はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

古今亭志ん生

「もう半分」という噺

o1228089614087255223『もう半分』
暑いのでたまには涼しくなる噺を取り上げます。そこで、「もう半分」です。

【原話】
興津要さんの説によると井原西鶴「本朝二十不孝」巻三の「当社の案内申す程をかし」とのことですが、
明確ではありません。

【ストーリー】
 千住大橋の橋のたもとに、夫婦二人きりの小さな酒屋がありました。
こういうところなので、いい客も来ず、一年中貧乏暮らし。
その夜も、このところやって来る棒手振りの八百屋の爺さんが
「もう半分。へえもう半分」
と、銚子に半分ずつ何杯もお代わりし、礼を言って帰っていきます
 この爺さん、鼻が高く目がギョロっとして、白髪まじり。
薄気味悪いが、常連なので相手をしています。
 ある日、爺さんが帰った後、店の片づけをしていると、五十両入りの包みが置き忘れてある。
「ははあ、あの爺さん、だれかに金の使いでも頼まれたらしい。気の毒だから」
と、追いかけて届けてやろうとすると、女房が止める。
「わたしは身重で、もういつ産まれるかわからないから、金はいくらでもいる。
ただでさえ始終貧乏暮らしで、おまえさんだって嫌になったと言ってるじゃないか。
爺さんが取りにきたら、そんなものはなかったとしらばっくれりゃいいんだ。あたしにまかせておおきよ」
 そう女房に強く言われれば、亭主、気がとがめながらも、言いなりになります。
そこへ、真っ青になった爺さんが飛び込んで来ます。
女房が「金の包みなんてそんなものはなかったよ」
と言っても、爺さんはあきらめません。
「この金は娘が自分を楽させるため、身を売って作ったもの。あれがなくては娘の手前、生きていられないので、どうか返してください」と泣いて頼んでも、
女房は聞く耳持たず追い返してしまいました。
 亭主はさすがに気になって、とぼとぼ引き返していく爺さんの後を追ったが、
すでに遅く、千住大橋からドボーン。
身を投げてしまった。その時、篠つくような大雨がザザーッ。
「しまった、悪いことをしたッ」と思っても、後の祭り。
いやな心持ちで家に帰ると、まもなく女房が産気づき、産んだ子が男の子。
顔を見ると、歯が生えて白髪まじりで「もう半分」の爺さんそっくり。
それがギョロっとにらんだから、
女房は「ギャーッ」と叫んで、それっきりになってしまいました。
 泣く泣く葬式を済ませた後、赤ん坊は丈夫に育ち、あの五十両を元手に店も新築して、
奉公人も置く身になったが、乳母が五日と居つきません。
何人目かに、訳を聞き出すと、赤ん坊が夜な夜な行灯の油をペロリペロリとなめるので
「こわくてこんな家にはいられない」と言うのです。さてはと思ってその真夜中、棒を片手に見張っていると、丑三ツの鐘と同時に赤ん坊がヒョイと立ち、
行灯から油皿をペロペロ。思わず
「こんちくしょうめッ」
と飛び出すと、赤ん坊がこっちを見て
「もう半分」

【演者】
近年は志ん生師や今輔師が演じていました。
また、三代目三金馬師、十代目馬生師も演じました。
最近では小三治師や雲助師を始め多くの噺家さんが演じています。雲助師は舞台を本所林町に、
志ん生師は舞台を千住大橋で、その他は永代橋で演じています。
どちらも町外れと言う事ですね。

【注目点】
演出の違いとしては、
永代橋版では酒屋の女房が妊娠するのは爺さんの自殺から数年後ですが、
千住大橋版では話の開始時にすでに臨月で直ぐに生まれます。
子供は永代橋版では女の子ですが、千住大橋版では男の子です。
等、細かい処が違っています。

『能書』
雲助師は亭主がお金欲しさに直接お爺さんを殺すと言う演出をしていますが、
これだと怖さの質が違って来ますね。
着服してしまった……と言う自分の良心に訴える気持ちが変わって来て確信犯となって仕舞います。
違う演出があるのは良いのですが、怖さの質や人間の感情に訴えるという面ではどうなのでしょうか。そんな事を少し感じました。

『ネタ』
志ん生師はやや人情噺風に演じています。
方や今輔師は本格的な怪談噺として演じています。
それが面白いですね。
千住には近年までやっちゃ場と魚河岸と両方ありましたが、やっちゃ場は花畑へ移りました。
今では魚河岸だけがあります。





追伸……桂歌丸師がお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします。その上で個人的にですが、師は新作派からの転向でした。最初から古典を演じていたなら圓朝作品でももっと演じる事が出来たのではないでしょか。それが惜しまれます。きっと圓生師や正蔵師、志ん生師などの名人と同じようにその真髄を見る事が出来ていたと思うのです。だから最後まで現役を貫いたのだと思っております。

「千両みかん」という噺

bb92b71c『千両みかん』
今日は「千両みかん」と言う噺です。夏なので少し早いですがね。このブログでは余り取り上げないので今年は取り上げました。

【原話】
松富久亭松竹の作と言われています。ですので純粋な上方噺です。
東京に入って来たのは戦後だそうです。

【ストーリー】
 大店の若旦那が病に倒れます。聞いてみると「みかんを食べたい」と言う。
大旦那からみかんを探せと命じられた番頭が、江戸中を探しますが、夏にみかんを売っている店はありません。
 ようやく、神田の「万惣」で一個みつけたが、千両だという値。毎年毎年、店の名に掛けて蔵一杯のみかんを保管している中の一個だからそれだけの価値があると。
店に帰って報告すると、「千両で息子の命が買えるなら安い」と言いすぐ千両の金を番頭にもたせます。
大旦那様から千両を預かり、みかん一個を買って若旦那に持って帰ります。
 若旦那は喜んでみかんを食べて元気になり、十袋のうち三袋を残した。番頭を呼んで、おとっつあんとおっかさんに一袋渡して欲しい、苦労を掛けたから番頭さんも一袋食ってくれと、みかん三袋を番頭に渡した。
 番頭は預かったみかんを持って考えた。来年暖簾分けでご祝儀をもらっても、四十両か五十両だが、ここに三百両ある。
考えた挙句、番頭はみかんを持って何処かに・・・・・・

【演者】
八代目正蔵師を始め、志ん生師などが有名です
【注目点】
上方からの輸入ですが、商人が絡んでる噺なので、あちらの方が理論的にしっかりした処があります。
上方では、最初は商人のプライドに掛けて只でも良いと言うのです。
それがこじれて千両になるのですが、そのくだりが自然で納得出来るのですね。
こちらの千両の話も分かりますが、ちょっと苦しいかなぁ〜と。
商人の心意気が強調された上方版と黄表紙などに出てきそうな粋な面を強調した江戸版と言う感じでしょうか。
米朝師匠のを聞いた事がありますが、
天満の青物市場の番頭さんと店の番頭さんの上方商人の意地が
ぶつかり合って、それは良いモノでした。
そう聞いてみると、この噺はやはり上方噺なのだなと思いましたね。

『能書』
志ん生師は神田多町の青物問屋としか言いませんが、
他の師匠ですと、神田の「万惣」に番頭さんが行きます。
わりとあっさりと千両の値が付きます。

『ネタ』
今でも、秋葉原から万世橋を渡り、須田町に入ると
神田方面に向かって左側に「万惣」はあります。
フルーツパーラーになっています。
子供の頃一度入って、パフェを食べた記憶があります。
昔はこの辺は布地屋さんが多かったんですよ。
母親が布地を買いに来た時だったのかな?
時代が違いますが、立花亭もこの辺にありました。

「大山詣り」という噺

ct2_ra3_s7『大山詣り』
 期間は短いのですが珍しく仕事が繁盛期に入っていまして更新が出来ません。うっかりしてると六月の噺も出来ないので、何とか更新してみました。コメントの返事が遅れるかも知れません。その場合は申し訳ありません。「大山詣り」と言いますと六月ですねえ。落語国では勿論夏の噺となっております 。
 そもそも江戸っ子が寺社にお参りするのは、信仰もありましたが、結局は娯楽も兼ねていたみたいですね。
 何の娯楽かって? 文字とおり色っぽい娯楽から観光まで含めてですが……。
 江戸期も下ると、こうした団体旅行は完全に観光化されてまして、ちゃんと組織化されてます。今の観光会社みたいなもんですね。先達さんの手配もしてくれるんです。もちろん宿の手配もですね。今と余り変わらない、違うのは歩いて行く事ですね。これはしょうがないですね。

【原話】
1805年の十返舎一九の「滑稽しつこなし」からという説もあります。

【ストーリー】
長屋でも大山詣りに行くことになったのですが、熊さんは残って後の長屋を守る役になってくれなんて言われてしまう。文句を言うと、本当はしょっちゅう喧嘩をするから残らせようとの魂胆。今回は喧嘩をしたものは二分の罰金を払ったあげく、坊主にしちゃおうということになりまして。熊さん、俺は大丈夫だと見栄を切ります。

無事お詣りが済んで、明日には江戸に戻るという晩、気が緩んだのかやっぱり喧嘩しちゃった。それで熊さんは決まり通り坊主にされてしまう。翌朝熊さんが起きてみると既に皆は経った後。宿の人にくすくす笑われて本当に坊主にされたことに気付きます。
やられた熊さん、一計を案じ、一足先に江戸に戻ります。長屋のおかみさん連中を集めて、途中金沢八景見物に舟に乗ったときに舟が転覆して、皆亡くなってしまったと嘘をつく。供養のために坊主にしたというから皆信じちゃって、おかみさん達も供養に尼になります。
そこで男衆が帰ってきて、さあ大変。
一方、亭主連中。帰ってみるとなにやら青々として冬瓜舟が着いたよう。おまけに念仏まで聞こえる。これが、熊の仕返しと知ってみんな怒り心頭。
連中が息巻くのを、先達さんの吉兵衛、
「まあまあ。お山は晴天、みんな無事で、お毛が(怪我)なくっておめでたい」

【演者】
 色々な噺家さんが演じていますが、現役では柳家小三治師でしょうねえ。歴代だと八代目三笑亭可楽師や勿論古今亭志ん生師が良いですね。色々な噺家さんが演じていますので聴いてみてください。

【注目点】
大山は、神奈川県伊勢原市、秦野市、厚木市の境にある標高1246mの山で、中腹に名僧良弁が造ったといわれる雨降山大山寺がありました。
山頂には、石尊大権現があります。つまり、修験道の聖地なんですね。
その昔、薬事法が緩かった頃はここでオデキに効く薬が売っていましたが、今は禁止され無くなりました。個人的にですが、子供の頃は随分お世話になりました。ほんと良く効きました!

『能書』
上方には「百人坊主」と言う伊勢神宮にお詣りに行く噺がありますが、これが江戸に流れて来たと言う節と、滝亭鯉丈の作品で文政四年(西暦1821年頃)に出版された「大山道中栗毛俊足」に似たパターンの噺があり、これが東西で別々に発展したものではないかと言う説もあります。

『ネタ』
サゲに関してですが、当時は髷を何より大事にしていて、文字通り命の次に大事なものだった様です。
今でも女性は髪を大事にしますが、昔はその比じゃ無かったそうです。
これが無くなると言うのは本当にショックで辛いことだったのでしょう。
髷がなければ実社会から脱落することを意味していたとかね。アウトサイドに落ちて行くと言う事でしょうかね。
又、失敗や軽い犯罪をしても頭を丸めれば、許されたそうです。

「はてなの茶碗」(茶金)という噺

975d0cd5『はてなの茶碗』
今日はこの噺です。別名「茶金」ですね。

【原話】
この噺は、1812年十返舎一九の「世中貧福論」の中のエピソードが元になっていると思われます。
明治期に東京に移植されています。かの名人円喬師の得意な噺で、師の圓朝師より上手かったと言われています。それは圓朝師は圓喬師程上方弁が上手く無かったからだそうです。

【ストーリー】
江戸出身の油屋が、清水の茶店で、有名な道具屋の茶金さんが店の湯飲をまじまじと見てため息をついたことから、その湯飲みを持ち金をはたいて(二両で)譲ってもらいます。

それを、茶金さんの店に持って行って高く買ってもらおうとするが、無価値の数茶碗だといわれて仕舞います。
じゃあ茶金さんが店で頭をかしげたのは水が漏るからで、いいものだからではなかったと言う訳を知ります。
茶金さんは責任を感じ、「二両で自分の名前を買ってもらったようなもの」と、その茶碗を油屋から一両付け加えた三両で購入することにし、この金を持って親元に帰って孝行するように諭します。

その話を公家の方にお話をすると、興味を持ち、茶碗を見て歌を詠んだので、価値が出て千両で売れます。
そこで茶金さんは油屋を呼んで、三百両を渡します。
後日、再び油屋がやってきて十万両の儲け話だという。何を持ってきたのかというと、水瓶の漏るやつだった。


【演者】
戦後は志ん生師が得意にしていた他志ん朝師や馬生師等色々な噺家さんが演じます。
上方では米朝師でしょうね。次が吉朝師と枝雀師でしょうか、兎に角東西、色々な噺家さんが演じています。

【注目点】
米朝師によると晩春から初夏の噺だそうです。曰く「浴衣では未だ少し早い」と感じる季節なのだとか。

『能書』
志ん生師の怪しい上方弁で聴くのも良いですし、大御所米朝師で聴くのも良いでしょうね。
志ん朝師ですが、上方の噺なのに、登場人物全てが江戸弁で話しているのが面白いのですが、
茶金さんの決めセリフだけが京都言葉で発せられるので印象に残ります。演出がひかりますね。

『ネタ』
江戸時代の大阪の豪商、鴻池家は戦国時代の山中鹿之介の次男が始祖だそうです。

「猫の皿」という噺

猫の皿2『猫の皿』
今日はこの噺です。分類上は春の噺になるそうです。

【原話】
滝亭鯉丈(りゅうてい・りじょう、?〜1841)が文政4(1821)年に出版した滑稽本「大山道中膝栗毛」中の一話です。もしかしたら鯉丈自身も高座で演じたかかも知れません。

【ストーリー】
果師 と呼ばれる古美術商。あるとき地方の茶店でとんでもないお宝を発見すします。茶店で飼われている猫の餌用の皿が、何と絵高麗の梅鉢の茶碗だったのです。
江戸の蒐集家にかなりの高値で売れると踏んだ古美術商、
茶店の親父が、その皿の真価などは知る由もなかろうと、言いくるめて、これを買い叩こうと企みます。
「ご亭主の飼い猫がどうにも気に入った、是非わたしに引き取らせてはくれないか」
ともちかけて、猫を三両で買い取ると、
「皿が違うと餌も食いにくかろう」
と猫の皿も一緒に持ち去ろうとする。すると亭主は古美術商を遮り、猫だけを渡して皿は取り返すと、店の主が
「これは絵高麗の梅鉢の茶碗でございますから」
そう言ったので驚いた古美術商が
「それを知っているのなら、何でその名品で猫に餌をやっていたのだ」と訊きます。主曰く
「はい、こうしておりますと、時々猫が三両で売れます」

【演者】
五代目古今亭志ん生師や三代目三遊亭金馬師がよくやったそうです。今でも小三治師を始め色々な噺家さんが演じます。

【注目点】
上方では故桂米朝師が初めて演じたそうです。師は「上方落語には古美術の名品が出て来る噺が余りなく、『はてなの茶碗』も本物では無い。噺の成立と言う点で違いがあるのかも知れない。と語っていました。

『能書』
舞台は江戸時代、で、当時、古美術商には果師 と呼ばれる連中がいて、
地方に出かけてお宝を見つけては所有者を言葉巧みに騙して安値で買い叩き、それを江戸に持ってきて今度は大変な高値で蒐集家に売りつけるという、ずる賢い連中の事で、そうそういっも上手く行く訳が無く、今回の旅では良いモノがありませんでした。

『ネタ』
この噺の演題は、志ん生師以前には、「猫の茶碗」が一般的でしたが、
絵高麗は皿なので、志ん生師が「猫の皿」に変えました。
月別アーカイブ
記事検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

hajime

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ