はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

古今亭志ん生

「はてなの茶碗」(茶金)という噺

975d0cd5『はてなの茶碗』
今日はこの噺です。別名「茶金」ですね。

【原話】
この噺は、1812年十返舎一九の「世中貧福論」の中のエピソードが元になっていると思われます。
明治期に東京に移植されています。かの名人円喬師の得意な噺で、師の圓朝師より上手かったと言われています。それは圓朝師は圓喬師程上方弁が上手く無かったからだそうです。

【ストーリー】
江戸出身の油屋が、清水の茶店で、有名な道具屋の茶金さんが店の湯飲をまじまじと見てため息をついたことから、その湯飲みを持ち金をはたいて(二両で)譲ってもらいます。

それを、茶金さんの店に持って行って高く買ってもらおうとするが、無価値の数茶碗だといわれて仕舞います。
じゃあ茶金さんが店で頭をかしげたのは水が漏るからで、いいものだからではなかったと言う訳を知ります。
茶金さんは責任を感じ、「二両で自分の名前を買ってもらったようなもの」と、その茶碗を油屋から一両付け加えた三両で購入することにし、この金を持って親元に帰って孝行するように諭します。

その話を公家の方にお話をすると、興味を持ち、茶碗を見て歌を詠んだので、価値が出て千両で売れます。
そこで茶金さんは油屋を呼んで、三百両を渡します。
後日、再び油屋がやってきて十万両の儲け話だという。何を持ってきたのかというと、水瓶の漏るやつだった。


【演者】
戦後は志ん生師が得意にしていた他志ん朝師や馬生師等色々な噺家さんが演じます。
上方では米朝師でしょうね。次が吉朝師と枝雀師でしょうか、兎に角東西、色々な噺家さんが演じています。

【注目点】
米朝師によると晩春から初夏の噺だそうです。曰く「浴衣では未だ少し早い」と感じる季節なのだとか。

『能書』
志ん生師の怪しい上方弁で聴くのも良いですし、大御所米朝師で聴くのも良いでしょうね。
志ん朝師ですが、上方の噺なのに、登場人物全てが江戸弁で話しているのが面白いのですが、
茶金さんの決めセリフだけが京都言葉で発せられるので印象に残ります。演出がひかりますね。

『ネタ』
江戸時代の大阪の豪商、鴻池家は戦国時代の山中鹿之介の次男が始祖だそうです。

「猫の皿」という噺

猫の皿2『猫の皿』
今日はこの噺です。分類上は春の噺になるそうです。

【原話】
滝亭鯉丈(りゅうてい・りじょう、?〜1841)が文政4(1821)年に出版した滑稽本「大山道中膝栗毛」中の一話です。もしかしたら鯉丈自身も高座で演じたかかも知れません。

【ストーリー】
果師 と呼ばれる古美術商。あるとき地方の茶店でとんでもないお宝を発見すします。茶店で飼われている猫の餌用の皿が、何と絵高麗の梅鉢の茶碗だったのです。
江戸の蒐集家にかなりの高値で売れると踏んだ古美術商、
茶店の親父が、その皿の真価などは知る由もなかろうと、言いくるめて、これを買い叩こうと企みます。
「ご亭主の飼い猫がどうにも気に入った、是非わたしに引き取らせてはくれないか」
ともちかけて、猫を三両で買い取ると、
「皿が違うと餌も食いにくかろう」
と猫の皿も一緒に持ち去ろうとする。すると亭主は古美術商を遮り、猫だけを渡して皿は取り返すと、店の主が
「これは絵高麗の梅鉢の茶碗でございますから」
そう言ったので驚いた古美術商が
「それを知っているのなら、何でその名品で猫に餌をやっていたのだ」と訊きます。主曰く
「はい、こうしておりますと、時々猫が三両で売れます」

【演者】
五代目古今亭志ん生師や三代目三遊亭金馬師がよくやったそうです。今でも小三治師を始め色々な噺家さんが演じます。

【注目点】
上方では故桂米朝師が初めて演じたそうです。師は「上方落語には古美術の名品が出て来る噺が余りなく、『はてなの茶碗』も本物では無い。噺の成立と言う点で違いがあるのかも知れない。と語っていました。

『能書』
舞台は江戸時代、で、当時、古美術商には果師 と呼ばれる連中がいて、
地方に出かけてお宝を見つけては所有者を言葉巧みに騙して安値で買い叩き、それを江戸に持ってきて今度は大変な高値で蒐集家に売りつけるという、ずる賢い連中の事で、そうそういっも上手く行く訳が無く、今回の旅では良いモノがありませんでした。

『ネタ』
この噺の演題は、志ん生師以前には、「猫の茶碗」が一般的でしたが、
絵高麗は皿なので、志ん生師が「猫の皿」に変えました。

替わり目

large『替わり目』
今回は立冬と言う事もありこの噺です。
 初冬の代表的な噺ですね。

【原話】
文化9年(1812)に江戸で刊行された笑話本「福三笑」中の小咄の
「枇杷葉湯(びわようとう)」が原話だそうです。

【ストーリー】
酔っ払った男が自分の家の前で俥に乗ったり、さんざん車夫をからかって帰って来ます。女房は早く寝かせようとしますが、寝酒を飲まなければ寝られないと言い出します。
女房は仕方なく女房は夜明かしのおでん屋へ出かけて行きます。
かみさんを買い物にやった亭主が、
「何だかんだっつっても、女房なりゃこそオレの用をしてくれるんだよ。ウン。
あれだって女は悪かねえからね……近所の人が
『お前さんとこのおかみさんは美人ですよ』って……
オレもそうだと思うよ。『出てけ、お多福っ』なんてってるけど、
陰じゃあすまない、すいませんってわびてるぐれえだからな本当に……
お、まだ行かねえのかおう……立って聞いてやがる。さあ大変だ。元を見られちゃった」

とここで下げるやりかたもありますが、続きがあります。
 亭主はその間に家の傍を通ったうどん屋をつかまえて酒の燗をつけさせ、うどん屋が何か食べてほしいというのをおどかして追っ払ってしまいます。
そのあとで新内流しをつかまえて都々逸をひかせていい気持ちになっているところへ女房が帰ってきました。
「おや、どうやってお燗をしたの」
「いまうどん屋につけさせた」
「なんか食べたの」
「なにも食わねえでけんつくを食わせた」
「かわいそうに、うどんでもとって…。うどん屋さーん」
「おいうどん屋、あそこの家でおかみさんが呼んでるぜ」
「どこです」
「あの腰障子の見える家だ」「
あそこは行かれません。いま行ったら銚子の替わり目の時分だから」

【演者】
これはね、志ん生師ですね。噺での亭主と奥さんの関係が
そのまま、志ん生師とりん夫人の関係そのままだそうです。
天衣無縫と言うか落語に全てを注いでいた志ん生師は家庭の事など
顧みなかったと言われていますが、それを支えたのがりん夫人でした。

【注目点】
上方では「銚子の代わり目」又は「鬼のうどん屋」等としてよく演じられたそうです。
夜泣きうどん屋の登場するくだりは、その頃に加えられたものと思われます

『能書』
今は一緒の人情噺として定着していますが、やはり最後の下りまで聴きたいですね。

『健二のネタ』
昭和24年の新東宝映画「銀座カンカン娘」の中で、志ん生師がこの噺を一席演じています。
映画の志ん生師は痩せていて当時の食糧事情が伺えます。

「柳田格之進」という噺

0929『柳田格之進』
 今日は、この噺です。古今亭一門の噺ですね。

【原話】
誇り高い武士の生きざまを描いた人情噺の傑作ですが元は講談の「柳田の堪忍袋」とも云われています。
志ん生師が講談時代に覚えて人情噺にしたのかと思いきや、明治25年、「碁盤割」で「百花園」に掲載された
三代目柳枝師の速記があるそうです。ほかは古い口演記録がなくいので詳し事は不明です。

【ストーリー】
彦根の城主井伊氏のご家来で柳田格之進という文武両道に優れ品性正しく潔癖な浪人がました。
正直すぎて人に疎まれて浪人をしていて、浅草阿倍川町の裏長屋に娘”きぬ”と二人で住んでいます。
娘の助言で碁会所に顔を出すと、馬道一丁目に住んでいる質屋、万屋源兵衛と気が合っていつも二人で対局をしていました。

それなら私の家でと言うことになり、万屋源兵衛の家のはなれで指す様になり懇意になります。
終わると二人は一献傾けて楽しんでいて、毎日を過ごしていましたが、8月15日の中秋の名月十五夜の晩に月見としゃれながら夢中で指して、一杯ご馳走になり帰ってきました。

万屋源兵衛の店ではその晩に集金したばっかりの50両の金子が紛失して仕舞います。
二人が指している時に無くなったのだから、相手の柳田様が「もしかしたら・・」と番頭が言うのを振り切って話を納めた主人ですが、収まらないのは番頭・徳兵衛。
 
番頭の一心で、翌日柳田の長屋を訪ねて、事の次第を話し、「もしかしたら柳田様がご存じかと・・」「拙者が盗んだというのか」「思い違いではと・・」「私はどんなことがあっても、人の物を盗むという事はない!」「お上に届けて裁いてもらいますが・・」「それでは私が50両作りましょう。明日昼に来なさい」。
番頭が帰った後、娘の忠告で「裁きになれば潔白は晴れるが、その汚名は拭えないので、腹を切る」と言うところ、「私が身を沈めてお金を作ります」。
 
翌日番頭に50両を渡し「その金ではないので、後日金が出たらどうする」「そんなことはないが、その時は私と主人源兵衛の首を差し上げます」。その事を源兵衛に報告すると、源兵衛は謝りに番頭を連れて安倍川町の裏長屋に来てみると、すでに柳田は家を引き払った後で、落胆して戻る源兵衛。
店の者にも、出入りの者にも頼んで柳田を捜したが見つかりませんでした。

 煤払いの日、額縁の裏から50両が出てきました。「そうすると、あの柳田様の50両は・・・」。
どんなことがあってもと源兵衛は柳田様を捜させたのですが、見つかりませんでした。
 
年が改まって、4日、山の手の年始挨拶に番頭は出入りの頭を連れての帰り道、雪が降り始めた湯島の切り通しにさしかかった時、籠屋をいたわって歩いて坂を登ってくる侍が目に入ります。
蛇の目傘の内の贅沢なこしらえが目に止まって、見とれてやり過ごそうとしたその時、侍から声をかけられました。

何とその侍が柳田格之進で、今では300石に取り上げられていると言います。
「湯島の境内に良い店があるから」と連れて行くが番頭は閻魔様に連れて行かれるようで人心地もしません。
店で50両が見つかったことを話し、許しを請うが、明日昼頃万屋に伺うので、体をよく洗って置けと言い残します。
 
翌朝、源兵衛は番頭を使いに出して、柳田を迎え非礼を詫びたが、使いに出ないで待っていた番頭は「私がしたことだから」と主人をかばうが、娘の手前勘弁出来ないと二人を並べて切り捨てると言います。
刀を振り下ろすと、床の間の碁盤が真っ二つになって二人は一命を取り留めます。
二人の主従の真心が心に響いて手元が狂ったと言います。
 
さっそく、半蔵松葉から”きぬ”さんを身請けしてきて、娘に詫びたが、娘も父上の為ならと快く応じます。
 前よりも柳田と源兵衛は深い付き合いをするようになり、番頭の徳兵衛ときぬは夫婦となり万屋の夫婦養子になりめでたく収まります。
二人は仲が良くてまもなく男の子を産んだ。その男の子を柳田が引き取り、家名を継がせたと言う「柳田の堪忍袋の一席」でした。

【演者】
これはもう志ん生師を始め古今亭一門の噺家さんが数多く演じています。
今では他の一門の噺家さんも演じています。

【注目点】
娘さんが気が触れてしまったり、亡くなっていたりと悲しい終わり方をさせる噺家さんもいますが、志ん朝師はハッピ−エンドに終わらせています。このほうが後味はいいですね。
変わった所では圓楽師が、、越前屋がお花を身請けし、久兵衛とめあわせた上、産まれた長男が越前屋を、次男が柳田家を継ぐというハッピーエンドで終わらせています。

『能書』
仕官がかなったのに、娘を身請けしないのがスッキリしないなど今の感覚だと理解できない部分もある噺ですね。(それが武士の清さに繋がるのでしょうか?)

『ネタ』
柳田格之進の名前も角之進と表す時もあります。
志ん生師が、
「親が囲碁の争いをしたから、
娘が娼妓(しょうぎ=将棋)になった」
という地口のオチをつけたことがありますが、余り使わなかったそうです。

らくだは役に立たないものの代名詞?

ph_01『らくだ』
今日は「らくだ」です

【原話】
もとは上方落語の「らくだの葬礼」言う噺です。
三代目小さん師が東京に移植したものです。

【ストーリー】
乱暴者で町内の鼻つまみ者のらくだの馬がフグに当たってあえない最期を遂げた。
兄弟分の、これまた似たような男がらくだの死体を発見し、葬式を出してやろうというわけで、らくだの家にあった一切合切の物を売り飛ばして早桶代にすることに決めた。
そこに通りかかった紙屑屋を呼び込んで買わせようとしたが、一文にもならないと言われる。

そこで、長屋の連中に香典を出させようと思い立ち、紙屑屋を脅し、月番のところへ行かせた。
みんならくだが死んだと聞いて万々歳だが、香典を出さないとなると、らくだに輪をかけたような凶暴な男のこと、何をするかわからないのでしぶしぶ、赤飯でも炊いたつもりでいくらか包む。

それに味をしめた兄弟分、いやがる紙屑屋を、今度は大家のところに、
今夜通夜をするから、酒と肴と飯を出してくれと言いに行かせたが、
「店賃を一度も払わなかったあんなゴクツブシの通夜に、そんなものは出せねえ」
と突っぱねられる。
「嫌だと言ったら、
らくだの死骸にかんかんのうを踊らせに来るそうです」と言っても
「ぜひ一度見てえもんだ」と、大家は一向に動じない。

紙屑屋の報告を聞いて怒った男、それじゃあというので、紙屑屋にむりやり死骸を背負わせ、
大家の家に運び込んだので、さすがにけちな大家も降参し、酒と飯を出す。

横町の漬物屋を同じ手口で脅迫し、早桶代わりに営業用の四斗樽をぶんどってくると、
紙屑屋、もうご用済だろうと期待するが、なかなか帰してくれない。
酒をのんでいけと言う。
女房子供が待っているから帰してくれと頼んでも、俺の酒がのめねえかと、すごむ。

モウ一杯、モウ一杯とのまされるうち、だんだん紙屑屋の目がすわってきて、逆に、
「やい注げ、注がねえとぬかしゃァ」と酒乱の気が出たので、さしものらくだの兄弟分もビビりだし、
立場は完全に逆転。

完全に酒が回った紙屑屋が「らくだの死骸をこのままにしておくのは心持ちが悪いから、
俺の知り合いの落合の安公に焼いてもらいに行こうじゃねえか。
その後は田んぼへでも骨をおっぽり込んでくればいい」

相談がまとまり、死骸の髪を引っこ抜いて丸めた上、樽に押し込んで、
二人差しにないで高田馬場を経て落合の火葬場へ。

いざ火葬場に着くと、死骸がない。
どこかへ落としたのかともと来た道をよろよろと引き返す。
途中で、願人坊主が一人、酔って寝込んでいたから、死骸と間違えて桶に入れ、
焼き場で火を付けると、坊主が目を覚ました。
「アツツツ、ここはどこだ」
「ここは火屋(ひや)だ」
「冷酒(ひや)でいいから、もう一杯くれ」

【演者】
三笑亭可楽師や古今亭志ん生師、三遊亭圓生師が有名ですね。

【注目点】
上方版では登場人物に名前がちゃんとあり、死人は「らくだの卯之助」、兄弟分は「脳天熊」です。
屑屋さんは名前は久六だそうです。(教えて戴きました)
大抵は前半の屑屋さんが酒を飲んで、立場が逆転する処で切ります。

『能書』
噺の中に登場する、”かんかんのう”は「かんかん踊り」ともいい、清国のわらべ唄「九連環」が元唄です。
九連環は「知恵の輪」のこと。
文政3年(1820)から翌年にかけ、江戸と大坂で大流行。
飴屋が面白おかしく町内を踊り歩き、禁止令が出たほどです。

『ネタ』
上方では何と言っても松鶴師でしょうね。志ん朝師と談志師が若い頃、松鶴師の「らくだ」を見て、
あまりの凄さに絶句したという有名な事がありました。
ちなみに、終盤に登場する火屋(火葬場)の所在地は、江戸では落合、上方では千日前となっています。
落合の博善社の火葬場には皇室専用の所もあります。
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