったというが、噺全体がトーンのよく効いた音楽のような感じで、抑揚のよさ、緩急自在な呼吸、いうならばおとなの楽しむ一級の娯楽品、映画でいうと、さしずめ007といったところかもしれない。

・「芸歴」
1912年2代目談洲楼燕枝に入門し燕吉
1913年、1914年ころに春風亭錦枝
1917年に6代目春風亭柳枝の門下で柳好で真打ちに昇進

・「エピソード」
発売CDの奥付より
昭和31(1956)年3月14日に、専属だったラジオ東京(現在のTBS)のスタジオで『穴泥』を収録し、その後に向かった鈴本で脳溢血で倒れ、その夜に亡くなっている。翌日の追悼番組の中で放送されたが、このCDにはその際の正岡容のメッセージも併せて収録されており貴重な音源といえるだろう。明治20(1887)年生まれ、享年70歳。落語芸術協会の所属だった。
突然の死だったそうです。

・「得意演目」
「野ざらし」、「がまの油」、「鰻の幇間」、「電車風景」、「二十四孝」、「たちきり

img_1126720_17049084_4今日は「穴泥」です。

原話は、嘉永年間(1848年~1854年)に出版された笑話本・「今年はなし」の一遍である『どろ棒』です。
上方だと「子盗人」というタイトルですね。
この噺は、圓朝作品ではありませんが、速記が残っており、圓朝全集にも収録されています。

三両の金策がつかないので家に帰ると、女房から「豆腐の角に頭をぶっつけて死んでおしまい」と、ののられます。
頭に来て家を飛び出しますが、あてはありません。
立派な蔵が有る商家の庭先に出ました。奉公人達がそろって遊びに出かけた様ですが、裏木戸がバタンバタンしているので、教えてあげようと庭先に入り、部屋うちを覗くと宴会の後と見えて料理が沢山残っていいます。
「こんにちは」と言いながら上がり込んで、冷や酒や残りの料理に手を付け始めた。朝から何も食べていなかったので、気持ちよく食べ飲んだ。ここで、この家の人に見つかったらなんて言おうかとか、やな女だが嫁に来たてはいい女であったとか一人酒をしているまに酔ってしまった。
 やっと一人歩きができる程の子供が顔を見せた。あやしながら後ずさりをしていると、踏み板がずれていたので、穴蔵に落ちてしまった。「だれだ〜、俺を突き落としたのは、何を盗んだ〜」、大きな声でわめいていたので主人が出てきて、事の一件を悟って、泥棒だからと頭 (かしら)を呼びに行かせる。あいにく頭は出かけて居ず、留守番の”亀さん”が駆けつけてくれた。
 あっしの背中はこっちが上り龍でこっちが下り龍、泥棒なんか怖くはないし、ふんじばって叩き出しちゃう。頼もしそうな亀さんではある。子供のお祝いの日だから縄付きは出したくない。お前さんが中に入って泥棒を抱き上げて欲しいと頼みます。
ところがナンだカンだと言って中々降りていきません。
旦那はしびれを切らして、一両上げるからと言い出します。
それでも中々降りないので、金額が二両に上がります。
じゃあと言うのですが、喉首に食らいつくと言われて又々おじけづきます。
とうとう旦那は「じゃ三両出す」と言い出します。
それを聴いた男は「三両ならこちらで上がって行く」

何と言っても文楽、志ん生師の高座が良いですね。
昔は、たいした事が無けれは、お上には通報しなかったそうですね。


自分達で始末していた様です。こんな未遂でも当時でも立派な犯罪になりました。
今でも不法侵入ですがね。続きを読む

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