『強情灸』
今日は寄席でも良くかかるこの噺です。
寄席の一日でほぼ必ずと言って良いほど何処かで演じられますね。
『原話』
元々は上方落語の『やいと丁稚』と言う演目です。今は上方では殆ど演じられていないとか? 色々な資料ではそうなっていますが、上方落語に詳しい方によると、そもそも『やいと丁稚』という演目は古くは判りませんが、戦後は誰も演じていない。ということです。米朝師も一応そう語っていたそうですが、師も「強情灸」で演じていて、「やいと丁稚」の音源は残していないそうです。
『演者』
やはり志ん生師と小さん師が双璧ですね。
あとは、二つ目さんから大看板まで広く演じられています。
志ん生師は藪先生によると最初は「我慢灸」の演題でやっていたそうです。
『ストーリー』
通りかかった知り合いが唸っているので、気になった男、家に招き寄せます。
聞けば何でも体がだるいので、峰の灸に灸を据えてもらいに行ったらしい。
峰の灸は熱いことで有名で、一つ据えただけで悲鳴をあげるが、良く効くのでいつも長蛇の列。順番の札が「への36番」だったが、前のほうの美人が怖がって換えてくれというから喜んで取り換えて貰いました。
粗sの知り合いが言うには、中にに入ると「うちの灸は熱いですよ」なんて言いやがるから、まとめて全部やってくれと見栄を張ったら、三十二箇所に火を点けやがった。
一つで飛び上がるって灸を三十二箇所だ、熱いの熱くねぇのって我慢してたら、この人は凄いねとか、さっきの美人なんかは、嫁に行くならこういう人なんて思ったかな。
これを聞いていた男も強情張り。たかが灸くらいのことで何だと、腕の上に艾を山盛りにして火を点けた。
煙が上がり浅間山のよう。灸くらいで威張るな、石川五右衛門は油で揚げられて辞世の句を読んだし、八百屋お七なんて十五で火あぶりだぞ、う、う、う。
とうとう我慢できなくなったか、払い落とします。
「何だって、石川五右衛門がどうしたって?」
「う、う、う、五右衛門はさぞ熱かったろうなぁ〜」
『能書』
この噺は江戸っ子の痩せ我慢の噺ですが、上方版の「やいと丁稚」は違いまして、
商家の主人が丁稚にやいと(灸)をすえ、泣き叫ぶので自分ですえてみせますが
あまり熱いので、「辛抱でけんかったら、こうやって払い落としたらええのや」
とポンポンとはたく仕種でサゲになるもので、子供の手前強がってみせるだけで
結局我慢も何もしませんから、強情噺でも何でもありません。
この辺も違いがあり、面白いですね。
『ネタ』
この噺は何と言っても志ん生師と小さん師ですが、両者では実は違いがあるのです。
古今亭はお灸を据える時に腕の向きが下で柳家は上を向かせるそうです。
この辺の仕草でどの系統の噺家さんから稽古を付けてもらったか判るそうです。
「蛇足」
今はもう無いのでしょうが、私の子供の頃は悪さをしたりすると良くお灸をすえられました。今でも跡が残っています。(私の家だけだったのかな?)
と言う訳で子供の頃は注射よりお灸の方が怖かったですね。
今日は寄席でも良くかかるこの噺です。
寄席の一日でほぼ必ずと言って良いほど何処かで演じられますね。
『原話』
元々は上方落語の『やいと丁稚』と言う演目です。今は上方では殆ど演じられていないとか? 色々な資料ではそうなっていますが、上方落語に詳しい方によると、そもそも『やいと丁稚』という演目は古くは判りませんが、戦後は誰も演じていない。ということです。米朝師も一応そう語っていたそうですが、師も「強情灸」で演じていて、「やいと丁稚」の音源は残していないそうです。
『演者』
やはり志ん生師と小さん師が双璧ですね。
あとは、二つ目さんから大看板まで広く演じられています。
志ん生師は藪先生によると最初は「我慢灸」の演題でやっていたそうです。
『ストーリー』
通りかかった知り合いが唸っているので、気になった男、家に招き寄せます。
聞けば何でも体がだるいので、峰の灸に灸を据えてもらいに行ったらしい。
峰の灸は熱いことで有名で、一つ据えただけで悲鳴をあげるが、良く効くのでいつも長蛇の列。順番の札が「への36番」だったが、前のほうの美人が怖がって換えてくれというから喜んで取り換えて貰いました。
粗sの知り合いが言うには、中にに入ると「うちの灸は熱いですよ」なんて言いやがるから、まとめて全部やってくれと見栄を張ったら、三十二箇所に火を点けやがった。
一つで飛び上がるって灸を三十二箇所だ、熱いの熱くねぇのって我慢してたら、この人は凄いねとか、さっきの美人なんかは、嫁に行くならこういう人なんて思ったかな。
これを聞いていた男も強情張り。たかが灸くらいのことで何だと、腕の上に艾を山盛りにして火を点けた。
煙が上がり浅間山のよう。灸くらいで威張るな、石川五右衛門は油で揚げられて辞世の句を読んだし、八百屋お七なんて十五で火あぶりだぞ、う、う、う。
とうとう我慢できなくなったか、払い落とします。
「何だって、石川五右衛門がどうしたって?」
「う、う、う、五右衛門はさぞ熱かったろうなぁ〜」
『能書』
この噺は江戸っ子の痩せ我慢の噺ですが、上方版の「やいと丁稚」は違いまして、
商家の主人が丁稚にやいと(灸)をすえ、泣き叫ぶので自分ですえてみせますが
あまり熱いので、「辛抱でけんかったら、こうやって払い落としたらええのや」
とポンポンとはたく仕種でサゲになるもので、子供の手前強がってみせるだけで
結局我慢も何もしませんから、強情噺でも何でもありません。
この辺も違いがあり、面白いですね。
『ネタ』
この噺は何と言っても志ん生師と小さん師ですが、両者では実は違いがあるのです。
古今亭はお灸を据える時に腕の向きが下で柳家は上を向かせるそうです。
この辺の仕草でどの系統の噺家さんから稽古を付けてもらったか判るそうです。
「蛇足」
今はもう無いのでしょうが、私の子供の頃は悪さをしたりすると良くお灸をすえられました。今でも跡が残っています。(私の家だけだったのかな?)
と言う訳で子供の頃は注射よりお灸の方が怖かったですね。