images『垂乳根』
今日はこの噺です。おそらく取り上げるのは初めてだと思います。

【原話】
1628年(寛永5年)の「醒睡笑」の「文字知り顔」あたりです。
上方では「延陽伯」ですね

【ストーリー】
長屋の世話好きな大家さんが、店子の八つあん(八五郎)に嫁の話をもちかけます。
「おまえはこの長屋で一番若いし、ひとり者も二,三人いる。ものがきちょうめんで、ひとに満足にあいさつもできないような人間だけれども、まことに竹をわったような、さっくりとした気質。そのおまえに耳よりのはなしがあるんだよ」
 そお言われた八五郎も満更ではありません。
「でも三十過ぎとかなんでしょう?」
 とう問いかけると、さにあらず
「年は二五。器量は十人なみ以上の色白、小柄ないい女なんだよ。生まれは京都、両親はとうのむかしに亡くなってしまった。長いあいだ、一人っきりで京都の屋敷奉公。嫁にいったさきに、舅や小姑があって、いつまでもきゅうくつなおもいをするのはいやだ。気楽にさえ暮らせるなら、ああいうさっくりした親切そうなかたのところへ嫁にゆきたいとこういうんだが、どうだ、おまえ、もらう気はあるかい?」
「そうですか、あります!」
 そう返事をしますが
「ただ、ちょっと……まあ、いわばきずがあるんだ。」
「そうでしょう。どうもはなしがうますぎるとおもったんですよ。そんないいことづくめの女が、あっしのような者のところへくるはずがありませんものねえ。きずっていうと、横っ腹にひびがはいってて、水がもるとかなんかいうんですかい?」
「それは壊れた土瓶だ。そうじゃないよ。もとが京都のお屋敷者だろ、だから、言葉が丁寧すぎるんだ」
「悪いんまら兎も角、良いならいいじゃありませんか」
「いやそれが良す過ぎるんだよ。この間風の吹く日に往来で会ってな、向うで言ったことが分からなかった」
「なんて言ったんです」
「今朝(こんちょう)は怒風(どふう)激しゅうして、小砂眼入すというんだ」
「へえー、たいしたことをいうもんですねえ。全く分からねえ」
「分からないで感心するやつがあるか。くやしいから道具屋の店先にたんすと屏風が置いてあったから、それをひっくり返して『いかにもすたん、ぶびょうでございます』っていってやったよ……で、どうだね?」
「言葉が丁寧すぎる?いいじゃありませんか。乱暴なら傷だけど、そりゃ結構なことだ。まぁ、大家さんの世話だから、仕方ねぇや。いつくれるんっすか?」
お前も掃除して湯と床屋行って、ちゃんと用意して待ってろ。夕方には連れてくるから。
「思い立ったが吉日」とばかり今晩ということになりました。

早速八五郎は、まだ見ぬ嫁さんとめしを食うことまで思い浮かべ、一人にやにや。

「飯を食うのが楽しみだよ。『八寸を四寸ずつ食う仲のよさ』てなぁ。
お膳を真ん中に置いて、カカァが向こう側にいて、おれがこっち側...。おれの茶碗は、ばかにでっけえ五郎八茶碗(どんぶり茶碗)てえやつだ。そいつをふてえ木の箸で、ざっくざっくとかっこむよ。たくあんのこうこをいせいよくばありばりとかじるよ・・・・・
カカァはちがうよ。朝顔なりの薄手のちっちゃな茶碗で、銀の箸だから、ちんちろりんとくるね。きれいな白い前歯でもって、たくあんをぽりぽりとくらあ。ぽりぽりのさーくさく……さ。ふふふふ。
 おれのほうは、ざーくざくのばーりばり。カカァのほうは、ぽーりぽりのさくさく、箸が茶碗にぶつかって、ちんちろりんの間(あい)の手がはいるよ。ちんちろりんのぽーりぽりのさーくさく……ばーりばりのざーくざく……ちんちろりんのぽーりぽりばーりばりのざっくざく……ちんちろりんのさーくさく……ばーりばりのざーくざく」

 そうこうしているうち、大家さんが嫁さんを連れて、直ぐに帰ってしまいました。早くも二人っきりになりました。
「あ、大家にお前さんの名前、聞くの忘れちゃったよ。あっしの名前は八五郎ってんですが、あなたの名前をどうかお聞かせねがいたいんで」
 そう八五郎が言うと
「父はもと京都の産にして、姓は安藤、名は慶三。あだ名を五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜、丹頂の夢をみてはらめるが故に、たらちねの体内をいでしときは、鶴女と申せしが、成長の後これを改め『清女』と申しはべるなり。」
「へぇー。どうもおどろいたなあ。随分はべっちゃたなぁ。ひとつこれに書いておくんなせえ。あっしゃあ、職人のことで難しい字が読めねえから、仮名でひとつおたのみ申します」
 とか何とか一夜が過ぎて夜が明けました。夫に寝顔を見せるのは妻の恥とばかりに早起きして朝ご飯の支度にかかります。勝手が分からないので、例の丁寧な言葉使いで、やってきた振り売りの商人を
「そこなおのこ、そこへ直りゃ」
 と呼び止め
「価幾ばくなりや」などと混乱させてしまいます。
「あ〜ら、我がきみ、あ〜ら、我がきみ 」
「なんか言ってるね。その「我がきみ」ってぇのだけは、頼むからやめてくんねぇかな『我がきみの八』てあだ名がついちまうから」
「一文字草、価三十二文なり」
「ああ、銭かい? その火鉢の引き出しにあるから、だして勝手に使いねぇ。
いちいち聞かねぇでもかまわねぇんだから」
 すっかり朝ご飯の支度が出来上がりますと、またぴたりと三つ指ついて、
「あ〜ら、我がきみ、あ〜ら、我がきみ」
「また始まった。これじゃ眠れやしねぇや。なんです、なんべんもなんべんも『我がきみ、我がきみ』って、今度は何の用です? 」
「あぁ〜ら我がきみ、もはや日も東天に出現ましまさば、御衣になって、うがい・ 手洗に身をきよめ、神前仏前に御灯(みあかし)をささげられ、看経ののち御膳を召し上がってしかるべく存じたてまつる。恐惶謹言(きょうこうきんげん)。」
「お、おい、脅かしちゃいけねぇよ。飯を食うのが『恐惶謹言』なら、酒を呑むのは『依ってくだんのごとし』か 」

【演者】
明治27年(1884)4月の「百花園」に掲載された四代目橘家円喬の速記がありますのでかなり早くから江戸でも演じられていたと思います。
三遊、柳家とも高座に掛けますね。

【注目点】
我々が高座で聴く噺はあらすじ通りですが、噺家さんが師匠等から教えて貰うバージョンではもっと長い噺みたいです。特に八五郎が一人で待ってるシーンが長いみたいですね。

『能書』
大阪の「延陽伯」が東京に移されたものです。大阪では、女は武家娘という設定なので、
漢語をやたらに使いますが、東京では京女ということで、女房言葉や京言葉を使っています。


『ネタ』
「たらちね」は垂乳根と書き、「母」に掛かる枕詞です。
ちなみに先代柳朝師は一夜経った清女は処女では無くなってるので、その違いが表現できないので自分はこの噺はやらない。と語っています。