今日は十代目 桂文治師です。小柄ながらパワフルな高座を見せてくれました。
「十代目 桂 文治」(1924年1月14日 〜 2004年1月31日)
噺家の初代柳家蝠丸の家に生まれる
・1946年6月、2代目桂小文治に師事し、柳家小よしを名乗るが師の亭号の桂小よしに改名。
・1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。
・1958年9月、真打昇進。
・1979年3月、十代目桂文治を襲名
この文治と言う名は桂派の家元の名前で桂を名乗る噺家さんでは一番重い名前です。
ちなみに、三遊亭では圓生、柳家では小さん、金原亭では馬生、古今亭では志ん生、そして春風亭では柳枝が家元の名前となっています。
襲名に際しては八代目正蔵師の強い薦めがあったそうです。
「芸風」
伸治時代は兎に角パワフルな芸風で「あわてもの」というそそっかしい人の噺では圧倒的な高座を見せてくれました。落語を演じているのではなく、本当にこの人の話をそのまま語っているのではないか? とさえ思わせてくれました。笑いすぎて、お腹の筋肉が痛くなるという嘘のような現象を味あわせて貰いました。
文治を襲名してからはやや落ち着いた高座になりましたが、それでも切り口の良い噺を聞かせてくれました。
「こだわり」
江戸言葉には特にこだわりがあり、私が知ってるのでは「カッコイイ」は関西弁で江戸言葉では「様子が良い」。「ど真ん中」ではなく「まん真ん中」などと語っていましたね。
いつも着物姿で歩いていました。個人的に私の地元でよく拝見しました。
高座着も色紋付は殆ど着ていなかったと思います。(TVでは判りません)着物は柄でも羽織は必ず黒の紋付きでした。これは江戸の噺家は本来黒の紋付きの羽織を着て高座に上がるのが本来で、それ以外の柄物の羽織を着るのは上方から入って来た風習だからです。
そんなこだわりも見せてくれました。
「ネタ」
晩年のことですが、寄席等の通勤に使用していた西武新宿線の女子高校生の間では「ラッキーおじいさん」と呼ばれていたそうです。師匠出会うことが出来れば、その日は幸せになると言われていました。
「得意演目」
「掛取り」「源平盛衰記」「親子酒」「お血脈」「長短」「蛙茶番」「義眼」
「鼻ほしい」「火焔太鼓」「道具屋」「替り目」「ラブレター」「あわて者」
「猫と金魚」「二十四孝」等滑稽話多数!
「十代目 桂 文治」(1924年1月14日 〜 2004年1月31日)
噺家の初代柳家蝠丸の家に生まれる
・1946年6月、2代目桂小文治に師事し、柳家小よしを名乗るが師の亭号の桂小よしに改名。
・1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。
・1958年9月、真打昇進。
・1979年3月、十代目桂文治を襲名
この文治と言う名は桂派の家元の名前で桂を名乗る噺家さんでは一番重い名前です。
ちなみに、三遊亭では圓生、柳家では小さん、金原亭では馬生、古今亭では志ん生、そして春風亭では柳枝が家元の名前となっています。
襲名に際しては八代目正蔵師の強い薦めがあったそうです。
「芸風」
伸治時代は兎に角パワフルな芸風で「あわてもの」というそそっかしい人の噺では圧倒的な高座を見せてくれました。落語を演じているのではなく、本当にこの人の話をそのまま語っているのではないか? とさえ思わせてくれました。笑いすぎて、お腹の筋肉が痛くなるという嘘のような現象を味あわせて貰いました。
文治を襲名してからはやや落ち着いた高座になりましたが、それでも切り口の良い噺を聞かせてくれました。
「こだわり」
江戸言葉には特にこだわりがあり、私が知ってるのでは「カッコイイ」は関西弁で江戸言葉では「様子が良い」。「ど真ん中」ではなく「まん真ん中」などと語っていましたね。
いつも着物姿で歩いていました。個人的に私の地元でよく拝見しました。
高座着も色紋付は殆ど着ていなかったと思います。(TVでは判りません)着物は柄でも羽織は必ず黒の紋付きでした。これは江戸の噺家は本来黒の紋付きの羽織を着て高座に上がるのが本来で、それ以外の柄物の羽織を着るのは上方から入って来た風習だからです。
そんなこだわりも見せてくれました。
「ネタ」
晩年のことですが、寄席等の通勤に使用していた西武新宿線の女子高校生の間では「ラッキーおじいさん」と呼ばれていたそうです。師匠出会うことが出来れば、その日は幸せになると言われていました。
「得意演目」
「掛取り」「源平盛衰記」「親子酒」「お血脈」「長短」「蛙茶番」「義眼」
「鼻ほしい」「火焔太鼓」「道具屋」「替り目」「ラブレター」「あわて者」
「猫と金魚」「二十四孝」等滑稽話多数!