らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:志ん朝

c3d2d8c1『堀の内 』
いよいよ緊急事態宣言だそうです。寄席も休みで芸協の真打披露興行は秋に順延だそうですし、今やってる落語協会の真打披露興行は中断です、凄いことになって来ました。
私が楽しみにしていた地元の亀有で行われる予定だった、小三治、三三親子会も順延の末に日が変わりましたが中止になりました。

【原話】
古くからある噺で、元は宝暦2年(1752)刊の笑話本「軽口福徳利」や寛政10(1798)年刊「無事志有意」等にも見られます。
上方では「いらちの愛宕詣り」と言いまして「いらち」とは「あわてもの」の意味です。

【ストーリー】
病気の様な粗忽者がなんとか直そうと、堀の内のお祖師様に歩いてお参りに行くということになりました。カミさんに弁当を作って貰い、お賽銭も用意して出掛けます。
 しばらく歩いて、お祖師様は何処かと聞くと、ここは両国だ、神田から来たならまるで反対だと教えられ、
やっとのことでお祖師様に着いて賽銭を投げ入れたが、財布ごと投げて一文無しに。弁当を食べようと広げてみるとカミさんの腰巻きで包んだ枕と言う有様。
 家に辿り着いて文句を言うと、なんと隣の家。
伜の金坊を連れて湯に行けと言われ、おぶってやろう、やけに重いな、あたしだよ。
 子供をおぶって歩いていると、おとっつぁん湯屋を通り過ぎたよ。湯に浸かって尻を掻いても感じないと思ったら、隣の男が誰だい人の尻をいじっているのは、という始末。
 伜の背中を流してやろう、やけに広い背中だな。おとっつぁん、風呂場の腰板だよ。
まあ、その慌てモノぶりが半端ではありません。
「粗忽の釘」の亭主といい勝負かも知れません。もしかしたら本人か?
ちなみに、江戸っ子は「おそっさま」と言います。

【演者】
個人的には四代目圓遊師、そして志ん朝師ですね。
あと、お参りするお寺が浅草の浅草寺という設定で演じた先代文治師も良かったですね。特に伸治の頃が最高でした。また八代目圓蔵師もよくやっていました。良かったですが先の三名の次という感じでしたね。圓蔵師のファンの方申し訳ありません。

【注目点】
上方は噺の筋そのものが違っていて、前半は東京と少し違っていて、いらちの喜六が京の愛宕山へ参詣に行くのに、正反対の北野天満宮に着いてしまったりのドタバタの後、賽銭は三文だけあげるようにと女房に言い含められたのに、間違えて三文残して
あと全部やってしまう、というように細かくなっています。
最後は女房に「不調法いたしました」と謝るところで終わらせます。
湯に行く途中に間違えて八百屋に入り、着物を脱いでしまうくすぐりや朝起きて、笊で水を汲んだり、猫で顔を拭いたり、電柱に挨拶したり、ストーリーにあまり関係ないを入れることもあります。

伸縮自在なので、時間がないときにはサゲまでいかず、途中で切ることもよくあります。
ですから今でも寄席でよく掛かる演目の一つです。

『ネタ』
このお祖師様こと妙法寺ですが、正式には「厄よけ祖師 堀之内 妙法寺」というそうです。
山号寺号は、日円山妙法寺となります。
何でも由来は、1261年(弘長元年)、日蓮聖人が伊豆に流された時のこと。
お供を許されなかった弟子の日朗上人が、師を慕って像を彫りました。
2年後に戻った日蓮聖人が、その像に魂を入れたのですが、その時、聖人が42歳の厄年だったので、
像は「厄よけ祖師(日蓮大菩薩(ぼさつ))」といわれるようになった、と伝えられています。
今は、妙法寺の祖師堂の厨子(ずし)にまつられており、境内に入るだけで厄よけになるという、有り難さです。
住所は、東京都 杉並区堀ノ内3の48の8ですね。環七に面しています。

57『夢金』
大寒に入り寒さも峠ですが、今日は真冬の寒さが身にしみるようなお噺です。

【原話】
安永2年(1773年)に出版された笑話本・「出頬題」の一遍である『七福神』。別題として「欲の熊蔵」「錦嚢」などがあります。

【ストーリー】
欲深い船頭の熊は、今夜も二階で「百両欲しい」と寝言を口にしながら眠っています。
雪の降りしきる静かな晩だけに、金勘定をしているのではと、泥棒に勘違いされはしないかと気が気でない船宿の夫婦。
その時、おもむろに戸を叩く音がします。ようやく戸を開けてみると、文金高島田を身に付けた綺麗な女性を連れた、およそその相手に似つかわしくない浪人風情の男が立っています。
事情を聞くと妹を連れての芝居鑑賞の帰りで、屋根船をあつらえたい旨を伝えてきたが、肝心の漕ぎ手がいないからと、一旦店の者は断るのですが、そこに聞こえてきたのが熊の寝言で、ならば酒代をはずむからということで、熊を船頭にいざ出発します。
舟が進み始めてしばらくした時、男が熊に相談を持ちかけてきたのですが、その内容は連れている女は妹でもなんでもなく、懐に大金を持っているから連れてきたということで、熊の欲深いところを見込んで二人で殺して金を山分けしようという、とんでもないものでありました。
駄賃を2両くれるというのですが、武士が泳ぎが出来ないと分かると、人殺ししてまで金は欲しくないし、2両とはしみったれているので嫌だと、震えながら交渉。
すると山分けにしよう、と相談が決まった。船の中で殺す訳にはいかないので、中洲に降ろしてそこで殺す事に決まりました。
浪人をまず中洲にあげといて、とっさに船を大川に引き戻し、「もー少しで、上げ潮になって背が立たないぞ〜」悪態を付きながら船をまなべの河岸に着けて、色々聞くと本町のお嬢さんと分かりました。
 家に連れて行くと、大騒ぎの最中。お礼は後日伺うが、まずは身祝いと酒手を差し出します。
どうせ殺しを手伝っても、その後で斬り殺されてしまうのが関の山と、断りつつ受け取ったが、失礼な奴でその場で包みを破いて中を見ると、50両が二包み。「100両だ! ありがてぇ」両手でわぁ!と握りしめると、あまりの痛さで目が覚めた。
「アァ…夢だ」

【演者】
最近では古今亭志ん朝師がいいです。勿論六代目圓生師も抜群です。現役の若手では柳家三三師が抜群ですね。その他にも達者な方が多くいます。

【注目点】
そのタイトルからネタ割れしてしまうのですが、果たしてどこからどこまでが夢の中の出来事なのか、そのあたりを想像しながら噺を楽しみたい噺ですね。
それと、真冬の夜、深々と雪が降る状況をどう描写するか? が重要ですね。
サゲに来て、「夢」と「金」の正体が分かる仕組みになっていますが、最近ではあまり綺麗なサゲでないと言われているので、貰った金を手にして「百両〜」と叫んで、目が覚めるといったサゲなどが一般的になっています。

『能書』
落語と講談の違いですが、講談では「断り口調」と言って、地の口調で登場人物を説明するのですが、落語は噺の中で登場人物の口調で説明します。「おや、タバコを吹かし始めたな……良い煙草入れじゃねえか」等と言う感じです。この噺は落語、それも落とし噺でありながら、断り口調が多く出て来ます。

『ネタ』
男が頼んだ船は”屋根船”と言います。
屋根船とは、屋根のある小型の船で、屋形船より小さく、一人か二人で漕ぐ屋根付きの船。夏はすだれ、冬は障子で囲って、川遊びなどに用いた船で、別名、日除け船とも言いました。

e99b9be98d94『雛鍔』
 まだ寒いですが、お雛様も近いのでこの噺です。

【原話】
原話は、享保18年(1733年)に出版された笑話本「軽口独機嫌」の一遍である「全盛の太夫さま」で、
後に上方落語にも導入され、「お太刀の鍔」という演目で演じられるようになりました。
上方版では、金を知らない子供が、大富豪・鴻池の「ぼんち」という設定で、噺の筋は東京そのままです。

【ストーリー】
 八歳になる若様が、お屋敷のお庭散歩の途中で穴開き銭を拾いました。
丸くて四角い穴が開いて文字が書かれて裏には波模様がある、これは、きっとお雛様の刀の鍔だろう。
 これを聞いていたのが出入りの植木職人。銭を知らねぇんだと感心して家に帰ると同じく八歳の息子が銭くれぇ、お足くれぇと催促しますので、育ちでこうも違うのかねぇと落胆すします。
 そこへご隠居が訪ねて来て、先日来の仕事依頼の食い違いを謝罪し、植木屋の親方もこちらこそ申し訳ないと和解する。
 そのとき、「こぉ〜んな物拾った」植木屋の息子が「丸くて四角い穴が開いている、これはお雛様の刀の鍔だろう」と聞こえよがしにつぶやく。
これを聞いたご隠居は、銭を知らないとは育ちの良い子供だと感心して、習字手習いの道具を買ってやるという。
 親方が礼を言い、そんな不浄な物(銭)は捨てなさいと言うが、
「やだい、これで焼き芋を買うんだ」

【演者】
三代目金馬師が有名ですが、志ん朝師も良かったですね。
このあらすじは金馬師の筋です。志ん朝師は親方が家に帰ってきて、女房にお屋敷での事を、愚痴って話すと言う筋です。それ以来それが主流の様ですね。

【注目点】
武士が多かった江戸では、朱子学の影響もあり、武家の金銭を卑しむ思想に
大きな影響を受けていました。
落語の世界では、「黄金餅」「夢金」等例外はありますが、だいたいやせがまんの清貧思想が貫かれています。
上方版では商人の子供がお金を知らないと言う設定は?と思いますが・・・

『能書』
お屋敷で見聞したことに感心して、長屋でやってみて失敗するという、「青菜」などに似た噺です。銭に関する滑稽譚は数多く、ある大店の太夫が銭を知らないので評判が立ったのを真似して、小店の女郎が失敗する、という小咄もあります。

『ネタ』
一文銭と言いますが、俗に青銭と呼ばれたそうです。明治になり、貨幣制度の切り替えで2厘の補助通貨に規定されたそうです。

oomon『付き馬』
今日は「付き馬」です。これは江戸弁で「つきんま」と言うそうです

【原話】
原話は元禄5年(1692年)に出版された笑話本・「噺かのこ」の第四巻、「薬屋にて人参を騙りし事」です。又の題を「早桶屋」とも云い、圓生師はこの名で演じていました。

【ストーリー】
吉原で「今は持ち合わせがないが、お茶屋のツケを集金すれば金ができるので、明日払いで良けりゃ遊んでってやるよ」ということでどんちゃん騒を始めます。
 翌朝、郭の中のお茶屋だから一緒に集金に行こうと、若い衆を連れ出し、ちょっと大門の外の空気を吸ってみようと、更に外に引っ張り出す。この後、風呂に入り飯を食って若い衆に払わせ、浅草の雷門まで来てしまいました。
 ここから中まで戻るのは面倒だから、近くの早桶屋の叔父さんに金をこしらえて貰おうと言い出します。付き馬の牛太郎を外に待たせたまま、早桶の注文をして、外に聞こえるように「早くこしらえておくれ」と云います。
 若い衆を呼んで「出来たら叔父さんから受け取ってくれ」と言い残して男は、帰ってしまいました。
「出来たけど、どうやって運ぶ」と聞かれて、早桶を注文したことを知らさせるが後の祭り。棺桶代を請求されて金が無いというと、「おい奴(やっこ)、中まで馬に行け」

【演者】
「早桶屋」で演じていた圓生師を始め、志ん朝師や先代柳朝師が好きですね

【注目点】

 私が最初に聴いた時(圓生師でしたが)疑問に思ったのは、早桶屋の事でした。時代は「花やしき」等があり、どう見ても明治から大正です。
「図抜け一番小判型」等と言う座棺がそのころでも使っていたのかどうか?でした。
 てっきり江戸時代迄だと思っていたのですが、違いました。
 よく調べると、寝棺は火葬、座棺は土葬用と書いてありますが、一概にそうでも無いようです。
 ある調べでは昭和21年の京都市では火葬の74%が座棺を使用していたそうです。最も25年には半分に下がりますが・・・
 つまり、戦後もある時期迄は座棺が結構使用されていたと言う事です。
 小三治師は若い頃銭湯で、この早桶の職人だったお爺さんと仲良くなり、色々と教わったそうです。
「そのうち、こうゆうのも話しておかないと忘れさられてしまうからな」
 そう言ってたそうで、正にその通りですね。

『能書』
もともとは、薬屋で朝鮮人参をだまし取るという内容だったそうですが、廓噺に変わりました。

『健二のネタ』
結構有名な話ですが、付き馬の由来は、昔は吉原の馬子さんが其の物の家まで取りに行ってたのですが、そのうちに、集金した金を持ち逃げする馬子が多くなったので、馬子じゃなくて、店の若い者に集金させる様になりました。そこから「付き馬」という様になりました。

cb69c91c.jpg昨日の続きなのですが、
親子リレー落語「富久」ですが、以前ニコにうpしたのですが、
コメントが酷かったので削除して仕舞いました。
聞いたりDLした方も居るでしょうが、
未だ聞いた事の無い方がいましたら、と思い
いつもの処にうpしました。
いつも通り期限は一週間です。

この落語会は昭和33年で
志ん朝師は未だ前座で20歳、前座でこれだけ話せるのは凄いのですが・・・
改めて聴いてみると、やはり親子ですね、声の感じ話し方等が似ていますね。それでいながらあれだけ違う世界を構築出来たのは芸の力などだと、
思いましたね。

録音と編集は当時ニッポン放送に勤務していた長女の美都子さん。
馬生師は30歳、志ん生師は絶頂期の68歳です。

平成14年に特番で放送された音源です。
ノイズが有りますが、コレでも加工してあります。

ニコにうpした時のコメントに
「インチキ」だの「勝手に作った」だの嘘つき呼ばわりされましてねw
それで削除しました。
私自身は音質の加工(ノイズ減らし)はしていますが、
カット等は一斎しておりません。

https://www.webfile.jp/dl.php?i=790335&s=45a0da15016db6a0ab53

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