050今日は志ん生師の命日ですね。もう39年が経ちました。来年は40年の区切りを迎えますね。

今でも大人気の志ん生師の芸を語るなんてのは、恐れ多くて尻の青い私にはできません。(^^)
でも、これだけは言えます。
ありとあらゆる落語を聴いてその末に志ん生師を聴くと、その凄さの一片ぐらいは理解出来るであろう・・・と。

なんてねw
今は大人気で観光名所にもなりました、東京スカイツリーですが、かってその地に志ん生師が住んでいました。
曰く、大家側の宣伝代わりに家賃を免除されていたそうですが、ここがひどかったそうです。
湿地帯にろくに整備もせず土だけ入れて、その上に家を立ててしまったので、モロに湿気が上がって来るのだそうです。湿気だけなら良いのですが、夕刻になるとナメクジが家に這い上がってくるのだそうです。
それも半端ない数で、しかもその大きさが極めて大きかったそうです。

しかし、その後戦後になって志ん生師は売れてきまして、日暮里に家を立てる事が出来ました。
それを知った、業平のナメクジ達は、「俺らの志ん生が出世したそうだから、ひとつお祝いに駆けつけ様じゃないか」と、日暮里の志ん生宅にやってきて、その暮らしぶりを見て、「こんなピカピな家じゃあ。落ち着いていられねえや。早く、なめくじ長屋に帰ろう」とそっと帰って行ったという事です。

まあ、これは新内の「なめくじと志ん生」ですが、岡本文弥さんが弾いてくれています。
文弥師匠が、ユーモアたっぷりの中に、ペーソスをまじえて描いた素敵な作品です。志ん生師匠に対する、文弥師匠の友情が、強く感じられます。しんみりとした中々良い感じです。
志ん生師も「ほろりとして妻と聴いた」と語っていたそうです。

あのナメクジは今のスカイツリーの様子を見て何と思うでしょうかねえ。
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