『搗屋無間』
今日は「搗屋無間」と言う噺です。
この噺は「紺屋高尾」や「幾代餅」と同じ様に職人が花魁に惚れてしまう噺ですが、細部と結末が違っています。
このサゲも含めて、どう考えるかも面白いと思います。
『原話』
元の話は、安永5(1776)年刊「立春噺大集」中の「台からうす」、ついで、狂歌で名高い大田蜀山人作の笑話本で同7年刊「春笑一刻」中の無題の小咄からではないかと言われています。
『演者』
やはり八代目柳枝師が有名ですね。というより他に演者がいるのでしょうか?
今でも演る人は居るみたいですが、持ちネタとして寄席などでもやる人をご存知ならお教え願います。
『ストーリー』
信州者の徳兵衛は、江戸日本橋人形町の搗米屋・越前屋に十三年も奉公しているが、
まじめで堅い一方で、休みでも遊び一つしたことがありません。
それが、ある日、絵草子屋でたまたま目に映った、今、吉原で全盛を誇る松葉楼の、
宵山花魁の絵姿にぞっこん。たちまち、まだ見ぬ宵山に恋煩いをしてしまいます。
心配した旦那が、気晴らしに一日好きなことをしてこいと送りだしたが、どこをどう歩いているかわかりません。さまよっているうち、出会ったのが知り合いの幇間・寿楽。
事情を聞くとおもしろがって、なんとか花魁に会わせてやろう、と請け合います。
大見世にあがるのに、米搗男ではまずいから、徳兵衛を木更津のお大尽という触れ込みにし、指にタコができているのを見破られるとまずいから、聞かれたら鼓に凝っていると言え、など、細々と注意します。
「あたしの言うとおりにしていればいいと」
太鼓判を押すが、先立つものは金です。十三年間の給金二十五両を、そっくり旦那に預けてあるが、女郎買いに行くから出してくれとも言えないので、店の金を十五両ほど隙を見て持ち出し、バレたら、預けてある二十五両と相殺してくれと頼めばいいと知恵をつけます。
さて当日。徳兵衛はビクビクもので、吉原の大門でさえくぐったことがないから、廓の常夜灯を見て腰を抜かしたり、見世にあがる時、普段の癖で雪駄を懐に入れてしまったり
と、あやうく出自が割れそうになるので、介添えの寿楽の方がハラハラ。何とかかんとか花魁の興味をひき、めでたくお床入り。
翌朝、徳兵衛はいつまた宵山に会えるか知れないと思うと、ボロボロ泣きだし、挙げ句に正直に自分の身分をしゃべってしまった。
宵山は怒ると思いのほか、この偽りの世の中に、あなたほど実のある人はいないと、逆に徳兵衛に岡惚れします。
それから二年半というもの、費用は全部宵山の持ち出しで二人は逢瀬を続けたが、いかにせん宵山ももう資金が尽き、思うように会えなくなって仕舞いました。
そうなるといよいよ情がつのった徳兵衛、ある夜思い詰めて月を眺めながら、昔梅ケ枝という女郎は、無間の鐘をついて三百両の金を得たと浄瑠璃で聞いたことがあるが、たとえ地獄に堕ちても金が欲しいと、庭にあった大道臼を杵でぶっぱたく。
その一心が通じたか、バラバラと天から金が降ってきて、数えてみると二百七十両。
「三百両には三十両不足。ああ、一割の搗き減りがした」
『能書』
ここで噺は終わっていますが、このお金で徳兵衛は花魁を身請けするのです。
他の二つの噺は花魁の意志で、年季が明けたからという事で、嫁に来るのですね。
花魁の年季は大体10年です。だから幾代も30歳前でしょう。年季が明けるまで誰からも身請けされずに居続けていたのですから、好きな人のために年季が明けるのを待っていたと思わせる所が感動を呼びます。
そこがこの噺と「紺屋高尾」や「幾代餅」と違う処で、ここをどう聴くかで印象が違っています。
他の2つ程演じられないのは、そこでしょうかねえ?
『ネタ』
サゲの搗き減りですが、現在では2割で演じています。
「搗き減り」というのは、江戸時代の搗米屋が、代金のうち、玄米を搗いて目減りした二割分を、損料としてそのまま頂戴したことによります。
そんな処もわかり難くなって来ていますね。
「蛇足」
搗屋とは、搗き米屋のことで、普通にいう米屋で、足踏み式の米つき臼で精米してから量り売りしました。
それとは別に出職(得意先回り)専門の搗屋があり、杵と臼を持ち運んで、呼び込まれた先で精米しました。
今日は「搗屋無間」と言う噺です。
この噺は「紺屋高尾」や「幾代餅」と同じ様に職人が花魁に惚れてしまう噺ですが、細部と結末が違っています。
このサゲも含めて、どう考えるかも面白いと思います。
『原話』
元の話は、安永5(1776)年刊「立春噺大集」中の「台からうす」、ついで、狂歌で名高い大田蜀山人作の笑話本で同7年刊「春笑一刻」中の無題の小咄からではないかと言われています。
『演者』
やはり八代目柳枝師が有名ですね。というより他に演者がいるのでしょうか?
今でも演る人は居るみたいですが、持ちネタとして寄席などでもやる人をご存知ならお教え願います。
『ストーリー』
信州者の徳兵衛は、江戸日本橋人形町の搗米屋・越前屋に十三年も奉公しているが、
まじめで堅い一方で、休みでも遊び一つしたことがありません。
それが、ある日、絵草子屋でたまたま目に映った、今、吉原で全盛を誇る松葉楼の、
宵山花魁の絵姿にぞっこん。たちまち、まだ見ぬ宵山に恋煩いをしてしまいます。
心配した旦那が、気晴らしに一日好きなことをしてこいと送りだしたが、どこをどう歩いているかわかりません。さまよっているうち、出会ったのが知り合いの幇間・寿楽。
事情を聞くとおもしろがって、なんとか花魁に会わせてやろう、と請け合います。
大見世にあがるのに、米搗男ではまずいから、徳兵衛を木更津のお大尽という触れ込みにし、指にタコができているのを見破られるとまずいから、聞かれたら鼓に凝っていると言え、など、細々と注意します。
「あたしの言うとおりにしていればいいと」
太鼓判を押すが、先立つものは金です。十三年間の給金二十五両を、そっくり旦那に預けてあるが、女郎買いに行くから出してくれとも言えないので、店の金を十五両ほど隙を見て持ち出し、バレたら、預けてある二十五両と相殺してくれと頼めばいいと知恵をつけます。
さて当日。徳兵衛はビクビクもので、吉原の大門でさえくぐったことがないから、廓の常夜灯を見て腰を抜かしたり、見世にあがる時、普段の癖で雪駄を懐に入れてしまったり
と、あやうく出自が割れそうになるので、介添えの寿楽の方がハラハラ。何とかかんとか花魁の興味をひき、めでたくお床入り。
翌朝、徳兵衛はいつまた宵山に会えるか知れないと思うと、ボロボロ泣きだし、挙げ句に正直に自分の身分をしゃべってしまった。
宵山は怒ると思いのほか、この偽りの世の中に、あなたほど実のある人はいないと、逆に徳兵衛に岡惚れします。
それから二年半というもの、費用は全部宵山の持ち出しで二人は逢瀬を続けたが、いかにせん宵山ももう資金が尽き、思うように会えなくなって仕舞いました。
そうなるといよいよ情がつのった徳兵衛、ある夜思い詰めて月を眺めながら、昔梅ケ枝という女郎は、無間の鐘をついて三百両の金を得たと浄瑠璃で聞いたことがあるが、たとえ地獄に堕ちても金が欲しいと、庭にあった大道臼を杵でぶっぱたく。
その一心が通じたか、バラバラと天から金が降ってきて、数えてみると二百七十両。
「三百両には三十両不足。ああ、一割の搗き減りがした」
『能書』
ここで噺は終わっていますが、このお金で徳兵衛は花魁を身請けするのです。
他の二つの噺は花魁の意志で、年季が明けたからという事で、嫁に来るのですね。
花魁の年季は大体10年です。だから幾代も30歳前でしょう。年季が明けるまで誰からも身請けされずに居続けていたのですから、好きな人のために年季が明けるのを待っていたと思わせる所が感動を呼びます。
そこがこの噺と「紺屋高尾」や「幾代餅」と違う処で、ここをどう聴くかで印象が違っています。
他の2つ程演じられないのは、そこでしょうかねえ?
『ネタ』
サゲの搗き減りですが、現在では2割で演じています。
「搗き減り」というのは、江戸時代の搗米屋が、代金のうち、玄米を搗いて目減りした二割分を、損料としてそのまま頂戴したことによります。
そんな処もわかり難くなって来ていますね。
「蛇足」
搗屋とは、搗き米屋のことで、普通にいう米屋で、足踏み式の米つき臼で精米してから量り売りしました。
それとは別に出職(得意先回り)専門の搗屋があり、杵と臼を持ち運んで、呼び込まれた先で精米しました。