『子別れ』
今日はこの噺です。
通常は長いので通しで演じられることはあまり無く、序の「強飯の女郎買い」中、そして下の「子は鎹」の3つに別れ演じられることが多いです。
まあ大抵は「子は鎹」が多いのですが、演じる時は簡単にあらすじを語ってから噺に入ることが多いですね。
『原話』
初代、春風亭柳枝師の作で、それを初代春錦亭柳櫻師により改作されました。
『演者』
これはもう5代目古今亭志ん生師、6代目三遊亭圓生師を始め、5代目柳家小さん師など大看板を始め色々な噺家さんが演じています。
『ストーリー』
大工の熊さんは山谷の隠居の弔いですっかりいい心持ちになり、
「このまま吉原へ繰り込んで精進落としだ」
と紙屑屋の長公と一緒に弔いの土産の強飯の折を手土産にして怪気炎を上げます。
四日も居続けてから家に帰ると女房は働いています。一度は謝りましたが女郎の惚気を言い出したので女房が怒り出し大喧嘩になります。
心配した仲人が入ったのですが収まらず結局、女房は子供の亀を連れて家を出て行きます。
熊さんは女郎を家に入れましたが、やはり上手く行くはずもなく女郎も出て行って仕舞います。一人になった熊さんは目が覚め酒も止め真面目に働き出します。
それから三年、熊さんは仕事に行く途中の街角で別れた子供の亀と出会います。亀から色々と話を聞き、別れた女房が手内職をしながら子を育てていることを知ります。
熊さんは亀に小遣いをやり明日、一緒に鰻を食べる約束をします。家に帰った亀は持っていた小遣いをどうしたのか問い詰められられますが父親との約束で言いません。怒った女房は、亀が持ち出した玄翁でぶつと言うので仕方なく真実を話します。
驚く女房、こちらも熊さんのことを色々と問うのでした。
翌日鰻屋の二階で親子三人が久々の再開を果たします。そして熊さんと女房のヨリが戻るのですが、
「この子ががあればこそ、またお前さんと元になることが出来ました。子供は夫婦の鎹ですねえ?」
「え、おいらが鎹? 道理で昨日玄翁でぶつと言った」
『能書』
圓生師は最後の玄翁でぶつくだりを金槌でやっています。それは四代目志ん生師がやはり金槌でやっていたこと、それに玄翁では非常に大きなものの感じがするので金槌に変えたそうです。
最近では玄翁はおろか鎹でさえ知らない人が増えていますよね。
『ネタ』
明治初期に三遊亭圓朝師が、柳枝師の原作を脚色し、逆に母親が出て行って、父親が子供と暮らすという「女の子別れ」として演じたことがあるそうです。
これは「男の子は父親につく」という、当時の夫婦別れの慣習に基づいたものでしたが、現在は東京ではほとんど演じられていません。
この噺(女の子別れ」)は二代目三遊亭圓馬師が上方に移植した事で、上方でも幅広く演じられるようになりました。六代目笑福亭松鶴師なども演じて録音が残されています。
「考証」
亀の年齢ですが、かなりまちまちでして、例えば小三治師の音源では九歳。大須の志ん朝師の音源では、七つです。さん喬師などは、年齢を明確にしていませんが、学校へ通う年になった、と語っています。これは会話の中に鉛筆や消しゴムの話が出て来るからですね。
榎本滋民先生も、「八つか九つぐらいがいい」と語っていましたね。
「蛇足」
玄翁は金槌の大型なのですが、玄翁和尚が殺生石を砕いたことからその名がつけられました。
今日はこの噺です。
通常は長いので通しで演じられることはあまり無く、序の「強飯の女郎買い」中、そして下の「子は鎹」の3つに別れ演じられることが多いです。
まあ大抵は「子は鎹」が多いのですが、演じる時は簡単にあらすじを語ってから噺に入ることが多いですね。
『原話』
初代、春風亭柳枝師の作で、それを初代春錦亭柳櫻師により改作されました。
『演者』
これはもう5代目古今亭志ん生師、6代目三遊亭圓生師を始め、5代目柳家小さん師など大看板を始め色々な噺家さんが演じています。
『ストーリー』
大工の熊さんは山谷の隠居の弔いですっかりいい心持ちになり、
「このまま吉原へ繰り込んで精進落としだ」
と紙屑屋の長公と一緒に弔いの土産の強飯の折を手土産にして怪気炎を上げます。
四日も居続けてから家に帰ると女房は働いています。一度は謝りましたが女郎の惚気を言い出したので女房が怒り出し大喧嘩になります。
心配した仲人が入ったのですが収まらず結局、女房は子供の亀を連れて家を出て行きます。
熊さんは女郎を家に入れましたが、やはり上手く行くはずもなく女郎も出て行って仕舞います。一人になった熊さんは目が覚め酒も止め真面目に働き出します。
それから三年、熊さんは仕事に行く途中の街角で別れた子供の亀と出会います。亀から色々と話を聞き、別れた女房が手内職をしながら子を育てていることを知ります。
熊さんは亀に小遣いをやり明日、一緒に鰻を食べる約束をします。家に帰った亀は持っていた小遣いをどうしたのか問い詰められられますが父親との約束で言いません。怒った女房は、亀が持ち出した玄翁でぶつと言うので仕方なく真実を話します。
驚く女房、こちらも熊さんのことを色々と問うのでした。
翌日鰻屋の二階で親子三人が久々の再開を果たします。そして熊さんと女房のヨリが戻るのですが、
「この子ががあればこそ、またお前さんと元になることが出来ました。子供は夫婦の鎹ですねえ?」
「え、おいらが鎹? 道理で昨日玄翁でぶつと言った」
『能書』
圓生師は最後の玄翁でぶつくだりを金槌でやっています。それは四代目志ん生師がやはり金槌でやっていたこと、それに玄翁では非常に大きなものの感じがするので金槌に変えたそうです。
最近では玄翁はおろか鎹でさえ知らない人が増えていますよね。
『ネタ』
明治初期に三遊亭圓朝師が、柳枝師の原作を脚色し、逆に母親が出て行って、父親が子供と暮らすという「女の子別れ」として演じたことがあるそうです。
これは「男の子は父親につく」という、当時の夫婦別れの慣習に基づいたものでしたが、現在は東京ではほとんど演じられていません。
この噺(女の子別れ」)は二代目三遊亭圓馬師が上方に移植した事で、上方でも幅広く演じられるようになりました。六代目笑福亭松鶴師なども演じて録音が残されています。
「考証」
亀の年齢ですが、かなりまちまちでして、例えば小三治師の音源では九歳。大須の志ん朝師の音源では、七つです。さん喬師などは、年齢を明確にしていませんが、学校へ通う年になった、と語っています。これは会話の中に鉛筆や消しゴムの話が出て来るからですね。
榎本滋民先生も、「八つか九つぐらいがいい」と語っていましたね。
「蛇足」
玄翁は金槌の大型なのですが、玄翁和尚が殺生石を砕いたことからその名がつけられました。