らくご はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

タグ:天王寺詣り

img_785584_61456213_0明後日五日は六代目笑福亭松鶴師の命日です。
そこで、松鶴師を取り上げます。

本名は、竹内日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」
生まれは1918年8月17日 で命日が1986年9月5日です。68才の生涯でした。
5代目笑福亭松鶴師の子供として生まれました。母は落語家6代目林家正楽の養女でした。

1918年 大阪市西区京町堀に生まれる。
1933年 高等小学校を卒業し、漫談家・花月亭九里丸の紹介で心斎橋のお茶屋に丁稚奉公に出るも、
仕事はそこそこに落語や歌舞伎の鑑賞に入れ込む。
1938年 兵役検査を受けるが不合格。これを機にお茶屋を辞め遊ぶ傍ら、父松鶴のサークル「楽語荘」や雑誌「上方はなし」編集の手伝い、落語に関わるようになる。
1944年 中之島の大阪市中央公会堂にて、遅れた出演者の代演として芸名無しで初舞台。演目は「寄合酒」
1947年 父松鶴に正式に入門。5月19日、今里双葉館にて正式に初舞台。父の片腕であった4代目桂米團治より初代笑福亭松之助と命名される。
1948年 4代目笑福亭光鶴(こかく)と改名。
1962年 3月1日、6代目笑福亭松鶴を襲名。道頓堀角座にて襲名披露興行。出囃子を「船行き」とする。
1966年 大阪府民奨励賞受賞
1971年 1月30日、芸術祭大衆芸能部門優秀賞受賞
1981年 11月3日、上方落語家としては初の紫綬褒章受章。
1986年9月5日没

豪放磊落な芸として知られていましたが、実に繊細な一面もあった様です。
談志師を始め、志ん朝師や色々な噺家と交流があり、その面倒見の良さは定評がありました。
談志師が語っていますが、普段は軽い噺しかやらず、物足りなく思っていたら、ある日「らくだ」を演じ。
震える程感動したそうです。

晩年は高血圧の為口が回りきらず、本人もじれったい高座でしたが、それでも味がありました。

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img_785584_61456213_0さる5日は六代目笑福亭松鶴師の命日でした。
今日は遅れ馳せながら、松鶴師を取り上げます。

本名は、竹内日出男(たけうち ひでお)。出囃子は「舟行き」
生まれは1918年8月17日 で命日が1986年9月5日です。68才の生涯でした。
5代目笑福亭松鶴師の子供として生まれました。母は落語家6代目林家正楽の養女でした。

1918年 大阪市西区京町堀に生まれる。
1933年 高等小学校を卒業し、漫談家・花月亭九里丸の紹介で心斎橋のお茶屋に丁稚奉公に出るも、
仕事はそこそこに落語や歌舞伎の鑑賞に入れ込む。
1938年 兵役検査を受けるが不合格。これを機にお茶屋を辞め遊ぶ傍ら、父松鶴のサークル「楽語荘」や雑誌「上方はなし」編集の手伝い、落語に関わるようになる。
1944年 中之島の大阪市中央公会堂にて、遅れた出演者の代演として芸名無しで初舞台。演目は「寄合酒」
1947年 父松鶴に正式に入門。5月19日、今里双葉館にて正式に初舞台。父の片腕であった4代目桂米團治より初代笑福亭松之助と命名される。
1948年 4代目笑福亭光鶴(こかく)と改名。
1962年 3月1日、6代目笑福亭松鶴を襲名。道頓堀角座にて襲名披露興行。出囃子を「船行き」とする。
1966年 大阪府民奨励賞受賞
1971年 1月30日、芸術祭大衆芸能部門優秀賞受賞
1981年 11月3日、上方落語家としては初の紫綬褒章受章。
1986年9月5日没

豪放磊落な芸として知られていましたが、実に繊細な一面もあった様です。
談志師を始め、志ん朝師や色々な噺家と交流があり、その面倒見の良さは定評がありました。
談志師が語っていますが、普段は軽い噺しかやらず、物足りなく思っていたら、ある日「らくだ」を演じ。
震える程感動したそうです。

晩年は高血圧の為口が回りきらず、本人もじれったい高座でしたが、それでも味がありました。

今日はお彼岸も近いという事もあり笑福亭のお家芸「天王寺詣り」を聴いて下さい。



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oosaka05今日はお彼岸も近いので、上方落語ですが「天王寺詣 り」を取り上げてみたいと思います。
この噺は、笑福亭一門のお家芸の一つで、代々の松鶴師が得意としてきました。
お彼岸の四天王寺境内のにぎわいをスケッチした点に特色があるので、私の様な東京の者でも楽しく聴けます。

舞台になる四天王寺は、大阪市天王寺区にある聖徳太子(厩戸皇子)ゆかりの寺院で「天王寺さん」と大阪市民に親しまれています。
毎年春、秋の彼岸には多くの善男善女が、祖先の戒名を書いた経木(薄い木の札)を亀の池に流し引導鐘をついて供養するために参詣するそうで、このときは普段静かな境内は露店が出るなど大そうな賑わいだそうです。

不注意から愛犬を死なせてしまった喜六、知り合いの甚兵衛に「今日は彼岸やさかいに」と言われ、犬の供養のため二人で四天王寺に行く。境内は露店が店を並べ賑わっている。境内のあちこちを見学し、引導鐘(インドガネ=境内にある鐘で、気持ちをこめてつくと死者が成仏するという)をついてもらうと、何と犬の唸り声が聞こえてきた。喜六は「坊さん! 引導鐘三遍までと聞いてんねん。三遍目、わたいに突かせておくんはなれ!」と頼み、心をこめてつくと「クワーン!」と犬の鳴き声。「ああ。無下性(ムゲッショウ=乱暴)にはどつけんもんや」

百生師はこのサゲが東京では判らないので、阿保陀羅経を演じるくだりをやらず「馬鹿馬鹿しい天王寺詣りでした」とさげています。



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