はじめのブログ

落語好きの中年オヤジが書いてる落語日記

古今亭今輔

ねぎまの殿様

0d0d9374今日はこの噺です。寒い冬ならではの噺だと思います。

【原話】
明治時代に、先々代立川談志師の作を今輔師が直した噺です。ある意味新作落語なのかもしれませんが、同じ時期に出来た圓朝師のは噺が古典扱いされてるので、こちらも古典でいいのかもしれません。
「目黒のさんま」と同じたぐいの噺ですが、こちらは余り高座には掛けられません。
最近は志ん輔師を初め色々な噺家さんが演じる様です。

【ストーリー】
あるお殿様、三太夫を連れて向島の雪見にお忍びで出掛けました。
本郷三丁目から筑波おろしの北風の中、馬に乗って湯島切り通しを下って上野広小路に出てきますと、ここにはバラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。
冬の寒い最中でどの店も、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理がいい匂いを発していますので、殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。
醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座ったが、何を注文して良いのか分かりません。
小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ〜」としか聞こえません。
さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。
三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。
酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。
結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまった。
 その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、この味が忘れられぬ有様です。

 昼の料理の一品だけは殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ〜」だと言います。
聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。
料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。
それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。
「灰色のこれは『にゃ〜』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。
三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、
 「留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて」。

【演者】
先代古今亭今輔師の十八番でしたが、今は一門を初め色々な噺家さんが演じます。
【注目点】
江戸時代の中頃まではマグロは江戸っ子はあまり食べなかった様です。
鮨が発明されて、ヅケが流行ると赤身は好んで食べられる様になりましたが、トロは捨てていました。
つい戦前まではそうだった様です。
そこで、このトロや筋の多い部分をぶつ切りにしてネギの青味とで小鍋仕立てにしたのが「ねぎま鍋」です。
やや醤油を効かせた味は東京ならではの味ですね。

『能書』
やはり熱々のねぎま鍋を食べる仕草でしょうね。目の前にそんな光景が浮かんで来たら成功だと思います。

『ネタ』
小鍋仕立てとは、小さな鍋に二種類くらいの材料を入れてさっと煮て食べる料理の形態で、粋な食べ物ですね。
小鍋の向こう側に美人でもいれば、なお美味しく戴けますね。(^^)

もうすぐ藪入り

7d0cea53え〜、今日は「藪入」です。
この前から、ネットに接続するモデムの調子がおかしくなり、ついに駄目になって仕舞いました。
交換を頼み、代わりの新しいモデムが来まして、交換したのですが、これが調子が可笑しいのです。
まず、簡単に接続出来ないのです。
プラウザを立ちあげても、接続不能の表示で再試行をクリックするとやっと繋がるのです。
その再試行が出るまで、四苦八苦です。
もう少しすると安定するのでしょうか?
無線LANは使っていないのですが・・・

さて本題に・・・
藪入りとは1月の16日と7月の16日に奉公人が休みを貰えて実家等に帰れる日の事で、古くは宿入りといい、
商家の奉公人の特別休暇のことです。
奉公人だけはなく、お嫁さんも小遣いやおみやげを貰えて実家に帰れました。
最も近頃は近所に住んで、毎日帰ってる方が多い様ですが・・・

その昔は「お釜様」と言うバレ噺だったのを、初代小せん師がバレの部分を取り、「鼠の懸賞」と言う題に替えました。それを三代目金馬師が練り直し人情味を加えて「藪入り」と言う噺に仕上げました。
演者には、金馬師を始め今輔師、五代目圓楽師、や小三治師等多くいます。

明日息子が藪入りで初めて帰ってくるというので、熊さんは気もそぞろ。鰻を食わせてやろう、御大師様へ連れて行こうと一睡もしないで帰りを待っていると入り口に人の気配。「めっきりお寒くなりまして……。お父ッつぁん、おッ嬶さんにもお変わりなく」という挨拶をしたのは、まだ子供だと思っていた亀坊。さっぱりして来なと風呂に行かせて荷を片付けると紙入れから十五円という大金が出てきます。
心配性のかみさんが、子供に十五円は大金で、そんな額をだんながくれるわけがないから、
ことによると魔がさして、お店の金でも……
と言いだしたので、気短で単純な熊は、帰ってきた亀を、いきなりポカポカ。
かみさんがなだめでわけを聞くと、このごろペストがはやるので、
鼠を獲って交番に持っていくと一匹十五円の懸賞に当たったものだと、わかる。

だんなが、子供が大金を持っているとよくないと預かり、今朝渡してくれたのだ、という。
へえ、うまくやりゃあがったな。この後ともにご主人を大切にしなよ。
これもやっぱりチュウ(=忠)のおかげだ」

今では奉公等したこと無い方ばかりですが、親子の情愛は伝わると思います。
前半の、熊さんの妄想のおかしさ、と後半のやり取りといい、味わい深い噺だと思います。
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「キッチンが走る」がやってきた!

0d0d9374この文章は17日の夕方書いてるのですが、今日はNHKの「キッチンが走る」と言う番組の撮影が菖蒲園と静観亭で行われています。
朝から大掛かりな仕掛けを積んだトラックやらバンが来まして、菖蒲園の前の広場で撮影が始まりました。
この番組は、見たことの無い方の為に解説しますと、その地方の食材を使ってキッキンカーで調理し、食材を提供してくれた方を呼んでご馳走するという趣旨の番組です。
それで今回は東京、下町、葛飾、江戸川と言う訳です。

撮影は朝からやっていましたが、やっと先ほどから試食のシーンの撮影が始まりました。
この試食の時に我が静観亭が使われます。
杉浦太陽と言う方とどこかの料理長が参加されています。

私の処からは個人的に電気と水道を提供しました。それだけです。
制作してるのはNHKではなく下請けなので、スタッフの待遇はNHKより悪い感じですね。
毎年NHKさんとは付き合いがありますが、下請けさんとは初めてでしたが、差がありますね。
それでも民放の下請けと比べるとマシですがね。

使われる食材は、聞いた範囲では「小松菜」「亀戸大根」はある様です。
それ以外は教えてくれませんでした。放送を観てのお楽しみですね。
ちなみに放送は関東甲信越は11月9日午後8時からで、全国放送は11月27日午後3時15分からだそうです。

細々した小道具からテーブル等の大道具まで持参です。これは大変ですな。
良かったら観てください(^^)

で今日の噺ですが、以前リクエストを戴いていた「ねぎまの殿様」です。
明治時代に、先々代立川談志師の作を今輔師が直した噺です
いまとなっては古典でよいのかも知れません。
最近は金馬師や志ん輔師が演じる様です。

向島に雪見に行く途中でう上野広小路を通ったお殿様。
バラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。
そこからは何やらいい匂いがしてきます。
覗くと、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理が食べられています。
殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。
醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座りましたが、何を注文して良いのか分かりません。
小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ〜」としか聞こえません。
さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。
三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。
酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。
結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまった。
 その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、この味が忘れられぬ有様です。
ある時、殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ〜」だと言います。
聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。
料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。
それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。
「灰色のこれは『にゃ〜』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。
三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、
 「留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて」。

江戸時代の中頃まではマグロは江戸っ子はあまり食べなかった様です。
鮨が発明されて、ヅケが流行ると赤身は好んで食べられる様になりましたが、トロは捨てていました。
つい戦前まではそうだった様です。
そこで、このトロや筋の多い部分をぶつ切りにしてネギの青味とで小鍋仕立てにしたのが「ねぎま鍋」です。
やや醤油を効かせた味は東京ならではの味ですね。
小鍋仕立てとは、小さな鍋に二種類くらいの材料を入れてさっと煮て食べる料理の形態で、粋な食べ物ですね。
小鍋の向こう側に美人でもいれば、なお美味しく戴けますね。(^^)続きを読む

江島屋騒動と言う噺

furugiya今日は、ちょっと季節的に遅いのですが「江島屋騒動」別名「江島屋怪談」を取り上げます。

本名題を「鏡ヶ池操松影(かがみがいけ・みさをのまつかげ)」といい、全十五席からなります。
制作は明治2年で、円朝師が30歳の時です。
五代目志ん生師と今輔師が並んでこの噺を得意にしました。噂では馬生師もこの噺を演じたそうですが、
中々良かったと言われてます。

今日は、長い噺なのですがあらすじの全てを書いて見ます。

川の佐賀町に住む、倉岡元庵(くらおか・げんあん)と言う医者が亡くなった。残された女房のお松と娘のお里(さと)は医者が出来ないので、故郷の下総の大貫(おおぬき)村に引き下がった。

 村の権右衛門が訪ねてきて、「名主の源右衛門からの頼みで、息子の源太郎が見初めてしまったのでお里を嫁にくれ」との依頼であった。娘の幸せになる事だからと思ったが、貧乏なので嫁に出せない。名主の方では母親ともに面倒を見るという。その上、支度金として50両出すという。
 婚礼は早いほうがイイという。婚礼衣装は誂えていたら間に合わないので、古着にする事にした。天保2年9月江戸に出て、芝神明の祭りを見て、芝日陰町の古着屋街の大きな店構えの江島屋に入った。婚礼衣装や普段着を45両2分で買い求め、船便で送らせた。

 婚礼は10月3日に決まった。権右衛門が仲人だとやって来た。花嫁は馬に揺られて名主宅まで行くのが当時の習慣であった。歩き始めると雨が降りだし、着く頃には濡れ放題に濡れてしまった。
 どの家でもその晩、嫁に飯の給仕をさせた。7〜80人もの来客にかいがいしく飯盛りをしていたが、酒が回ってきて、着物を触る奴や裾を踏んづけて眺める奴が出てきた。そこにお替わりの声が掛かったので、「ハイ」と立ち上がると、婚礼衣装はのり付けされたイカモノで下半身が取れてしまった。ワァーッとみんなは笑ったが、お里はそこに泣き崩れてしまった。名主は怒って「破談だぁ、やめたー。」と言う事で、婚礼は破談になり家に帰ってきた。

 お里さんが居ないので探しに行くと、十七になるお里は神崎(こうざき)の土手に恨みの着物の片袖をちぎって、柳に掛けて身を投げてしまった。その死骸も上がらなかった。

ここまでが上で、最近はこの部分はあまりやりませんね。
これからが、今日の音源でも紹介する部分です。

江島屋の番頭金兵衛が商用で下総に行き、夜になって道に迷い、そのうえ雪までちらつきだす始末です。
ふと見ると、田んぼの真ん中に灯が見えたので、宿を頼むと「お入りなさい」
と声を掛けたのは六十七、八の、白髪まじりの髪をおどろに振り乱した老婆。
目が見えないらしい。
寒空にボロボロの袷(あわせ)一枚しか着ていないから、あばら骨の一枚一枚まで数えられる。

金兵衛に、老婆はここは藤ケ谷新田だと教え、疲れているだろうから次の間でお休みと言います。
うとうとしているうちに、きな臭い匂いが漂ってきたので、障子の穴からのぞくと、
婆さんが友禅の切れ端を裂いて囲炉裏にくべ、土間に向かって、五寸釘をガチーン、ガチーンとやっています。

あっけに取られている金兵衛に気づき、老婆が語ったところでは、
江島屋のイカモノのため娘が自害し、自分も目が不自由にされた恨みで、
娘の形見の片袖をちぎり、囲炉裏(いろり)にくべて、中に「目」の字を書き、それを突いた上、
受取証に五寸釘を打って、江島屋を呪いつぶすとすさまじい形相でにらむので、
金兵衛はほうほうの体で逃げだした。

江戸へ帰ってみると、おかみさんが卒中で急死、その上小僧が二階から落ちて死に、
いっぺんに二度の弔いを出すという不運続き。
ある夜、金兵衛が主人に呼ばれて蔵に入ると、若い島田に結った娘がスーッと立っている。
ぐっしょりと濡れ、腰から下がない。
「うわーッ」と叫んで、主人に老婆のことをぶちまけますが、
主人は聞き入れません。
番頭が仕方噺でその時の様子を語りますと・・・
「つまり、目を書きまして、こっちにある片袖を裂いて、おのれッ、江島屋ッ」
ガッと目の字を突くと真似をすると、主人が目を押さえてうずくまる。

見ると植え込みの間から、あの婆さんが縁側へヒョイッ。
側にヒョイと上がってくるのを見た金兵衛は「ワァ〜ァッ」と目を回してしまいました。
これがもとで江島屋がつぶれるという・・・・・

イカモノとは、見てくれだけの偽者のことで、語源は「いかにも立派そうに見える」からとも、
武士で、将軍に拝謁できないお目見え以下の安御家人を「以下者」と呼んだことからともいいます。

本当の江島屋は、大正末期ごろまで、末裔が木挽町(現・中央区銀座2〜8丁目)で質屋をしていたとのこと。
場所柄、芝居関係者の「ごひいき」が多く、界隈では知らぬ者のない、結構大きな店だったとか。

事実と芝居は違うのですねえ。




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活字で読んでも面白く無い噺

03今日は、「囃子長屋」と言う少し珍しい噺です。

生粋の江戸落語で、三代目小さん師から三代目今輔師に伝えられました。三代目今輔師は、小さん師の預かり弟子だったのです。
その後、同じく三代目小さん師に師事した五代目今輔師が、1941年の襲名時に復活。
亡くなるまで、しばしば高座に掛けました。

明治の初期、本所林町のある長屋、大家が祭り囃子マニアなので、人呼んで「囃子長屋」と言います。
何しろこの大家、十五の歳からあちらこちらの祭で、頼まれて太鼓をたたき、そのご祝儀がたまりにたまって
長屋が建ったと自慢話しているくらいのものです。
自然に囃子好きの人間しか越してこず、年がら年中長屋中で囃子の話をしているほどなのです。

大家の自慢は、この名が矢に越してくる人は、商人なら表通りに見世を出す、大工なら棟梁になるという具合に、みな出世すると言う事です。

神田祭が近づいたある日のこと、ここ七日も囃子の練習と称して家に帰っていない八五郎が、大家と祭り談義をしています。
「昔の祭りはりっぱだった。今と心がけが違う。江戸を繁華な町にするために、町民からは税金を取らなかった。その代わり、にぎやかな祭りをやって将軍家を喜ばせようという……丸の内に将軍家の上覧場があって」
と、大家の回想は尽きません。

「山車(だし)を引き出して、ご上覧場へ繰り込む時は屋台だ。スケテンテンテン、ステンガテンスケテケテン」
囃子の口まねをすると、止まらりません。
「踊りの間は鎌倉。ヒャイトーロ、ヒャトヒャララ、チャンドンドンチャンドドドチャン、スケテンテンテンテテツクツ」
「くたびれるでしょう」
「大きなお世話だ。祭りの話になると、口まねでも一囃子やらなきゃ、気がすまねえ」

すっかり当てられて家に帰った八五郎ですが、
かみさんが
「いやんなっちまう。文明開化の明治ですよ。古くさい祭り囃子のけいこするなんてトンチキはいませんよ」
と、腹立ちまぎれに神聖な祭りを侮辱したから、さあ納まらない。

「亭主をつかまえて、トンチキとはなんだ。てめえはドンツクだ」
「何を言ってやがる。ドンチキメ、トンチキメ」
「何をッ」と十能を振り上げ
「ドンツクドンツクメ、ドンドンドロツク、ドンツクメ」

せがれが
「父ちゃん、あぶない。七厘につまずくと火事になるよ。
父ちゃんちゃん、七輪。
チャンシチリン、チャンシチリン」
「トンチキメトンチキメ、トントントロチキトンチキメ」
「ドンツクメドンツクメ、ドンドンドロツクドンツクメ」

これを聞いた大家、
「ありがてえ、祭りが近づくと夫婦喧嘩まで囃子だ」
と、ご満悦です。

トンチキメトンチキメ、ドンツクドンツクと太鼓も囃子もそろっているから、
ひとつこっちは笛で仲裁してやろうと、障子を開けて、
「まあいいやったら、まあいいやッ、マアイーマアイーマアイイヤッ」

とまあ、聴いてるとそれなりに面白いのですが、読んでもいまいちだと思います。

今輔師はこの噺を覚える際に、曲芸の鏡小仙師の弟子の小松と言う方からお囃子の笛を教わったそうです。
その為、噺の中のお囃子の調子が幾分か神田、葛西囃子とは違うそうです。
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