『千早振る』
今回は「千早振る」と言う百人一首にちなんだ噺です。
かの有名な歌も落語の世界の隠居に掛かると恐ろしい噺になってしまいます。
【原話】
原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・『鳥の町』の一篇である「講釈」とされていますが、それを上方落語家の初代桂文治師が現在に近い形にしたと言われています。
【ストーリー】
百人一首で遊んでいた娘が八五郎に在原業平が詠んだ「千早振る神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは」という和歌の意味をたずねるのですが。
答えをしらない八五郎は横町の隠居に尋ねて教えを乞います。
隠居によれば竜田川は相撲取りの四股名だと言います。彼が吉原に遊びに行ったとき千早という花魁に振られ、妹女郎の神代にも冷たくされます。
絶望して相撲取りを廃業した竜田川は故郷に帰って豆腐屋を継ぐ、
そして数年後に一人の女乞食がやってきて物乞いをする。見ればあのときの千早花魁。
彼女はおからを欲しがるが、竜田川は恨みがあるのでやらない。
それで千早は井戸に身を投げた・・・これが和歌の解釈だと澄まし顔。「なるほど、じゃあ歌の最後の、『とは』の意味はなんですか」と訊かれた隠居は苦し紛れに、とんでもない事を話始めます……。
江戸時代、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った際、「千早」という花魁に一目ぼれした。ところが千早は力士が嫌いで振られてしまう。そこで「千早振る」。振られた竜田川は妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わっちも嫌でありんす」ということをきかない。で、「神代も聞かず竜田川」。
このことから成績不振となった竜田川は力士を廃業、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだ。それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れる。「おからを分けてくれ」と言われ、喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。激怒した竜田川はおからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた。で、「から紅(くれない)に水くぐる」。 八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引にハチ公を納得させた。やれ安心と思ったところにハチ公が、「千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる、まではわかりましたが、最後の『とは』は何です」と突っ込んだ。とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早の本名が『とは(とわ)』だった」
【演者】
これも有名な噺なので多くの演者が演じています。
【注目点】
荒唐無稽な隠居の噺を飽きさせないように聴かせるか? ですね。その一点に掛かっています。
竜田川は現奈良県生駒郡を流れる川で、紅葉の名所として知られており、今は公園になっています。
この和歌の作者、在原業平は水も滴るいい男だったそうで、歴代NO1だとか。
そういえば、業平の存在も「超訳百人一首・うたこい」というアニメで世界に紹介されましたね。
あの平安文化をアニメとは言え欧米人が理解出来るのでしょうか?
ま、この噺には関係ありませんが……。
『能書』
そもそも、この噺を聴いて笑うには、元の歌をきちんと理解してないと無理ですね。
昔の庶民は皆ちゃんと判っていたのですね。
ホント、ここまで苦し紛れとは言え、辻褄あわせが見事ですね。
それにしても、八五郎の娘さんは、ちゃんと学校行ってるんですね。
この事から明治の噺だと判ります。
『ネタ』
三代目小圓朝師はこの噺の隠居を五十歳前後と想定していたそうです。
「昔は隠居になるのも早かったから」
確かにこの前まで「人生五十年」と言われていましたからね。
今回は「千早振る」と言う百人一首にちなんだ噺です。
かの有名な歌も落語の世界の隠居に掛かると恐ろしい噺になってしまいます。
【原話】
原話は、安永5年(1776年)に出版された笑話本・『鳥の町』の一篇である「講釈」とされていますが、それを上方落語家の初代桂文治師が現在に近い形にしたと言われています。
【ストーリー】
百人一首で遊んでいた娘が八五郎に在原業平が詠んだ「千早振る神代もきかず竜田川からくれないに水くぐるとは」という和歌の意味をたずねるのですが。
答えをしらない八五郎は横町の隠居に尋ねて教えを乞います。
隠居によれば竜田川は相撲取りの四股名だと言います。彼が吉原に遊びに行ったとき千早という花魁に振られ、妹女郎の神代にも冷たくされます。
絶望して相撲取りを廃業した竜田川は故郷に帰って豆腐屋を継ぐ、
そして数年後に一人の女乞食がやってきて物乞いをする。見ればあのときの千早花魁。
彼女はおからを欲しがるが、竜田川は恨みがあるのでやらない。
それで千早は井戸に身を投げた・・・これが和歌の解釈だと澄まし顔。「なるほど、じゃあ歌の最後の、『とは』の意味はなんですか」と訊かれた隠居は苦し紛れに、とんでもない事を話始めます……。
江戸時代、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った際、「千早」という花魁に一目ぼれした。ところが千早は力士が嫌いで振られてしまう。そこで「千早振る」。振られた竜田川は妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わっちも嫌でありんす」ということをきかない。で、「神代も聞かず竜田川」。
このことから成績不振となった竜田川は力士を廃業、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだ。それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れる。「おからを分けてくれ」と言われ、喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。激怒した竜田川はおからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた。で、「から紅(くれない)に水くぐる」。 八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引にハチ公を納得させた。やれ安心と思ったところにハチ公が、「千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる、まではわかりましたが、最後の『とは』は何です」と突っ込んだ。とっさの機転でご隠居はこう答えた。
「千早の本名が『とは(とわ)』だった」
【演者】
これも有名な噺なので多くの演者が演じています。
【注目点】
荒唐無稽な隠居の噺を飽きさせないように聴かせるか? ですね。その一点に掛かっています。
竜田川は現奈良県生駒郡を流れる川で、紅葉の名所として知られており、今は公園になっています。
この和歌の作者、在原業平は水も滴るいい男だったそうで、歴代NO1だとか。
そういえば、業平の存在も「超訳百人一首・うたこい」というアニメで世界に紹介されましたね。
あの平安文化をアニメとは言え欧米人が理解出来るのでしょうか?
ま、この噺には関係ありませんが……。
『能書』
そもそも、この噺を聴いて笑うには、元の歌をきちんと理解してないと無理ですね。
昔の庶民は皆ちゃんと判っていたのですね。
ホント、ここまで苦し紛れとは言え、辻褄あわせが見事ですね。
それにしても、八五郎の娘さんは、ちゃんと学校行ってるんですね。
この事から明治の噺だと判ります。
『ネタ』
三代目小圓朝師はこの噺の隠居を五十歳前後と想定していたそうです。
「昔は隠居になるのも早かったから」
確かにこの前まで「人生五十年」と言われていましたからね。